天才子役の幼馴染は曇るが、役者の道を諦めたら始まるラブコメ 作:サニキ リオ
芸能界に戻って日が浅いということもあり、出演するのはバラエティーが多かった。
バラエティーは、収録してから放送までが早い。
話題が残っているうちに顔を出すには都合がいい、という判断だ。
ドラマの話もオファーがたくさん来ている状態らしい。
その辺りは事務所側が絶賛精査中とのことだ。
それでも、頭のどこかが落ち着かない。
「……今のうちに終わらせるか」
土曜昼過ぎの事務所は静かだった。
人の気配が薄くて、空調の風だけが一定の音を立てている。
鞄からノートを引き抜く。
ペン先を置くと、迷いはほとんどなかった。
問題を追っていくうちに、さっきまで引っかかっていた意識が、少しずつ沈んでいく。
最後の一問に答えを書き込んで、ペンを置いた。
椅子に体を預けると、背もたれが肩に触れて力が抜けた。
「終わった?」
すぐ横に声が落ちる。
顔は向けずに視線だけ動かすと、朝香が腕を組んで立っていた。
「声くらいかけてくれればいいのに」
「邪魔しない方がいいと思ったの」
「そいつは、お気遣いどーも」
軽く息を吐いて、身体を朝香の方へと向ける。
正面から見ると、朝香はいつも通りの顔をしていた。
変わった様子はないのに、どこか距離の測り方に迷う。
「今日は何もないのか」
「さっきまでミセドのCM撮影よ」
「朝香にしては、随分時間かかったんだな」
「向こうもこだわりたいみたいだったから」
淡々と返ってくる。
忙しいのは知っているが、本人はそれをことさらに言わない。
「そっちは?」
「バラエティー一本。午前中に収録して終わり」
「早いとこドラマで演技したいんじゃない?」
「そうは言っても、復帰したばかりだからな」
机の上のノートを閉じる。
「顔を覚えてもらうには助かるんじゃない」
「まあな」
肯定はしたが、口の中に残るものは少しだけ鈍い。
復帰してから、仕事の連絡は思った以上に多かった。
バラエティーだけじゃない。
CMのオファーが、何本も来ていた。
食品、日用品、スポーツ用品。
出せばそれなりに話題になるだろうという計算が透けているのは、経験でわかる。
その中には〝ぼくんち冒険たい〟関連の話も含まれていた。
俺としては芸能界に戻った後も自分の傷を使う覚悟はできていた。
『翼君にとっても心を抉ることになる。君の意志を確認したいんだ』
『大丈夫です。ありがたいお話ですし、きちんと顔を売っていきますよ』
『うちとしても、君を安い見世物に使うつもりはない。忘れないでくれ。君の魅力はその朝香にも劣らない演技力だ。それを見せる場を必ずもぎ取ってくる』
俺の意思を確認してから、騎志社長はそう約束してくれた。
ありがたいとは思う。
同時に、その信頼に応えなければという焦燥感があった。
朝香はそれ以上は踏み込まず、視線だけをこちらに置いている。
「ドラマの話は?」
「オファーが来てるとは聞いた。たぶん、そろそろだとは思う」
「そう」
短く頷いて、朝香は机の端に手を置く。
それ以上は聞かない、という線引きがはっきりしていた。
間が少しだけ空く。
「……今、暇かしら?」
「宿題は終わったとこだしな。時間なら空いてるぞ」
「じゃあ付き合って。台本、少しだけ確認したいの」
「練習台か」
「そういうこと」
椅子から立ち上がろうとしたところで、ドアの方から足音がした。
「やあ、二人とも」
柔らかい声が、空気を少しだけ変える。
振り向くと、騎志社長が入口に立っていた。
穏やかな笑みを浮かべて、こちらを見ている。
「ちょうど良かった。二人共、少し時間をもらえるかい?」
朝香と視線が合う。
短く頷いて、ソファーから腰を上げた。
「「空いてます」」
「助かるよ。じゃあ、こっちへ」
応接室のドアが開けられる。
中は見慣れたはずの空間だった。
配置も変わっていないのに、さっきよりも静かに感じる。
向かいに座った騎志社長は、指先を軽く組んだ。
「そんなに構えなくていい。雑談の延長だと思ってくれればいいよ」
笑みを浮かべたまま言う。
言葉の軽さに対して、視線は外れない。
「最近どうだい?」
「バラエティー番組やCMの出演は増えてるのでありがたいです」
指先がわずかに机をなぞる。
自分で言っておきながら、どこか借り物の言葉みたいに聞こえた。
「顔を売るのは大事なことだからね。でも、そろそろドラマの現場に出たいんじゃないかい?」
呼吸が一瞬だけ浅くなる。
視線を逸らす理由もなくて、そのまま騎志社長の目を見る。
何かを見透かされているような感覚だけが残った。
声の調子は変わらない。
それでも、空気が一段だけ締まる。
「ドラマ〝西遊記〟。孫悟空役のオファーが来ている」
「なっ、孫悟空って主役じゃないですか!?」
降って湧いた大チャンスに素っ頓狂な声が出てしまった。
西遊記。
中国の四大奇書の一つに数えられる誰でも知っている冒険譚だ。
ドラマ版は何度か制作されており、俳優、芸人、アイドル……その時代のトップクラスのタレントがキャスティングされる日本ドラマにおけるバケモノ企画だ。
「ナイト兄さ――社長。翼が悟空役って本当ですか!?」
朝香も予想外だったのか、珍しく素で驚いた表情を浮かべていた。
「オファーが来ているというだけだよ。やるかは本人の意志次第さ」
どこか試すような視線を向けてくる騎志社長。
その目は言外に「君が活躍できる場を用意してきたよ?」と言っている気がした。
「今回は、原作からはかなりの改変が入っているらしくて、演じるのは難しいがやるかい?」
「もちろんです!」
言い切ってから、ようやく息を吐いた。
喉の奥が少しだけ熱い。
「三蔵法師はあたしだからね。しっかりしてよね、猿」
「猿って呼ぶのはどっちかというと信長だろ」
軽口はいつも通りの調子で出る。
肩の力が抜けた感覚と、まだ消えきらない高揚が同時に残っていた。
「そうだ、騎志社長。原作からかなりの改変があるって、どんなのなんですか?」
「沙悟浄が女性になっていて、悟空との恋愛描写があるとは聞いてるよ」
「あっはっは! 脚本家さん大胆ですね!」
一般的な漫画の実写化とは違い、西遊記は何度もドラマ化されており、原作という概念も原文ではなくパブリックイメージのざっくりしたものになりがちだ。
そこをぶち抜いて沙悟浄を女にするとは、なかなかに挑戦的である。
「朝香。頑張ろう、な?」
隣にいる朝香に視線を向けると、ぽかんと口を開けたまま放心状態になっていた。
「み゛」
そして、絶命寸前のセミのような声が、朝香の喉から絞り出された。