無事事務所にも所属できたところで、俺はドラマの撮影現場にいた。
スタジオの空気は、昔と変わらない。
照明の熱が肌に残り、床の感触が足裏に伝わる。
周囲の視線が、ゆっくりと一点に集まってくる感覚も、どうしようもなく懐かしかった。
「ナイトプロ所属、伽須翼です。本日はよろしくお願いいたします!」
「翼君、久しぶりだね。この話を受けてくれて、本っ当にありがとう!」
プロデューサーの南風原さんが笑顔で握手を求めてくる。
目の下のクマはすごいし、頬はこけているので体調が心配だ。
スキャンダルによる緊急対応のせいで激務が続いているのだろう。
「南風原さん、ご無沙汰しております。よければ、これ」
俺は胃に優しいものを選んで詰めてきた差し入れを渡す。
ゼリー飲料、栄養補助食品、あとは現場でも食べやすい個包装の羊羹が数本。
「気が利くねぇ! 翼君って昔からそういうとこあったよね!」
南風原さんは破顔して、紙袋を受け取った。
目の下のクマは変わらないが、声に少しだけ張りが戻った気がした。
「生中継、見たよ。見違えたね。かわいらしい子役からイケメン俳優にジョブチェンジだっはっは!」
「ありがとうございます」
社交辞令を交わしながら、俺は周囲を観察する。
スタッフの動き、カメラの位置、照明の角度。
一度は引退した身だが、身体はちゃんと覚えていた。
目に入ってくる情報を処理する速度が、日常のそれとまるで違う。
スタッフがせわしなく動き回る中、低く渋い声が響いた。
「おい、翼」
振り返ると、刑事の服装をした男性が立っていた。
井田寛。四十代後半のベテラン俳優だ。
ぼくんち冒険たいの主題歌になったドラマ〝蛙の子は帰る〟では、俺と親子役を演じた。
当時から大成していた井田さんは、子役の俺にも一人の役者として接してくれた。
現場以外では関りもなかったが、俺にとっては尊敬できる俳優の一人だ。
「井田さん。お久しぶりです」
「本当に久しぶりだな」
ぶっきらぼうな口調は昔のままだった。
「芸能界、辞めたって聞いたときは驚いたぞ」
「ご心配をおかけしました」
「お前が選んだ道だ。そいつはいい」
井田さんの視線が、まっすぐこちらを向いた。
品定めではなく、確かめるような目だった。
「戻ってきたのは、やりたいことが見つかったからか」
「そうです。逃げてたものと、向き合えた気がして」
「そうか」
短く頷いて、井田さんは少しだけ目を細めた。
「〝蛙の子は帰る〟の現場、覚えてるか」
「もちろんです」
「あのとき、お前は俺の芝居を見るたびに目が変わった。受けて、考えて、次のテイクで返してくる。子役でそれができる奴は、そうはいない」
井田さんは腕を組んで、続けた。
「隣に誰がいるかで、演技が変わる役者がいる。お前はそのタイプだ。相手が強ければ強いほど、引き出されるものがある」
返す言葉を探す前に、井田さんが先へ進んだ。
「今回は俺がお前を連行する刑事役だ。台本を読んだか」
「はい。連行しながら檄を飛ばすシーンがありましたよね」
「台本通りに飛ばすが、俺の本心でもある」
それだけ言って、井田さんは踵を返した。
背中越しに、低い声が落ちてくる。
「いい芝居をしような、翼」
その言葉が背中に当たって、肩の力が自然と抜けた。
「……俺もバカだったなぁ」
芸能界にはこんなにも、俺のことを気にかけてくれる人はいたというのに。