とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第83話 アイドルの素顔

 水の中は冷たかった。

 暗くて、水圧があって、上がどこかわからなくなる感覚。

 耳の奥で低い轟音が響き続けて、それが滝の音なのか自分の血流なのか、判断できなくなっていく。

 

『バカがよ。筋斗雲も呼べない人間が無茶をするからそんなことになるんだ』

 

 ぼやける意識の中で、俺の声が頭に響く。

 違う。俺の声じゃない。

 

『俺になろうなんざ、五百年早ぇ』

 

 孫悟空だ。

 俺が作り上げた石猿の妖怪が、意志を持って俺に語り掛けてきていた。

 水の冷たさも、流れに引きずられる感覚も、遠くなっていく。

 

『覚えておけ。俺を顎で使えるのは玄奘だけだ。他の誰の言うことも聞く気はねぇよ』

 

 それだけ告げて、悟空の声は聞こえなくなった。

 同時に、意識が一気に覚醒する。

 

 まずい。息がもたない。

 

 腕を動かしても、水が掴めない。

 流れに身体を持っていかれて、自分がどちらを向いているのかすら怪しくなってくる。

 視界が暗くて、光がどこにあるのかわからない。

 肺が収縮していくのだけが、はっきりとわかった。

 

 そのとき、横から水を切る気配が近づいた。

 迷いのない軌道だった。

 まっすぐ、こちらへ向かってくる。

 強い力で手首を掴まれ、身体ごと向きを変えられる。

 流れを横切るように引かれて、足の裏に岩の感触が戻ってきた。

 

 次の瞬間、顔が外に出た。

 

「っは――!」

 

 肺に空気が戻る。喉の奥が焼けるように痛くて、咽せながらもう一度吸い込む。

 周りの音が、一気に戻ってきた。

 水が岩を叩く音、遠くからスタッフの声。

 

「バカじゃないの!?」

 

 すぐ横で声がして、そちらへ顔を向ける。

 見覚えのある衣装だった。

 顔の印象がいつもと全然違う。

 濡れた髪が頬に張り付いて、いつもの整った雰囲気が跡形もない。

 

 水流でメイクが中途半端に落ち、鋭い三白眼とソバカスがはっきりと浮き出ていた。

 それでも、間違えようがない。

 

「……ルナ、なのか?」

「喋らないで! 舌噛むよ!」

 

 肩を掴まれ、また引かれる。

 ルナは迷いなく動いていた。

 水の流れを読んで、岩の方へ身体を寄せていく。

 

 その動きに無駄がない。

 水の中での動き方を、身体が知っているようだった。

 

「そっち、足つくから!」

 

 言われた通りに足を伸ばすと、岩の感触が靴底に伝わった。

 踏みしめて身体を起こすと、胸のあたりまで水から出た。

 

「っはぁ……げほっ」

 

 空気が肺の奥まで入っていく。

 水を吸い込んでいたのか、咽せるたびに胃の中が揺れる感じがした。

 

「……最っ悪」

 

 ルナが小さく呟いた。

 視線は俺ではなく、自分の顔へ向いている。

 指先で目元をなぞって、崩れたメイクの状態を確かめている。

 その仕草に焦りと諦めが混じっていた。

 

「よりによって、すっぴん見られるなんて……」

 

 さっきまでの調子とは違う、素に近い声だった。

 息を整えながら、状況を整理する。

 

「なんで、ここに?」

 

 ルナは今日、別行動のはずだった。

 

「私は滝の下でのシーンを撮影してたから」

 

 水を払いながら、ルナは答えた。

 袖を絞ると、水がぽたぽたと落ちる。

 

「岸で見てたら、バカが飛び込んできたから飛び込んだだけ」

 

 淡々としていた。

 助けに来た経緯を、それ以上でも以下でもなく言い切った。

 息を整えていると、岸から複数の声が一気に降ってきた。

 

「翼君!」

「大丈夫か!」

 

 滝の下で待機していたスタッフが、こちらへ向かってくる気配がする。

 ロープを持っている人間もいた。

 ルナは岸の方へ顔を向けてから、また俺を一瞥した。

 

「自力で歩ける?」

「ああ、大丈夫だ」

「じゃあ、さっさと行くよ」

 

 先に動き出したルナの後を追って、岸へと向かった。

 水の抵抗が、足を動かすたびに全身にかかってくる。

 

 それでも、さっきよりずっと動けた。

 スタッフに引き上げてもらって、岸に上がった瞬間、砂利の感触が足裏に広がった。

 水を吸った衣装が重くて、立っているだけで疲れる。

 

 ルナは先に上がって、スタッフが差し出したタオルを受け取っていた。

 顔を拭いながら、さっと周囲を確認している。

 カメラがどこを向いているかを、反射的に把握している動きだった。

 

 その横顔に、三白眼とソバカスがまだはっきり残っていた。

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