とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第51話 脳破壊される側視点 パート7

 収録が終わって廊下を歩きながら、あたしは自分の顔が緩みっぱなしなのをわかっていた。

 わかっていても、止まらなかった。

 

 翼が隣にいる。

 ただそれだけのことなのに、足が妙に軽い。

 鞄を持つ手に変な力が入って、それを自覚するたびにまた緩む。

 珍しくあたしの表情筋は、完全に制御不能だった。

 

 芸能界に入ってから、感情を外に出すことは損だと叩き込まれてきた。

 

 表情は道具。

 笑顔はツール。

 ポーカーフェイスは最低限の礼儀だ。

 

 なのに今、その全部が機能していない。

 

「なんか、嬉しそうだな」

 

 翼に言われた瞬間、条件反射で目を逸らした。

 

「そう見える?」

「隠せてないぞ」

 

 隠せていないのはわかっている。

 なんでそんなに冷静に指摘できるんだ、この男は。

 こうなったら開き直るしかない。

 

「……翼と一緒にいられるのが嬉しいの。文句ある?」

 

 堂々と言い切って、前を向いた。

 返事は聞かない。

 どんな顔をされても受け止める自信がなかった。

 

「あのさ、朝香」

 

 廊下の角で翼が立ち止まる。

 振り返ると、どこか真剣な顔をしていた。

 

「迷惑かけてないか」

「何がよ?」

「ネットの反応とか、セット出演のこととか。朝香のイメージに影響出たりしてないか」

 

 その言葉に、胸の中で何かが苦く笑う。

 あたしがそれを望んでいたのに、迷惑なわけがない。

 翼と同じ画面に映ること、翼の隣で笑うこと、翼の名前と並べて語られること。

 

 全部、あたしが望んでいたことだ。

 それを正直に言えるほど、あたしの神経は太くない。

 

「心配するなら、もっと別のことを心配しなさい」

「別のこと?」

「学校の子たちとの付き合い方。あの三人のことよ」

 

 鍬矢田の件は本人の自業自得だが、意図的にそういう状況に追い込まれることだってある。

 

「鍬矢田ルイのこともあったでしょ。何がスキャンダルになるか、今の時代は本当にわからない。特に翼は注目されている時期だから、女子との関係は慎重にしておいた方がいい。もしも街中で写真でも撮られてみなさい。面白おかしく拡散されて、カプ厨からは総叩き。この炎上しやすいSNS時代に慎重になるに越したことはないわ」

 

 翼の学校での人間関係だって、一つのリスクなのだ。

 もちろん、それはただの建前。

 

 あの三人と翼が恋愛関係になるのを防ぎたい気持ちのほうが大きかったことは否めない。

 これは業界人として正しいアドバイス、翼のためを思っての発言だ。

 そういうことにしておく。

 

「さすが朝香だな。そういうところまで気が回るのか」

 

 翼が素直に感心したような顔で言う。

 さすがに、心が痛んだ。

 

「……当然のことを言っているだけよ」

 

 この話はここで終わりにする。

 廊下の奥から夕方の光が差し込んでいた。

 窓の形に切り取られた四角い光が、床に静かに落ちている。

 

 翼と同じ方向へ向かって歩いている。

 それだけで十分だと思った。

 そのはずだった。

 

「それで、さ」

 

 翼の声音が、少し変わった。

 

「約束のことなんだけど」

「約束?」

 

 とくん、と胸が高鳴る音がした。

 

「昔の約束だ。演技で勝ったら付き合ってもらうって言ってただろ。ほら、今回朝香は負けたって言ってたからちゃんと話しておこうと思ってさ」

 

 歩調が、自分でも気づかないくらいゆっくりになっていた。

 待っていた。ずっと待っていた。

 演技で勝ったら、という条件をとっくに翼は満たしている。

 

 あたし自身がそう認めた。

 

 プライベート・AIの撮影が終わったあの日、あたしは翼に「負けた」と言った。

 あれは本心からの言葉だった。

 だから次に翼がこの話を持ち出すとき、あたしは準備できていると思っていた。

 

 返事も考えていた。

 何度もシミュレーションした。

 

「改めて言うけど……あれ、取り消しにしてほしい」

 

 脳が、一瞬止まった。

 

「はえ?」

 

 喉から出た声が、自分のものとは思えなかった。

 

「俺があの約束をしたのは、朝香に告白するための手段として演技を使ってたからだ。それ自体が間違いだったと思ってる。演技をそういう目的に使ったことを、朝香に謝りたい」

 

 足が動かなくなった。

 油の切れたロボットみたいにぎこちなく翼の方を向く。

 

 翼の顔は、真剣だった。

 誤魔化しも照れもなく、ただまっすぐに謝罪をしていた。

 

「俺はちゃんと演技と向き合いたい。朝香と肩を並べられるくらいになりたいんだ」

 

 何か言わなければと思ったが、言葉が出てこなかった。

 シミュレーションの中の翼は、こんなことを言わなかった。

 あたしの想定した翼は、もっと喜び勇んであの約束を持ち出してくるはずだった。

 

 頭の中で用意していた返事が、全部崩れていく。

 

「つまり、翼は――」

 

 口を開いたはいいが、なかなか言葉が出てこない。

 

「演技で私に勝っておいて、付き合う気はないってこと?」

「そういうことになるな。本当に迷惑かけた」

 

 翼が頭を下げた。

 あたしの視線が、その頭頂部に落ちた。

 

 そして、顔を挙げるのと同時に言い放つ。

 

()()()()()、お前に付き合ってくれなんて言わないから安心してくれ」

 

 その言葉が、廊下にまっすぐ落ちた。

 

 安心。あたしが、安心?

 

 どこをどうすれば、これで安心できるのか。

 準備していた返事は全滅した。

 用意していた表情も使えない。

 今のあたしの顔がどうなっているか、鏡がないからわからなかった。

 

「み゛」

 




日常編はここまではとなります。
次からはガッツリ芸能界の話も入ってきます!

余談ですが、キャラクターの名前の由来を少し紹介させてください。

伽須翼:「イカロスの翼」
羽田朝香:「浅はかだね」のアナグラム、翼から共を消すと羽田になるため。
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