とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第85話 緊箍児の代わり

 横になって休んでいると、テントの入口が勢いよく開いた。

 

「翼! 起きてるって聞いたけど大丈夫!?」

 

 飛び込んできたのは朝香だった。

 息が少し上がっている。走ってきたらしい。

 テントの中に俺の姿を認めた瞬間、目元がみるみる緩んでいく。

 

「朝香か……」

「っ、無事でよかった」

 

 瞳に涙を浮かべながら朝香が俺の元に駆け寄ってきた。

 

「ちょ、朝香!?」

「本当に、無事でよかった……!」

 

 そのまま抱きしめられて両手が掴みどころをなくして宙を漂う。

 

「死んじゃったかと思ったのよ!」

「心配かけて、ごめんな」

 

 彷徨っていた両手を朝香の背中に当てて落ち着かせる。

 

「さて、現状を整理しましょう」

「切り替え早すぎだろ」

 

 ものの数秒で落ち着いた朝香は、俺から離れると淡々と切り出した。

 お前の情緒はどうなっているんだ。

 

「あたし、忠告したわよね。現実に戻ってくるまでが芝居だって」

「……返す言葉もない」

 

 孫悟空という自分の作り出した役に食われた。

 モノにしたはずのメソッド演技が、テクニカル・アクティングでの制御を壊した。

 俺の得意技である外から作って感情が後からついてくる演技ができなくなってしまったのだ。

 

「まだみんな翼の芝居を迫真の演技だと思い込んでるけど、本当は違う」

 

 朝香はさっきの表情が嘘のように、冷徹な眼差しを向けて告げる。

 

「あれはただの暴走よ。コントロールできない芝居は現場を乱すだけ。早急に改善しなさい」

「そうだな。これ以上、現場に迷惑をかけるわけにもいかない」

 

 俺は少し間を置いてから、ゆっくりと息を吐いた。

 

 言いたくなかった。

 本当は言いたくなかった。

 

 役者としての矜持を持ち出すまでもなく、こういうことを人に頼むのは性に合わない。

 自分の問題は自分で解決するのが筋だと思っていた。

 だが、このままでは現場に穴を開ける。

 それだけは、避けなければいけない。

 

「……朝香。一つ、頼みがある」

「珍しいわね」

「次のルナとの共演シーン。カメラ外で、俺の視界に入る場所にいてくれないか」

 

 朝香が眉をわずかに動かした。

 

「何をするの?」

「お経を唱えていてほしい。声に出さなくていい。口パクでいい。ただ、唱えていると俺がわかれば十分だ」

 

 言葉にしてみると、情けなかった。

 メソッド演技の制御が効かなくなるたびに、三蔵法師の存在を視界の端に置いて引き戻してもらう。そういうことだ。

 

 悟空が玄奘の緊箍児に繋がれているように、俺も朝香の三蔵法師に繋ぎ止めてもらう。

 役の論理と現実の応急処置が、皮肉にも一致した形になった。

 

「要するに、緊箍児の代わりに使いたいということ?」

 

 朝香は静かに言った。

 俺が何を意図しているか、すでに読んでいた。

 

「そういうことだ。応急処置にしかならないのはわかってる。根本的な解決は自分でやる。ただ今の俺には、一度暴走を止める手がかりが必要で」

「自分でコントロールできるようになるまでの繋ぎってことね」

「そうだ」

 

 朝香はしばらく俺を見ていた。

 何かを測っているわけではなかった。ただ、受け取っている顔だった。

 

「条件が一つあるわ」

 

 そう前置きすると、朝香は続けた。

 

「これは応急処置。あたしに頼ったまま終わりにしないこと」

「当たり前だ」

「よろしい」

 

 朝香は腕を組んで、テントの外へ目を向けた。

 夕方の光が布越しに差し込んで、内側を柔らかく染めている。

 

「翼がメソッドを使いこなせるようになるまで、あたしは三蔵法師でいてやる。でも最終的には、あなた一人で戻ってこられるようになりなさい」

「ああ」

「約束よ」

 

 俺は頷いた。

 恥を忍んで頼んで正解だったと思った。

 

 それと同時に、情けなさとは別の感覚が胸の奥で静かに固まった。

 絶対に、自分の手で制御できるようになる。

 朝香の三蔵法師を借りるのは今だけだ。

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