とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第62話 アイドルの冗談

 本読みが終わると、しばらく誰も口を開かなかった。

 五木監督が台本を手に持ったまま、視線を朝香へ向けている。高杉さんは頬杖をついていた。どちらも口の端がわずかに上がっている。

 

「……いやぁ」

 

 最初に声を出したのは伊本さんだった。

 

「怖かったねぇ、お二人さん」

 

 笑い混じりだったが、本気の成分が混ざっていた。

 

「本読みでこの空気になるのは、心臓に悪いね」

 

 南風原さんが苦笑しながら首を振る。

 

「現場入ったらどうなっちゃうんだろ」

「楽しみですねぇ」

 

 高杉さんがニコニコしたまま言った。

 

「脚本書いといてなんですけど、あのシーンであそこまで空気変わるとは思ってなかったです。悟空の一呼吸の間、私も止まっちゃいました」

「翼の間の取り方が良かったからな」

 

 五木監督が低い声で言いながら頷く。

 

「三蔵が動いた瞬間に合わせて返してきた。あれは計算か」

「半分はそうです。残りは朝香の動きに引っ張られた感じです」

「正直でよろしい」

 

 短く頷いて、また台本に目を落とした。

 ルナが台本を閉じながら、こちらへ顔を向けた。

 

「翼君ってさー。本読み中、ずっと朝ちゃんのこと見てたよねー」

「三蔵法師と悟空のシーンが多いからな」

「そうじゃなくてー」

 

 俺の返答に、ルナは口を尖らせる。

 

「朝ちゃんが三蔵法師として喋るたびに、翼君の顔が変わってた。台本を追ってる顔じゃなかった」

 

 返す言葉を探していると、横から腕を組んだ伊本さんの気配が動いた。

 

「わかるわかる。翼君、朝香ちゃんが動くたびに一回呼吸が変わるんだよね」

「それ、役としてー? それとも、素でー?」

「どっちでもある、としか言えないな」

 

 正直に答えると、ルナが目を細めた。

 

「朝ちゃん、本当にすごいねー。対面で食らいつける人、まずいないからねー」

「朝香と共演したことあるんだっけか」

「プライベート・AIのとき、ゲストで一回ねー。あのときも朝ちゃんの現場って空気が変わると思ったけど、翼君はそこに入っていけてた。さすがだねー」

 

 どこか遠い目をして、ルナは続ける。

 

「朝ちゃんのペースに飲まれるんじゃなくて、ちゃんと返してたもんねー。あのやり取り、本読みとは思えなかったよー」

「うんうん。三蔵法師と悟空の関係性として、面白くなりそうだね」

 

 ルナの言葉に伊本さんも頷いた。

 

 しばらく、賑やかな感想戦が続いた。

 南風原さんと高杉さんが次の撮影スケジュールの話を始め、伊本さんが監督と何かを確認し合っている。

 テーブルの上が少しずつ動き出して、顔合わせの場としての役割が終わりに近づいていた。

 

 そのタイミングを見計らうように、ルナがこちらへ身を乗り出してきた。

 声のトーンは変わらないのに、向けてくる視線がさっきより近い。

 

「ねぇ、翼君。もう一個聞いていいー?」

「なんだ」

「翼君って、役者としてどんな目標あるのー? 朝ちゃんみたいになりたいとかー?」

「朝香の上を目指してる」

 

 即答すると、ルナの目がわずかに丸くなった。

 

「へぇー。朝ちゃんのことすごいと思ってるくせに、目指すのは上なんだー」

「すごいと思ってるから上を目指してるんだよ」

「なにそれー」

 

 ルナが笑った。

 声は場に溶けるくらいの音量だったが、視線だけは外れなかった。

 少し間を置いてから、さっきより軽い調子で付け加えた。

 

「なんかカッコいいねー。私、翼君のこと好きになっちゃったかもー」

 

 場の空気に乗せた、軽い冗談だった。

 南風原さんの苦笑が視界の端に入る。

 

 俺が何か返す前に、テーブルの端から音がした。

 台本が、微妙なずれ方で置かれた音だった。

 朝香が両手を台本の上に揃えて置いている。

 視線はテーブルの一点に固定されたまま、表情は動いていない。

 

「み゛」

 

 それから絶命寸前のセミのような声が、会議室に響いた。

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