面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました   作:濃厚とんこつ豚無双

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【挿絵表示】

前話時点(開戦三十日)の戦況図です。
参考にしていただければ幸いです。


第二十六話 援軍要請【地図あり】

九月十五日。

第一軍司令部の作戦室には、エルツ公国政府から届いた抗議書が開かれていた。

帝国軍に占領された県と郡の名が列挙され、その末尾には、公都防衛の方針と失地回復作戦の開始時期を明示されたし、とあった。

同じ趣旨の抗議書は、この一週間に何度も届いている。

 

「ライフェンベルク中佐。クレムニッツへ行き、一個連隊を借りてきていただきたい」

 

エストルフ少将がそう言うと、作戦室で動いていた鉛筆が何本か止まった。

最近受けた仕事の中では、いちばん面倒なものになりそうだった。

 

『歩兵一個連隊。連隊本部、付属段列、衛生分遣隊を含む。集成第一軍司令部直轄予備として反撃作戦に充当するものとす』

 

借りる側の文書としては、随分と遠慮がない。

これがせめて、集成第一軍内部での融通や、第二軍へ割り当てられるはずの部隊をこちらへ回してもらう類の要請であれば、まだよかった。

それなら、最近の自分の仕事の延長である。

しかし、同じエルツ領内の防衛をまさに今担当している西部軍から借りるのは事情が違う。

 

「西部軍も、何度も中央へ援軍を求めていますが」

「知っています」

 

ザルヴィッツ少佐の確認に、エストルフ少将は頷いた。

その上で、ということらしい。

 

「中央には、どちらへ出す余裕もありません。ただでさえ第二軍へ入るはずだった部隊が、動員を終えた端からこちらへ送られている」

 

第一軍へ着いた増援は、その日のうちに三個師団のどこかへ入った。

北部鉄道が危うければランツァウ師団へ。

中央街道でエルツ軍の後衛が崩れればデッケン師団へ。

その間に穴が開けば、ボートマー師団へ。

エルツ軍の撤退を支援しながら、ようやくエルツェン東方で三個師団を一つの線へ揃える見込みが立った。

それでも正面ではなお帝国軍が優勢だった。第一軍を補うはずの第二軍は、そこから部隊を抜くたび、集中予定を後ろへずらしている。

 

「七日以内にエルツ軍の残存部隊を収容し、エルツェン東方の丘陵線へ三個師団を揃えます」

エストルフ少将が作戦図を広げた。

図上の部隊は、ハイゼンベルクとの国境から西へ西へと撤退を続けていた。

「その上で、第三軍と第五軍の接合部へ反撃を行い、追撃を一度止める。その間に公都前面の防御線を完成させます。一個連隊は、そのための軍予備です」

「純軍事上の話だけをするなら、公都を放棄して戦線を西へ短縮し、第二軍の集中を待つべきではないでしょうか」

 

ザルヴィッツ少佐が言った。

クラウスにも、その理屈は分かる。

純粋に戦いやすさだけを見るなら、西へ下がって戦線を短くし、集結しつつある部隊を待つ方がよい。

 

「もちろん、それでエルツ政府が納得するのであればよろしいでしょうな」

 

結局、そこへ戻る。

ここで加盟邦を一つ見捨てれば、連邦の相互防衛は空文になる。

軍事上の都合でエルツを放棄するなら、次に同じ都合で見捨てられるのはどこか。

各邦では戦況より先にその問いが立つだろう。

クラウスは要求書を見た。

やはり、できれば誰か別の者に任せたい仕事だった。

 

「私が持参できるものは、この作戦図だけでしょうか」

「もう一枚あります」

 

エストルフ少将は、ホーエンエック元帥の署名した追書を差し出した。

第一軍正面の安定後、次に転用可能となる一個歩兵連隊を、西部軍へ優先するよう統帥府へ具申する。

権威はあるかもしれないが、いつ実現するかも分からない約束手形だった。

武器としては、なんとも心もとない。

 

「本当に、それだけを持ってクレムニッツへ向かわれるのですか」

 

珍しく、ザルヴィッツ少佐の言葉には険がなかった。

まあ、言わんとすることは分からなくもない。

 

「ええ、仕事ですから」

 

しかし困ったことに、これが今の自分の仕事なのだ。

そして作戦を考えるよりは、誰も行きたくない使い走りの方が自分にはよほど向いている。

 

 

 

 

クレムニッツ中央駅の旅客用発着板は外され、代わりに軍用列車の番号と積載品目が黒板へ書かれている。

北側のホームには負傷兵列車が停まっていた。

クラウスが客車を降りると、西部軍司令部付の大尉が近づいてきた。

 

「ライフェンベルク中佐殿でありますか。西部軍司令部より御案内に参りました」

「御苦労様です」

 

クラウスは用意されていた馬車へ乗った。

駅前広場では、担架を積んだ荷車と、東郊へ向かう弾薬車が同じ道を使っていた。

軍警察が笛を吹き、歩兵の縦隊を一度止めて、四頭立ての砲車を先へ通している。

 

街の店は開いていた。

パン屋の前には列があり、市場では野菜を並べる女の後ろを、装具を付けた兵が歩いていく。

二階の窓へ板を打ちつけている家もあった。

その同じ窓の脇では、洗濯物が風に揺れていた。

 

西部軍司令部は、その中央駅から二街区ほど離れた鉄道管理局へ置かれていた。

案内の大尉が二階の作戦室前で止まった。

扉の向こうから、現地指揮官らしい声が聞こえていた。

 

「第三中隊は、今朝の点呼で百五十二です。負傷者の収容を終えても、定数へ戻る見込みはありません。交代させられないのであれば、せめて総予備から――」

 

別の声が、落ち着いた調子で答えた。

 

「実験連隊を中隊単位で出すことは認められません。専用弾薬と銃工分遣隊の系統を分ければ、二個中隊を送るために連隊全体の運用を崩します」

 

メルテンスの声だった。

 

「では、我が大隊はどこから兵を補えばよろしいのです」

「本日夕刻までに、師団予備から一個中隊を移すよう調整しております」

 

扉の前にいた大尉が、一度クラウスを見た。

申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「司令官閣下へ御到着をお伝えします」

 

中からヴィルマーの声がした。

 

「入れ。中央から、我々が待ち望んでいた客人が来たそうだ」

 

 

 

 

「久しぶりだな、ライフェンベルク中佐」

ヴィルマー大将は、クラウスが入ると机の向こうで立ち上がった。

五年前より髪に白いものが増えて、ますます疲れて見えた。

「私は統帥府へ一個連隊を要求したのだが、君がその働きをするということかね」

 

声だけは、いかにも上機嫌そうだった。

 

「私一人では、一個連隊の定数には随分と足りないかと存じます」

 

ヴィルマーは声を立てて笑った。

 

「君ほど西部軍に歓迎される使者も、そう多くはないな」

 

皮肉であることは分かった。

しかし、どの程度まで本気で返してよいかは分からなかった。

 

「御歓待いただき、恐縮です」

「ああ、大歓迎だ。もちろんいい知らせを持ってきたのだろう?」

 

ヴィルマーは手を広げた。

その右には西部軍参謀長メルテンス大佐が座り、隣に幕僚団が並んでいる。

扉にいちばん近い席には、軍靴に乾いた泥を残した将校がいた。おそらく、先ほど声を上げていた人物だろう。

メルテンスはクラウスへ一礼した。

 

「演習以来ですな、ライフェンベルク中佐。私もお会いできたことを嬉しく思っております。まあ、ご用件次第ではありますが」

 

声は穏やかだったが、目には笑いがなかった。

ヴィルマーが卓の中央を指した。

 

「さて、中佐殿。我々が要求した援軍がいつ着くのかを説明してくれるかな」

「その御説明はできません」

「ほう。では、何を持ってきた? そろそろ電信だけで援軍を断るのが申し訳なくなったかね」

 

クラウスは、集成第一軍司令部の封書を机へ置いた。

 

「集成第一軍司令部より、西部軍に対する歩兵一個連隊の一時貸与要請です」

 

作戦室から音が消えた。

廊下を走っていた伝令の靴音だけが、扉の向こうへ遠ざかっていく。

覚悟していたとはいえ、誰も彼もが自分へ向ける目線が冷たい。

 

ヴィルマーは封を切り、要求書を最後まで読んだ。

その後に付けられた作戦要図も開く。

口髭の下で、笑みだけが深くなった。

 

「私は今日ほど、君を歓迎したことはないかもしれん」

「用件については、私が決めたものではありません」

「君は昔から、面倒事についてだけは一貫して受動的だな」

 

「閣下。まず第一軍の話を聞きましょう。笑うのはその後でもよろしいかと」

メルテンスは文書へ目を通し、作戦要図を開いたままクラウスの前へ戻した。

「説明をお願いします、中佐殿」

 

 

 

 

「第一軍は、エルツェン東方の丘陵線へ三個師団を集めています」

クラウスは、作戦要図の北から中央へ指を動かした。

「現在はエルツ軍の後退を支援しながら、二段の遅滞線を使っております。公都前面へエルツ軍残存部隊を収容した後、第三軍と第五軍の接合部へ反撃を行います」

 

「目標は」

メルテンスが訊いた。

 

「追撃を一度止め、第三軍と第五軍の間隔を広げることです。その間にエルツ軍を再編し、防御線を作ります」

「集成第一軍が反撃すれば、第五軍は正面へ予備を戻し、第八軍への追送も細る。クレムニッツへの圧力も弱まる。そういう理屈ですかな」

「見込みでは、そのようになります」

「成功した場合には、と注釈をするべきでしょうね」

「はい」

 

メルテンスは要図の南へ鉛筆を置いた。

 

「西部軍は開戦以来、中央へ五度の増援要請を出しております。第二軍の南下時期についても、三度回答を求めました。昨日の返事は、エルツェン正面の推移を見て改めて回答する、です」

 

机の端に積まれていた電報が、一通ずつ作戦要図の横へ置かれた。

どれも実質的な回答を得られなかったものらしい。

わざわざ自分の前へ並べなくてもよいだろうに。

 

「第一軍の不足を、西部軍の兵で埋めるというのは理解しました。では、こちらの不足は何で埋めるのでしょう? それとも第一軍司令部はクレムニッツは戦力過剰であるとお考えですかな?」

「現時点で、西部軍へ送れる代替部隊は提示されておりません。ただし元帥閣下は以後、中央より転用可能となる一個歩兵連隊を、西部軍へ優先するよう統帥府へ具申すると記されております」

 

嘘をついても仕方ない。

我ながら酷いことを言っているとは思うが、そう伝えるのが自分の役目で、それ以上のことを約束する権限もない。

その時、後ろで椅子が鳴った。扉越しに聞いた声がした。

 

「閣下。西部第一師団所属、歩兵大隊長アルフレート・ハーゲン少佐であります。意見具申をお許し願います」

「……許す。続けたまえ、ハーゲン少佐」

「はっ。失礼ながら、この要求を本当に御検討になるのでありますか」

 

少佐はヴィルマーへ一礼し、そう言ってクラウスへ向き直った。

額の脇に、乾いた泥の筋が残っている。

 

「昨夜、私の大隊は東郊第二線を二度取り戻しました。第三中隊は二百十七名で陣地へ入り、今朝の点呼に応じたのは百五十二名です」

 

声は、大きくならないように努めて抑えられていた。

その気持ちはわかる。言いたいこともだ。

 

「成功すればこちらも助かるというまだ机の上にしかない戦果を、どうして西部軍だけが、現在ここにある兵で買わねばならないのでしょうか」

 

部屋の空気は、ほぼ全員がハーゲン少佐の言葉に同意していた。

許されるなら、作戦室から出ていきたかった。

しかし言われている内容には、ほとんど訂正できるところがない。

 

というより、西部軍の立場に立てばクラウスもそう言うだろう。

西部軍は開戦当初より増援をまだ一兵も受け取っていない。

そして援軍をよこせと言い続けた結果やってきたのは、第一軍へ兵を融通しろという統帥府の参謀である。

ここで、自分が決めた要求ではないのでそう言われてもと答えれば、少しは楽だった。

けれど、この少佐へそれを言う気にはなれなかった。

 

「少佐殿のおっしゃる通りです」

結局、自分にできることを考えた末に頭を下げた。

これ以外に誠意の見せようを思いつかなかったからだ。

「西部軍が増援を受けていないことも、その理由の一つが第一軍への部隊転用にあることも、さらに西部軍の負担を求めていることも、すべて事実です。部下を失った少佐殿から見れば、虫の良い要求だと思われて当然です。申し訳ありません」

 

しばらく、誰も何も言わなかった。

頭を下げているので表情はわからないが、さらに怒っているのではありませんようにと願っていた。

やがて、声を出したのはヴィルマーだった。

 

「……相変わらず君は始末に困る。顔を上げろ、ライフェンベルク中佐」

 

クラウスは顔を上げた。

ヴィルマーは苦笑していた。

 

「……小官は、中佐殿に謝っていただきたいのではありません。中央と第一軍のやり方について申し上げているのです」

「承知しております。私が頭を下げたからといって、この要請に応じていただけるとは考えておりません」

「では、何のために謝られたのです」

「少佐殿のおっしゃることに、私から訂正できるところがなかったからです」

 

ハーゲン少佐は椅子の背へ手を置いたまま、しばらくは何も言わなかった。

口を挟んだのはヴィルマーだった。

 

「ハーゲン、どうやら君の負けだ、座りたまえ」

「ですが」

「君が言ったことは、私が言いたかったことでもある。感謝する」

「……は」

「それで、謝ったということは要請を諦めたということかね、ライフェンベルク中佐」

 

「その上で、なお一個連隊の貸与をお願い申し上げます」

クラウスは作戦要図へ手を戻した。

「西部軍へ先に危険を引き受けていただく要請であることは承知しております。しかしその危険を避けた結果、第一軍と西部軍が別々に崩れる可能性がある。それが第一軍司令部の判断です」

 

「随分と正直だな。謝るのか脅すのか、はっきりしてくれると嬉しいのだが」

「脅しているわけではありません。どちらを選ばれても、私にはその結果を保証できませんので」

 

メルテンスが、部屋に入ってから初めて本当の笑みを見せたような気がした。

ヴィルマーがそのメルテンスへ言葉を投げかけた。

 

「通常師団から、一個歩兵連隊を抜けるか」

 

「不可能です」

メルテンスの返答は早かった。

そしてその後に続く言葉には、大きな間があった。

「……ただし、第一軍が求めている条件を満たす部隊は、一つございます」

 

ヴィルマーは、すぐに何の話か分かったらしい。

 

「新型か」

「はい。西部軍直轄七十六式装備試験歩兵連隊です」

 

それはクラウスにも覚えのある名だった。

 

「実験連隊は専用弾薬段列と銃工分遣隊を伴い、西部軍司令部の直轄予備として市街西郊に置かれています。大隊単位で通常師団へ混ぜれば、弾薬と整備の系統が崩れます。そのため、連隊のまま残してあります」

「要するに、補給系統が違って分割も出来んから保持していた連隊だ。まさに今、君の要求を満たすために存在しているようだな、ええ?」

「……は」

 

何と答えたものかわからなかったので、とりあえず頷いておいた。

ヴィルマーにそれがどう映ったのかはわからないが、大きく息を吐いた。

 

「気に入らんな、中佐」

「何がでしょうか」

「手土産を何も持って来なかった人間に、こちらは土産を持たせて帰らせることになりそうだからだ」

 

 

 

 

正式な命令が整ったのは、午後五時を少し過ぎた頃だった。

『西部軍直轄七十六式装備試験歩兵連隊を、エルツェン東方における反撃作戦に限り、集成第一軍司令官の作戦統制下へ置く。

連隊の所属、軍法、人事、装備管理及び専用弾薬補給は、西部軍に留保する。

作戦終了、作戦中止、または西部軍司令官の別命により、直ちに原所属へ復帰するものとす』

 

ヴィルマーは東郊正面から届いた新しい報告を受けるため、署名を終えると隣室へ移った。

ハーゲン少佐も、損害報告と配置変更命令を持って出ていった。

メルテンスは貸与命令、運輸表、弾薬表の順に紙を揃え、机の角で二度叩いた。

 

「随分と厚かましい要求でしたね」

 

「確かにそうかもしれません」

クラウスは第一軍用の控えを受け取り、書類筒へ入れた。

「まあ、私は第一軍司令部で言われたことを、そのままお伝えしに来ただけです」

 

やりたくない仕事を押し付けられただけです、とまでは言わなかった。

しかし、その言葉にメルテンスの手が止まった。

こちらの顔を見たまま、数秒ほど何も言わなかった。

それから肩が一度だけ動いた。

 

「はははは!」

 

隣室の扉が少し開き、書記官が顔を出した。

メルテンスは手袋をした手を口元へ当てたが、すぐには笑いを収められなかった。

 

「ええ、そうでしたな。君は言われたことを伝えに来ただけでした」

「はい」

「相変わらずで、何よりです」

 

どのあたりが何よりなのかは分からなかった。

メルテンスは貸与命令の残り二通を副官へ渡した。

 

「西郊操車場への案内は引き継がせます。私はこれから、唯一の予備を貸し出した後の作戦表を作り直さねばなりませんので」

「お手数をおかけします」

 

「それを今おっしゃるのですか」

また笑いそうになったらしく、メルテンスは一度顔を伏せた。

「もう行きなさい、クラウス君。これ以上ここにいられると、さらに仕事が増えそうです」

 

今度の呼び方は、会議中のものではなかった。

クラウスは一礼して作戦室を出た。

背後で扉が閉まると、メルテンスの声はすぐに西部軍参謀長のものへ戻っていた。

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