今日の収録は、二本録りだった。
ドラマではなく、最近多いバラエティー番組のゲスト出演だ。
俺の収録は一本目だったため、収録が終わってスタッフに挨拶していると、見知った顔を見かけた。
「あ、翼君ー」
ルナだった。
マネージャーを連れて、こちらへ向かってくる。
いつも通りの、人懐っこい笑みだった。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様。そういや、二本目のゲストはルナだったな」
「そうそう。翼君と入れ替わりでーす」
軽い調子で言いながら、ルナはそのまま廊下を歩き続ける。
すれ違いざまに、俺は無意識に足を止めていた。
何かが、引っかかった。
声のトーンは変わらない。
笑顔の角度も、普段と同じだ。
カメラの前でどう映るかを常に計算しているルナが、廊下でも同じ精度で立っている。
それなのに、何かが足りなかった。
スタジオの扉が閉まる音がして、ルナの姿が見えなくなった。
俺はしばらく、その扉を見ていた。
小梨さんが隣に並んだ。
「翼君。家まで送るよ」
「すみません、先に帰っててもらえますか」
「用事でもあった?」
「二本目、見学していきたくて」
「珍しいね」
「ルナのバラエティーって、ちゃんと見たことなかったので」
半分は本当だった。
ルナはドラマや歌番組の印象が強い。
バラエティーでどう立ち回っているのか、仕事としても純粋に興味があった。
「わかった。でも、送らないわけにはいかないから下で待ってるよ」
足音が遠ざかって、廊下に静けさが戻る。
俺は壁際に寄って、スマホを取り出した。
RINEを開く。
ルナへのメッセージは、まだ未読のままだった。
二本目の収録が始まった。
モニターの向こうでは、ルナが雛壇の中央で笑っている。
MCの笑い声。
ゲストへの質問。
観覧席の反応。
ルナの声が聞こえた瞬間、耳が止まった。
「えー、そうなんですよー。ライブツアーって体力勝負じゃないですかー」
笑うタイミングが、ほんの少しだけ早い。
相手の話を最後まで受け取る前に、次のリアクションへ移っている。
呼吸を切らさないように、あらかじめ決めていた反応を順番に置いていく。
どこかで聞いたことのある声の質だと思ったら、すぐに思い当たった。
子役の頃、心がすり減りながらも笑っていた自分の声だ。
笑顔を維持するためのコストが、声の奥に滲む。
意識して作った笑顔は、どれだけ精度が高くても呼吸のリズムに影響する。
それがわずかに、声の端に出ていた。
何も考えなくても現場を回せるように、笑顔も相槌も全部パターン化していた。
精度だけは高いから周囲には気づかれない。
そして、演じている本人は、少しずつ削れていく。
モニターの向こうで、ルナがまた笑った。
画面いっぱいに広がる笑顔が、妙に遠く見えた。
拍手の音がスタジオも響き、スタッフが動き出す気配がした。
俺は廊下に出てから、扉の方を見ていた。
しばらくして、扉が開いた。
最初に出てきたのはスタッフで、次いでMCと他のゲスト。
ルナは少し遅れて出てきた。
マネージャーと何かを話しながら、スマホを確認している。
その間も笑顔だけはそのままだった。
俺が壁際に立っているのに気づいたのは、すれ違う直前だった。
「……翼君?」
俺の姿を確認したルナの足が止まった。
「なんで、まだいるの」
「用事があった」
「用事って?」
「ルナと話しをするためだよ」
俺の言葉に、ルナは口を噤む。
ルナのマネージャーは気を利かせてくれたのか、自然と離れていく。
廊下の照明が、ルナの顔を真横から照らしている。
メイクは完璧なままだった。
それでも、目の下に疲れが乗っているのが、この距離ではっきりと見えた。
「RINEの既読、つかなかったな」
「ごめんねー。見る余裕なくてー」
いつもの声音だったが、声から軽さが消えていた。
「大丈夫か?」
「んー、何が?」
ルナは笑顔を貼り付けたまますっとぼける。
「ごめん、急いでるからまた現場でねー」
俺がそうだったように、周囲へ心配をかけまいとするときの仮面は強固だった。