Part1、雪辱に燃えるヒーロー
群馬県駄祖魅阿(だそみあ)市――山間の静寂を切り裂く暴力の奔流の中、瓦礫と煙塵が舞い散る激戦地。
視界の先では、分断作戦によって引きずり込まれたヴィラン勢力とヒーローたちによる「10対7」の混戦が繰り広げられていた。怒号、閃光、そして「個性」がぶつかり合う重圧。だが、その乱戦の渦中から半歩引いた位置で、三人のプロヒーローは戦闘の推移を冷徹に見極めていた。
「ハぁ……ハぁ……っ」
ピンクのタイトなコスチュームを汗で濡らし、しなやかな尻尾を苛立ちで激しく揺らしながら、シルキーパンサーが殺気立った眼差しで戦況を睨みつける。彼女の意識は、目の前の敵にはなかった。
「……あいつが、いないなんて」
その呟きは、怒りと屈辱に満ちていた。五日前、ホテルのスウィートルームからまんまと自分たちを出し抜き、嘲笑うかのように消え去った悪魔――バロネス・エインズワース。真白才子。
「おい、パンサー。落ち着け」
大柄なチェインスリンガーが、両腕の特殊合金の鎖をジャラリと重々しく響かせながら制す。だが、その強面な顔にもまた、煮え切らない焦燥が濃く陰っていた。
「落ち着いていられるわけないでしょ!?」シルキーパンサーは背中の毛並みを逆立て、牙を剥くように振り返った。「こっちの戦況を見てよ! 10対7……数で押してる、こっちの面子なら完全に抑え込めている! 私たち三人が抜けたところで、この戦線が崩れることは絶対にないわ!」
彼女の視線が、遥か北の空へと向けられる。
「本部の緊急打電を聞いたでしょ!? あの女は北海道のS市に出現した……! 避難所が踏みにじられているのよ!? あの女の目的は最初から分断作戦の隙を突いたヒーロー社会の崩壊……! 5日前の失態を、このまま指を咥えて見てろっていうの!?」
「パンサー……」
チェインスリンガーの腕の鎖が、ぎゅっと強く締め上げられる。彼自身、あの屈辱の朝から一刻たりとも真白才子の存在が頭から離れたことはなかった。聖女の仮面に騙され、手も足も出せずに逃げられたあの失態。
「……同意だ」チェインスリンガーは重い声で低く吐き捨てた。「ここに留まって雑魚を散らすのは、俺たちの仕事じゃない。あの女を仕留めるのは……俺たちだ」
二人の熾烈な決意を受け、静寂を守っていたミスターファルコンへ視線が集まる。
背部のスラスターユニットから微かな熱気を孕んだ蒸気を吐き出しながら、猛禽のバイザー越しに戦場を鋭く観察していたファルコンは、静かに腕の通信端末へ視線を落とした。
戦線全体のバイタルデータと各ヒーローの戦闘ログ。チェインスリンガーの言う通り、この駄祖魅阿市の戦線は残るヒーローたちで十分に封殺可能であるという数値が、冷徹に弾き出されている。
「……分かった。そうしよう」
ファルコンの無機質で低い声が落ちた。
迷いは一切なかった。彼は躊躇することなく腕の端末を操作し、最優先コードで本部へダイレクトアクセスを繋ぐ。
「こちらミスターファルコン。駄祖魅市戦線、戦力過剰と判断。班長以下3名、S市への緊急転進を行う。……直ちに当ポイントへ大型輸送ヘリを手配しろ」
バイザーの奥で、隼の双眸が鋭く光る。
「仙台空港へ飛ぶ。そこから民間ジェットを最優先チャーターで手配、千歳へ向かう。……千歳からS市までは現地ヘリを用意させろ。移動中に作戦の再構築を行う」
「了解、ミスターファルコン! 直ちにルートを確保します!」
インカムの向こうでオペレーターの悲鳴に近い叫びが上がるのと同時に、遥か上空からヘリのローター音が近づいてくる。
「行くぞ」
ファルコンが巨大な翼を広げ、スラスターを激しく爆炎させながら跳躍する。シルキーパンサーはしなやかな跳躍で瓦礫を蹴り上げ、チェインスリンガーはチェーンを上空の構造物に引っ掛けて身体を巻き上げた。
五日前の屈辱を晴らし、悪魔の喉元を喰いちぎるために――三人のプロは、混戦の群馬を後にし、凄惨な地獄と化した北海道S市へと一足飛びに飛び立った。
Part2才子の恩返し
朝靄がうっすらと残るグラウンド。破砕された瓦礫を弾き飛ばし体育館の玄関から外へ足を踏み出した才子は、カツンとヒールの音を響かせながら、漆黒のドレスの裾をかすかに揺らした。
胸元に手をやり、小型トランシーバーの通信を繋ぐ。その視線は、遠く一キロ離れた小高い丘の方向へと向けられていた。
「……識」
『はい、レディ。何でしょう』
通信の向こうから、変わらぬ冷静沈着な声が返ってくる。
才子は白銀の睫毛を静かに伏せると、胸の中に温め続けていた想いを噛み締め、どこか少女のように純粋で、けれど底知れぬ狂気を含んだ声を漏らした。
「……私ね、昨夜からずっと考えていたの。……私は今まで、オール・フォー・ワン先生からいただくばかりで、何一つお恩返しができていなかったでしょう? ……だから、今日は少しでも先生にお返しができる絶好の機会だと思っているのよ」
通信機の向こうで、識は一瞬だけ無言になった。
(……恩返しができていない、ですか)
眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げながら、識は心中で深くため息を吐く。
(日本に入国して以降、様々な慈善事業や裏工作を張り巡らせてヒーロー社会の信用を底まで失墜させ、あの全米No.1ヒーロー『スターアンドストライプ』すらも盤外戦術で孤立無援の状況へ追い込んで見せた……。常人であれば数生かかっても不可能な功績の数々。それを『何もできていない』と言い切ってしまう思考の極端さ。……基本的に極めて聡明な女性だというのに、オール・フォー・ワン氏のこととなると、途端に思考が極端になられる……)
魔王への常軌を逸した心酔が生み出す、圧倒的な盲目さ。
識の思考の沈黙がわずかに長引いたのを感じ取ったのか、才子は可憐に首を傾げた。
「……識?」
「……失礼いたしました。あまりに尊いお考えでしたので、つい思考を巡らせておりました」
即座に平然とした声で取り繕い、深々と頭を下げる動作を音に乗せる。
「……それで、レディ。具体的にはどのような『お返し』を?」
才子の薄い唇が、愉悦に密やかに歪んだ。
「……私はね、考えたの。ただヒーローを始末するだけではなく……ヒーローたちを『生け捕り』にするのよ。……先生に最高のお土産をお渡しするためにね。だから貴女も、そのつもりで動いてちょうだい」
『生け捕り』——。 才子の口から漏れ出たその言葉を聞いた瞬間、識の頭の中で、先ほどまでの体育館での一連の凄惨な挙動がすべて一本の線で繋がった。
「……なるほど。あえてスノーホワイトの息の根を止めずにおいたのも、ストウを頭から朝礼台へ叩きつけずに腰骨の破壊に留めたのも……すべてはその『生け捕り』のため、ですか」
「ええ、そうよ」
才子は迷いなく即答した。初めから単に命を奪うつもりなど毛頭なく、息の根を繋ぎ止めたまま回収するための「調整」だったのだ。
「……承知いたしました。私への報酬(仕事)の一環として、そのように善処いたしましょう」
識はライフルスコープから目を離さず、淡々と、けれど冷徹なプロとしての条件を一つ付け加えた。
「……ただし、レディ。捕縛が難しく手に余る場合、あるいは私たちの安全を脅かすような状況に陥った場合は、躊躇なくその場で始末させていただきますが……構いませんね?」
「ええ、構わないわ」
才子はあっけらかんと、何でもないことのように同意した。
自分たちがヒーロー如きに「手を余らせる」事態など、万に一つも起こり得ない——白銀の瞳の奥に滲むのは、圧倒的な力量差が生み出す絶対的な自信と傲慢。才子にとって識の念押しは、起きるはずもない仮定への形式的な頷きに過ぎなかった。
「一番大切なのは作戦の完遂だもの」
「感謝いたします。では、警察および増援ヒーローの到着まで残り二分です」
Part3、挨拶代わり
ウゥゥゥゥン——ッ!!
朝靄を切り裂き、遠くから近づいてくるけたたましいサイレンの群生。通報を受けた警察のパトカー群が、一刻も早く現場を抑えようと猛スピードで氷晶霧小学校へ向かって急行してくる音だった。
才子は崩れた正面玄関の破片に軽く腰をかけるように立ち止めると、白銀の睫毛を微かに揺らし、何事もないかのようにグラウンドの臨時駐車場へと視線を向けた。その美貌には焦りも動揺もなく、ただ朝の散歩の途中に足元へ群がる羽虫を迎えるかのような、圧倒的な余裕しか浮かんでいない。
(……ちょうど三分、時間通りね。それにしても本当に騒々しいこと)
才子が右手の掌をだるそうにグラウンドへ向けると、白線の中に整然と並べられていた避難民の乗用車が一台、ギシギシと重厚な鉄板を軋ませながら重力を無視してふわりと宙へ浮き上がった。
——キーーッ!!
タイヤの激しい摩擦音を響かせ、先頭のパトカーが正門の正面ゲートから勢いよくグラウンドへと進入してきた、まさにその瞬間。——手始めに、これでもどうぞとばかりに、才子の右手が、前方へ向けて無造作に振り下ろされた。
ドドォォンッ!!
「なッ……、上から車が——!? ガハッ——!」
空から高速で飛来した巨大な鉄塊が、狭い正門をくぐったばかりの先頭車両のボンネットへ正確無比に叩きつけられた。激しい衝撃で先頭のパトカーが一瞬でペシャンコに押し潰され、後続の車両群はブレーキを踏む間すら与えられず、甲高いスキール音とともに次々と激突していく。
ガシャァンッ! ギシャァッ! ドカァンッ!
狭い門扉の周りで発生した、凄惨な連鎖玉突き事故。先頭を塞がれ、歪んだ車体の金属片と煙が舞い散る。
真白才子の個性サイコキネシその基本ルールは極めてシンプルである。
『片方の掌でひとつの莫大な質量を捕らえ、五本の指先でその指向性を持たせる』
即ち、片手につき同時に操れる巨大質量はひとつまで。広範囲の物質を一度に干渉させるような芸当は『基本的に』叶わない。……だが、それは弱点などでは断じてなかった。片手ずつで対象を交互に捕獲・投擲する圧倒的な情報処理能力と洗練された動作速度。それが合わさった時、彼女の「ひとつずつ」の連続は、回避不能な即死級の途切れぬ猛攻へと昇華する。
「あ……あぁ……俺の車が……ッ!?」
「やめてくれ! 頼む、やめてくれぇぇッ!!」
体育館の影から血の気を引かせた避難民たちが悲痛な悲鳴を上げるが、才子の白銀の瞳には一片の情けすら宿っていない。
右手の五指をわずかに傾け、二台目のミニバンを引き上げるや否や、間髪を容れず混乱に陥る事故現場の渦中へ叩きつけた。
ドドンッ!!
「ひいぃっ、まだ飛んでくるぞ!! 逃げろ、車から出ろ——ッ!!」
警官たちの悲鳴をあざ笑うように、才子はすぐさま左手の掌で三台目の軽自動車の重量を捉え、指先をしならせて旋回させると、横転したパトカーの屋根へ容赦なく叩き落とす。
バガァンッ!!
右手の掌で四台目の大型SUVを掴み上げ、五本の指先をギュッと絞り込んで空中で一瞬のタメを作ると、炎の上がり始めた事故現場の真上から力任せに打ち下ろす!
ドガキィィンッ!!
さらに左手の指先を弾くように翻し、五台目の普通乗用車を水平に滑らせ、炎上する車列の側面へと弾丸のごとく叩き込む!!
ドォォォォンッ!!
右手、左手。交互に繰り出される可憐で優雅な指先のタクト。
その指先が指向性を示すたび、避難民たちの愛車が次々と凶悪な「投擲弾」と化し、逃げ場を失ったパトカーの群れを上から、横から、完膚なきまでに叩き潰していく。
ドォン! ガシャアン! ズドンッ!!
グラウンドの正門付近は、一瞬にして圧死した金属の塊と黒煙、ガソリンの匂い、そして絶叫の吹き荒れる地獄絵図へと変貌を遂げた。赤色灯の光は、巨大な鉄くずの墓標の隙間で弱々しく明滅するばかりとなる。
何台もの車を宙に放り投げたというのに息一つ乱すことなく、才子は両手に纏うサイコキネシスの残光をふっと散らした。
舞い散る火花と黒煙の惨状を前に、黒い絹手袋の指先をそっと口元に添えると、朝風にスカートの裾がめくれないよう優雅に抑えながら、心底愛おしそうに目を細めるのだった。
Part4、警官隊戦
煙と炎が立ち込める正門の瓦礫の向こうから、咳き込みながらも拳銃を構えた数名の警察官たちが姿を現した。
「動くなバロネス・エインズワース! 手を上げろっ!」
瓦礫を乗り越え、恐怖と使命感に顔を強張らせながら銃口を向けてくる警察官たち。
だが、才子の心には彼らを嘲笑したり煽ったりするような感情すら浮かばない。己が勝利することなど、息をするのと同じ当たり前の事実に過ぎない。眼前に立ちはだかる群れは、怒りを向ける対象にすらならない無機質な障害物でしかなかった。
(……面倒ね)
才子は両手の掌を左右へ優雅に広げると、五本の指先を同時に軽く曲げた。
その瞬間、最前線で銃を構えていた警官二人——30代ほどの男と若い警官の身体が、目に見えない強烈な力で空中へと引きずり上げられた。
「うわあああっ!?」
「身体が……動か……っ!?」
空中で足をバタつかせる二人を、才子は左右の掌から放たれるサイコキネシスの圧力で完璧に捉える。左手と右手の指先を同時にくるりと反転させると、二人の身体は空中で勢いよく半回転し、背後の仲間たちと正面から向き合う形へと強制的に固定された。
才子の正面に並び立った、二人の生きた「肉盾」
「おい! 射線を塞がれたぞ! 撃つな、撃つなッ!」
「〇〇! △△! くそっ、離せ……っ!」
仲間を壁にされ、銃口を下げざるを得なくなった警官隊に対し、才子は左右の小指を、まるでピアノの二つの鍵盤を同時に叩くかのように微細にしならせた。
パンパンパンパンパンッ!!!
「ひっ……!? 手が、手が勝手に……ッ!?」
「やめろ! 撃ちたくない! 逃げろ、みんな逃げろぉぉッ!!」
左右のサイコキネシスによって強制的に固定された二丁の拳銃から、甲高い乾いた発砲音が絶え間なく弾け出す。自分の意思を完全に無視され、涙と鼻水に塗れながら叫ぶ肉盾たちの悲鳴を余所に、銃声が空気を引き裂く。狙いを定める動作も、反動を逃がす姿勢もない。ただ無機質に、限界以上の速度で人差し指が引き金を絞り続けられる。
跳ね上がる銃口の抑えすら効いていない。弾丸は警官隊の足元を穿ち、背後の窓ガラスをを削り、あらぬ方向へ火花を散らす。まさに乱射だ。照準もへったくれもない怒涛の弾幕が、狭い視界を埋め尽くす。
「ひっ、あ、あぐっ……!」
警官たちの顔は恐怖に歪んでいるというのに、腕と指先だけが機械のように動き続ける。跳ね返る強烈な反動で手首が悲鳴を上げ、関節が嫌な音を立てても、トリガーを押し込み続ける手が止まることはない。
やがて——カチカチカチカチと空しくスライドが固定され、弾薬が完全に撃ち尽くされた。
「……終わりね」
才子は左右の五指をパッと前方へ弾くように解放した。
ドゴォッ!!
弾の切れた二人組は、そのまま肉塊の弾丸と化して警官隊の中央へと叩きつけられ、重なり合って地面を転がった。絶叫と骨の砕ける重い音が重なって響く。
煙の向こうで全滅状態に陥った警察隊を見下ろし、才子は淡々と左手の指先を伸ばした。
「まぁ良いわ……まだ『弾薬』は残っている
瓦礫の陰で血の気を引かせ、恐怖に震える残りの警官二人へ向けて、目に見えない死の糸が静かに伸ばされた。
Part5警官隊の撤退
才子のその短く冷ややかな一言と同時に、二人の警官の身体が才子の元へ引き寄せられたまたしても銃の乱射が繰り広げられ二組目の警官の身体が投げつけられた時には
——この女には、何も通じない。
仲間を盾にされ、容赦なく撃ち込まれる狂気の連鎖に警官隊の戦意は完全に崩壊した。
「ひいぃっ……! 逃げろ、退避ーッ!!」
残された警官たちは血の気を引き、半狂乱で瓦礫の陰へと逃げ出し始めた。だが、才子の白銀の瞳から逃れられるはずもない。
才子が両手を軽く前に掲げると、逃げ遅れた三組目の警官二人——その首元へ目に見えない糸が絡みつき、引きずり出されて空中に固定された。
反動を無視したサイコキネシスの力で、手に握られた拳銃の銃口が逃げ惑う同僚たちの背中へ向けられる。
パパンッ! パンッ! パパンッ!
五発の弾丸が猛烈な乱射となって瓦礫を穿ち、跳弾と激しい火花を散らした。そして——六発目。才子は左右の指先をゆっくりと捻り、二人の拳銃の冷たい銃口を、彼ら自身のこめかみへと深く押し当てさせた。
「あ……あぁ……っ! 頼む、やめてくれ! 助けてくれぇっ!!」
「嫌だ、死にたくない! 神様……っ!!」
涙と汗でぐしゃぐしゃの顔で、必死に命乞いを叫ぶ二人。 だが、才子は白銀の睫毛すら揺らすことはなく 命乞いなど微塵も届かない。才子の指先が、容赦なく最後の引き金を引き絞らせる。
——カチ
乾いた虚しい空撃ちの音が、朝の空気に響いた。
六発目は全弾撃ち尽くした後の「空弾」——ただの弾切れだった。
「……弾切ね」
才子は心底つまらなさそうに吐き捨てると、何一つ躊躇することなく、弾切れの二人をゴミのように瓦礫の山へ投げつけた。
ドォンッ!!と重い音と悲鳴が瓦礫の向こうで重なり合い、正門付近は完全な静寂へと包み込まれていくのだった。
Part6、識の観察眼
1キロ離れた丘の木立の中、識は高倍率スコープ越しにグラウンドの凄惨な光景を静かに観戦していた。
惨劇の只中に立つ才子の優雅な立ち姿と、その足元に転がる警官たちの惨状。それをスコープに収めながらも識は眉を顰めレンズの奥の瞳がわずかに細まり思考回路が冷徹に回転を始める。
(……おかしい……)
事前に入手していた情報では、警察隊と同時に複数名のプロヒーローが現場へ到着しているはずだった。にもかかわらず、先ほどから才子の前に立ちはだかっているのは警官隊のみ。ヒーローの影はどこにも見当たらない。
(……警察隊と同時に到着したはずのヒーローどもが、姿を見せない理由……)
識は能面のような無表情のまま、頭の中でいくつかの仮定を組み立て、思考を深めていく。
ヒーロー社会の化けの皮が剥がれつつある現環境。そして、才子が放つあまりにも異常な威圧感と圧倒的な戦力。
(……なるほど。本来であれば警察の前に立ち、市民や警官の盾となるべきヒーローどもが……あえて矢面に立たず、警官隊を『囮』にした、?)
(——ということは)
囮の警官隊が完全に潰れ、才子の意識が正面の瓦礫へと向いているこの状況。
彼らが狙うのは、ただひとつ。(死角からの、奇襲……)識は瞬時に狙撃銃の銃身をスライドさせ、才子の周囲の死角を広域に索敵する。校舎の影、瓦礫の隙間、木の陰——。
そして、才子の背後にあたる位置へレンズを滑らせた瞬間、識のスコープが捉えた。
校舎の陰——才子から見て『7時の方向』
才子が警官隊の処理を終えて意識を緩めた、まさにその一瞬を狙い、タイミングを計って一斉に飛び出そうと身を低くしている3人のヒーローの姿を、市民を守る格好の「正義の味方」たちが、自分たちの保身と戦果のために警官隊を肉壁として差し出し、自身は安全な影から機をうかがっている。
(——ほんとにやるとはね。だから三流なのよ)
識は即座にマイクへ低く、けれど明瞭に声を乗せた。
『レディ、7時の方向です。ヒーローが3名、校舎の陰から飛び出そうとしています』
1キロ先の丘からの的確な一言が、通信越しに才子の耳元へと届けられた。
Part7,大気の砲弾
通信越しに発した自身の声が届いた、まさにその刹那、スコープの円形フレームの中で、校舎の角から機を熟したとばかりに躍り出る3人のヒーローの姿が映り込んだ。
警官隊の全滅によって才子の背中が無防備に晒されたと確信した、完璧なタイミングでの奇襲——のはずだった。
だが才子は優雅な所作で黒いドレスの裾をかすかに翻すと、通信を受けると同時に、迷いなく7時の方向へと振り向いていた。
死角から躍り出た3人のヒーローが、正面から白銀の瞳と視線をぶつけ合わせ、驚愕で顔を引きつらせたその一瞬。才子は右手の五指を固く揃えると、前方へ向けて強く押し出した。
ただそれだけの、可憐で華奢な少女の挙動。
――ドゴォォォォンッ!!!
次の瞬間、大気が爆裂したかのような重苦しい衝撃音がグラウンドに響き渡った。
(……大気を、押し出したのね)
スコープ越しにその現象を目撃した識は、心中で淡々とそのカラクリを解き明かす。
才子のサイコキネシスの基本構造は、質量を掴み、指先で指向性を与えること。しかし、彼女が捉える質量とは、車や瓦礫のような固形物に留まらない。才子は振り返りざま、眼前に存在する『空気という莫大な質量を持つ気体の塊』を右手で力任せに圧縮・捕縛し、そのまま大砲の弾のごとく前方の空間へ叩きつけ放出したのだ。
目に見えない巨大な空気の鉄槌——圧縮された衝撃波の塊が直進し、奇襲を仕掛けた3人のヒーローを正面から容赦なく呑み込む。
「なッ!? ぶぅ!!」
「ひぐッ……!?」
「うおおおお!?」
悲痛な、蛙の潰れたような叫びが重なり合う。
3人の身体は骨の砕ける嫌な音とともに大きく折り曲がり、地面を蹴る間すら与えられず、弾丸のような勢いで後方へと吹っ飛んでいった。
ドンッ! ガシャァンッ!
一人は校舎の頑丈な外壁へ激しく激突して亀裂を刻み、残る二人も校舎沿いの花壇やベンチを粉々に打ち砕きながら地面を転がり、ピクリとも動かなくなった。
可憐な少女が右手を一度押し出した、わずか一秒足らずの出来事。土煙の晴れたその場には即死こそ免れたものの、重傷を負って転がる3人のヒーローが無残に転がっていた。
Part8才子の弱点
ガガァァァンッ!!
正面の瓦礫の山が、力づくで吹き飛ばされる。
土煙を散らして躍り出たのは、岩石のような筋組織で巨大化した両腕を持つパワー系のプロヒーローだ。
「死ねぇぇっ、ヴィラン——ッ!!」
ヒーローは叫びざま、足元に転がっていた潰れた乗用車を力任せに担ぎ上げ、才子へ向けて投擲した。瓦礫を突破した勢いを殺さぬ、不意打ちの速度で車体は大気を切り裂く。
——だが、才子の白銀の瞳は一切の揺らぎすら見せない。
音を立てて飛来した鉄塊は、才子の顔面のわずか『三十センチ手前』で、見えない空間の壁にぶつかったかのようにピタリと制止した。才子の『サイコキネシス』が展開する絶対防御圏。
「……」
才子が右手の掌を軽く押し戻すと、車体は恐ろしい速度で弾き返され、投げつけたヒーローへと一直線に逆流する。
しかし、相手も流石は高パワーの腕力を誇るプロだ。猛スピードで押し戻された車体を正面からどっしりと受け止めると、そのまま頭上へと持ち上げ、再び投擲の体勢に入ろうと脚に力を込め、「ぐ、おぉぉぉッ! この程度——っ!」と受け止めて力むヒーローに対し、才子は心底だるそうに、まるで顔の周りを飛び回る羽虫でも払うかのような『ハエ叩き』の仕草で、右手の手首を上から下へと無造作に振り下ろした。
ドドォォォォンッ!!
「ぐあぁぁっ!?」
頭上の車体ごと、見えない超重力がヒーローの全身を真上から叩き潰す。
地面に膝を折り、メキメキと骨の砕ける音を響かせて這いつくばるヒーロー。……だが、才子の白銀の瞳に油断の二文字はない。
「……もう一押しかしら……手加減を間違えないのは難しいわ」
才子は右手の手のひらをさらにグッと下方へ押し込み、不可視の荷重を倍増させた。
バキバキバキッ——!!
「ぎゃああああああああっ!?」
車体を支えていたヒーローの両腕が、あり得ない方向へとへし折れ、肉と骨が押し潰される凄惨な悲悲鳴が上がった。これで二度と抵抗はできない。勝利を確信し、意識が捕縛へと向け才子は左手の指先を向けると意識を失いかけたヒーローを回収すべく、引きずり寄せる作業に入った。まさにその一瞬。
才子の左頬のすぐ脇、何もない空間の空気が不気味に歪み——『暗い穴(ワームホール)』が突如として出現した。
才子が異変に気づく間すら与えない、完全な死角からの不意打ち。
ドガッ!!
「……っ!?」
穴の中から飛び出した拳が、才子の左頬を完璧な不意打ちで打ち抜いた。
圧倒的な威力を誇る超能力者とはいえ、物理的な肉体そのものは可憐で華奢なひとりの少女に過ぎない。強烈な衝撃に頭を揺さぶられ、才子は大きく体勢を崩す。
白銀の瞳を大きく見開き、信じられないと言わんばかりの激しい動揺と驚愕の表情で、殴られた方向を振り向く才子。
しかし、そこにはただ朝風が吹き抜ける空間があるのみ。空中の穴も既に掻き消えていた。
(……何……?)
一瞬の思考のエアポケット。
その隙を逃さず、今度は才子の無防備な背後に現れた空間の穴から、容赦ない蹴りが叩き込まれた。
ドカッ!!
「くっ……あぁッ!?」
背中を強く打ち据えられた才子は、たまらず地面へ倒れ込み、土の上に四つん潰いになって倒れ伏す。
——だが、不意打ちの猛攻はそれだけでは終わらない。
四つん潰いに崩れ、無防備に晒された才子の右脇腹のすぐそばに、間髪入れず三度目の『暗い穴』が開く。
ガンッ!!
「ひぐっ……ぁっ……!!」
華奢な肋骨に直接叩き込まれた二度目の蹴り。呼吸を吐き出させるほどの激痛に、才子は泥に顔を押し当てる格好で完全に縮こまり、苦悶に身体を震わせた。
——一キロ離れた丘の上。
スコープ越しにその一連の光景を目撃していた識は、能面のような表情のまま、冷静に思考を巡らせていた。
(……なるほど。どれほど破格の超能力を誇ろうと、攻撃を認知していない完全な死角からの物理打撃に対しては、防御が自動発動するわけではない。肉体そのものの強度や身体能力は……ただの華奢な普通の女性と何ら変わりない、ということね)
才子という絶対者の、意外すぎる弱点。
(これは……意外な穴ね)
才子の絶対者としての化けの皮が一瞬剥がれた事実を冷たく分析しながらも、識は即座に狙撃銃の銃身をスライドさせた。これ以上、主が無様に醜態を晒すのはプロのサポートとして見過ごせない。
識は遠く離れた校舎の物陰、空間の穴を発生させて身を潜めているワームホール使いのヒーローの位置を、スコープのレティクルで一瞬で捕捉した。
(急所を外して……ここね)
静かな呼吸とともに、引き金を静かに絞り込む。
——ズキューウゥーッ!!
消音器越しに放たれた一弾が、物陰に隠れていたヒーローの太ももを正確に撃ち抜いた。
「ガハッ……!?」
物陰から漏れ出る悲鳴。不意の狙撃でヒーローの集中が切れ、空間の穴の維持が途切れて消失する。
識は間髪を入れず、インカムのマイクへ冷徹な指示を乗せた。
『レディ、落ち着いてください。敵は空間転移の個性です。2時の方向にあるコンクリートブロックの物陰に潜んでいます。……今すぐ、大気砲で吹き飛ばしてください』
右脇腹を押さえ、土の上で屈辱に震えていた才子の白銀の瞳に、爛々と激しい怒りの光が宿った。
Part9逆襲の才子
「——そこね」
屈辱と右脇腹の激痛に耐えていた才子の白銀の瞳に、爛々と激しい殺意が宿る。
地を舐めた泥を払う時間すら惜しみ、才子は両手を前方に固く揃えると、2時の方向——指示されたコンクリートブロックの物陰へ向けて、溜め込んだ大気の圧力を一気に解き放った。
――ドォォォォォォンッ!!!
爆音とともに圧縮された空気の波動が一直線に走り、コンクリートの巨大な塊を木っ端微塵に破砕しながら後方へ吹き飛ばした。
舞い散る粉塵と瓦礫の向こう側。曝け出された隠れ家に存在したのは、二人のヒーローだった。
一人は、白衣を模したコスチュームに身を包み、倒れた警官の身体に優しく手を添えて『治癒』の能力を施していた支援系ヒーロー。
もう一人は、レンズの分厚いゴーグルと複雑な機械類を身に纏った、科学者風のコスチュームのヒーローだった。彼こそが、先ほどまで瓦礫の影からワームホールを開いて才子に卑劣な打撃を打ち込んでいた張本人だ。識の弾丸で太ももを撃ち抜かれ、苦悶の表情で這い出ようとしていた。
自身の美貌を泥で汚し、四つん撲いにさせた上に痛めつけられた右脇腹の鈍痛。その元凶を目にした瞬間、才子の胸中にドロリとした激しい苛立ちが沸き立った。
「……よくも……」
才子は左右の掌を同時に二人へ向け、五本の指先を激しく引き絞った。
目に見えない凶悪な力が二人を拘束し、まるで磁石に吸い寄せられるかのように才子の元へ勢いよく引き寄せる。
才子の左手側に囚われたのは、科学者ヒーロー。
一瞬、胸を覆う激怒に任せ、この不快な羽虫の頭をそのまま体育館の頑丈な外壁へ全力で叩きつけ、赤黒いシミに変えてしまおうかという衝動が頭をよぎる。
(……いけないわ。私としたことが、感情に流されるなんて)
頭に上った血を冷ますように、才子は寸前で踏みとどまった。オール・フォー・ワンへ差し出す「最高のお土産」という本来の目的が、才子の狂気じみた理性を繋ぎ止める。
才子は左手の指先をクイと捻り、空中での身体の向きを強制的に反転させた。
――ドカァァンッ!!
「がはっ……!?」
科学者ヒーローは頭部ではなく、背中から激しく壁へ叩きつけられた。肺胞の空気をすべて吐き出し、背骨に重篤なヒビを入れながら、二度と動けぬ状態で地面へ崩れ落ちる。
同時に、右手側に捉えていた白衣のヒーローに向けても、才子は容赦なく右手を真横へ一振りした。
――バガァンッ!!
「ひぐっ……!」
白衣のヒーローの身体が校舎の壁へと叩きつけられ、激しい衝撃に意識を刈り取られて白目を剥き、ぐったりと力なく瓦礫の上へ転がった。二人とも、息の根を繋ぎ止めた上での確実な「無力化」完了だ。
呼吸を整えながら、才子はスカートについた土を絹手袋で優雅に払い落とした。だが、これ以上の不意打ちや遠距離からの狙撃を許すつもりは毛頭ない。
才子は両手の掌をグラウンドの駐車場へと同時に向けた。
ガガガギギギッ……!
白線の中に残されていた大型の乗用車2台が、重力に逆らって宙へ浮き上がる。才子は左右の指先を交差させるようにしならせ、浮遊させた2台の車を、先ほど吹き飛ばしたコンクリートブロックの代わりのバリケードとして、2時の方向の死角を完全に遮断する位置へズドンと力任せに叩き落とした。
ガシャァンッ! ドンッ!!
即席の強固な鉄の壁が築かれ、周囲の視線と物理的射線が完全に遮断される。
「……これで良し、と」
乱れた白銀の髪を指先でそっと整え、才子は何事もなかったかのように可憐な微笑みを浮かべると、胸元の通信機へと声を乗せるのだった。
Part10苦渋の選択
大気砲による無慈悲な空間の粉砕と、それによって無防備になった隙を絶対に逃さない骨折り——。才子の圧倒的な個性の暴力と、1キロ先から正確無比に死角を潰し続ける識のライフル狙撃。その二人が噛み合った盤面は、もはや戦闘と呼べる代物ではなかった。
太陽が天頂を過ぎ、昼を回る頃。
氷晶霧小学校の広大なグラウンドは、完全な静寂と異様な異臭に包み込まれていた。
才子の周囲数十メートルの円の中に転がっているのは、かつて「市民の盾」として勇猛に躍り出た20名以上のプロヒーローたちの無惨な姿だ。ある者は両腕の骨を粉砕されて白目を剥き、ある者は脊椎を折り畳まれてピクリとも動かず、またある者は押し潰された胸から絞り出すような呻き声を吐き出している。
誰一人として命を奪われてはいない。だが、誰一人として指一本動かすことすら叶わない。
才子がオール・フォー・ワンへ献上するための『最高のお土産』として、完璧な加減で「生殺し」にされた肉の山。
「……ふう」
才子は黒い絹手袋の指先で乱れた前髪をそっと払うと、その凄惨な光景の只中に優雅に佇み、満足気な笑みを浮かべた。
一方、正門の遥か外側では、生き残った警官隊が顔を蒼白にさせながら、ガタガタと震える手で非常線を遠巻きに設置するのが限界であった。近づけば車が飛んでき、銃を構えれば己の頭に銃口を向けさせられる。彼らにできるのは、これ以上被害を広げないための「観測」という名の放置だけであった。
——同時刻。警察庁と道警、ヒーロー公安委員会によって急遽立ち上げられた『バロネス・エインズワース対策本部』
会議室の巨大スクリーンには、ドローンが上空から捉えたS市・氷晶霧小学校の惨状がリアルタイムで映し出されていた。20名以上の重傷ヒーロー、全滅した警官隊、そしてその中央で可憐に佇む真白才子の姿。
「……現場のヒーロー21名、完全に 沈黙。生存率は高いものの、全員が重傷……即座の戦力復帰は不可能です!」
オペレーターの痛切な報告に、会議室を重苦しい沈黙が支配する。若手幹部が拳を握り締め、血の気の引いた顔で叫んだ。
「しかし! このまま指を咥えて見ていろと!? 既に20名以上のプロが行動不能に追い込まれているんですよ!?」
「静かにしろ!」
対策本部長がその声を喝破した。本部長の視線は、メインスクリーンの隅に表示された【千歳空港・到着】の運行ステータスへと注がれている。
「……ミスターファルコンたちが、今しがた千歳空港へ降り立った。ここからS市(札幌)の現場へ突入するまで、あと1時間もかからん」
本部長は苦渋に満ちた表情で目を閉じ、深く息を吐き出した。
「あの女は避難所を占拠してからというもの、自分から街へ打って出て市民を無差別に殺戮する素振りは見せていない。……これ以上の戦力逐次投入は無意味だ。ミスターファルコンたちが到着し、総力を挙げた『ラストアタック』を仕掛けるその瞬間まで、これ以上無駄に戦力を削られるわけにはいかん」
本部長はペンの先を強く書類に押し当て、決定事項を刻み込んだ。
「……現時間を以て、バロネス・エインズワースに対する接触および攻撃を一切禁止する。現場は非常線を維持し、彼女を『刺激しない』ことを最優先とせよ。……本命の到着まで、絶対にこれ以上の犠牲を出すな!」
嵐の前の不気味な静寂。
たった一人の少女がもたらす圧死の恐怖に耐えながら、正義の側は牙を研ぎ澄ます最後の1時間を、ただ祈るように待ち続けるのだった。
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右脇腹蹴られましたが右臀部蹴られて、尻蹴られるなんて…と、いかり狂いそうになるって展開も考えましたがシリアスさが足りないので自没しました