面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
バルク家から届いていた招待状には、アンナ嬢の筆跡で、明日の午後のお茶に来てほしいと書かれていた。
受勲までには、まだ何日かある。
統帥府へ提出する報告も済んでいたので、クラウスはすぐに返事を出した。
帰還してから、顔を合わせる人のほとんどがアーベルニッツの話をした。
軍議で何を言ったのか、敵が退いた時にはどう思ったのか。
新聞で読んだという話を聞かされるうちに、こちらが知らなかった自分の行動まで教えられることになった。
アンナ嬢にも戦地でのことは訊かれるだろうが、そればかりで午後が終わることはあるまい。
今度こそ眠らずに、ゆっくり話をしたかった。
◆
当日、玄関で軍帽と外套を預け、小客間へ案内された。
扉が開くと、紅茶と焼き菓子の匂いがして、窓際の椅子からアンナ嬢が立ち上がる。
「お帰りなさいませ、クラウスさま。たいへんなご活躍でしたね」
「……ありがとうございます」
「先日の駅での騒動は伺いました。これで、次の演劇からはもう少し華奢な方が配役されるとよいですね?」
「叶うならば演劇自体がなくなってほしいのですが。なんにせよ、本日はお招きいただいて――」
言いかけたところで、その向かいの椅子に座っている人物へ目が行った。
バルク宰相が新聞を畳んでいた。
「……宰相閣下?」
アンナ嬢は宰相へ一度目を向け、それからクラウスへ向き直った。
「……申し訳ありません、クラウスさま。父がどうしても今日、こちらでお話をしたいと……」
「私は公式には宰相府にいる。君は娘との茶会に来ただけだ。私と話したという記録は残らん」
宰相は畳んだ新聞を卓へ置いた。
クラウスは扉の前に立ったまま、返事を探した。
そうでしたらぜひいつものように宰相府で仕事をしていていただきたい、とは、さすがに言えなかった。
正直なところ、喉まで出かかったのだが。
「……閣下はなぜこちらに?」
自分でも、かなり穏当な言葉にできたと褒めたかった。
宰相は気にした様子もなく顎で向かいの席を指した。
「君に話があるからだ。まず座りたまえ」
「お招きしたのは、わたしです。父のお話が済んでも、すぐにお帰りにならないでくださいね」
「ええ。もちろんです」
アンナ嬢が少し笑ったので、こちらも口元を緩めた。
指定された椅子へ腰を下ろす間に、アンナ嬢が女中へ目配せをして茶を運ばせ、彼女も卓の脇へ座った。
「お疲れは取れましたか。戻られてからも、お忙しかったのでしょう」
「はい。ですが、今日はゆっくりできると思っておりましたので」
「ええと、その――すみません」
二人で宰相を見ることになった。
しかし少しも気にした様子がなく、焼き菓子へ手を伸ばした。
「どうぞ召し上がってください。お着きになる頃に焼き上がるよう、頼んでおきました」
「ありがとうございます」
「そういえば、勲章のお話も伺いました」
アンナ嬢が思い出したように言った。
「剣付王国功績勲章を、陛下御自らお授けくださるのでしょう? 父から聞いた時は驚きました。おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
何となく答えにくかった。
菓子を一つ取ると、アンナ嬢に顔を覗き込まれた。
「嬉しくないのですか?」
「いえ、光栄なことだとは思っております。ただ、その……本音を申しますと、できれば辞退させていただけないかと……」
アンナ嬢の手が止まった。
向かいでは、宰相が持ち上げかけていた菓子を皿へ戻した。
「……陛下が御自らお授けになる勲章をですか?」
「ええ。私には少々、重すぎるように思いましたので」
「クラウスさま。それは、どなたかに仰ったのですか」
「ええと……はい。まあ、その、冗談として」
向かいの席から笑い声が聞こえた。
宰相にしては珍しく、本気で笑っているように見えた。
「君がそこまで豪胆だとは知らなかった。それなら、私も少し安心した」
「……何についてでしょうか」
「今日の話だ。いや、さすがにそこまで無礼なことをしろとは言わんからだ」
随分な言い草だとは思ったが、特に反論する点も見当たらない。
返事の代わりに、まだ熱い紅茶を一口飲んだ。
アンナ嬢は父親を見てから、こちらへ顔を戻した。
「……父が喜んでいる時には、お気を付けになった方がよろしいです。念のためですが、くれぐれもほかの方には辞退のお話をなさらないでくださいね。どなたでも笑ってくれるお話ではありませんもの」
「……はい」
なんというか、欲しいと言った覚えはないのに、ありがたく受け取らなければならないというのは理不尽な話である。
しかも、全員がそれを当然だと思っているともなれば。
「まあ、それほど陛下が今回の勝利をお喜びになっている、ということなのでしょうけれど」
アンナ嬢がそう言って、父親の前へ茶を寄せた。
「ああ。喜んでおられる。喜びすぎておられるくらいだ」
バルク宰相は新聞へ手を置いた。
「さて。随分なことをやってくれたな、ライフェンベルク」
「……アーベルニッツのことでしょうか」
「そうだ。勝ちすぎた」
「父上。そのような言い方をなさらないでください」
「祝いなら陛下がなさるのだろう。私まで褒める必要はない」
宰相が新聞をこちらへ向けた。
折り目の上にはアーベルニッツの戦勝を称える見出しがあり、その下の論説には、帝都への進軍を求める言葉が並んでいた。
「陛下は、このままシェーンハルトへ進軍すると仰せだ。敵が立ち直る暇を与えず、今度こそ決着をつけるとな」
「それは……まあ、勝ちましたから」
「軍人も議会も、そこらの夫人まで同じことを言う。ここで止まれば、せっかくの勝利を無駄にするそうだ」
駅で自分を取り囲んだ人々も、春までにシェーンハルトまで行くのかと尋ねていた。
あの時には人の声が重なって、誰に何と答えたかまでは覚えていない。
「その言い方だと、閣下は進軍に反対という事でしょうか」
「そうだ。あくまで進軍なさるのであれば、私は職を辞すると陛下へ申し上げた。辞表まで差し出したが、受け取ってはいただけなかった」
「その辞表を陛下がお返しになってからが、随分と酷かったと伺いましたよ。陛下も父上も声を荒らげられたそうではありませんか。私までそれが伝わる程ですよ?」
「陛下には、勝って帰った軍へ水を差すつもりかとお叱りを受けただけだ」
アンナ嬢は父親を見たまま口を閉じた。
クラウスも、自分の勲章辞退を笑われたことについては忘れることにした。
「では、もう少し仰り方を考えてください。いつも辞めると陛下を脅しているのですから」
「私は本気だ」
「だからこそ質が悪いのでしょう。今度こそ本当に辞めてほしいと言われても知りませんよ」
宰相は何も答えず、茶を飲んだ。
クラウスは新聞へ目を戻した。
「現地では次の攻勢を準備しておりました。私も、このまま進むものと思っていましたが」
「君もか」
「ほとんど奇襲のように攻め込まれたのです。今度は向こうへ、という気持ちにもなるでしょう。それに、敵が立て直す前に進んだ方がよいという考えも当然ではあります」
「その機会が、シェーンハルトへ着くまで続くと思うかね」
「……そこまでは、分かりませんが」
「もう冬が来る。次に戦うのは敵国内で、補給の道も延びる。向こうの鉄道が、無傷のまま我々を待っていてくれるわけでもない。君は戻ってくる途中、こちらの鉄道を見ただろう」
「ええ。まだ修理中のところもありました」
「もちろん、それでも進むだけの理由があるなら進めばよい。だが、ヴォルスカヤもベルヴァーニュもロガリアも、我々の進軍をいつまでも眺めているとは限らん。彼らは親切だからな」
アンナ嬢がカップを置いた。
「戦争を止めに来てくださる、ということでしょうか」
「そう言って来るだろう。そして何をしていただくにも、礼が要るものだ」
窓の外で庭師が枝を切っていた。
宰相は、新聞を脇へ退けた。
「だいたい、シェーンハルトを落として何を得るのかね」
「講和の条件を有利にできるのではありませんか。賠償や軍備の制限、場合によっては国境の変更なども」
「その交渉なら、今から始められる。首都を落とすまで兵を使って、さらに何を上乗せする。帝国そのものを貰うか?」
「……と、申しますと」
「皇帝を退位させて帝冠を持ってくる。あるいは、我々に都合のよい皇帝を据える。そこまで望むのであれば、帝都まで行こうという話にもなるだろう」
「そこまでのお話は、聞いておりませんが……」
「私もだ。陛下が何を望まれるにせよ、どこまで要求するかを決めてから、そのために兵を使うべきだろう」
宰相は背凭れへ身体を預けた。
「あの帝国には幾つもの王冠領があり、自治を望む民族があり、言葉の違う地方がある。仮に領土を取れば、住民も役所もこちらへ付いてくる。誰を任じ、誰に税を納めさせ、誰の訴えを聞くのか。昨日まで敵軍に兵を送っていた土地で、それを始めるのだぞ」
「統治というものはその類の面倒を常に含む、と父上は仰っておりましたけれど」
アンナ嬢が言った。
「欲しい土地なら、面倒を抱えてでも取ればよい。だが、取ってから使い道を考えるような土地のために犠牲を払う意味はない」
卓の端からは、帝都への進軍を求める見出しだけが見えていた。
先ほど読んだ範囲には、首都を落とした後のことは書かれていなかった。
「そもそも我々は、エルツを守るために兵を出した。いま帝国軍は国境の外へ退いた。その先でも兵を使うなら、まず何をさせるのかを決めねばならん。報復なら、どこで済んだとするのかもな」
「でも、こちらが止まったら向こうはまた兵を揃えるのではありませんか。陛下も、それを心配なさっているのでしょう?」
「だから軍は国境に置いたまま交渉する。こちらの兵を先に帰すようなことはせん」
「向こうが話を聞かなければどうするのです」
「その時に次を決める。首都へ入城せずとも、交渉の席には着けるのだ」
宰相は前へ身を乗り出し、新聞をこちらへ押し戻した。
「この勝利があるうちに話を付けたい。攻め続け、兵が足りなくなってからでは同じ条件を出せん。そこへ他国が入ってくれば、今度は我々とハイゼンベルクだけでは決められなくなる」
クラウスは冷めかけた茶を飲んだ。
アンナ嬢も父親を見ていたが、今度は言い返さなかった。
勝利したという報告を受け取ってから、この人はずっとその話をしてきたのだろう。
そう思わせるほど、慣れた説明だった。
「……お話は分かりました。しかし、閣下がお諫めになっても、陛下は聞き入れられなかったのですよね」
何か手伝えることがあるのだろうか。
講和に必要な資料を揃えろと言われるのであれば、それくらいはできるかもしれない。
まだ手元には、第一軍から持ち帰った報告も残っていた。
「陛下は、前線を見てきた君の話をお聞きになりたいそうだな。戦況も奏上すると聞いた」
カップを受け皿へ戻そうとして、縁を鳴らしてしまった。
「……まさか」
用件はやっと理解したが、できればわからないままでいたかったと思った。
アンナ嬢は宰相へ顔を向けた。
「父上。そのために、今日ここへいらしたのですか」
「ああ」
「それなら最初から、そう仰ればよろしかったのに! それを勝ちすぎただの、君のせいだのと長々と!」
宰相は何も反論しなかった。
アンナ嬢がまだこちらを気にしているので、クラウスは皿の脇へカップを置いて、宰相へ向き直った。
「大丈夫です。それでは私からも、進軍をお諫めしろということでしょうか」
「違う。そう解釈をしてもらっては困る。君はさっき、自分もこのまま進むものと思っていたと言っただろう」
「はい。ですが、いま伺ったことも考えなければならないのだとは思います」
「では、考えてみたまえ。前線で見てきたことと、私の話がどこで合い、どこで違うのか。軍人としての君がどう考えるかを」
クラウスは膝の上で手を重ねた。
「帝国領内への攻勢計画は、まだ詳しく読んでおりません。進めないと断言することも、私にはできませんが」
「ならそのように言えばいい。進むには何が必要だと思うのか、何を心配しているのか」
「閣下のお考えとは、違うことを申し上げるかもしれません」
「当たり前だ。私から君へ渡す口上はない。そもそも、私の意見はとうに自分で伝えている。陛下がお尋ねになる相手は君なのだから、君が答えてくれればよい」
すぐに返事は浮かばなかった。
アンナ嬢もしばらく黙っていたが、こちらが何も言わないのを見て、宰相の方を見た。
「……お返事は、今日ここでなさらなくてもよろしいのですよね」
「ああ。御前へ出るまでに考えてもらえればよい」
「それでは今日はここまでにしてください。クラウスさまをお招きしたのは、お帰りのお祝いをしたかったからです。このような話をするためではありません」
宰相はアンナ嬢の顔を見た。
言い返すかと思ったが、懐から時計を出して確かめただけだった。
「……少し長居をしたな」
そう言って椅子から立ち上がったので、クラウスも腰を浮かせた。
宰相は片手でそれを制し、卓の新聞を持ち上げた。
「ライフェンベルク。陛下にいま私が伺えば進軍を止めに来たと思われる」
新聞を畳み直して脇へ挟むと、宰相はこちらを見た。
「君の報告なら、最後まで耳を傾けられる。……それだけだ。邪魔をした」
宰相が出ていくと、アンナ嬢も扉のところまで見送った。
廊下で女中に何か頼んでから、卓へ戻ってくる。
「……本当に、すみませんでした。父があのような話をするとは思っていなくて」
「いえ。私も聞いておくべきお話だったのだと思います」
手元には、半分ほど残った菓子があった。
クラウスがそれを見ていると、アンナ嬢が隣へ座った。
「だいたい、言い方がいちいち面倒くさいと思いませんか? クラウスさまを頼るしかないからこうして無理に来ておいて、よろしく頼むの一言もないんですよ!?」
「……そう、ですね。しかし、宰相閣下が僕を頼っているというのはいささか……」
「いいえ。そんなことはありませんわ。陛下が言うことを聞いてくださらないから困っているのです、きっと! 陛下に進言するにしても素直に申し上げればよろしいのに、わざわざ嫌味たっぷりに申し上げたのでしょう!」
「まるで聞いてきたように言うのですね」
「娘ですから。そのくらい簡単に浮かびます!」
アンナ嬢はそこで笑って、こちらを見た。
「……ただ、実際にお話しになるのはクラウスさまです。父に気を遣って、ご無理をなさらないでくださいね。そもそも、父の言い様が常に正しい訳でもありません」
そこで口を閉じ、クラウスのカップへ目を落とした。
扉が叩かれ、新しい茶が運ばれてきた。
「それに、今からずっと御前で何を仰るか考えていては、受勲の日までに疲れてしまいます。クラウスさまはまるで面倒事かのように仰いますが、本当におめでたいことなのですからね! せめて今日のお茶の間くらいは、お休みになってください」
「……では、もう少しお邪魔してもよろしいでしょうか」
「もちろんです。そのつもりでお招きしたのですから。わたしもまだ、お話ししたいことがたくさんあります」