面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
「ご活躍だったようだな、ライフェンベルク中佐」
エッゲン准将は書類から顔を上げ、クラウスが抱えている花束を見た。
統帥府へ向かう馬車にも、そのまま持ち込まされたものだった。
茎から滴った水が、手袋の指を濡らしていた。
「随分と歓迎されたものだ」
「……酷い目に遭いました」
「君がそれだけのことをしてきたからだろう。まず座れ。その花はそちらへ置いておきたまえ」
窓際の小卓へ花束を置き、ようやく両手が空いた。
クラウスは手袋を外してから、机の前の椅子へ腰を下ろした。
中央駅では、列車を降りたところから何度も呼び止められた。
軍帽を取って頭を下げると歓声が上がり、手を差し出されるまま握ると、さらに別の手が伸びてくる。
護衛の軍曹はずっとこちらの名を呼んでいたが、道を空けてほしいのか、皆に姿を見せたいのか、最後までよく分からなかった。
馬車へ乗り込む頃には、礼を言う声も掠れていた。
「私は、それほどのことをした覚えはございませんが」
「新聞は読んでいないのか?」
「……忙しかったもので」
「なら、読まない方がいいかもしれんな」
「どういう意味でしょうか」
准将は机の脇に積んであった新聞を抜き、折ったままこちらへ向けた。
戦勝を報じる大きな見出しの下に、自分の姓名があった。
「『ただ一言で将官たちを従わせた』そうだ。君がそこまで口達者だったとは、私も知らなかった」
「そんなことはしておりません。何度もお話ししましたし、皆様もすぐに納得なさったわけではありません」
「報告では、随分と怒鳴り合ったらしいが」
「ええ。最後には私の方へも向きましたので、できれば、その辺りを正確に伝えていただきたいのですが」
「軍司令部で誰が誰を怒鳴ったか、統帥府から新聞社へ訂正を出せと? 元帥閣下と各師団長のお名前も並べてかね」
クラウスは新聞から顔を上げた。
准将はこちらの返事を待っていた。
「……出せないでしょうね」
「だろうな。それを君の方から記者へ説明するつもりなら、まず先方に話を通しておきたまえ。私は勧めんが」
新聞は机の脇へ戻された。
ようやく帰還の報告書を差し出すと、エッゲン准将は受け取ったものの、開かずに脇へ置いた。
「さて。今後の配属についてだが、その前に君へ伝えておくことがある」
「……はっ」
既に嫌な予感しかしなかった。
准将が別の封筒を引き寄せた。
見慣れた統帥府の封筒よりも紙が厚く、折り返しには王宮の紋章がある。
クラウスは椅子へ少し深く座り直した。反射的にその封筒から距離を取りたくなったのだ。
「陛下が、アーベルニッツの大勝をいたくお喜びになっている。その戦勝を代表する功労者として、君へ直々に勲章を授けたいと仰せだ」
「な――」
「剣付王国功績勲章だ」
「剣付王国功績勲章!? 何かの間違いでは!?」
「私も確認した。それで間違いないそうだ」
准将は封筒から紙を抜き、こちらへ向けた。
そこには自分の姓名と階級が、勲章の名とともに記されていた。
読めないところはなかったが、同じ行をもう一度読み直した。
王国功績勲章だけでも重い。まして剣付は、戦役の帰趨を左右したような軍功に下賜されるものだった。
「准将、私は中佐です」
「知っている。そこの通知にも中佐とあるだろう」
「ですから、軍も師団も率いておりません。勲章の方だけを見れば、私が第一軍を指揮して勝ったように受け取られかねません。過去の事例を見るなら、剣付の王国功績勲章はそれこそ――」
「第一軍の司令官がホーエンエック元帥であることくらい、陛下も御存じだ。君の任務についても奏上されている」
こちらの名前を見て決められたというのなら、どうすればよいのか。
クラウスは通知の上から手を退けた。
「まあ、そう身構えることもなかろう。君の家なら、宮廷での作法は最低限教わっているはずだ。立つ場所や御前へ出る順序は、当日、係から説明がある」
准将は椅子へ背を預けた。
どこか投げやりである。
自分も他人事であればその態度を貫くのだが、自分がされると途端に嫌な気分になるものだった。
「それに、陛下へお目にかかったことくらいはあるのではないか」
「……祖父に連れられて、一度だけ御前へ出たことはございますが」
「ならば、初めてでもあるまい」
「そういうことではなく……本当に、親授なのですか」
「本当だとも。私が王宮の名を使って、君をからかうための紙を作ると思うかね」
思わない。
思わないから、どうすればよいか分からなくなっている。
准将は下に重なっていた別紙も引き出した。
「それから、戦況の奏上も行ってもらう。陛下は現地の様子を直接お聞きになりたいそうだ。要旨はこちらで用意するから、君も目を通しておいてくれ」
「……勲章を頂くだけでは、済まないのですか」
「現地から戻った将校が御前へ出るのだから、何かお尋ねになることもあるだろう。会戦の経過や、その後の部隊の様子だ。報告書には書かなかったことを訊かれるかもしれん」
「何をお尋ねになるか、事前に伺うことは」
「君は、陛下に質問を書いて提出していただくつもりか」
「いえ、そのようなつもりでは……」
ただ、答えを考えておきたかっただけなのだが。
しかしそれは確かに陛下へ事前に質問を書いておけという事に他ならない。
クラウスは、黙って別紙へ目を落とした。
「奏上の準備は手伝う。第一軍と第二軍の報告を突き合わせて、君が御前で説明しにくいところがあれば直しておこう」
「そこは、ありがたく存じます。両軍の報告を読ませていただければ、私からも申し上げられると思います」
「そういう話については随分と返事が早いな。受勲までには、担当の者をこちらへ呼んでおく。それから、陛下は御機嫌がたいへんによろしいらしい。君の話をお聞きになるのを楽しみにしておられるそうだ」
「……ますます、私でよいのか分からなくなるのですが」
クラウスが別紙へ目を落とすと、准将は少し声を落とした。
「余計なことまで考えずともよい。君が見聞きしたことを答えればよいのだ。分からないことまで答えようとする必要はない。そこは、普段どおりでよかろう」
「それで済めば、ありがたいのですが」
自分の普段どおりの応対で、なぜか新聞にあのような記事が載ったばかりである。
クラウスは差し出された紙へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「……その、辞退を申し上げることは」
准将の指が止まった。
紙を机へ戻して、クラウスを見た。
「よかったな、中佐。この場には君と私しかいなくて。まさか陛下御自ら下賜される勲章を辞退したいなどと口走る不心得者が軍、いや、この国にいるはずもない。そして幸い私は、君が時折出来の悪い冗談を言う男だと知っている。だから今の発言は笑って忘れてやる。一度だけはな」
そう言いながら、一切目は笑っていなかった。
廊下で扉の開く音がした。
クラウスはそちらへ目を向けかけたが、准将の視線が動かないので、そのまま顔を戻した。
「……は、はは。失礼いたしました」
口元を緩めてみたが、准将はもう別紙へ目を通していた。
クラウスも黙って軍帽を膝へ置き直した。
「……しかし、その……」
「何だ。大佐にでもなりたいか。もう少し待てば、その話は勝手に来るだろう。今ここで催促せずともよい」
「いえ、とんでもありません!」
思わず声が大きくなった。
准将が目を上げたので、クラウスは一度咳払いをした。
勲章の話だけでも持て余している。階級まで増やされてはかなわなかった。
「昇進をお願いしたいわけではございません。あの勝利は、第一軍全体の働きによるものです。私だけが、このように取り上げられるのは……」
「君は第一軍へ出した時も、自分より上の階級の者を送るべきだと言っていたな」
「今回も、元帥閣下をはじめ、ほかに称えられるべき方々がおられます」
「もちろんだ。代表と言っただろう。君だけに下賜されるわけではない」
「では、勲章の種類だけでも変えていただくことは。もう少し、私の立場に合ったもので……」
「それは、誰へ頼むつもりだ」
「准将から、陛下のお取次ぎの方へお伝えいただくことはできませんか」
「私は今、陛下の御沙汰を君へ伝えているだけだ。君の好みを伺って、王宮へ返事をするようには命じられておらん」
「好みの問題ではございません。頂いた後で、何をしたのかと訊かれても困ります」
「君が報告書に書いたことを答えればよかろう。あれでは足りんと思っているのかね」
確かに、報告書にはできる限り詳しく書いた。
しかし、そこに並んでいるのは、ほとんどがほかの人のしたことだったはずだ。
准将の手が、再び勲章の通知へ戻った。
クラウスは、その前に言葉を継いだ。
「エストルフ少将が戦線を立て直し、各師団長が部隊を動かされたからこその勝利です。局地的な反撃案を立てたのはザルヴィッツ少佐です。私は何ら具体的な指揮をしたわけではありません」
「そうか。確かに、そう報告はされている。君が大隊へ命令したとも、砲兵の射撃を指揮したとも、誰も書いておらん」
「でしたら――」
准将は、机の端にあった綴りを引き寄せた。
第一軍から送られた報告書だった。
「だが、それでも最も貢献したのは君だと読み取れるのだ」
「私は当初の作戦を確認しただけです。第二軍が来る時刻も分かりませんでしたし、その後のことは皆様がお決めになりました」
「第二軍の加入を早めたと、君の功績に付け加えるつもりはない。それについては向こうの報告も届いている」
「ハルトゥング中佐が兵を急がせてくれなければ、どうなったか分かりません。私には、その判断ができたかどうか」
「彼の働きも承知している。その仕事を君のものにして表彰するほど、こちらも杜撰ではない」
准将は綴りを開き、何枚かをめくった。
脇に書き込まれた照会事項には、返答の日付まで添えられていた。こちらでも随分と読み込んだらしい。
「ザルヴィッツ少佐についても、勤務の報告は見た」
「はい。作戦の細部は少佐が詰めてくれました。間違いなく、充分に評価されるべき働きをしたと思います」
「そうだな、それも把握している」
クラウスは開かれた報告書を見た。
誤ったところがあれば、そこを直してもらえばよいと思っていた。
しかし准将は、こちらが言うことをいちいち認める。
ほかの方々の働きも把握しており、自分がやっていないことをやったとは言っていない。
それでも勲章の話は、少しも変わらないらしかった。
元帥が別れ際に、偽りなく報告したと言っていたことを思い出す。
「……ですから、せめて皆様と御一緒に、ということにはならないでしょうか。私が代表という形では、現地に残っている方々にも申し訳が立ちません」
准将はしばらくこちらを見ていた。
それから報告書を閉じ、表紙へ手を置いた。
「その第一軍司令部の面々が君のおかげだと申しておるのだ、中佐。君はいったいどんな魔法を使ったのかね?」
クラウスは口を開きかけたが、何も答えられなかった。
教えていただきたいのは、こちらの方だった。