とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第79話 子煩悩な猪八戒

 朝香とルナは、先に宿泊所へと戻った。

 俺と伊本さんは、日の落ちた砂丘に居残りで撮影だ。

 撮影するのは第二話の三蔵法師一行が野営をしている場面だ。

 

 焚き火のセットが組まれて、その周囲に四人が配置される。

 火の明かりだけが頼りの薄暗い中、スタッフが照明の補助を最小限に絞った。

 炎の揺れが、砂の上に不規則な影を落としている。

 三蔵法師と沙悟浄が先に休んでいる設定で、今のシーンに映るのは悟空と八戒だけだ。

 

「本番、いきます」

 

 カチンコが鳴った。

 悟空として、夜の砂丘を見渡す。

 妖気はなく、星が夜空に煌めいている。

 

「交代の時間ですよ、悟空」

 

 八戒役の伊本さんが、焚き火の傍に腰を落とした。

 大柄な身体が、火の光で大きく影になる。

 

「……もう少しいいですよ。眠れないので」

 

 悟空として、その場に腰を下ろす。

 警戒を解いたわけじゃないが、今夜は話し相手がいてもいいと思った。

 

「じゃあ、二人で見張りましょうか」

 

 伊本さんは、笑顔のまま焚火を突き始める。

 火の中に枯れ枝を一本足して、静かに燃えるのを眺めている。

 

「こうしていると家族のことを思い出しますなぁ」

「家族、ですか」

 

 伊本さんの口元が、ほんの少し動いた。

 

「妻は美人で、上の子は六つ、下の子は四つ。自慢の家族さ」

「家族がいるのに旅に参加したんですか?」

「まあ、いろいろあってね」

 

 ここで初めて明かされる八戒の過去。

 それを現実の伊本さんの子煩悩というキャラに絡めて見せるシーンだ。

 

「上の子はもう読み書きができてね。下はまだちょこちょこ転んでばかりだけど、それがまた愛らしくて」

 

 声のトーンが、一段柔らかくなった。

 

「転ぶたびに泣くけど、妻が駆け寄る前にもう立って。また転んで、また立って」

「我慢強いんですね」

「僕に似たんだろうさ」

 

 伊本さんは笑ったが、その笑みはどこか遠かった。

 火を見ている目の奥に、別の光景が映っているようだった。

 俺は少し間を置いてから尋ねた。

 

「どうして玄奘についていったんですか。そんなに大切な家族と離れてまで」

 

 焚き火の音だけが続いた。

 伊本さんは答えるまでに、ひと呼吸を置いた。

 

「名誉のためだよ」

 

 静かな声だった。

 

「身内に妖怪がいるというだけで、妻も子も肩身の狭い思いをしてきた。どれだけ大人しく暮らしていても、恐れられる。嫌われる」

 

 枝が爆ぜて、火花が散った。

 

「この旅を成し遂げれば、仏の位が得られると聞いた。そうなれば、少しは違う。あの子たちが生きやすくなる」

 

 伊本さんは火から目を離して、砂丘の方を見た。

 

「僕は昔、妖怪たちの上に立ち、大勢の人間を不幸にした」

「聞いています。妖怪大国である滅法国の軍を仕切っていたんですよね」

 

 天蓬元帥、猪八戒。

 七大聖にも匹敵する戦力を誇った大妖怪として、その名は大陸中に轟いていた。

 だからこそ、孫悟空は八戒を兄弟子として敬意を払って敬っていたのだ。

 

「国王と離別したあとは散々な人生を送っていた。ボロ雑巾のように落ちぶれた僕を拾い、支えてくれたのが妻だ」

 

 一つ一つの言葉に嘘がない。

 積み上げるたび、セリフに説得力が増していく。

 

「愛する家族にこれ以上、苦労はかけたくないんだ」

 

 そこには本物の感情があった。

 俺は膝の上に手を置いたまま、伊本さんの横顔を見た。

 強い妖怪だった人間が、家族のために旅に出た。

 傍にいてやることより、遠くへ行くことを選んだ。

 それが正しかったのかどうか、本人にもわからないのかもしれない。

 

「なら、とっとと天竺いかないとですね」

「え?」

 

 俺の言葉に、伊本さんは首を傾けた。

 

「だって、さっさと玄奘を天竺に送っちまえば名誉も手に入るし、家族にも早く会える。でしょ?」

 

 伊本さんは一瞬だけ目を細めた。

 

「はっはっは! 違いない!」

 

 それから豪快に笑った。

 ただ頷いて、また火の方へ目を向けた。

 焚き火が静かに燃えている。

 砂丘の奥で、風が低く唸った。

 

「カット!」

 

 監督の声が落ち、静けさが残った。

 

「ありがとね、翼君」

 

 伊本さんが立ち上がりながら言った。

 その声には、まだ八戒の温度が残っていた。

 

「こちらこそ、最高の演技でした」

 

 俺も立ち上がって、砂を踏んだ。

 焚き火のセットが片付けられていく。

 

「そうだ。うちの子の写真見る?」

「ええ、宿泊所に戻ったら見せてください」

 

 夜の砂丘に、スタッフの懐中電灯の光が動いている。

 俺はしばらく、その光景を眺めていた。

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