面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
「まさか本当にご辞退なさるとは思いませんでした」
アンナ嬢は茶を注ぎ終えると、ポットを卓へ戻した。
カップはこちらへ差し出されたが、勧める言葉はまだなかった。
「……前にお話しした時には、冗談のつもりだったのですが」
「ええ。そう仰いましたね。父も笑っていらしたので、わたしも冗談なのだと思っておりました。せっかく戦場からお帰りになって、今度こそ安心してお祝いできると思っておりましたのに」
クラウスは取っ手へ伸ばしかけた手を膝へ戻した。
「僕も、宮殿へ伺った時には、お礼を申し上げて帰るつもりでした。ただ、その場で申し上げなければならないことがありまして」
「それで、ご辞退までなさったのですか」
「はい。ですが、最後には陛下にもお聞き入れいただけましたので」
「存じております。でも、わたしは御前におりませんでしたもの」
アンナ嬢は自分のカップを手元へ寄せた。
飲もうとはせず、受け皿の縁へ指を添えていた。
「それに、そのあともなかなかいらしてくださらないのですから」
「……ご心配をお掛けしました」
「本当です。今度お会いしたら何と申し上げようかと、そればかり考えておりました」
バルク家の小客間は暖かかった。
窓際では付き添いの婦人が刺繍をしている。宰相は今日も戻りが遅くなるそうで、卓に用意されているのは二人分の茶と菓子だけだった。
「お仕事がお忙しいのは分かっております。けれど、少しお顔を見せてくださるくらいはできませんでしたか」
「申し訳ありません。こちらの都合もなかなか定まらず、お約束してから伺えなくなってはと思いまして」
「ではご都合のよい時に、そうお知らせくださればよかったのに」
「急に申し上げては、ご迷惑かと」
「迷惑でしたらそのようにお返事いたします」
返事を考えている間に、アンナ嬢がこちらのカップへ目をやった。
「どうぞ。冷めてしまいますわ」
「ありがとうございます」
手に取ったが、まだ飲むには少し熱かった。
クラウスがカップを戻すと、向かいから小さく息をつく音がした。
「そんなに畏まっていらっしゃらなくても結構です。せっかく来てくださったのですから」
「いえ。まだ、お話の途中かと思いまして」
「途中ですけれど、お茶くらいは召し上がってください。わたしだって、ずっとお小言ばかり申し上げるつもりでお待ちしていたわけではありません」
クラウスはようやく茶を飲んだ。
アンナ嬢もカップを持ち上げたが、口元へ運ぶ前に尋ねた。
「今日は、このあともお仕事へお戻りになるのですか?」
「いえ。今日は大丈夫です」
「それなら、ゆっくりとお話ができますね」
「はい。お邪魔でなければ」
「……先ほどから申し上げていることが、どうにも届いていないようですね」
カップの上からこちらを見ていた。
クラウスは今度こそ余計なことを言わずに頷いた。
アンナ嬢は茶を一口飲み、菓子の皿をこちらへ寄せた。
「戦争が終わっても、お忙しいのですか?」
「ええ、終わった後に出す報告書がこれほどあるとは思っておりませんでした。書いて出したものについて説明に呼ばれて、その説明も書いておくようにと言われますので」
「まあ。それでは、いつ終わるのですか」
「僕も、それを知りたいと思っております」
アンナ嬢が笑った。
クラウスも菓子を一つ取ったが、まだ口へは運ばずに続けた。
「今日もこちらへ伺う途中で、見知らぬ方からお礼を言われました。どう返せばよいのか分からず、頭を下げて参りましたが。何についてのお礼か尋ねるわけにもいきませんでしたから」
「ご無事でお帰りになって、戦争も終わった。それを喜んでくださったのでしょう」
「でしたら、僕も同じです。終わってくれてよかったと思っています。ただ、僕が終わらせたように言われると……」
卓の脇には、バルク家が購読している新聞があった。
講和の成立を伝える記事の下に、自分の名前が載っている。肩書きよりも前に英雄と書かれていた。
軍人であることより、そちらの方が大事らしかった。
「お嫌でしたら、しまっていただきましょうか」
「いえ。新聞がなくなっても、外へ出れば同じですので」
菓子を食べてから、新聞の端を指で押さえた。
講和の条件を詰めたのは宰相たちである。軍を進めるかどうかお決めになったのは陛下だ。
その間、クラウスは報告書を直したり、同じことを違う相手に説明したりしていた。
いくつかの会議では、アーベルニッツの司令部の再現をさせられたようなものだった。
「会戦についても、元帥閣下や第二軍の方々がいらしたから勝てたのです。僕が何か申し上げたところで、それで兵が増えるわけでもありませんし。御前でのことも、あんなに立派な話にされては困ります」
アンナ嬢はカップを置いた。
クラウスも一口飲んでから続けた。
「陛下にお喜びいただく方が、その場ではずっと楽だったでしょうね。でもそれで話が決まってしまったら、後から取り消す方がよほど面倒なことになります。少なくとも、皆様がお考えになるような覚悟を決めて宮殿へ伺ったわけではないのです」
出かける前には、奏上の順番を間違えないようにと、そればかり考えていた。
勲章を頂いたら礼を申し上げて帰る。その予定だった。
「僕の知らないうちに、僕が随分と立派な人間になっているようです。あの芝居を見た時にも、似たような気分になりました」
「今度も騎兵を率いて突撃なさったことになっていましたか?」
「いえ。さすがに、そこまでは」
「それはよかったです。あの時は、途中でお帰りになってしまうかと思いましたもの」
アンナ嬢は笑ったが、クラウスには笑い返しづらかった。
「まあ、今日も訂正ばかり伺っていては、お茶がなくなってしまいますね。ではクラウスさま、今度はわたしの一番好きな英雄のお話をしてもよろしいでしょうか」
「ええ。それは、もちろん」
自分の話から離れられるなら、ありがたかった。
クラウスは新聞を畳んで卓の端へ寄せた。
「どのような方なのですか」
「何度も戦場へ赴いて、国に勝利をもたらした方です。けれど御自分では武勇を語らず、人から功を讃えられるたびに、一緒に働いた方々の名を挙げておいででした。富や領地をおねだりすることもなさらず、王からお褒めの言葉を頂いても、それで御自分を大きく見せようとはなさらなかったそうです」
「それは随分と……。立派な方ですね。軍人には、あまり多くないように思いますが」
「ええ。けれど、わたしが何より敬愛しているのは、その方が王をお諫めになった時のお話です。戦勝の栄光をさらに求める君主の前で、御自身の名誉も地位も顧みず、国の行く末を説かれたのです。王の怒りにも屈することなく言葉を尽くし、ついにはその御心を動かされた。戦場で祖国を救った方が、今度は宮廷で平和をもたらしたのですわ」
クラウスは菓子へ伸ばしかけた手を止めた。
王の御機嫌を損ねるという辺りは、他人事として聞き流せなかった。
「……何という方でしょうか。僕も存じ上げているかもしれません」
アンナ嬢は卓の向こうで、こちらを見ていた。
「クラウス・フォン・ライフェンベルクさま、ですよ」
指先が菓子の皿に触れた。
皿が少し滑ったので押さえたが、何も取らないまま手を戻した。
「……僕ですか?」
「ほかに同じお名前の方を御存じでしたら、伺いますけれど」
「いえ。ですが、今のお話は――」
続けようとして、言葉が出なかった。
何がおかしいのかを一つずつ考えれば、いくらでも言えそうなのに、初めの一つが見つからない。
アンナ嬢は待っていた。
クラウスは先ほど畳んだ新聞へ一度目を落とし、彼女へ向き直った。
「そういう言い方をすると、全く違う人物のように聞こえます。自分を誇らなかったと言われても、実際に僕だけの手柄ではありませんでしたし、領地など頂いても困ります。陛下のお言葉についても、先ほど申し上げたように、後で困るのが嫌だったのです」
「ええ。伺いました」
「でしたら、どうして」
「それを伺うと、クラウスさまが御前で仰ったこともなかったことになるのでしょうか」
「そういうわけではありませんが。英雄と呼ばれる方には、もっと相応しいお考えがあるものではないでしょうか。僕の場合は、本当にそんな大層なことではありませんので」
「例えば、ライフェンベルクの英雄であるフリードリヒさまも、でしょうか」
「……曾祖父ですか?」
「ええ。それから、ベルヴァーニュの始祖帝オーギュスト一世陛下でもよろしいですが。お二人とも、そのように立派なことばかりお考えになっていたのでしょうか」
曾祖父の肖像画が浮かんだ。
アウエンホーフの屋敷に掛かっている、口元を固く結んだ騎兵将校の絵である。
画家が何を言ってあの顔をさせたのかも知らない。
オーギュスト一世に至っては、教本と伝記で読んだことしかなかった。
「……それは分かりません。伝記を読めば、どのような方だったかはある程度分かりますが」
「その時にお考えだったことまで、全部書かれているのでしょうか。後になってからうまく説明できるようになったことだっておありだったかもしれません。わたしたちはお目にかかれませんから、伺うこともできませんね」
アンナ嬢は膝に置いていた手を伸ばし、ポットの蓋を押さえた。
「わたしは今、クラウスさまに伺うことができます。面倒だったことも、困っておいでだったことも」
「あまり、お聞かせするような話ではない気もしますが」
「そんなことはありません。とても楽しいです」
笑われて、クラウスは額へ手をやった。
「先ほどは、お小言を頂いたような気がするのですが」
「それは心配したからです。こうしてお話ししてくださることまで、困ると申し上げましたか?」
「いえ。ですが、思っておいでだった話とは随分違ったのではないかと」
「違いましたね。勲章を辞退なさるような方が、わたしに会うのは御迷惑かもしれないとお考えだったことも、今日初めて伺いました」
クラウスは顔を上げた。
アンナ嬢は少し笑ってから、こちらへ向き直った。
「ただ、それを伺っても、わたしの好きな方のお話は変わりません。クラウスさまが何を思っていらしても、あの御前でお話しになったのはあなたです」
「閣下がずっと陛下へ申し上げていたからです。僕があそこで話せたのも、前もって閣下や総長たちのお話を伺っていたからで」
「それなら、皆様のお話をよく聞いていらしたことも付け加えておきましょうか」
アンナ嬢はそこで口元を緩めた。
「あまり続けると、もっと長いお話になりますね。わたしは構いませんけれど、クラウスさまはお困りになるのでしょう?」
「……はい。もう十分です」
今度は声を立てて笑われた。
アンナ嬢は口元へ手を添え、卓の菓子を一つ取った。
「ですがクラウスさまも、先ほどご自分のことを立派な方だと仰いましたよね」
「僕のことだと知っていたら、申し上げませんでした」
「まあ。お名前だけで、随分と評価をお変えになるのですね」
クラウスは返事に詰まった。
その間にアンナ嬢は菓子を食べ、茶を一口飲んだ。
「クラウスさまがご自分をどう思っていらっしゃるかは分かりました。でも、わたしが好きだと申し上げたことまではお取り消しにならないでくださいね?」
クラウスが顔を上げると、アンナ嬢はカップを持ったままこちらを見ていた。
何か答えなければならないと思った。
いつものように、いえ、と言いかけてやめた。
「……ありがとうございます。それは……嬉しいです」
アンナ嬢の視線が、一度カップへ落ちた。
「……どういたしまして」
声が少し小さかった。
クラウスも茶を飲んだ。既にだいぶ冷めていたが、飲み終えるまではカップを下ろさずに済んだ。
◆
統暦七十七年の三ヶ月戦争は、ノルトマルク連邦の勝利によって終結した。
ハイゼンベルク帝国は、マルク鉄道条約とそれに基づく諸邦間の取り決めを承認し、最高保護者の権能によってその変更や停止を求める権利を放棄した。
皇帝はマルク諸邦が自ら定めた取り決めに対して、その名によって介入する余地を失った。
この戦争を論じた記述には戦前の鉄道実務から講和までを、当初より一つの構想のもとに進められたものと見る傾向がある。
諸邦ごとの利害を整え、帝国との対立に備え、二つの軍を共同させ、勝利を収めた後には進軍を抑えて講和へ導く。
その各所にクラウス・フォン・ライフェンベルク氏の名が現れることは、この見方の有力な根拠とされた。
氏は南マルク各国を巡って鉄道条約を起草し、氏の発言によって軍議の方針が定まり、氏の諫言によって御前の議論が動いた。
それが初めから用意されたものだったのかどうかは、記録だけからは判じ難い。
しかし、これらを互いに無関係な偶然として片付ける方が、説明には困難を伴う。
氏が当初からすべてを予見していたと断定する必要はない。情勢に応じて手段を改めながら、同じ目的を追っていたと考えれば足りる。
むしろこれほど一貫した働きを重ねた人物に、その一貫性への自覚だけがなかったとする見方には、相応の根拠が求められるだろう。
――『三ヶ月戦争の真実』より抜粋
【第二部 三ヶ月戦争編 了】
いつもご愛読いただきありがとうございます。
これにて第二部は完結となります。
次回の第三部はこれまでより少し短い話になるかもしれません。
一週間くらいでプロローグ投稿できるように頑張ります。
閑話は思いついたものがあれば投稿したいと思っています。
本編には一切関係ないけど多分のじゃロリ宰相は書く(早口)
現在のアンナ+バルクの役割を一人でこなすキャラなので、完全にジャンル変わるんですよね。
それはそれとしてのじゃロリ書くの楽しい…楽しくない?という趣味です。すいません。
改めまして、いつも応援いただき本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。