とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第63話 脳破壊される側視点 パート9

 あたしの名前は羽田朝香。

 三蔵法師役に抜擢された天才女優だ。

 

 本読みの前から、この部屋の空気が好きだった。

 会議室特有の、使い回された空気。

 窓のない密閉感。

 テーブルを挟んで向かい合う配置。

 どこへ視線を向けても、誰かと目が合う距離感。

 

 席についた瞬間から頭は台本の中にあった。

 三蔵法師。

 これまで女優が演じてきた役だが、今回の三蔵法師は少し違う。

 受動的に巻き込まれるのではなく、自分から厄介事へ踏み込んでいく。

 錫杖を構えることも厭わない。

 

 本読みが始まって、最初の数ページは様子見だった。

 伊本さんの猪八戒は、想像よりずっと丁寧だった。

 声の使い方が巧い。

 台本を読んでいるのに、八戒がそこにいる感触がある。

 

 ルナの沙悟浄は、まだ掴みきれていない印象だった。

 声は通るし、存在感もある。

 ただ沙悟浄の輪郭が薄い。

 これから現場を重ねるうちに変わってくるのかもしれない。

 

 翼の悟空は、最初の数ページは静かだった。

 台本通りに読んでいる。

 声の調子も抑えている。

 何かを測っているような、慎重な入り方だった。

 

 あたしは三蔵法師として、翼の悟空を一度だけ見た。

 視線が合った瞬間、翼の目が微かに動いた。

 何かを確認するような、一拍の間だった。

 

 それで十分だった。

 

 台本から視線を上げないまま、あたしは錫杖を構える場面の手前で息を整えた。

 

「悟空」

 

 名前を呼んだ瞬間、翼の空気が変わった。

 声を出す前に、姿勢が変わった。

 肩の落ち方、視線の角度、息の吸い方。

 どれも一拍遅れることなく、悟空として立ち直った。

 

 あたしは三蔵法師として翼の悟空を見据えながら、内側では全く別のことを考えていた。

 やっぱり、彼はすごい。

 

「師に向かって、その態度はなんですか」

 

 台詞を言いながら、翼の反応を追っていた。

 三蔵法師に対して敬意がない悟空。

 それでも、邪魔だとは思っていない。その感情の置き方が、台詞の前の一拍の間に全部入っていた。

 

「……はっ」

 

 翼が息を一つ吐いた。

 

「これはこれは、失礼いたしました三蔵法師様?」

 

 台本通りの台詞なのに、声の重さが違った。

 敬語の形を借りた、剥き出しの含みがある。

 

 隣でルナが息を飲む音がした。

 あたしは錫杖のように丸めた台本を持つ手に、わずかだけ力を込めた。

 

 本読みが終わってからも、その感触は手に残っていた。

 伊本さんが笑いながら感想を言って、南風原さんが苦笑して、高杉さんが嬉しそうに頷いた。

 翼はルナの質問に答えながら、淡々とした顔をしていた。

 役者としての目標を聞かれて、即答していた。

 

『朝香の上を目指してる』

 

 その言葉が、胸の奥に落ちた場所がある。

 あたしをすごいと思いながら、その上を目指すと言う。

 

 あの頃と、何も変わっていない。

 変わっていないのに、前よりその言葉に熱があるように感じた。

 そんなことを考えていたところに、ルナの声が割り込んできた。

 

「なんかカッコいいねー。私、翼君のこと好きになっちゃったかもー」

 

 その一言で脳がフリーズする。

 そういえば、ルナは昔からあたしの真似ばっかり……まさか本当に翼のことを!

 

「み゛」

 

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