ボクの名前は
本名は
劇団クロッカスに所属してから数ヶ月経った頃、先生に言われた。
「鳴は器用だね。型を覚えるのが早い」
褒め言葉だった。
その言葉の裏に何かあるのはわかった。
器用なだけ、とも聞こえた。
朝香が褒められるときの言葉とは、重さが違う。
先生が朝香の演技を見るときの目と、ボクを見るときの目は、似ているようで全然違った。
それでも稽古を続けた。
ある日、同期の男の子の演技が急激に伸び始めた。
伽須翼。
最初は普通の子に見えたけど、すぐに違うとわかった。
稽古への執着が、異常だった。
他の子役がおしゃべりに興じているときも、翼君だけが台詞を繰り返す。
納得がいかないと、一人で何度でもやり直す。
その様子が、ボクには少しだけ怖かった。
ボクと翼君は、アプローチが似ていた。
感情から入るのではなく、外側の形から作っていく。
型を積み上げて、その中に感情を後から呼び込む。
テクニカル・アクティングと呼ばれる技法を、お互いに言語化もせずに自然とやっていた。
「翼君。稽古の相手頼める?」
「いいよ。僕もちょうど相手が欲しかったところだったんだ」
基礎がしっかりしたお手本のような演技をする翼君は稽古相手にはもってこいだった。
ボクが子役として伸びるために、彼の存在は必要不可欠だった。
翼君と稽古するのは、嫌いじゃなかった。
ただ、翼君の視線は常に別の方向を向いていた。
朝香だ。
翼君が稽古場にいるとき、その意識の大半は朝香に向いていた。
朝香が動けば翼君の目が追い、朝香が台詞を言えば翼君の耳が傾く。
ボクと話しているときでさえ、朝香が視界に入った瞬間に翼君の集中が一瞬だけ揺れる。
朝香の方は、翼君のことを見ていた。
他の子役には向けない目で、翼君の演技を追っていた。
稽古が終わった後、朝香が翼君に声をかける場面を、ボクは何度も目にした。
その光景を見るたびに、胸の中で何かが少しずつ形を変えていった。
悔しい、とは少し違う。
ボクが追いかけていた朝香の視線は、常に翼君を見ていた。
それだけのことだった。
それだけのことなのに、稽古場がひどく広く感じるようになっていった。
転機は、ドラマのオーディションの話が上がったときだった。
ボクや翼君以外にも同期から何名かが選ばれてオーディションに臨んだ。
結果、通ったのは翼君だけだった。
それ以降、翼君はあっという間に伸びていき、朝香に次ぐ劇団のホープとなった。
ボクは当然仕事のない売れない子役のまま。
そんな翼君を見て朝香の顔がまた綻ぶ。
「……朝香の幼馴染は、ボクなのに」
そこにいたかったのはボクだ。
どうしても、諦められない。
だけど、圧倒的な差を見せつけられてどうすればいいのか。
「そっか。演技で張り合わなくてもいいじゃん」
外側から作って磨き続ける。
それがボクの得意なことだ。
なら、それを最大限に活かせる場所へ行けばいい。
劇団を辞めたのは、その翌月だった。
稽古場を出る最後の日、翼君は朝香の台詞に集中していて、こちらを見なかった。
朝香も、翼君を見ている。
ボクが扉を閉めても、二人は気づかなかった。
ライバルも、目標も、誰もボクを見てくれない。
「……じゃあね」
それが、星井鳴の終わりの瞬間だった。