ルナの単独シーンが始まった。
今回の西遊記では、沙悟浄は三蔵法師一行とは別の行動がやけに多い。
そもそも本格的な合流が二話からだったり、旅の途中で何かを感じ取って、単独で調査しているシーンが多いのだ。
今は、砂丘の斜面を一人で歩くシーンだ。
ルナは衣装のまま、斜面の中腹に立った。
スタッフが位置を確認して、カメラが構えられる。
「本番、いきます」
カチンコが鳴って、ルナが動き出した。
砂を踏む足が、一歩ずつ斜面を上る。
「はぁ、はぁ……あたし、水がないと死ぬんですけどー!」
愚痴を零しながら、急ぐでもなく、迷うでもなく、ただ前へ進む。
風が来て、砂が舞い上がって髪が流れる。
ルナはそれを払わなかった。
「ったく、ちんたら歩かないでよ、三蔵法師ご一行ー……」
目を細めて、遠くを見る。
その顔が、やたらと絵になった。
髪が流れるタイミングで止まったのは、偶然じゃない。
風を読み、光の当たり具合も計算している。
俺と同じように、カメラにどう映るかを完全に把握していたのだ。
「っ!」
演技としてうまいわけじゃないのに、目が離せなかった。
沙悟浄として掘り下げた何かがあるわけじゃない。
役の感情が内側から動いている気配がない。
そこには沙悟浄はいない。
いたのは、斎藤ルナという人間だ。
だというのに、画として成立している。
「カット!」
監督の声が飛んで、ルナが表情を戻した。
スタッフが何人か動き出す。
「良かった。さすがだな」
「ありがとうございまーす」
軽い返事で、ルナは振り返ることもなく歩き出す。
さっきまでの遠い視線は、もうどこにもない。
俺は砂の上に立ったまま、さっきのシーンを頭の中でもう一度なぞった。
俺のテクニカル・アクティングは、物語の中に収まるためのものだ。
監督の意図を組んで、脚本の歯車として正確に動く。
自分を消して、作品に奉仕する。
ルナのは、そうじゃない。
作品の中に入ろうとせず、斎藤ルナのまま、そこに立っている。
それでも成立するのは、ルナ自身がコンテンツとして完成しているからだ。
向いている方向が、根本から違う。
「ねー、翼君。今のどうだったー?」
ルナがこちらへ来て、まっすぐ俺を見ている。
「……目が離せなかった」
ルナは少し考える顔をした。
「褒めてるのに、なんか複雑そー」
「そりゃまあな」
俺は砂丘の方へ目を向けた。
「お前の演技、沙悟浄として動こうとしてないだろ」
「してないよー。だって、誰も求めてないしー」
俺の指摘を、ルナはあっさり認めた。
「私、メソッド演技がやたら持ち上げられる風潮嫌いなんだよねー」
声音が僅かに低くなる。
そこには、ほんの僅かな本音が含まれている気がした。
「使いやすいのが一番でしょー?」
ルナは砂を一度踏んで、足元を確かめるような仕草をした。
「それはそうだ。結局は、視聴者の心に爪痕を残すための手段でしかない」
俺は別の方向で爪痕を残してしまったが故に、生き残れなかった。
「だけど、俺は役を生きたい」
性別、人種、時代、世界すら超えて別人へと生まれ変わる。
役者をやっている以上、あの快感は何にも代えがたいものだ。
「翼君は自分を消して作品に入る。私は自分ごと画に入る。どっちも見てる人に届けばそれでいいでしょー」
それも正しいと思った。
そして、もう一つわかったことがある。
ルナが単独シーンの多い役の座を手に入れた理由だ。
ルナの演技は、他のキャストと絡むと浮く可能性がある。
朝香の三蔵法師は、役として完全に存在している。
伊本さんの八戒は、縁の下から全体を支える。
俺の悟空は、作品の看板として常に前に出る。
その中にルナの悟浄が入ると、斎藤ルナだけが異質になる。
だから、できるだけ単独で動かし、一緒にいるシーンは画として負けないように、俺たちが経験でカバーする。
一人でいる沙悟浄は、斎藤ルナのまま画になる。
マイペースで得体の知れない沙悟浄というキャラクターと、ルナの自己主張の強い演技が、うまく噛み合っていた。
南風原さんは、その辺りも見越していたのかもしれない。
俺は後に決まったみたいだが、通常はドラマの企画段階でキャストは決まっているものだ。
脚本の高杉さんも、ルナが沙悟浄を演じる前提で脚本を書いた可能性は高い。
「翼君、何考えてるのー?」
「脚本家の腕に感心してたんだ」
「どういう意味?」
「沙悟浄に単独シーンが多いのは、お前に合わせてあるんだと思って」
「あー、そりゃそうだろうねー」
ルナは特に驚いた様子もなく頷いた。
「受け入れてるのか」
「だって事実だしー」
ルナはサングラスを戻した。
「私が役に入れないのは、私の限界だよー。でも、私にしかできないこともある。そっちを活かす方が、絶対にいいものができるよねー」
言い切り方が、どこか朝香に似ていた。
自分の現在地を正確に把握して、そこから動く。
方向は全然違うのに、その迷いのなさは同じだった。
「準備できましたー」
スタッフの声が飛んできた。
「じゃあ、また」
ルナが砂丘の方へ戻っていく。
背中が遠ざかる。
俺は一度だけ深く息を吸った。
「俺は俺で、頑張りますかね」
砂の上を歩きながら、如意棒の重さを確かめた。