救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
小牟田式子の元へ辿り着いたとき、俺は「やっぱり」と顔を歪めるのを抑えきれなかった。
嫌な予感はしていたのだ。だって、こんな事態になっても、姿を消した大牟田珠姫の行方が判らなかったのだから。
一番怪しい歯車に問うても、『私は何もしていませんよ』などと微笑で返されてしまい、手掛かりが掴めなかった。
──けれど、それにしたって、これはあんまりだろう。
『神は六日目に休息し、七日目に創造された。ゆえに昨日は明日より古い。古いものは新しいものを赦さない。赦しとは重量であり、魂は軽すぎるゆえに沈む。浮上する者は最初から溺れていた。アーメンはまだ発音されていない。悔い改めよ』
大牟田珠姫、だった。
あるいは、それを大牟田珠姫と形容するのは誤りかもしれない。
それは、魔物だった。肉の塊で出来たカメムシに似ている。体長は約五メートルほどで、体高は二メートルほどだろうか。昆虫らしき脚が芋虫のように自立している。
身体じゅうだ。身体じゅうに顔があった。人間の顔だ。大牟田珠姫の顔が、身体じゅうに蔓延っていた。
張り付いている。大小様々な大牟田珠姫の顔が、悲喜こもごも、ありとあらゆる角度と視点から切り出されていた。
あまりに、悍ましい。悍まし過ぎた。人間の所業ではない。事実、人間の所業ではない。魔物だ。魔物なのだ。それは魔物だった。魔物の仕業だった。見ただけで理解させられた。大牟田珠姫は魔物だった。魔物にさせられた。そこに居るのは純然たる魔物だった。人間味はない。もはや手遅れである。
俺は脚を止めた。
『それ』を前に戦い続ける式子を置いて、立ち止まってしまった。
──どうすればいいのか。
無限に思われる選択肢が眼前をよぎって、なくなって、また現れる。情報の過不足に気が狂いそうだった。
「──店長!?」
地面を靴底で抉る音。ざりっ、というその音に、式子はこちらの存在に気が付いたらしい。珠姫だったものと闘いを続けているというのに、器用に後ろを振り返って、驚きの声を上げる。
「どうしてここに! 危ないから逃げ──いや、駄目か。もう安全なところなんてないですもんね」
「安全という意味で語るなら、たぶん俺の傍が一番だけどね」
「どういう」
──ことですか。
続こうとした言葉は、俺が魔力を操ったことで遮られた。
「魔力を動かせる、ってことは……店長は」
「魔女ってことだね。より具体的に言えば、世界最強の魔女だったりもする」
「古明地葵──なるほど、店長が強情に名前を教えてくれなかったのはそれが理由ですか」
予想よりも式子は落ち着いていた。頬を膨らませて、責めるような眼差しではあるけれど。
「世界最強の魔女の正体が男とか、しかも凄い身近な人だったとか、いろいろと訊きたいことはあるんですけど!」
「雑談をしている余裕はなさそうだね」
珠姫だったもの──魔物が、全身から液体を噴き出した。
肉の隙間に穴があり、そこから勢いよく。
今まで戦っていた相手が突然そんなことをしてきたのだ。まさか攻撃でないわけがない。
式子はまなじりを決し、一滴すらも触れずに回避する。
そして慢心のない行動が功を奏した。
地面に落ちた液体は、まるで早送りでもしたかのように抵抗なく石畳を溶かす。じゅうじゅうと音を立てて。
直撃していたら、ひとたまりもなかったろう。
式子が近くに来た。しかし視線は魔物に釘付けのまま。
「店長。ちょっと変なこと訊いてもいいですか」
「どうぞ」
「あの魔物に、見覚えはありますか」
思わず俺は彼女を凝視してしまった。
大牟田珠姫のことを忘れている、なんて可能性は事前に予想していた。だから驚きはない。
ただ、あのモルガナですら違和感を抱いていなかった事態に、式子は何か不自然なものを感じたというのか。
「その反応、あるって認識でいいですね?」
「……ああ。見覚えはある」
「店長のそんな顔はじめて見ましたよ。私と『あれ』は、相当な関係だったんですか?」
言葉に詰まった。どう説明していいものか。
しかし事態は一刻を争う。迷っている暇はない。
俺は怖気づく肺を叱咤して、一息に吐き出した。
「姉妹だよ。小牟田式子と大牟田珠姫は、姉妹のようなものだった」
「──そうですか」
小さく。
式子は俯いて、呟く。
「店長。どうして『あれ』がああなったのか、思い当たる節は」
「ない。残念ながら」
「……元に戻る可能性は」
問うておきながら、彼女も解っていたのだろう。あり得ないと。
言葉尻はだんだんと窄んでいった。
完全に地面へ視線を落とした式子は、両の拳を握りしめたまま、しばらく肩を震わせる。
その間に襲い掛かってきた魔物は、すべて俺が対処した。
不思議と、珠姫だった魔物は動かなかった。
「分かりました」
式子は囁く。覚悟を決めたように。
キッと双眸を上げ、珠姫だった魔物を睨みつけた。
「私がやります」
「──もし思うところがあるなら」
「店長に迷惑はかけられません。身内の面倒は、私が解決します」
そこから始まった闘いは長かった。
結論だけ述べると、式子は勝利した。
勝利したが、失ったものも多く。
「……はは。店長、酷い顔」
力なく横たわる式子。その身体に傷のないところはなく、右腕は吹き飛んで、顔の半分は溶けていた。下半身なんてぐちゃぐちゃで、左足のくるぶしから先は捻じ切れているし、右脚なんてそもそも存在しなかった。魔法の代償で、戦いの途中に失われてしまった。想像も絶する状態だろうに、彼女は、いつものように幼さの伺える笑みを浮かべ、
「店長のせいじゃないんですから。思い詰めてないでください。そんなんじゃ、私の覚悟が無駄になっちゃうじゃないですか」
「だけど──」
「この子だって、きっと望んでないですよ」
式子は残った左手で胸に抱えたものを撫でる。
それは顔だった。安らかな、眠るような表情の顔。
魔物を殺し、唯一残ったものだった。それを抱きかかえ、式子は薄れゆく意識のなか、こうして居るのだ。
「分かるんです。伝わってきました。この子も、店長のことが好きだったみたいですよ。……隅に置けませんね、この」
血を吐いて、式子は苦笑する。
闇を溶かしたような黒髪は、すっかり白に染まってしまっていた。
「それで……店長。たぶん、店長にも大事な役目があるんですよね」
「──ああ」
「じゃあ、果たしてください。わたし、見届けますから」
撫でる手を止め、式子はこちらを見やる。
幽霊みたいな眼差しだった。今にも溶けてなくなってしまいそうな、熱帯夜の氷めいた笑顔で。
「式子」
「はい」
「またね」
「……ええ。また、次です」
──ぱん。
軽くなった身体を横たえる。
自分の中に意識を集中させると、間違いなくそこに、二つの熱が増えているのを感じた。無事成功したらしい。
思わず安堵に胸を撫でおろした。
そうして、手早く二人を埋葬し。
俺は次なる場所へと足を進めるのであった。
◇
「……意外と、早かったですね」
「生き残りが少なかったからな」
歯車の元に戻ると、彼女は別れを惜しむように目を細めた。瞳を伏せるとその睫毛の長さが際立つ。塵が薄ぼけた光を乱反射して、不謹慎な形容ではあるが、死化粧を施しているようにも見えた。
静かに明日香を撫でる歯車。
彼女は「ほう……」と小さく溜息をついて、
「ままならないものですね」
「そういう形に創られたんだろう、世界は」
「誰が創ったんです? 神様? それこそ魔物ですか」
いずれにせよ、底意地が悪いことには違いないでしょうけど。
常の信仰心を捨て去った様子で、歯車は露悪的に言い放った。
「葵。貴方は神が存在すると思いますか」
「また急だね。最期に哲学をお望み?」
「ずいぶんと長く生きてしまいましたが、そんな私でも、死に直面すると難しいことを考えたくなるようです。あるいは、死後の世界に希望を持ちたいのかもしれませんね」
恥ずかしがるように鼻頭を掻く。
「世界なる物が存在する以上、すべての始まりもまた存在する──と定義したくなるのは、人間の
「人間は有限的な生き物だからね。『世界は最初からあって、始まりも終わりもない』なんて永遠性には理解が追いつかないでしょ。そこに始まりを求めるのは、ごくごく自然なことじゃないかな」
有限的生物には、無限的概念は理解できない。二次元の存在が、三次元の存在を知覚も解釈もできないように。
それはもしかすると、人間が神を求めたがる理由と同じなのかもしれなかった。
……まあ、栓なき考えだ。
答えがどちらなのか知る術もないし、そもそも始まりが『ある』か『ない』かのどちらでもない可能性すらあるのだから。
俺たちにできるのは、『こうかもしれない』と妄想に耽ることだけ。
「死後の世界はあるのでしょうか」
「さあ。だけど、あるって思ってたほうが楽しいんじゃない」
「……そうですね。あの子たちと再会できると思えば、孤独な旅路に挑む勇気も湧いてきます」
歯車は目を開いた。
綺麗な瞳だった。
吸い込まれそうな、星空を閉じ込めたような。
「では、葵。お願いします」
「……お母さんを殺せとは、なかなか酷なことを言うものだ」
「神話らしくていいでしょう? 親殺し」
簡単に言ってくれるなあ。俺は肩をすくめた。
彼女のこめかみに銃口を突きつける。
歯車は、にっこりと笑って。
「では、また」
「うん。またね」
──たん。
それで終わりだった。
この世界に生存している生命は、俺ひとりだった。
「はあ……」
腕を回す。肩が重い。双肩に世界が載っているのを、否が応でも理解させられた。
俺は肝が大きいほうじゃないんだけどなあ、と鼻を鳴らす。
ま、やってみるしかないか。人生何事も挑戦だ。それに、挑戦しなければ滅びを座して待つだけだし。
周囲を見渡した。魔物が蔓延っている。目の前の獲物を殺さんと、こちらの隙を今か今かと待ち構えて。
「俺はお前たちには殺されないよ。俺を殺すのは、俺自身だ」
『神は名前を持たない。ゆえに我々は神を名前で呼ぶ。名を与えることは奪うことであり、奪われたものだけが永遠となる。永遠は時間を食べない。時間が永遠を消化している。時計の長針は短針の影であり、影だけが光を証言できる。悔い改めよ』
「うるさいなあ」
耳を塞ぐ。
奴らの意味のない言葉は聞き飽きた。
「すう──」
息を吸い込む。
──願わくば世界が救われますように。
息を吐く。
──みんなが幸せな世界が訪れますように。
息を吸い込む。
──きっと俺はこの魔法で死んでしまうだろうけど。
息を吐く。
──みんなの魂が一緒だから、怖くない。
「【
そうして、世界は。