面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
「以上が、現時点での報告になります」
リヒター大佐は報告書を閉じ、エストルフ少将へ差し出した。
九月二十五日の午後、第一軍司令部には各部隊からの報告が集まり始めていた。
今朝から追撃に出た前衛は、東へ五キロほど進んでおり、その後ろでは昨日の戦闘で混ざった部隊を戻し、負傷者を運び、空になった弾薬車を駅へ送っていた。
クラウスも、朝からその処理に追われていた。
「高地をあれだけ早く奪い返せたのは、貴連隊の働きがあってこそです。ただ、損害も相当なものですな」
エストルフ少将が兵員表に目を落とした。
「火力がある分前へ出られる。とはいえ、新式銃を持っていても歩兵ですから」
ザルヴィッツ少佐は、連隊長へ目を上げた。
「こちらの砲兵や後続部隊との動きも、もう少し確かめてから投入できればよかったのですが、申し訳ありません」
「まあ、それは仕方ないでしょう。しかし射撃が速すぎるというのも考えものですな。つい前に出たくなるようです」
「その辺りも、西部へ戻ってから報告をまとめていただきたい。しかし返還の約束がなくとも、いずれにせよ次の作戦へは出せませんな」
エストルフ少将の言葉に、リヒター大佐は頷いた。
「ええ。銃工にも、しばらく忙しくしてもらわねばなりません」
それから、卓を囲む将校たちを見回した。
「ところで、ライフェンベルク中佐はどちらにおられますか」
「私ですが」
クラウスは復帰輸送の打合せ書から顔を上げた。
大佐はこちらを見ると、少し笑った。
「これは失礼を。西部にいた我々を中佐がお呼びくださったそうで。ご挨拶もできておりませんでしたからな」
「……それはわざわざ。恐縮です、大佐殿」
「おかげさまで、名誉には事欠きませんでした。連隊を代表して御礼申し上げます」
「……いえ。その、お役に立ったのでしたら」
何と返せばよいのか分からなかった。
皮肉にしては率直だし、悪意が少なかったからだ。
リヒター大佐は軍帽を脇へ抱え直し、右手を差し出した。
「そのような顔をなさらずとも、半分は本当に感謝しておりますよ。一週間前はまさか我が隊がエルツを救えるなどとは考えておりませんでしたからな。西部へ帰ったら部下どもが随分と自慢するでしょう」
クラウスは立ち上がって、その手を握った。
もちろん、残りの半分はどう思っているのかと聞く勇気はなかった。
大佐は一つ頷いて手を離すと、第一軍の兵站参謀であるゼーフェルト大佐と帰路の打合せを始めた。
「……中佐殿」
「はい」
ザルヴィッツ少佐は何か言いかけて、一度口を閉じた。
また何か文句でも言われるのかと身構えたが、どうにもそういう様子には見えなかった。
「……私からも、御礼申し上げます」
「はい?」
「中佐殿があの連隊を連れてきてくださらなければ、昨日の反撃はできませんでした」
そう言って、まっすぐこちらを見ていた。
その後、家名か人脈について当然何かが続くものだろうと思ったが、続きを待っても何も言わなかった。
急にどうしたのだろうか。
礼を言われて気味が悪いというのも失礼だが、ほかに浮かぶ感想がなかった。
「……まあ、お役に立ったのでしたら、何よりです」
結局、先程とほとんど同じ返事になった。
少佐は短く頷いて、すぐに自分の仕事へと戻った。
ほどなく、廊下からホーエンエック元帥の声が聞こえた。
扉の前にいた伝令たちが脇へ寄る。
「今後の作戦について、統帥府から方針が届いた。第二軍から説明に来ている」
元帥と一緒に入ってきたのは、革の鞄を携えたハルトゥング中佐だった。
この人を戦地で見ると、いつもよりも安心するような気がする。
「御無事で何よりです、ライフェンベルク中佐殿」
「お久しぶりです」
「ええ。相変わらずご活躍されたようで」
そう答える間にも、手は鞄の留め金へ掛かっていた。
いったいご活躍とやらがどう伝わったのかは、聞かないことにした。
「第二軍司令部付、統帥府派遣参謀のハルトゥング中佐です。まずは、エルツェン防衛の成功にお祝いを申し上げます。第一軍の奮戦について、統帥府からも謝意を伝えるよう命じられております」
ハルトゥング中佐はにこりともせずにそう言うと、元帥へ封書を差し出した。
「ただ、敵の主力は残っています。第一軍には追撃を続けていただき、第二軍とともに次の攻勢へ移っていただきます」
「次の攻勢ですと?」
ベルゲン少佐が顔を上げた。
ランツァウ師団から持参した報告書を手にしていた。
「昨日の防衛でどれだけ損害が出たかは、まだ中央に報告は上がっておらぬようですな」
「師団の損害については伺っております」
「承知した上で、もう次の会戦へ行けと仰るのですか」
「ええ。敵が立て直す前に、もう一度攻撃する必要があります」
ゼーフェルト大佐が、リヒター大佐との打合せを書いた手帳を閉じた。
「中佐。損害の数は御存じでも、それを埋める荷車が今どこにいるかまでは、まだ御存じないでしょう。進撃と書けば、全て東へ向くというものではありませんぞ」
「ええ。その出発順と行程を詰めるために参りました」
ハルトゥング中佐は地図を広げた。
「敵は、アーベルニッツ方面へ後退しております。ここで立て直しをする時間を与えたくありません」
「こちらにも、その立て直しが必要だと申し上げているのです」
ベルゲン少佐は報告書を押し出した。
「一日止まれば、その分だけ敵にも時間を与えます。アーベルニッツで十分に休み、補給を済ませた軍と戦うことになれば、第一軍には今以上の負担をお願いせねばなりません」
疲れているから少し待ってくれと言う相手へ、今やらないと後でもっと疲れることになるから頑張れ、と言っている。
とてもハルトゥング中佐らしい言い草ではあるが、せめて申し訳なさそうに言うとか、そういう工夫はできないものだろうか。
いや、確かに申し訳なさそうに言われたところで疲労が和らぐわけでもないというのはその通りなのだが。
ベルゲン少佐は言い返す言葉を考えて少しだけ黙った。その間を拾ったのは、エストルフ少将だった。
「ということは、第二軍の集結は済んだのですかな」
「はい。主力の歩兵と砲兵、段列は揃いました。後着分は行軍の後ろへ続かせます」
ハルトゥング中佐は第二軍の部隊表を差し出し、地図の北側へ手を置いた。
「第一軍はエルツェンから東進。第二軍はグランツェルから南下します。アーベルニッツ西方で両軍の進出を合わせ、敵に二方面から攻撃を加えます」
「防衛を終えたばかりの軍を、随分と働かせてくださる」
ベルゲン少佐が言った。
どうやら、反論を考えられたらしい。
「第二軍も、集結したところから出発させます。貴官が心身の疲労により休暇が欲しいということであれば、直ちに師団長へ申請していただきたい」
クラウスは中佐の横顔を見た。
あまりにも率直すぎて少し可笑しかったが、流石に笑みは飲み込んだ。
たぶん、皮肉ですらないのだろう。
表情を維持するのに苦労していたベルゲン少佐がやっと何かを言おうとしたところで、ホーエンエック元帥が顔を上げた。
「エルツ政府からも、失地回復の見通しを求められている。公都を守った礼状の末尾に、次の進撃をいつ始めるか知らせてほしいとあった」
元帥は読み終えた統帥府の命令を、エストルフ少将へ渡した。
「国土の過半を占領されたままだ。向こうが急くのも分かる」
「はい。進撃そのものに異を唱えているのではありません。ただ、師団の状態を踏まえていただきたいのです」
「敵が自分から国境まで引き揚げてくれるのであれば、無理に急ぐ必要もありませんが。今のところそういう報告は来ておりませんので」
「ハルトゥング中佐。それは皆が存じております。しかし、少しは言いようがありましょう」
エストルフ少将は少し口を開けたまま中佐を見て、それから眼鏡の位置を直した。
この人にそういう言い方をしても、望んだ返事は来ない。
それどころか別の説明が返ってくるばかりだということを、皆まだ御存じではないらしい。
しかも、言いにくいと思っている様子がないのだからなお質が悪い。
「まあ、まずは日程を伺いませんか。それを見なければ、決められないこともあるでしょうから」
口を挟んだクラウスへ、ハルトゥング中佐が顔を向けた。
「そうですな。両軍の集中表を突き合わせましょう。ザルヴィッツ少佐」
「は」
ザルヴィッツ少佐が第一軍の道路図を取り出した。
「共同攻撃は、いつを予定されていますか」
「十月一日。アーベルニッツ西方の平野です。第一軍には、三十日までにアーベルニッツ前面で戦闘配置を整えていただきたい」
少佐が、その日付を手帳へ書き込んだ。
ゼーフェルト大佐はそれを覗き込み、閉じたばかりの手帳をもう一度開いた。
「随分な強行軍になりますね」
クラウスは集中表を見た。
一日ごとの行程だけなら、歩けないほど長くはない。
だが、防衛戦を終えたばかりの軍へ要求するには過酷に見えた。
「今日進めなかった分を、明日一度に歩かせるような予定にはしておりません。各師団の現状を伺って、出発順と毎日の行程を直します」
エストルフ少将が道路図へ手を伸ばした。
「ランツァウ師団を先頭に置くのは無理ですね。ボートマー師団を先に揃え、前衛に置きます。ベルゲン少佐、ランツァウ閣下にはそのつもりで報告してください」
「……承知しました。連隊ごとの整理の見通しも、改めて伺ってまいります」
「デッケン師団は南側の道も使えるか、確かめさせましょう。大佐、段列はどうですか」
ゼーフェルト大佐は、道路図へ手帳を添えた。
「歩兵の出発順が決まれば、その後ろへ砲兵と弾薬車を入れます。ただし、各師団には通過時刻を守らせてください。自分の歩兵が揃ったからと先に出されると、他の師団の車が道へ入れなくなる」
「師団への命令に入れます」
ザルヴィッツ少佐が書き留めた。
「宿営地も、食糧の送り先と一緒に決めましょう。予定が変わった場合の通報先は、こちらから師団へ示します」
「各師団へは、不足するものを今のうちに出させろ」
元帥が言った。
「明朝、出発する段になってから申し出られても、別の師団の荷物まで戻さなければならなくなる。師団長には私からも話す」
「は。第一軍の行程は、本日中にまとめます」
エストルフ少将は師団長へ送る予令を書き始めていた。ゼーフェルト大佐がその横へ寄り、街道の通過順について話している。
ベルゲン少佐も、ランツァウ師団へ持ち帰る文面を確かめていた。
「あなたも相変わらずですね、ハルトゥング中佐」
ザルヴィッツ少佐が別の図面を取りに席を離れたところで、クラウスは声を掛けた。
「公都を守れたことを、もう少しくらい喜んでいてもよさそうなものですが」
「喜んでおります。おかげで、第二軍を動かせるようになりました」
「それで、すぐに次の会戦ですか」
「戦争ですから」
ハルトゥング中佐は鞄からまた一枚、折り畳んだ表を取り出した。
「どうも、平時より楽しそうに見えるのですが」
中佐はこちらを見て、少しだけ口元を緩めた。