面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
「……今、何と申した」
返事をするより先に、陛下の声が重なった。
「余が手ずから授けるものに、条件を付けると申したのか! この場で! 諸邦の方々の御前で!」
声が壁に当たって返ってきた。
列席者は誰も動かなかった。控えの間で手順を教えてくれた宮内官は、卓の脇で手順書を握りしめている。教わった手順は、どうやらもう一つも残っていないらしい。
「余は君の働きを喜んでいるのだぞ。諸卿にもその功を知ってもらおうと、こうして皆を集めた。君は、その勲章を受け取れぬと言うのか」
喉が渇いていた。
何か申し上げなければならないと思うのだが、御礼の言葉ばかり練習してきたので、こういう時に何と答えればよいかは分からない。
「臆したのか、ライフェンベルク!」
「いえ。陛下の御命令とあれば、どこへでも参ります」
行きたいかと問われれば、別の答えになる。
だが、問われたのはそこではなかった。
「ならば何だ!」
「ですが、勝てるとお約束することはできません」
「我が軍が負けるというのか!」
陛下の口髭が僅かに震えた。
「負けるとは、申しておりません」
「では何故、そのようなことを言う。兵が疲れていることも、弾薬や馬が足りぬことも聞いた。休養も補充も認めると言っているではないか。余が明日にでも出て行けと命じたか?」
クラウスは首を振った。
そのつもりで申し上げたのではなかったが、黙っていれば、また別の意味に取られるかもしれない。
「いえ。兵も弾薬も揃えていただけるのであれば、戦う用意はできます。ただ、それで必ず勝てるとまでは――」
「勝てるようにするのが、卿ら参謀の仕事ではないか!」
「はい。勝つための手配でしたら、いたします」
そこは本当だった。
命じられれば表を作り、時刻を詰め、貨車を数える。それなら自分にもできる。
「ですが、手配を整えれば必ず勝てるとまでは、お約束できません」
言い終えて、もう一度頭を下げた。
「……宰相も、総長も、軍務長官も、似たようなことばかり言う」
陛下はそこで初めて、クラウスから顔を背けた。
「バルク。卿が言わせたのか」
「いいえ、陛下」
返事はすぐにあった。
バルク宰相は一歩前へ出かけ、足を止めた。前で重ねていた手が離れていた。
「私の意見は、既に陛下へ申し上げております。この者に代弁させたことはございません。ましてや、この場でこのようなことをさせるはずがありません」
「ではリュトヴィッツ。卿か?」
「いいえ、陛下。中佐には、御下問があれば自分の考えを申し上げるようにと申しました。ですが、このようなことをさせようとは――」
「ローデンはどうだ」
「私も言わせてはおりません」
ローデン大将はそう答えると、クラウスへ顔を向けた。
声には困惑というより、もっと硬いものが含まれていた。
「ライフェンベルク。お前は今、自分が何をしているか分かっているのか」
「ローデン。余が尋ねておる」
大将は口を閉じた。
それでも頭を下げる前に、もう一度クラウスを見た。
御前で問われたら自分の考えを話す。そのつもりでここへ来たし、そのように申し上げたはずだった。
ただ、先ほどまでとは何もかも違ってしまっている。受け取るはずの勲章は箱に入ったままで、宮内官も従僕も、先ほどから同じ場所に立っていた。
バルク宰相もこちらへ目を向けた。
何か言いたそうだったが、陛下が先に口を開いた。
「では、本当に誰に言われたのでもないのか、ライフェンベルク」
「はい。私自身の考えでございます」
陛下はしばらくこちらを見ていた。
左右の列からは、衣擦れの音もしなくなっていた。
「余が君に望んでいるのは、これからもよく働いてくれということだ。それが分からぬ男だとは思っていなかった」
「承知しております」
「承知しているならば、この勲章を受けて励めばよいではないか。君は余の期待に応えようとは思わぬのか!」
思わないと答えられるはずもなかった。
だが、期待に応えますと申し上げれば、また最初へ戻ってしまう。
「お役に立てるよう努めます。ただ……次も勝って御覧に入れると、そう約束してこの勲章を頂くことはできません」
陛下は従僕へ片手を向けた。
従僕が盆を捧げたまま二歩下がると、二人の間から勲章の箱がなくなった。
「余にそのような返事をして、君がどう思われるかは考えたのであろうな。ここには君の働きを聞きに来た方々がいる。余はその前で、君を信じていると申したのだぞ!」
クラウスは頭を下げた。
誰がこちらを見ているのか、確かめる勇気はなかった。控えの間で名簿を見た時には、こんなことになるとは思っていなかった。
「……お喜びのところを、申し訳ございません」
「謝るくらいなら、礼を言えばいい。それで済む話であろう!」
本当にその通りだった。
しかし、口にしたことをもう取り下げることはできない。
「もちろんご下命あれば私も微力を尽くします。しかし、私がここでお請け合いしたことを実際に果たさねばならぬのは、元帥閣下や各師団の方々です」
陛下は返事をしなかった。
次の言葉を探しているうちに、バルク宰相が口を開いた。
「陛下。少々お待ちください。この者は――」
「バルク。まだ余は聞いておる」
宰相は黙った。
クラウスを見る目が厳しかったので、できればそちらもあまり見たくなかった。
「ライフェンベルク。君はそれを今この場で言わねばならんと、そう考えたのか」
「はい」
「そのためならば、余の不興を買い、今日までの名誉すら失うことになっても構わぬと?」
構うに決まっていた。
この場でこれを申し上げることの意味を理解していないわけではない。
最悪、ライフェンベルクという家名に消えぬ泥を塗ることにもなりかねない。
それでも最後だけ、面倒だと責任から逃げることはできなかった。
「……もちろん、お許しいただけるのであれば、その方がよろしゅうございます。それでも、お約束できないことを、できるとお受けするわけにはまいりません」
そこまで申し上げて頭を下げると、もう続ける言葉はなかった。
陛下も黙っておられた。
自分から言い出したことだったが、いつまでこうしていればよいのか分からない。
御前へ出る時の手順は教わっていたが、途中で退出を命じられた場合については、聞いていなかった。
陛下は一度、宰相の方を見た。
続いて総長と軍務長官へ目をやり、それからクラウスへ視線を戻した。
「……君は」
何か申し上げるべきかと思ったが、陛下はまだ考えておられるようだった。
胸元から顔へ目が移り、やがて口髭の両端が上がった。
「君は、その名誉をかけて余を諫めたのか」
クラウスは口を開きかけた。
それより先に、陛下が笑った。
ローデン大将が陛下を見たが、クラウスにはまだ何と答えればよいのか分からなかった。
「軍人としての進退も、ライフェンベルクの名も懸けて、名誉を棒に振ってでも、余に偽りの約束はせぬと!」
「……名誉も、名も失いたかったわけではございませんが」
「無論だとも。だからこそ言うのだ!」
陛下はまた笑うと、こちらへ一歩近づいた。
「余があれだけ怒っても、言い直さなかったではないか。自分の功については遠慮するくせに、こういう時には譲らぬのだな!」
肩へ手を置かれた。
クラウスがどうにか顔を上げると、陛下は列席者たちへ向き直った。
「諸卿も覚えておろう、ヴォルケンシュタインの話を! 時の陛下が講和の使者を待てと仰せになった折、あの男は『誤っておりましたならば、この首を御足下に』とだけ書き送って、そのまま兵を進めたのだ! 余は幼い頃から、あの話が何より好きでな!」
教本の元帥は、確か、待てと仰る王に逆らって進んだ方だったはずだが。
こちらは、進めと仰る陛下に、約束はできないと申し上げただけである。
向きが正反対であることには、どなたも触れなかった。
「クラウス! 君こそがまさしく余のヴォルケンシュタインだ!」
陛下が両手を広げた。
「余の将校は、守れぬ約束で得る名誉よりも余にまことを申すことを選ぶ! 余は良い臣を持った!」
「……恐れ入ります」
先ほどまでと同じ方に話しかけられているはずなのだが、すぐにはついていけなかった。
肩を叩く手にも力が入っていた。お怒りが収まったのであれば、それだけでありがたかったが、また何か大変なことを期待されている気もした。
陛下は手を離すと、すぐに従僕を呼び戻した。
「さて。随分と待たせてしまったな」
盆が再び二人の間へ来た。
宮内官も進み出て、箱の向きを僅かに直した。
「だが、君も一つ忘れているぞ。次の戦がどうなろうと、アーベルニッツでの君の働きがなくなるわけではあるまい」
「はい。それは、まことにありがたく――」
「これはアーベルニッツの分だ。それなら受け取るのだろう?」
陛下は勲章を取り上げた。
今度は手を止めず、こちらへ差し出して待っていた。
「……はい。謹んで拝受いたします」
「うむ。初めからそう言えばよいのだ」
初めにも、そう申し上げたつもりだった。
ただ、今それを言い直しても、何一つよいことにはならないだろう。
宮内官がクラウスの胸元を整えた。
陛下が近づき、勲章を留める間、クラウスは教わった通りに顔を上げていた。金具が軍服を引き、少しして陛下の手が離れた。
「よく似合っている。もっと嬉しそうな顔をしたまえ。余はもう怒っておらん」
クラウスは口元を緩めようとした。
うまく動いたかどうか、自分では分からなかった。
「身に余る栄誉を賜り、まことにありがとうございます」
用意してきた御礼の言葉は、ようやく最後まで申し上げることができた。
陛下が満足そうに頷くと、拍手が起こった。
グラーフェン大公も手を打っていた。その向こうでリュトヴィッツ大将が何かを呟き、ローデン大将は口髭を撫でた。
「リュトヴィッツ、ローデン。後で余の部屋へ来い。バルク、卿もだ」
「はい、陛下」
「承知いたしました」
総長の顔には、いつもの笑みが戻っていて、長官の声からも硬いものは取れていた。
宰相だけが、少し遅れて答えた。
「……仰せのままに」
「勘違いするな、バルク。卿を許したわけではないし、考えを改めたわけでもない」
陛下は、宰相を指差した。
「だが、今日くらいは長話も最後まで聞いてやろう。ライフェンベルクに免じてな!」
バルク宰相と目が合った。
こちらが頭を下げると、宰相は僅かに顎を引いた。まだ何か仰りたそうだった。
できれば、今日はもう何も尋ねられずに帰りたかった。
◆
三ヶ月戦争の名は、八月下旬の開戦からおよそ三か月で休戦に至ったことに由来する。
その短さの理由として、今日もっとも広く語られているのが、親授の場でライフェンベルク中佐(当時)が口にした一言である。
「次の勝利のお約束として賜るのでしたら、私にはお受けいたしかねます」
後世、その功績を語る際には、エルツェンとアーベルニッツの両会戦とともに、この日の諫言が挙げられるようになった。
この日の親授を描いた絵画、『沈黙を破った日』は、現在もマルク国立美術館に飾られている。
剣付王国功績勲章を授けるヴァルデマール二世と、その前に立つクラウス・フォン・ライフェンベルク中佐。
周囲には列席した諸邦の君主や将官たちが描き込まれ、中佐の頬は紅潮し、その目は主君を真っ直ぐに仰いでいる。
ただし、現在見ることのできる絵は、一度描き直されたものだという逸話がある。
初めに描かれた表情は、名誉ある親授の場にいささかそぐわぬものだったらしい。
完成した絵を見たヴァルデマール二世は、画家へ描き直しを命じたと伝えられている。
「こんな顔ではなかった! クラウスは、もっと喜んでいた!」