授業中、ずっと俺は考えていた。
どうすれば、孫悟空を制御できるのか。
あれだけ作り込んだ役だ。せっかくなら活かしたい。
問題は、台本を逸脱してしまうことだ。
それによって引き起こされる事故が怖い。
うーん、日常的に悟空を少しずつ馴染ませていくとか?
よし、やってみよう。
シチュエーションは、ある日突然日本に転生してしまった孫悟空。
「はい、それじゃあこの問題は……凪野君」
「アッキャー! ……あ」
凍り付く教室。
その場にいた全員が唖然と俺を見てくる。
「悟空。皆様の迷惑になります。おとなしくしなさい」
即座に朝香が立ち上がって三蔵法師の台詞でフォローしてくれる。
「……はい、すみませんでした」
「えー、役作りもほどほどにね?」
気まずそうに先生が咳払いをして、授業を再開した。
背中に、クラスメイト全員の視線が刺さっている。
その後の授業は、なんとか悟空を外に出さずに終えた。
あと二回ほど声が出そうになった場面があったが、なんとか堪える羽目になった。
放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に、梨夢が椅子を引く音が教室に響いた。
「バッサー! さっきのアッキャー、めっちゃ悟空だったね!」
「サンキューな。ただ、めっちゃ悟空だから問題なんだよな……」
「えー、いいじゃん! っぽい、ってことは役に入りきってるんだからさ!」
「そう単純な話じゃなくてだな……」
朝香は俺たちのやり取りを横目に見ながら、特に何も言わずに荷物をまとめていた。
フォローしてくれたことへの礼を言おうとしたが、朝香が先に立ち上がって教室を出ていく。
朝香は廊下へ出る前にこちらへ一度だけ視線を向けた。
「ちゃんとしなさいよ」
「わかってる」
「よろしい」
それだけ言って、朝香は教室を出た。
廊下を歩く足音が遠ざかって扉が閉まる。
残された教室に、微妙な間が落ちた。
「……なんか、すごいね」
丸代がぽつりと言った。
「朝香ちゃん、翼に対してだけ態度が違くない? 他のクラスメイトにはもっとこう、距離感あるじゃん」
「そうか? 学校の友達にはもっとフレンドリーだったと思うぞ」
「アレはむしろ親し気に振舞って線を引いてるやつじゃん」
梨夢が肩を竦めると、金髪の奥からターコイズが覗いた。
「そういえばさ」
梨夢がスマホを取り出しながら言った。
声のトーンが僅かに落ちる。
「バッサー、エコドル知ってる?」
「ECHO DOLPHINの略だろ。さすがに、共演者の所属グループくらいは知ってる」
「今ちょっと荒れてんだよね」
梨夢がスマホの画面をこちらへ向ける。
SNSのタイムラインだった。
ECHO DOLPHINの文字がトレンドに上がっていて、ざっと流れる投稿の中に見覚えのある名前が混じっている。
「ルナぴのすっぴんが晒されてるんだよね」
胸の奥に、嫌な感触が落ちた。
「どういうことだ」
「ルナぴアンチの裏垢があってさ。そいつがルナぴのすっぴん写真を上げてて、それがもう拡散されまくってて……」
梨夢は言いながら、どこか苦い顔をしていた。
スマホの画面をスクロールすると、コメント欄が見えた。
[ぶっさ、ファンクラブ抜けるわ]
[所詮メイク落としたらアイドルなんてこんなもん]
[メイクしたところで大して可愛くはなかったろ]
[運営のお気に入りでごり押しされてたもんな]
[実力ないブスが出しゃばるなよ]
[これは枕やってなきゃ仕事取れないわ]
[こんなのに金注ぎ込むキモオタwwwww]
言葉を並べるだけで胃が重くなるような文字列が連なっていた。
「これ……」
「うん。結構ひどいよね」
丸代がスマホを取り出して、別の画面を開いていた。
「その裏垢、少し前から投稿があるみたい。過去のも遡れる」
「見てたのか、丸代」
「さっきから」
丸代はスクロールしながら、静かに続ける。
「投稿の内容、斎藤ルナに関係することばかりで、他のメンバーへの言及はほとんどない。しかもスケジュールの細かい話とか、楽屋の話とか、外からじゃ知り得ないことが混じってる」
「身内か」
「たぶんね。グループ内部の人間で、なおかつ斎藤ルナを中心にして物事を見ている人間だと思う。センターの座を引きずり下ろしたいか、そうしなければいけない理由がある人間」
丸代は顔を上げないまま、淡々と整理していく。
ペンを持っていないのに、頭の中でノートに書き込んでいるような声だった。
「No.2の今田朱代とか、じゃないですかね」
ふと、思いついたように郁が言った。
「顔がいい子が多いグループって、一番顔がいい子が性格終わってること多いと思いますし」
俺が見てきた限り、一番顔のいいお前がそれを言うのか……。
「郁ちゃん、それ偏見すぎるよ」
「いいえ! 根拠があります!」
郁は真顔で言い切った。
「顔がいいと褒められて育って、自分より上位の存在が現れたとき、人間として終わった行動を取るんですよ。顔しか長所がないから、それで負ければ何も誇れるものがない。だから、自分が努力するのではなく、引きずり下ろす。そう、顔がいいだけの女は性格が悪いんです」
「お前は顔がいい女に親でも殺されたのか」
「似たようなものです」
殺意むき出しの郁に対して、梨夢は苦笑しながらスマホを机に置いた。
「あーし、こういうのなんとなくわかるんだよね。女子の人間関係って、外からじゃ見えないとこでぐちゃぐちゃになってることあるから」
いつもの明るい調子が鳴りを潜めていた。
「グループの中でNo.1とNo.2が揉めるのって、だいたい表には出ないんだよね。でも裏では全部決まってて、気づいたときには詰んでるみたいな」
「経験あるのか」
「ちょっとね」
梨夢はそれ以上は言わなかった。
スマホの画面に視線を戻すと、また新しい投稿が流れてきていた。晒された写真に対するコメントが増え続けている。
俺は椅子から立ち上がった。
「悪い。ちょっとだけ先に出る」
「うん、いいよ」
「また明日ね、バッサー」
三人に背を向けて、廊下へ出た。
人の流れが薄くなった廊下の端で、スマホを取り出す。
RINEを開いて、ルナのトークを探す。
鳥取の撮影でのやり取りが、最後のまま残っていた。
少し考えてから、打ち込む。
[翼:今、ネットで騒ぎになってるの見た。大丈夫か]
送信したが、既読がつかない。
画面を見たまま待ってみても何も変わらなかった。