面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました   作:濃厚とんこつ豚無双

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第九話 アウエンホーフの老伯

クラウスの名がライフェンベルク家の夏の食卓へ届いたのは、夏季統合演習の数日前だった。

 

ライフェンベルクの領地アウエンホーフは、王都から北西へ二日の距離にある古い領地である。

いまでは政治の中心でも軍の中心でもない。

だが、そのどちらでもあった時代の記憶が石壁や並木や古い馬屋の匂いに染みついて残っている場所だった。

先祖の肖像画はどれも似たような顔をしている。

強情で、痩せていて、若い頃からすでに老人めいている。

家の伝統というものは、だいたいそのような不愉快な形で視覚化される。

 

老レオポルト・フォン・ライフェンベルク伯は、その日の午後、温室裏の小さな書斎で王都から届いた封書を読んでいた。

七十三歳。退役上級大将。

若い頃には南方国境で騎兵師団を率い、晩年は統帥府の顧問職を務めた一角の人物である。

いまでは季節ごとに庭師へ文句を言い、医師の指示を半分だけ無視し、昔より薄い葉巻を吸うことで日々を整えている。

 

封書は、古い戦友の一人からだった。

内容は簡潔だった。

 

”君の孫息子、クラウスの名を近頃よく聞く。

夏の統合動員演習で、諸邦調整の方に妙な評判が立っている。

若いのに落ち着いている、機構をよく見ている、などと年寄りどもが勝手を言っているようだ。”

 

レオポルトはそこまで読んで、小さく鼻を鳴らした。

 

「年寄りども、か」

 

と彼は独りごちた。

 

「自分もその一人だろうに」

 

彼は封書を机へ置き、窓の外を見た。

午後の光の中で、庭の砂利道を若い厩舎係が馬を引いていく。

その歩き方はまだ雑で、綱が少しだけ短すぎる。

老レオポルトはそれを見ながら、ふいに十二歳の頃のクラウスを思い出した。

 

あの子は、昔からよく覚える子だった。

 

猟犬の名前。

厩舎の頭数。

冬に死んだ馬の年齢。

家系譜の分岐。

軍服の釦の規定。

戦術盤の駒の並び。

 

問えば正しく答え、答えるために余計な身振りもしない。

だが一方で狩りへ連れて出ると、狐が右へ切るか左へ切るかの一瞬で、いつもほんのわずかに遅れた。

間違うというより、決めきれないのだ。

 

レオポルトは、その種の遅れを軍人としてはあまり好まなかった。

だが人間としては、さほど嫌いでもなかった。

 

「優秀だ」

と彼は昔、一度だけ妻に言ったことがある。

「まあ、ではクラウスも良い軍人になるのかしら」

「……いいや、あれは選ぶより先に整える方の優秀さだ」

 

その妻も今はもういない。

代わりに書斎の隅には、彼女が生前置いたままの青い花瓶があり、そこへ庭師が季節ごとに別の花を勝手に挿していく。

それもまた、家というものの惰性だった。

 

扉が軽く叩かれ、老伯の娘、すなわちクラウスの叔母にあたるイザベルが入ってきた。

手には午後の茶器と、王都の新聞切り抜きが一枚載っている。

 

「またクラウスのことでしょう」

彼女は紙を見て微笑んだ。

「母上が生きていたら、喜んだでしょうね」

 

レオポルトは少しだけ肩をすくめた。

「喜ぶのは勝手だ。だが、評判というものは本人の器より先に大きくなりがちだ」

 

イザベルは新聞切り抜きを机へ置いた。

それは軍務省筋の小さな記事だった。

統合動員演習の準備が順調に進んでいること、その中で若手参謀の働きが一部で注目されていることなどが、いかにも無害な社交記事の顔をして書かれていた。

名は出ていなかったが、家内の者には十分だった。

 

「クラウスは、昔から落ち着いていましたね」

「落ち着いていたのではない」

レオポルトは言った。

 

「考えきる前に手を出すのを嫌っていただけだ。年寄りは、それを思慮と呼びたがる」

イザベルは少し笑った。

「それでも役に立っているのでしょう?」

レオポルトは、その問いにすぐには答えなかった。

 

役に立つ。

その語は、平穏な家庭では誉め言葉だ。

だが軍の中で若い士官が役に立つと評され始める時、それは他人の面倒を一手に引き受ける位置へ置かれ始めた、という意味でもある。

 

「役に立つこと自体は悪くない」

と彼はやがて言った。

「悪いのは、役に立った理由に、後から立派な意味が付くことだ」

 

イザベルは首を傾げた。

レオポルトは、そこで少しだけ言葉を選んだ。

孫の悪口を言いたいわけではない。

ただ、家族の好意というものが、時に本人の輪郭を曇らせることを知っていただけだ。

 

「クラウスは、空気の読める子だ。頭もよい。だが、戦場を切る刃のような頭ではない。紙が裂けぬように折る方の頭だ」

「それは、今の軍ではむしろ貴重なのではないかしら?」

「そうだろう」

 

レオポルトは頷いた。

「だからこそ厄介だ」

 

彼はそう言って、窓の外へ視線を戻した。

遠くの厩舎で、若い馬が綱を嫌って首を振っている。

厩舎係は何とか押さえようとするが、強く引けば暴れ、緩めれば逃げる。

レオポルトは、その不器用なやりとりを見ながら、なぜかいま王都で孫が何をしているかを少しだけ理解した気がした。

 

「危ないのはね、イザベル」

と彼は静かに言った。

「クラウスが野心を持つことではない。あの子にはそれがあまりない」

 

「では何が?」

 

「他人が、あの子に野心の形を与えることだ」

 

部屋が少し静かになった。

夏の風が薄いカーテンを揺らし、青い花瓶の縁に光が一筋乗る。

 

イザベルはそれ以上何も言わなかった。

父がこういう調子で話す時、その言葉が悲観から来ているのではなく、経験の残りかすから来ていることを彼女は知っていた。

 

レオポルトは、戦友の手紙をもう一度取り上げた。

 

若いのに落ち着いている。

機構をよく見ている。

年寄りどもが勝手なことを言っている。

 

彼はそこで、ふっと口元を歪めた。

 

「勝手なこと、か。まったくその通りだ」

 

彼は返信を書こうかと少し考えた。

それとも、クラウスへ「余計なことを言うな」とでも書くべきか。

 

だがそれは無意味に思えた。

あの孫は、言うなと書かずとも余計なことは言わない。

問題はそこではない。

言わないことそれ自体が、いまや周囲にとって妙に意味深く見え始めていることの方だった。

 

結局、レオポルトは短い返書を戦友に、そして久しぶりの手紙をクラウスに送った。

 

"クラウスが落ち着いているのは、たぶん賢いからではなく、面倒を嫌うからだ。

年寄りどもがそこへ深慮を読むなら、それはあの子の才より、君らの癖による。"

 

書き終えると、彼は少しだけ気分が軽くなった。

真実はたいてい、送っても大して効かない。

だが書かぬよりはましなこともある。

 

しかし、その手紙が王都へ届くより先に、評判の方はもう一歩先へ進んでいた。

 

統帥府の年長者たちは、クラウスを「連邦の接続を知る若手」と呼び始めていた。

ベルヴァーニュでは、ド・サン=クレール少佐の報告が「法と兵站を一つへ束ねる若い参謀」という、いかにも人物本位の要約へ変形されつつあった。

そしてアウエンホーフの老伯だけが、そのどちらも少し違うと知っていた。

 

レオポルトは葉巻の灰を落とし、窓の外の夕方を見た。

彼は長い軍歴のなかで、才能のある男が出世するところも、才能のない男が沈むところも見た。

そして何より、才能の有無と別の理由で担ぎ上げられた者も見てきた。

 

彼は初めて少しだけ孫の将来を案じた。

能力が足りないからではない。

期待の方が、先に育ちすぎているからだった。

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