面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました   作:濃厚とんこつ豚無双

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第八話 誤読

国境を越えた報告書というものは、事実である前に欲望である。

 

統暦七十二年六月末。

ベルヴァーニュ第二帝政の首都ベルソールにある戦争省本館では、ノルトマルク連邦の統合動員演習に関する報告が、このところひどく熱心に読まれていた。

 

もっとも、それは隣国を正確に理解したいからではない。

隣国の動きを、自分たちにとって都合のよい物語へ変えたいからである。

国家というものは、観察するより先に解釈したがる。

とくに、自国の内部がすでに解釈でいっぱいになっている時はなおさらだ。

 

戦争省第二会議室は、いかにもベルヴァーニュらしい部屋だった。

高い天井。金の縁取り。絹張りの壁。装飾過剰な燭台。

そして机の上にだけ、どういうわけか異様に実務的な書類が整然と並んでいる。

 

華やかさと倦怠が同居するその部屋で、ド・サン=クレール少佐は自分がグランツェルから送った報告の束が、すでに第三者の手によって抜き書きされ都合のよい箇所へ赤線まで引かれているのを見て、少しだけ嫌な予感を覚えた。

 

会議卓の上座には、戦争次官サン=オーバン侯爵がいた。

五十代半ば。軍服は見事で、言葉はそれ以上に見事だった。

軍の改革について語る時でさえ、その視線の半分は宮殿の方を向いている。

宮廷の人間というのは、たいていそういう顔をする。

 

侯爵の右手には北部軍監補デルマール大佐。

改革派で、頭は切れるが社交性が足りず、そのため出世が少し遅れている類の男だった。

 

左手には植民地派のヴァレスク将軍。

遠征戦の成功経験を全戦争の普遍法則だと思い込んでいる者特有の、明るく危険な顔をしていた。

 

「少佐」

サン=オーバン侯爵が、細い指で報告書の一枚を叩いた。

 

「君はこの若い士官について何度か触れているな。ライフェンベルク大尉、だったか」

 

ド・サン=クレールはわずかに背筋を伸ばした。

彼としては、ライフェンベルクという名を主題にした覚えはなかった。

観察していたのは、あくまでノルトマルク連邦の演習運用と、その背後にある接続的な制度である。

ただ、その制度の継ぎ目に、しばしば同じ若い士官の姿を見かけただけだった。

 

「はい。クラウス・フォン・ライフェンベルク大尉です」

「若いな」

ヴァレスク将軍が言った。

 

「若いです」

「ならば良い」

 

将軍は葡萄酒の代わりに朝から黒いコーヒーを飲んでいたが、その口調はいかにも食後酒のように軽かった。

 

「ノルトマルクの連中は、若い者をやたら大事そうに見せる。だがあの国の本質は、結局のところ老いた書類だ」

 

ド・サン=クレールは答えなかった。

それは半分は正しく、半分は危険なほど間違っている。

ノルトマルクの強みが書類にあるのは事実だ。

だが、その書類が毎回少しずつ書き換えられ、若返りながら実務へ馴染んでいくところにこそ、彼はむしろ不気味さを見ていた。

 

デルマール大佐が口を開いた。

「少佐。要点だけ聞こう。危険なのはその若い大尉個人なのか、それとも彼を通して見える仕組みの方なのか」

 

よい問いだった。

少なくとも、そう問う者はまだ、物事を二つに分けて考えることができる。

 

ド・サン=クレールは、できるだけ正確に答えようとした。

 

「危険なのは仕組みの方です。ノルトマルクは法的外観を崩さずに、実動だけを先行させる層を持ち始めています。形式は守ったまま、運用の血流だけを詰まらせない。ライフェンベルク大尉は、そうした切り分けの場面にしばしば関与していましたが……」

 

「つまり、その大尉が切り分けているのだな」

サン=オーバン侯爵が、半ば愉しげに言った。

 

彼は内心で小さく息を吐いた。

人は複雑な仕組みを聞かされると、その中から一つだけ顔のあるものを選び出し、それに責任も才能も集中させたがる。

仕組みは劇にならないが、人間は劇になる。

国家は、とくにその種の劇を好む。

 

「そう単純ではありません」

 

「彼一人が設計しているわけではない。鉄路局、法務局、軍務省、統帥府、それぞれに有能な人間がいる。ライフェンベルク大尉は、あくまでその接点に現れる士官です」

 

「接点に現れる」

デルマール大佐が、その語を反芻した。

 

「つまり、制度の継ぎ目に置かれている、と」

「そのように見えます」

 

「では、なおさら重要だ」

サン=オーバン侯爵は即座に言った。

「機械というものは、歯車の一つより、継ぎ目の方が壊れる。そして壊れぬ継ぎ目を持つ機械は厄介だ」

 

その言い方には軍事的理解より宮廷的比喩の方が多く含まれていたが、意味は外れていなかった。

ド・サン=クレールは、軽い苛立ちとともにそれを認めざるをえなかった。

 

ヴァレスク将軍が笑った。

「だが、結局のところ若造だろう。こういうのは、実戦で一度混乱を見れば化けの皮が剥がれる」

 

デルマール大佐が静かに反論した。

「実戦を見る前に、機構そのものが一段整ってしまう方が問題です。われわれはいつも、敵の才能を前線で待ちすぎる。だが才能というのは、前線へ着く前の貨車の順番に宿ることもある」

 

将軍は、それに不満そうな顔をした。

貨車の順番に宿る才能。

英雄譚としてはひどく映えない。

だがベルヴァーニュがこの十年ほど苦手にしてきたのは、まさにそういう種類の地味な優秀さだった。

 

サン=オーバン侯爵は、議事要約用の紙を引き寄せた。

「こう書いておこう」

彼は羽根ペンを取り、さらさらと記した。

 

ノルトマルク連邦軍において、近年、法的外観と実動運用を分離しつつ両立させる傾向顕著。

その調整に関与する若手参謀、クラウス・フォン・ライフェンベルク大尉の名、記憶に値す。

 

ド・サン=クレールは、その一文を見てわずかに黙った。

それは嘘ではない。だが真実でもない。

 

彼が見たのは、ノルトマルクという国家が自らの煩雑さを実務へ変換しつつある過程だった。

ライフェンベルクという若い士官は、その過程の中で、たまたま繰り返し同じ場所へ立たされていただけだ。

だが本国が欲していたのは、過程よりも人物だった。

 

「異論は?」

と侯爵が訊いた。

 

デルマール大佐は一瞬だけ考えた。

だが結局、首を横には振らなかった。

彼にも分かっていたのだろう。

この場で「危険なのは人ではなく制度です」と主張したところで、宮廷も新聞も、そのような無味乾燥な敵像では満足しない。

敵国の制度に怯えるよりも、敵国の若い天才に怯える方が、国家というものはよほど楽に呼吸できる。

 

会議が終わり、ド・サン=クレールが廊下へ出ると、窓の外にはベルソールの白い石造建築が夕方の熱にぼんやり霞んでいた。

彼は手帳を開き、自分用に一行だけ書き足した。

 

ベルヴァーニュは、向こう岸の機械を理解するより先に、その顔を欲している。

 

報告書には向かない文章だった。

だからこそ、自分用にだけ残した。

 

しかしその日の夜には、戦争省の別室で、もっと都合のよい要約がすでに口伝えに広まり始めていた。

 

ノルトマルクには、法と兵站を一つへ束ねる若い参謀がいるらしい。

ライフェンベルクという。

まだ大尉だが、年齢のわりに侮れぬ、と。

 

こうして国境のこちら側で生まれた誤読は、観察ではなく評価になった。

評価はやがて警戒へ変わる。

そして警戒は、相手の実像より先に歩く。

 

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