とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第88話 かけた恩は水に流し、受けた恩は石に刻む

 鳥取での撮影も終わり、あとはスタジオでの撮影や個々のアクションシーンを撮っていく流れになった。

 次の撮影までに、俺は自分の演技を組みなおされなればいけない。

 そのためにも、一秒だって時間は無駄にできない。

 

「あぁ……やっぱり、ここのサウナは最高だねぇ」

「はぁ……」

 

 何故か、俺は猪八戒役の伊本さんに誘われ、赤坂にある会員制の温浴施設へとやってきていた。

 

「そういえば、伊本さんはプライベートでもよくサウナに通ってるっておっしゃってましたもんね」

「さすが、翼君。よく知ってるね」

 

 ロウリュをしながら伊本さんは笑顔を浮かべる。

 サウナストーンから蒸気が発生し、肌にビリビリと熱気が伝わってくる。

 

「それで、俺を呼んだのは滝から飛び込んだときのことが気がかりだったからですか?」

「……やっぱり、君は怖いねぇ」

 

 蒸気の中で伊本さんは苦笑する。

 

「君を含め、三蔵法師一行は子役経験がある分、どうにも本心を見せてくれないからね」

「腹を割って話すならサウナはもってこいってわけですね」

 

 サウナでは、暑さで思考が鈍り、呼吸が乱れる。

 意識のリソースが耐えることに持っていかれるのだ。

 取り繕う余裕がなくなることに加えて、座っている位置取りもうまい。

 

 わざわざL字の角を選ぶあたり、偶然じゃないのだろう。

 正面には座らず、完全に横にもならない。

 斜めの位置は、カウンセリングポジション。

 本音や相談など、踏み込んだ会話に最適な位置取りだ。

 

 しかも、ここから水風呂、外気浴とくる。

 極端な負荷のあとに一気に緩む。

 

 その瞬間、人は驚くほど無防備になる。

 本音を引き出すには、よくできた導線だ。

 

「あの、翼君。ものすごく考察してるとこ悪いんだけど……おじさん、そこまで考えてないと思うよ」

「……そうですか」

 

 深読みしてしまったが、自然と理論的な最適を出せるくらい伊本さんが後輩の面倒をみてきたということなのかもしれない。

 

「君がどうして、そこまでの察する能力を手に入れてしまったのか……よっぽど苦労してきたんだろう?」

「子役のときからいれば、それなりに苦労はしますよ」

 

 失ったものも多かったが、得たものも多かった。

 だから、後悔はない。

 

「それに苦労で言ったら伊本さんだって苦労してるでしょう」

「まあ、僕もそれなりにね」

 

 伊本さんは、お笑いコンビ〝ジェットマンチェスト〟として、相方の埴井虎夫(はにいとらお)と活動していた。

 当時は人気の絶頂にあり、伊本さんは女優の清良香奈(きよらかな)とも結婚。

 

 しかし、相方の埴井さんが女性関係の不祥事で書類送検されてから風向きが変わった。

 

 レギュラー番組はまとめて降板。

 コンビとして活動していたのが仇になったのだ。

 

「妻と子供には迷惑をかけてしまったよ」

「仕事がない辛さはわかります」

「おっ、気が合うねぇ」

 

 おどけたように笑うと、伊本さんは続ける。

 

「仕事がなくなって、芸人仲間からは腫れもの扱いされて……そんなときでも、香奈は献身的に僕を支えてくれた」

 

 苦しかった思い出を語っているというのに、伊本さんの表現は穏やかだった。

 

「それでさ」

 

 伊本さんは、そこで初めてこちらに視線を向けた。

 

「翼君は、どうなの。支えてくれる人はいるのかい?」

 

 その問いに、真っ先に浮かんだの朝香の顔だった。

 俺が俳優として立ち直るきっかけをくれたのは、高校で出会った友人である梨夢、丸代、郁の三人だ。

 でも、俳優としての俺の心を支えてくれていたのは、朝香だった。

 

「いますよ。でも、支えられてばっかりなんです」

 

 三蔵法師を演じる朝香がいなければ、俺は孫悟空という役に食われてしまう。

 

「復帰作で状況の噛み合いで最高の演技が()()()()()()()。だからこそ、今後はアレを基準に見られるから、俺は頑張らなくちゃいけないのに……」

 

 追いかけた背中に追いつけたと思ったら、より距離が開いていたことを自覚させられた。

 手を伸ばせば伸ばすほど、自分の未熟さを突き付けられる。

 

「まったく、情けない限りですよ」

「そんなことはないさ」

 

 伊本さんは、まっすぐに俺を見据えて告げる。

 

「孫悟空という役を完璧に作り、役に入り込んだ結果は紛れもなく、君が努力した証だ」

「結果が出るまでやるのが努力です」

「結果はまだ出ていないだろう?」

 

 俺の言葉にそう返すと、伊本さんは続ける。

 

「君の性格上、周りに迷惑をかけたくなくて焦るのもわかるけど、いい作品にするための迷惑ならいくらでもかけてくれ。僕たちは仲間だ」

 

 そこで言葉を区切ると、おどけたように笑いながら告げた。

 

「それに何かあっても、プロデューサーの南風原ちゃんがどうにかしてくれるさ」

「それは……ははっ、確かに。南風原さんなら何とかしてくれそうですね」

 

 なんだか少しだけ気が楽になった。

 さすがは、ベテラン芸人。

 後輩のガス抜きは得意分野だったようだ。

 

「もちろん、これもただの丸投げってわけじゃないくてね。南風原ちゃんは信頼できる人だ。何せ、僕は彼に救われているからさ」

「南風原さんが?」

「ああ。仕事を失った僕を深夜のバラエティー番組でMCに推薦してくれたんだ」

 

 伊本さんがMCを務めるバラエティー番組といえば〝考よりGO!〟だろう。

 もともと深夜枠だったが、人気が出たこともあってゴールデンに映った大人気番組だ。

 

「でも、どうして南風原さんが?」

 

 いくら伊本さんに非が全くないとはいえ、当時はそれを理解せずに伊本さんごと叩いていた大衆がいた時代だ。

 下手をすれば、出世から外される可能性だってあったはずだ。

 

「昔の恩があるからって言われたよ」

「恩、ですか……あ、もしかして!」

 

 伊本さんは世間的にも好感度の高い芸人だ。

 愛妻家で子煩悩ということもあるが、それだけではない。

 現場の聖人エピソードがまとめられたりしていることも大きいのだ。

 

 その一つに、理不尽に怒鳴られたADを庇ったというものがある。

 徹夜続きで碌に風呂にも入れていなかったADが怒鳴られていたときのことだ。

 

『体臭キツくてすみません! すぐにシャワー浴びてきます!』

 

 そう言って、伊本さんはわざと自分が怒られたかのように頭を下げたらしい。

 その場の空気が一瞬で変わり、怒鳴っていたディレクターも、それ以上は何も言えなくなったとのことだ。

 

「あの噂のADが南風原さんだったんですね」

「そうだよ。僕は大したことはしてないんだけどね」

 

 どこか懐かしそうに伊本さんは告げる。

 

「南風原ちゃんの座右の銘は〝かけた恩は水に流し、受けた恩は石に刻む〟だからねぇ」

「ははっ、芸能界では珍しいですよね」

 

 俺も南風原さんのおかげでここにいる。

 こんなバケモノ企画の主役に据えてくれた恩はしっかりと返したい。

 

「さて、そろそろ水風呂に行こうか」

 

 その後、水風呂に浸かって外気浴を繰り返し、俺の肉体はすっかり整っていた。

 同時に、心も伊本さんのおかげで整っていたのであった。

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