面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
「北部への増援を、重ねてお願い申し上げます」
ランツァウ師団の連絡参謀、ベルゲン少佐は、忙しなく手を動かしていた。
「敵の先頭はもう市街の家並みが見える位置です。師団予備も使い切りました。軍予備の連隊を北へ向けていただきたい」
「予備連隊は中央へ投入します」
ザルヴィッツ少佐が答えた。
ベルゲン少佐は報告書から手を離し、そちらを向いた。
「貴官に師団の要請を退ける権限があるのか。私はランツァウ閣下の代理として、第一軍司令部へ申し上げている」
「決定している投入方針をお伝えしています。連隊は両軍の接合部へ向けるため、すでに前進を始めています」
「その方針を決めた時より押されているのだ! 連隊全部が無理なら、せめて一個大隊だけでも回していただかなければ、いつ崩壊するかわからないと言っている!」
「大隊を抜けば、中央で反撃する兵が足りなくなります。ここで敵を押し返さなければ、北も南も下がり続けるだけです。そのために残した戦力を、今から分ける余裕はありません」
「その反撃が間に合うまでに、北が崩れても同じことを言えるのか!」
クラウスとしては、嫌な怒鳴り方だった。
誰かが要求を通すために怒りを表すときは、あまりいい思い出がない。
とはいえ、自分が意見できることもあまりない。
強いて言えばザルヴィッツ少佐の案に理があるとは思うが、だからといって北は何も手を付けないというのは自分には難しい。
どちらにも頷けるというのは、こういう時には何の役にも立たなかった。
決断を下す立場でなくてよかったと本気で思う。
では一個大隊は北に、と言う自分が容易に想像できるからだ。
「ベルゲン少佐。北の状況は承知しています」
エストルフ少将が二人の間へ地図を引き寄せた。
「敵が想定より深く入ったことは確かです。ただ、それに伴って敵の第三軍と第五軍の間隔も広がった。先頭の歩兵に砲が追いついていないという報告は、貴官の師団からも来ていますな」
「来ております。それでも止められていないのです」
「ええ。ですが、両軍が揃って丘を登っていた朝とは違います。今なら、その間へ連隊を入れられる。反撃のために待っていた形でもあるのです」
ザルヴィッツ少佐が、中央高地の砲兵記号を指した。
「前へ出た歩兵を支援できる砲列は、ここへ上がってきています。高地を取れば、この砲を止められる。その上で北へ向けば、ランツァウ師団を押している敵の側面へ出られます」
「そこまで思いどおりに進む間、こちらに持ち堪えろと? 貴官らの計画を成り立たせるために、我々が血を流せというのですか!」
「血を流さぬ者など、この場には誰もおらん」
ホーエンエック元帥が言った。
決して大きな声ではなかったが、ベルゲン少佐の勢いは削がれたようだった。
「……失礼いたしました」
少佐が頭を下げると、向かいから別の声がした。
「ただ、ベルゲン少佐の申されることは分かります」
ボートマー師団の連絡参謀、ヴェーラー少佐だった。
「正直に申し上げて、敵がこれほど攻め続けられるとは思っておりませんでした。こちらが陣地を一つ譲れば、そこで止まらず次へ来る。北へ回った部隊も、今朝は我が師団の正面で戦っていた連中です」
「南も同じです。街道脇の村を捨てた後、次の陣地へ入る前に追いつかれました」
デッケン師団のアルンスベルク少佐が続けた。
地図に置かれた手の甲には、擦りむいた跡があった。
「もう一度下がればすぐに駅の前です。反撃に使う予備も、いつまでも残してはおけません」
「ですから、今使うのです」
ザルヴィッツ少佐は二人を見た。
「七十六式連隊を先頭に、両師団の予備歩兵を続かせます。連隊が高地を取り、後続がその両側を固める。これで敵の両翼を分断しつつ、側面に圧力をかけられます」
「軍学院の机上演習なら、それでよいだろう」
ベルゲン少佐は、少しも愉快ではなさそうに笑って言った。
ここまで来ると軍の方針というよりも、ザルヴィッツ少佐への個人的な好悪で動いているように見えた。
「貴官は実際に、砲撃を受けた大隊を前へ出したことがあるのか。予備を一つ入れれば、一つ分だけ地図の線が戻ると思っているのなら――」
「そのような話はしておりません。各大隊の投入順序も、連隊長との打ち合わせを済ませています」
「それで失敗した時には、誰が責任を取るのだと訊いている!」
「小官が負います。小官の起案した配置です」
ザルヴィッツ少佐は、ほとんど間を置かなかった。
ベルゲン少佐の頬が動いた。
「貴官一人が罷免されて、それで皆が納得するとでも思うのか! 中央統帥府所属というだけの小貴族の家から出た派遣参謀に、北部の兵を頭ごなしに動かされる筋合いはない! いつから連邦に、そのような序列ができた!」
クラウスは顔を上げた。
つい先ほどまでは、少なくとも兵をどこへ出すかの話をしていたはずだったからだ。
「では、ライフェンベルクが責任を負うのであれば、御納得いただけますか」
「なっ」
ザルヴィッツ少佐がこちらを見た。
ベルゲン少佐も、言いかけていた何かを呑み込んだ。
「……中佐殿。何をおっしゃっているか、お分かりですか」
「責任を負う者の家格が問題なのであれば、私の名をお使いくださいと申し上げています。それで本筋の話へ戻れるのでしたら、その方がよいでしょう」
この話題が好きなわけではないし、嫌な言い方なのも承知している。
しかし、先に家の話を持ち出したのは向こうである。
だいたい、このまま話を続けたところで、一個大隊を北へ回すべきかどうかが分かるようにも思えない。
今やっているのは軍議であって、ザルヴィッツ家の家格の問題でも、本人の参謀経験の論議でもない。
「少なくとも、名の通らぬ家ということはないと思いますが」
ベルゲン少佐は口を開きかけ、元帥の方を見た。
「無駄な論議はそこまでだ、ベルゲン」
ホーエンエック元帥が、地図の中央へ指を置いた。
「それと、勝手に責を負うな、ライフェンベルク。第一軍の責任は、すべて私にある。予備の投入位置は変えぬ。試験連隊を中央へ入れ、ボートマー、デッケン両師団の予備を続かせろ」
「承知いたしました」
エストルフ少将が命令案を取った。
元帥はベルゲン少佐へ向き直った。
「ランツァウには、今ある兵で保持せよと伝えろ。反撃のために北から兵を抜くことはせぬ。敵の側面へこちらの兵が出るまで、持ち堪えてもらう」
「……は。師団長へ伝えます」
「困難は承知している。それだけは伝えてくれ」
「はっ」
ベルゲン少佐は敬礼し、書き上がる命令を待つために卓の脇へ退いた。
ヴェーラー少佐とアルンスベルク少佐も、後続大隊の出発を知らせる伝令を呼んだ。
ザルヴィッツ少佐が、こちらへ半歩近づいた。
「中佐殿」
「軍議を関係のない話題で中断させたくなかっただけです」
「……連隊への命令を確認してまいります」
「お願いします」
少佐は手に持っていた配置図を見下ろし、それから折り直した。
◆
七十六式装備試験歩兵連隊は、中央高地の西にある窪地へ入っていた。
連隊長リヒター大佐は、道端の樹の陰から双眼鏡を向けた。
斜面の上には石垣があり、その向こうを兵の帽子が行き来している。さらに南へ続く尾根にも、別の部隊が散っていた。
「正面の高地に、およそ一個大隊か」
「はい。南の尾根にも敵がおりますが、間はかなり開いています。まず正面を取り、砲列まで進出せよとのことです」
第一大隊長のケストナー少佐が、受け取った命令を畳んだ。
リヒターは双眼鏡を下げた。
「一週間前まで、西部軍の予備として司令部の横に座っていたんだぞ。それを急に連れ出して、あの丘を取ってこいとはな。まったく、酷い商売だ」
「大佐殿も、このままでは腕が鈍るとおっしゃっていたではありませんか」
「覚えがないな、酒が入った発言を真に受けたんじゃないか、ケストナー。お前も大隊長なら、覚えておくべきものと忘れていいものくらいは分けておけ」
「なら、お断りになりますか? 軍司令部へは、連隊長が酔いの醒めたところで考え直したと伝えておきますよ」
ケストナーは笑った。
リヒターは双眼鏡を畳み、革の筒へ押し込んだ。
「馬鹿を抜かすな、やるに決まっている。今日の戦場で、これほど名誉な仕事もないだろう」
「それはつまり、一番危険な仕事ということですがね。どなたですか、休暇を楽しんでいた我々をこんなところへ連れてきたのは」
「あの名高きライフェンベルク中佐だそうだ。話を聞く限り、御自分だけでは名誉を持て余すようになったのだろうさ!」
「それはまた、大きなお世話ですな! 名誉が余ったのなら勲章でも送ってくださればよいものを。ぜひ司令部で一言申し上げませんと」
「ふん、そうだな、そうしよう。その時は大隊の連中もできるだけ連れていけ。それだけ大勢で押しかければ、かの中佐も少しは懲りるだろうよ」
ケストナーは笑いながら軍帽を被り直した。
リヒターは、待っていた連隊副官を呼んだ。
「第一大隊が正面を引き受ける。第二大隊は右の窪地を使って石垣の脇へ出ろ。第三大隊は南の敵を押さえ、後続が来るまで横腹を守れ。砲列へ進む道が開いても、一斉に追うな」
副官が命令を繰り返してから走っていった。
リヒターはケストナーの方へ戻った。
「少佐。第二が出るまで、上の連中を石垣へ貼り付けておいてくれ」
「承知しました。こちらも、できるだけ寝たまま働かせていただきます」
ケストナーが窪地へ下りると、第一大隊の先頭が動き始めた。
斜面へ出た第一大隊を、石垣からの斉射が迎えた。
先頭の兵が倒れ、後ろから来た兵がその脇へ伏せた。続く小隊も畑の畝に沿って散り、銃口を高地へ向ける。
ケストナーは土の盛り上がりへ片膝をつき、軍刀を前へ倒した。
「第一、第二中隊、射撃開始! 石垣の上を狙え! 合図があるまで、体を起こすなよ!」
◆
「増援が入る前に、高地を取られたというのか」
アルブレヒト親王は、机に手をついた。
報告を持ち帰った将校の外套には白い土がつき、片方の袖が肘から裂けていた。
「敵は連隊規模だったはずだ。守備隊は二つの軍から出している。どちらかが先に下がったのか」
「第三軍の大隊が先に高地を失いました。第五軍の部隊も側面へ撃たれ、尾根の東へ下がっています。救援の大隊は手前で敵に阻まれ、進めません」
「何があった。砲撃を浴びたとも聞いていないが」
「戻った者は、敵が伏せたまま装填していたと申しております。こちらが一度撃つ間に、二度、三度と撃たれたと。石垣へ銃を出せず、その間に横から入られたそうです」
「……連邦の新式銃か。演習があったとの報告は読んだ。まだ一部で試しているものと思っていたが、ここに数を揃えてきたわけだな」
参謀長が、砲兵から届いた報告を開いた。
「中央高地に上げていた砲列とも連絡が切れました。戻った砲兵によれば、少なくとも十門を敵へ渡しております。両翼へ届く支援射撃も減っています」
「追加で向けた砲兵中隊は?」
「東側の道で停止させました。そのまま進めば、歩兵の援護なしに敵前へ出ることになりますので」
「それでよい。そこで退いてくる兵を支援させろ」
親王は地図を自分の方へ回した。
第三軍の先頭は、まだエルツェンのすぐ外にいた。
地図の上では、随分と市街が近くに見えた。
「両翼をこのままさらに押せないか。こちらが先に市街に入れば、高地の連隊も引き返さねばならんだろう」
「中央では後続の歩兵が続き、両翼の側面まで伸びております。こちらの後続はその側面を支えるために投入されており、前衛は朝から攻撃を続けている隊ばかりです」
「ならば、両側から中央を挟む形はどうだ。中央の戦線を消してしまえばいい」
「兵を戻して攻撃を揃えるまで、時間がかかります。もし今日中に高地を取り戻せたとしても、そこからエルツェンへ攻め入るのは難しいかと」
親王は答えず、地図の高地から市街へ指を動かした。
その横へ、運輸参謀が表を置いた。
「殿下。昨日申し上げたとおり、明日も同じ規模の攻撃を続けるだけの追送はできません。明日は今日より少ない砲弾で同じ陣地を攻めることになります」
「今日の攻撃で敵が先に崩れる可能性もまだある。要するにエルツェンを落としてしまえばよいのだ、それで解決する」
「ええ、確かにその可能性はございます。ただ、攻めきれなかった場合には、こちらが攻撃を止めても敵がおとなしく止まる保証はありません。その時のために残しておく兵と弾薬を、これから使うことになります」
柵に繋がれた馬が鼻を鳴らした。
副官が手綱を短く結び直し、机のそばへ戻ってきた。
「……卿らは、下がるべきだと考えているのか」
「はい」
参謀長が答えた。
「第五軍とアーベルニッツまで後退することを具申します。構想が実現しなかった以上、一度、両軍を立て直すべきです」
「朝までいた線へ戻るだけでは足りないか?」
「それでは、補給の距離はほとんど変わりません」
運輸参謀は表を開いたまま答えた。
「毎日、馬車だけでここまで二個軍分の糧秣と砲弾を運び続けることはできません。アーベルニッツまでなら鉄路はほぼ復旧しています。物資も駅へ届いております。兵へ十分に食わせ、弾薬車を満たしてから、次の作戦に移れます」
「……私は、約束を違えることになるか」
参謀長は、しばらく親王の横顔を見ていたが、やがて答えた。
「殿下の次の御命令を待っている兵が、まだ大勢おります。今なら連れて帰れます」
「……そうだな。彼らには、親王は約束を違えたと存分に文句を言ってもらおうか」
親王は、参謀長の前にあった命令用紙を取った。
「ここまでだ! 両軍団の攻撃を中止する! カールハイムには、アーベルニッツへの共同後退を申し入れろ。くれぐれもこちらだけ先に引いて、第五軍の脇を空けるな! 後衛と負傷兵の収容を決め、両軍の時刻を揃えてから動かす!」
「は。直ちに手配いたします」
「陸軍省への報告も用意しろ。高地の失陥と、その後の判断を私の名で出す。砲を失った数は、判明しているものから記せ」
参謀長が用紙を受け取り、幕僚たちを呼んだ。
親王は軍帽を手に取ったところで、副官へ顔を向けた。
「葡萄酒は配ってやれ。入城できなかったからといって、そこまで取り消すことはない。病院へ回す分も忘れるな」
「承知いたしました。後退先で配れるよう、段列へ伝えます」
副官が敬礼して離れると、親王は柵の方へ歩いた。
「私も一つくらいは、約束を守らねばならんからな」