面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました   作:濃厚とんこつ豚無双

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第十二話 帝国諸邦会議

ハイゼンベルク帝国陸軍卿ヘッツェンドルフは、臨時の御前会議のためにシェーンハルト宮を訪れていた。

呼び出しは朝で、控えの間に茶は出なかった。

 

図面の筒を持たずに宮殿へ上がるのは久しぶりだった。

両手が空いているだけで、地形のない戦場へ出るような据わりの悪さがある。

 

会議の間の顔ぶれは、前回と変わらなかった。

歴代の皇帝も、同じ壁から同じ窓を見ている。

 

外務卿ヴァルデンフェルス伯の手元には、封蝋の色が違う書状が五通、角を揃えて置かれていた。

財務卿レーヴェンタール男爵の前には帳簿が一冊。

侍従長の口上は、前回と同じ長さだった。

陛下は前回と同じ装いで現れた。

 

「始めよ」

 

「は。帝国諸邦会議の件でございます」

外務卿が最初の一通を起こした。

 

「南マルク五邦、いずれも参列の奉答が揃いましてございます。ダールベルク、ヴァイルの両邦は君主御親臨。ロート、ゾンネンは宰相の名代。アーレンは――」

外務卿は、五通のうち最も厚い一通を持ち上げた。

「オトフリート二世陛下の御親書にございます。前半は参列の奉答。後半は、竣工なりました新歌劇場の披露へ、皇帝陛下ならびに諸卿をお招きしたい旨にございます」

 

財務卿が眼鏡の縁ごしに、書状の厚みを測った。

「会議と歌劇と、どちらが本題ですかな」

「なお、末尾に一項ございます。会議においては、各邦君主の自由な発言を保障されたきこと、と」

「相変わらず芝居がかったお人だ」

書記官の羽根が、その一項の上で一度浮き、次の行へ移った。

 

「それから、五通に共通して一つ」

外務卿は封蝋の列を指で揃え直した。

「いずれも参列の語のみを用い、伺候の語がございません。あちらの書記局で、よほど選び抜かれた文言かと」

 

陛下の短い鉛筆が、余白で止まった。

「参るだけは参る、か」

「は。されど、参るのでございます。五邦の君侯あるいはその名代が最高保護者の召集に応じて一堂に会する。それだけで、この会議の目的の半ばは達せられたものと心得ます」

 

そこまでは、予定されていた会議だった。

 

「もう一件、ございます」

 

外務卿の声は、常と同じ速さに聞こえた。

同じ速さに聞こえるよう、あらかじめ整えてきたようにも聞こえた。

 

「ブランデン王国首相府よりの公文です」

外務卿はそこで一拍おいた。

「連邦の宰相府を経ておりません。ブランデン王国首相として、オズヴァルト・フォン・バルクの署名にございます」

 

「読め」

 

「帝国諸邦の最高保護者の御名において、諸邦会議の召集あるを聞く。北マルクの諸邦もまた古き帝国諸邦たるの故をもって、ここに参列の御許しを請い奉る」

 

要旨はそれで尽きていた。

外務卿が綴りを繰っていく。

北の十一邦がそれぞれの名で寄せた、同旨の奉請。

議題への追補提案。使節団の規模。宿舎の所要。特別列車の時程。随員の人数。分科協議への専門官派遣希望。

 

「……会議など催せば、こうなると申し上げましたぞ」

声が硬くなるのは、止めなかった。

「会議とは席を並べる儀式であり、席とは資格の別名です。名目を帝国諸邦会議とする限り、北の十一邦を敷居の外へ置く法はどこにもない。彼らはそこを突いて参りました」

 

「その通りでございます」

外務卿は綴りを閉じ、その上へ手を置いた。

「置く法がないのは、彼らが帝国諸邦だからでございます。しかし陸軍卿、これを御覧なさい。北の十一邦が、最高保護者の召集権をそれぞれの邦の名で、書面で認めたのです。この百年、彼らが一度も紙へ書かなかった言葉です。この一綴りは、軍団を三つ並べても手に入りません」

 

「彼らが認めたのは、跨いでよい敷居がここにあるということだけです」

 

「ならば跨がせればよろしい」

外務卿の声は穏やかなままだった。

「敷居のこちら側は、当方の広間でございます。式次を定めるのは保護者、発言を許すのも保護者。彼らが十一の口で参ろうと、席次の上では十一の別々の邦にすぎません」

 

「その十一の口が、同じ活字で喋るのです」

写しの刷り紙を、指の背で叩いた。

「陛下。彼らが求めているのは席ではありません。議事録です。帝国の書記官の手で、帝国の紙の上へ北マルクは帝国諸邦なりと書かせる。書かせた上で、次の会期にはこう申し立てます。――然らばマルクの事は、マルクの諸邦が決める、と。最高保護者の御座が議長席と呼び替えられるまで、紙の上なら二会期もあれば足ります」

 

財務卿が帳簿を一枚めくった。

「席の話をなさるなら、先に数の話を願いたい。五つの参加国で組んだ式典費が、十六でございますぞ。礼砲だけで演習一日分の火薬が飛ぶ」

「北の分は北に払わせればよろしい」

「客に払わせる宴の話は、聞いたことがありませんな」

「客なものですか。押しかけて来たのです」

「押しかけて来た者であっても、礼砲を撃たねばならぬのです」

 

財務卿はそう言って、帳簿の余白へ何かを書き足した。

不満の種類が違うだけで、この男もこの男なりに戦っているのだろう。

 

「南の五邦が、これを知って参列を引っ込めませぬかな」

 

財務卿が眼鏡を外し、拭き始めた。

 

「引っ込めますまい」

外務卿が答えた。

「五邦が退けば、玉座の前に立つのは北の十一邦だけになります。彼らが最も恐れるのは、まさにその図でございましょう」

 

眼鏡を拭く手が、一度だけ止まった。

図の正しさは、認めるほかなかった。

誰も退けない会議が、こうして出来上がっていく。

 

「なお、いま一件」

外務卿が綴りの下から薄い一枚を抜いた。

「ヴォルスカヤ公使館より、口上書が参っております。曰く――ヴォルスカヤ帝国は、マルクの平和に資するいかなる集いをも歓迎し、求めあらば観察の使節を送る用意がある。ただし現下の緊張においては厳正なる中立を保ち、いずれの側への軍事的便宜供与にも与しない、と」

「器用なものですな」

「器用と申すより、律儀でございましょう。同文の口上書が、同じ日付でノルトマルクの外務省へも渡っております。一字の傾きもなく、真ん中に立っておられる」

 

東の秤は、どちらの皿にも錘を載せぬと決めたのだ。

会議の帰趨がどう転ぼうと、東の国境から一個大隊も来ない。少なくとも今のところはそう主張している。

 

「つまり東は、会議だけ見に来るというわけですか。見物料は払わぬでしょうがな」

 

財務卿の呟きに、外務卿は聞こえなかった顔をした。

陛下はその間、写しを繰っていた。

 

「……この書状」

鉛筆の尻で、紙面を軽く突く。

「連邦の語が、一度もないな」

 

「御明察にございます。差出も、奉請も、ことごとく邦の名でございます。連邦の名も、旗も、称号も、一字とてございません」

「百年ぶりに、正しい名で手紙が来たか」

 

陛下の声に、皮肉はなかった。

外務卿が深く一礼した。

満足が上座から順に、静かに配られていくのが分かった。

その儀礼で満足ができるのであれば、どれほどよかったか。

 

「陛下。名は正しくとも、書いた机は一つでございます。十一通の下書きは、同じ部屋で書かれております」

 

「であろうな」

陛下は写しを揃えて置いた。

「しかし書かせた者が誰であれ、書かれた言葉は残る。卿の申した通りではないか。議事録とはそういうものだ」

 

返す言葉を探す間に、裁定が始まった。

 

「北の諸邦は、諸邦として迎えよ」

そこからは、淀みがなかった。

「席次は古い台帳に従え。台帳にある席のみとせよ。連邦の名は議場に入れるな。旗も、章も、称号もだ」

「は」

「各邦代表は一名。随員は二名まで。専門官は分科協議に限り、議長の許可を得て出席を認める。武装随員は許さぬ」

 

財務卿が、少しだけ安堵した顔をした。

おそらく宿舎の数が頭の中で少し減ったのだろう。

 

「会期の前後三十日、国境における新たな兵の移動を慎むべき旨を、招請状の条件に入れよ」

鉛筆が余白に走り、止まった。

「両軍の対陣の間を、諸邦の王に歩かせるわけにはいかん」

 

「慎む、で止まる相手ならば苦労はございません」

 

「だから見るのが卿の仕事だ」

陛下は、こちらを見ずに言った。

「兵を戻せとは言っておらん。だが会議の前にこちらから新たに動かすな。会議が始まる前に、会議を死なせる必要はない」

 

「……御意にございます」

納得ではなかった。

だが、返答としてはそれで足りた。

 

「式次は外務卿。費目は財務卿と詰めよ。それから」

陛下は立ち上がりながら言った。

「席次の台帳を、夕までにこちらへ持て。誰がどこへ座るのか先に読んでおく」

 

侍従長が復唱した。

一同が立ち、頭を下げる。

書記官の羽根の音だけが、まだしばらく続いていた。

 

 

 

 

廊下へ出たところで、財務卿が低く呻いた。

 

「十六邦ですぞ。十六。旗と紋章と椅子だけで、もう一つ小さな議場が要りますな」

「久しぶりに景気のいい話でありますな」

 

外務卿は穏やかに答えた。

 

「百年ぶりの帝国諸邦会議、それもほぼ旧帝国全土の邦が集合ですからな。議場一つ、宿舎一つとっても帝国の威信がかかっております」

「威信、威信ですか。そこにかかる費用はいつでも軽視されるのですな」

「この手の予算はかけた分だけ戻ってくることもあります。それが外交というもので」

「つまり戻ってこないこともある」

「それもまた外交です」

 

二人は歩きながら、すでに別の戦場へ移っていた。

椅子の数、馬車の順、晩餐の席次。

戦場図ほど露骨ではないが、それもまた帝国の戦場であった。

 

「陸軍卿」

 

外務卿が、そこでこちらを見た。

 

「御不満でしょうな」

「不満という言葉では足りません」

「それはまた、剣呑なことです」

 

いつもの穏やかな顔で頷いた。

 

「なに、兵の出番のない会議ほど、良く出来た会議はございませんよ」

それだけ言って、外務卿は財務卿へ向き直った。

二人の話は馬車の列の順へ戻り、角の向こうで折れて消えた。

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