とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第80話 翼の如意棒捌き

 砂丘での撮影が終わって、宿泊所に戻った。

 他のキャストやスタッフが部屋に引き上げていく中、俺は外に出た。

 宿泊所の裏手は、庭とも呼べない広さの空き地だった。

 

「スゥー……ふっ」

 

 軽く如意棒を振るう。

 この如意棒は撮影用に作られた特注品で、長さや重さが俺用に最適化されたものだ。

 

 風を切る感触と、止まったときの重心の落とし方を確認する。

 八の字に回してから両手で回し、片手でも回す。

 棒術指南を受けたときは、棒を落としまくっていたが、すっかり落とさず手の甲を通して回せるようになった。

 

「八の字、両手、片手……アッキャー!」

 

 最後に脇に挟んで両手を開いて決めポーズ。

 アクションシーンはまだ先だが、それまでには完璧に仕上げないといけない。

 夢中で如意棒を回していると、汗が首筋を伝ってTシャツの背中に張り付く。

 

「もっとペース上げてみるか……」

 

 さっきよりも速度を上げてみる。

 今度は片手で八の字に回しているときに、脇を使ってさらに加速させる。

 

「脇、外、外、脇……痛ぇ!?」

 

 ガンガンに加速させてぶん回していたら、勢い余って頭にぶつけてしまった。

 

「おぉ……うおぅ……!」

「ちょっと、大丈夫!?」

 

 地面にのたうち回っていると、声をかけられた。

 

「とりあえず、これで冷やしたら?」

 

 顔を上げると、朝香が心配そうな顔をしてスポーツドリンクを差し出してきていた。

 朝香は、部屋着に薄いカーディガンを羽織ったラフな格好をしていた。

 

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 スポドリを受け取ると、ひんやりした感触が掌に広がった。

 それからぶつけた箇所に当てて冷やしていると、痛みが段々と引いてきた。

 

「見てたのか」

「少しね」

「カッコ悪いとこ見られちゃったな」

「頑張ってる人間が格好悪いわけないじゃない」

 

 朝香はそう言って優しくほほ笑んだ。

 

「……なんか素直に労わられると調子狂うな」

「何それ。あたしだって、素直に褒めるときくらい……あったかしら?」

 

 自分で疑問に思ってんじゃねぇか。

 

「まあ、いいじゃない」

 

 なんだか照れ臭くなってきたので、キャップを開けて一口飲む。

 冷たい水が喉を通って、身体の中心に降りていく感覚がある。

 朝香は特に何も言わず、俺の横に立って空き地の方を見た。

 自分のペットボトルは持ったまま、開ける様子がない。

 

 朝香がこちらを向いた。

 外壁の灯りが、横顔に当たっている。

 

「今夜は無理しなくていいんじゃない?」

「なんでだよ」

「身体が砂丘の疲れを覚えてる。その状態で根を詰めすぎると明日に響くわ」

 

 朝香はそこで少し間を空けた。

 視線が空き地の端に流れて、また戻ってくる。

 

「それに、役に同調しすぎると戻ってこれなくなるわ」

「……別にそこまで入り込めてないぞ」

「そうね。作り出した役に食われていたもの」

 

 言い切る口調だった。

 俺はもう一口、水を飲んだ。

 夜の空気が肌に当たって、汗が引き始めている。

 

「翼のメソッド演技はすごい。コツを掴んだから積極的に使いたい気持ちもわかる。だけど、使いこなせない技術ほど危ないものはない」

「俺がメソッド演技を使いこなせてないってのか」

「使えることと、使いこなすことの差はあなたが一番よくわかっていると思うけど?」

 

 確かに、悟空を演じているときの俺の思考は孫悟空そのものになっていた。

 作った役を纏うのではなく、そのものになっていたのだ。

 だけど、俺はちゃんと現実に戻ってきている。

 

「翼。まだ撮影は始まったばかりよ。まだカチンコの音で戻ってくれるからいいけど、そのうちカチンコの音すら聞こえなくなるわ」

 

 朝香がそんな風になっているのは見たことがないが、その言葉にはやけに説得力があった。

 

「現実に戻ってくるまでが芝居よ。もし、帰り道を見失ったらあたしを思い出しなさい」

 

 それだけ言うと、朝香はペットボトルのキャップをようやく開けた。

 一口飲んで、また閉める。

 二人とも、しばらく黙っていた。

 空き地の端で、砂が夜風に吹かれて細かく音を立てた。

 

「ははっ、まるで玄奘だな」

「ええ、あたしは三蔵法師だもの」

 

 なんだかおかしくなって二人で吹き出してしまった。

 そのとき、宿泊所の裏口が開いた。

 

「あ、いたいたー」

 

 やってきたのは、ルナだった。

 風呂上がりなのか、髪がまだ少し湿っている。

 なのに、顔はばっちりメイクが入っていた。

 

「なんで風呂上りなのに、メイクしてるんだ」

「すっぴんは人に見せたくないんだよねー」

「寝る前に風呂入ればよくないか」

「風呂上がりの写真ってインプレ稼げるじゃーん。一応、これがすっぴんってことになってるしー」

 

 真顔で即答するルナに、思わず感心した。

 それを損得でやっているというより、空気を吸うようにやっている感じが、アイドルとして積み上げてきた時間の重さを感じさせた。

 

「さすが人気アイドルグループのナンバーワンだな」

「でしょー」

 

 ルナは得意そうに笑って、それからスマホを取り出した。

 

「せっかくだし、三人で写真撮らない? 撮影風景として後で使えるじゃんー」

「後で使えるって、ドラマの宣伝でか」

「そうそう。南風原さんも、SNSでの展開は最初から考えてるって言ってたからー。こういう現場の雰囲気が伝わる素材、多いほどいいよねー」

 

 なるほど、と思った。

 ルナを西遊記に起用したのは、彼女のビジュアルや演技だけじゃない。

 ルナ自身がSNSのコンテンツとして動けるという計算が、最初からあったのだ。

 南風原さんらしい布石の打ち方だった。

 

「どうする」

 

 俺が朝香を見ると、朝香は少し考えてから肩をすくめた。

 

「まあ、せっかくだから」

「よしきたー!」

 

 ルナが先に俺と朝香の間に入ってきて、スマホを高く構えた。

 三人分の顔が画面に収まる。

 

「はーい、チーズー」

 

 シャッター音がして、ルナが画面を確認する。

 

「いいじゃんいいじゃん。翼君、もうちょっと笑ってー」

「笑顔の種類のリクエストをくれ」

「悟空っぽい感じでよろー」

「わかった」

 

 悟空っぽさを調整するなら、メソッドで入った方が早いな。

 俺の中に作った悟空を即座に呼び起こす。

 

「ちょっと、また……」

 

 隣の玄奘が、視線だけをこちらへ寄越した。

 何かを言いかけて、やめた顔だった。

 なんだぁ……いつの間に、女みてぇに髪を伸ばしたんだこの坊主は?

 

「はっ……!」

 

 シャッター音が響いた瞬間、現実に引き戻される。

 

「これいいじゃんー! 翼君、さっきより全然いい顔してるよー」

 

 画面を覗くと、確かにさっきより自然な表情になっていた。

 

「次は翼君が如意棒振ってるやつ撮りたいー」

「動きを見せるなら動画のほうがいいんじゃないか?」

「いいねー、最高ー!」

 

 如意棒を持って、さっきの素振りを再現する。

 止まる間を作らないよう、連続して流す。

 

「かっこいいー! アクション映えするじゃんー!」

「アクションシーンの練習だからな」

「……今日は無理しないでって言ったのに」

「このまま投稿したいくらいだよー。まあ、解禁前だから無理だけどー」

 

 ルナが動画を確認しながら、少し残念そうに言った。

 

「こういうの後で出すと確実にバズるよねー。衣装ありで砂丘で撮ったやつもあるしー」

「あなた、台本全然読まない癖に写真ばっかり撮ってたものね」

「これが私の仕事だよー。ファンは舞台裏が好きだからねー」

 

 そうやって話しているうちに、宿泊所の裏口がまた開いた。

 

「あれ、まだ外にいたのかい」

 

 伊本さんだった。

 湯上がりの格好で、タオルを肩にかけている。

 

「伊本さん! ちょうどよかったー! 一緒に写真撮りませんかー?」

「おー、いいねいいね!」

 

 伊本さんは二つ返事で加わった。

 四人で並んで、ルナがまたスマホを構える。

 三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄。

 衣装じゃないのに、なんとなくそう見えた。

 

「はいチーズー!」

「いやぁ、こういうの楽しいねぇ」

 

 伊本さんが目を細めた。

 

「若い人たちの青春に混ぜてもらって、おじさん感激だよ」

「伊本さん、また撮りましょー!」

「はっはっは、もちろんさ」

 

 ルナが撮った写真を全員に送って、それぞれが確認している間、朝香がスマホを持つ手を静かに下ろした。

 画面をしばらく見ていた。

 

 それから顔を上げて、空き地の奥の方へ少しだけ視線を向ける。

 何を思っているのかは、その横顔からは読めなかった。

 

「朝香」

「なに」

「こういうのも悪くないな」

 

 朝香は少し間を空けてから、スマホをカーディガンのポケットにしまった。

 

「そうね」

 

 短い返事だったが、声が柔らかかった。

 

「じゃあ、そろそろ入ろうかー。明日も早いしねー」

 

 ルナが伸びをしながら言って、伊本さんも頷いた。

 

「そうだね。明日に備えてゆっくり休まないと」

 

 伊本さんが笑いながら先に建物の中に戻っていき、ルナもそれに続く。

 夜風が一度流れて、低木が揺れた。

 

「明日も頑張りましょ」

「ああ、そうだな」

 

 俺は如意棒を持ち直して頷く。

 灯りのついた入口を目指して、二人で歩いた。

 

 廊下は静かで、先に戻ったルナと伊本さんの声も、もう聞こえなかった。

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