撮影が止まって、各自が動き始めた頃。
砂丘の光がゆっくりと傾いていた。
スタッフが機材を片付け始め、足音と声が散らばっていく。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しずつ解けていく。
ルナが俺の横に来た。
「どうだったー?」
「一話の引きとしては最高だったと思う」
「だよねー」
ルナは屈託なく笑った。
自分への賛辞を、当然のものとして受け取っている顔だ。
驕っているわけではなく、自分の仕事の出来を正確に把握していた。
「あのキュウリのとこ、私が提案したんだよー。最初の台本にはなかったのー」
「やっぱりそうか。あれ、めちゃくちゃ効いてたぞ」
「でしょー。あのシーン、沙悟浄が得体の知れない感じを出したかったからさー。食べながら出てきたら、気が抜けてていいかなって」
「読みが正確だな。あの一動作で、視聴者の警戒が緩む。緩んだところで名乗りを入れるから、落差が出る」
「そうそう、そういうこと!」
ルナが身を乗り出してくる。
「翼君さ、あのシーンで目が合ったとき表情が強張ってたよね。あれ、アドリブ?」
「役として自然にそうなった。強さが読めない相手への牽制だよ」
「へぇ。じゃあ視線を流したのは正解かー。あの一拍の間、良かったと思わない?」
「良かった。名乗りの前に一回溜めが入ったから、余計に重くなった」
「そうなんだよ! あそこで翼君のおかげで、自然に間が作れてさー」
ルナの声が弾んでいる。
アドリブのやり取りが噛み合った手応えを、素直に楽しんでいる顔だった。
「ルナのあの目線の流し方、計算してたのか」
「半分ねー。翼君が来なかったら普通に朝ちゃんを見てたと思う。来てくれたから使ったって感じー」
「咄嗟に拾えるのがすごいな」
「それだけは得意なんだよねー。現場の空気を使うの」
ルナは砂を踏みながら、少し横を向いた。
「翼君もそういうとこあるじゃーん。本読みのとき、朝ちゃんが動いた瞬間に合わせてたでしょー。あれ、同じだと思うよー」
「お互い、受けは割と得意みたいだな」
「ですなー」
アプローチは真逆とはいえ、お互いテクニカル・アクティング側が得意なだけあって、ルナとの会話はやけに弾んだ。
「そうだ、翼君。沙悟浄が悟空に惚れるエピソードの練習でもするー?」
「三話でやるやつか」
「そっちじゃなくて、五話のほう。三話は三蔵法師一行に潜り込むためのフリでしょー」
今回のドラマにある恋愛要素。
それは沙悟浄が孫悟空に恋をするというものだ。
最初はがっつり恋愛をするものだと思っていたが、悟空から矢印が向くわけではない。
おそらく、F2層に刺さる要素を入れろと上から詰められたんじゃないかと俺は思っている。
どんな意図があるにしろ、ちゃんと世界観と物語が破綻しないように練りこんである以上、役者である俺は全力で演るまで。
「練習なら付き合う。本当にやる気があるならな」
「どーいうこと?」
だが、提案した人間の意図がズレている以上、指摘しなければいけない。
「この前の本読みのときから思ってたけど、俺にやたらと好意を持っているフリを装っているのはなんだ? 作中の悟浄にリンクするためって、タイプでもないだろ」
「さすがだねー。異常なまでに周囲の気持ちを察する元天才子役君?」
その言葉に皮肉が込められていることに気づかないわけがない。
「ま、それも現場の大人に限られるわけだけどー」
「どういう意味だ」
「さーてね」
飄々とした笑顔の奥にある鋭さ。
好意なんてとんでもない、そこにあるのは明確な敵意だった。
いや、敵意とも違うか……うーん、近い感情としては拗ねている?
そのまま二人で睨みあっていると、砂丘の方から足音が近づいてきた。
朝香だった。
衣装を着たまま、五木監督との話を切り上げて戻ってくる。
「お疲れ様」
俺が声をかけると、朝香の視線がこちらへ来た。
一瞬、俺の横に立つルナへ目が滑った。
何かを確かめるような一拍を置いて、視線が俺に戻ってくる。
「お疲れ様ね」
「監督と話してたのか?」
「次の撮影の段取りよ。二話の砂漠パートで、追加のカットが入ることになって」
朝香は少し離れた場所に立って、砂丘の方を見ていた。
「…………」
いや、会話に混ざらないのかよ。
「朝ちゃん。言いたいことがあれば言えばいいんじゃなーい?」
「あら、それを言ってもしょうがないんじゃない?」
何故か二人の間で火花が散った気がした。
「あなたは求められた演技をした。いいえ、求められていないから演技をしない。それで作品のクオリティが上がるんだから文句なんてないわ」
「気に入らないって態度に滲み出てんだよねー」
「そう思うんならそうなんじゃない。あなたの中ではね」
朝香のほうは敵意に近い感情を出しているが、ルナはそれとは違う。
合わせて朝香の感情を真似てるだけで、これはむしろ……?
「やーやー、お三方。演技談議かな? おじさんも混ぜてよ」
そこへ伊本さんがやってきた。
作中の八戒と同様に、この人がいるだけで空気が和らぐ気配がする。
「伊本さん。お疲れ様です。さっきの演技、すごくよかったです」
「ははっ、おだてても木に登ったりしないよ。いや、豚だから登った方がいいのかな?」
「もー、砂丘に大きな木はないじゃないですかー」
殺気だった気配が霧散する。
伊本さん、たぶん現場でこういう役回りをずっとやってきたんだろうな。
「伊本さんの演技。俺もすごく勉強になりました」
「おっ、翼君にそう言ってもらえるのは嬉しいね。君の演技、まるで本物の悟空がそこにいるみたいだったよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
芸歴が長い人に褒められると、つい嬉しくなってしまう。
伊本さんは特に、芸人の中でも演技がうまいと評判だから尚更だ。
「……本物すぎるから問題なのよね」
そんな朝香の呟きが、やけに耳に残った。