「お邪魔します」
ルナの部屋は殺風景な部屋だった。
良く言えばきちんと片付けられている、悪く言えば生活感がない。
おそらく、アイドルとして忙しい日々を送っているからだろう。
「それじゃ、メイクを落としてきてもらいましょうか」
部屋に入るなり、朝香が切り出した。
「うぅ……マジで恥ずかしいんだからねー?」
ルナは観念したようにため息をつくと、キャップを外してベッドの上に放り投げた。
「別に誰も見てないわよ」
「いや、ガッツリ見てるでしょ!」
「演技を見るのに、顔から目を逸らすわけないだろ」
「ほらねー!」
半ばやけくそ気味に言い放つと、ルナは部屋を出ていった。
洗面所のドアが閉まる音がして、部屋に静けさが落ちる。
「それで、翼のほうはどうなの。暴走メソッド演技」
「寝る前に瞑想したりして悟空と対話してる」
「……つくづく意味がわからないわ」
俺だって意味がわからない。
なんだって、もう一つの人格レベルで役作りができてしまったのか。
「うーん、役に入り込み過ぎてもテクニカル・アクティングが活きて表現力を失わないで済んだのは、梨夢と郁のおかげなんだよな」
リアルとリアリティは違う。
大袈裟な動作を伴うのにリアルに感じさせる。
それが芝居での表現力の大切さだ。
これがリアルに飲まれてしまうと、視聴者には伝わらなくなってしまう。
作った外側がかろうじて機能していたからこそ、俺の演技は芝居として成立していたのだ。
「問題は内面。解像度の高い悟空を作り過ぎてしまったわけね」
「そこは西遊記好きな丸代のおかげだな。原作とドラマ、パブリックイメージの融合したいい悟空になった」
いい形の器を作って水を注いでいったら、蛇口が締まらなくて溢れてしまった。
その蛇口の役割を朝香に頼んでいるのが俺の現状だ。
「……あの子が一番のバケモノかもしれないわね」
「ルナに発破をかけるときに役に入ったときは、すんなり協力してくれたんだけどな」
「沙悟浄は仲間だから。仲間のためになるなら、翼にも協力する。本当に、今回のドラマの悟空そのものね」
そのとき、洗面所から水の音が止まった。
数秒の間があって、ドアがゆっくりと開く。
「……お待たせ」
そこに立っていたのは、アイドルの斎藤ルナではなかった。
三白眼とソバカス。
飾り気のない、どこか鋭さを持った顔。
かつて知っている、星井鳴の面影がそこにはあった。
「早速はじめよう。まず、沙悟浄のスパイとしての振舞いをアイドルとしての斎藤ルナと仮定する」
沙悟浄は表向きには、自由奔放な三蔵法師の弟子だ。
その裏に、蛟魔王の手下としてスパイをしているっていう設定がある。
ここが今回のドラマで大幅に盛られている沙悟浄の設定部分だ。
蛟魔王は牛魔王の兄弟分で、三蔵法師を明確に殺そうとしている。
牛魔王みたいに事情があって堕ちたわけではなく、最初から悪に染まっている狡猾な妖怪だ。
そして、沙悟浄の両親は、先々代の三蔵法師に殺されている。
その後、蛟魔王に拾われて育てられた恩がある。
三蔵法師を殺すために送り込まれたはずなのに、沙悟浄は旅を続けてるうちに、三蔵法師一行の温かさに触れ、心を溶かされていくのだ。
「設定的にも、裏の顔が出る場面は少ない。ルナの演技のクオリティは俺たちが引き出してカバーできる範囲だったはずだ」
「ホント。私にオファーするならもっと調整してほしかったよー」
吐き捨てるようにルナは毒づいた。
沙悟浄の構造はわかる。
表の顔と裏の顔を使い分けながら、その二つが旅の中で徐々に溶け合っていく。
「いい作品になるなら努力はするべきだ」
「ええ、結果が出るまでやるのが努力だもの」
「こぉんの、演技バカ共がー……!」
ここから俺たちは現場に迷惑をかけることになる。
だけど、止まるわけにはいかなかった。