ルナのことは心配だ。
しかし、俺には人の心配をしている余裕はなかった。
「翼。大丈夫?」
「俺より、ルナのほうを気にしてやったらどうだ」
「そうはいかないわ。あなた、かなり消耗しているでしょ」
情けないことに図星だった。
朝香に制御を頼んでいる俺の芝居は、悟空を解放して無理矢理封じてもらっている状態だ。
常に孫悟空という役に食われ続ける。
それによる精神的な消耗はバカにできなかった。
「ちょっと行ってくるわ」
「待て。お前、ルナに何言う気だ」
朝香は現場の人間へのリスペクトは忘れない。
それ故に、演技ができずに現場に迷惑をかける人間には厳しい。
「あの子が炎上してるのは、あの子を取り巻く環境の問題よ。撮影には関係ない」
「そうだけど……!」
「あたしたちはプロよ。罵詈雑言を浴びせられようと、石を投げられようと、演じ切る。それが役者よ」
それは、芝居の世界でしか生きられない朝香らしい言葉だった。
だけど、それは羽田朝香としての言葉だ。
顔を見ればわかる。
そこにあったのは、幼馴染を心配している田中朝香としての苦悩が僅かに滲んでいた。
「俺が行くよ。座長は俺だ」
覚悟を決めよう。
この作品の看板を背負っているのは俺なのだ。
『仲間一人救えないで、何が斉天大聖だ。てめぇは三蔵法師の弟子、孫悟空様だぞ』
頭の中で声が響く。
役に浸かりすぎたせいで、滝から落ちたときのように浸食が進んでいる。
だからこそ、俺の言葉は響くはずだ。
俺は椅子に座って俯いているルナへと言葉を投げかける。
「エコドルのNo.2。今田朱代だったか?」
「っ!」
俺の意図を察したルナの顔から笑顔が剥がれ落ちる。
こういうときは、ハッタリに限る。
「こんなんで崩れるような仮面なら被るな」
あえて突き放すように告げる。
「完璧に突き通せないなら、人を頼れ」
かつての俺がそうだったように、ルナは人に頼れないタイプの人間だ。
だから、意固地になる前に伝えるべきことがある。
「俺たちは三蔵法師一行の仲間だろ?」
伝えたいことは、それだけだった。
何せ、今の言葉はこの先展開に待つ、孫悟空のセリフなのだから。
ルナは、しばらく俺を見ていた。
いつもカメラがどこにあるかを把握して、どう映るかを計算し続けているルナが、今は何も考えていない顔をしていた。
それだけで、十分だった。
「……翼君って」
ルナが口を開いた。
その声はいつもより低かった。
「ズルいよね」
ルナは台本を膝の上に置いて、視線を上げた。
「沙悟浄はスパイで、三蔵法師一行を裏切ってた。見せたくない表情を知られて、仲間って言われれも、どんな顔すればいいの」
「そんな顔だ」
俺は持っていた鏡をルナに向ける。
「ははっ……メイクしてんのに、ブッサイクな顔」
「いっそ、その顔でさっきのセリフ言ってみたらどうだ?」
「ハッ、笑えない冗談!」
吐き捨てるように告げると、ルナは勢いよく立ち上がる。
そこには、冷酷でありつつも妖艶な空気を纏う斎藤ルナがいた。
残った撮影がリテイクなしで通ったのは、言うまでもないことだろう。