面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました 作:濃厚とんこつ豚無双
「この文言を残したままでは、ハルツは賛成できません」
ルドルフ・フォン・ホルスト伯爵は、開いた書類を机の向こうへ押し戻した。
バルク宰相は受け取らず、窓際の時計へ目をやった。
「三か月の延長に、朝から大層な話だな。君の役所には、反対意見を述べる以外に仕事がないのか」
「その間、何をお任せするかという話です。残った軍需品の輸送と、砲や貨車の返却については異存ございません」
「ならば、何が気に入らん」
「こちらです。宰相府が必要と認めるその他の輸送。この一行を削っていただきたい」
昨日届いた延長案には、戦時中の輸送調整を続ける理由が何頁にもわたって記されていた。各地の倉庫に残った軍需品を片づけるには、まだ諸邦の鉄道をまとめて扱う必要がある。
そのための条項は、すでに揃っていた。ホルストが線を引いたのは、その後から書き足された一行である。
「君は、必要なものをあらかじめ全部書けると思っておるのか。誠に素晴らしい慧眼だ。ではここですべて書いていきたまえ」
「ええ、思いつくもので良ければ書きましょう。そして新しく必要になれば、関係する邦と御相談を」
「そのたびに返事を待てと? 昨日の説明でも足りん、書面でも足りん。君に分かってもらう間に、三か月が過ぎるぞ」
肘掛けを叩く指の音がした。
ハルツ王国で外相を務めていた頃から、この部屋には何度も来ている。国王に乞われて連邦評議会の代表を引き受けてからは、月に何度顔を合わせるか分からなくなった。
以前、嫌味を聞き流して頷いたところ、後で届いた議事の控えには、用件の方へ賛成したことになっていた。以来、返事をする箇所には気をつけている。
扉が叩かれ、宰相府の秘書官が茶器を運んできた。
盆を小卓へ置く前に、バルクが顔を向ける。
「修繕費の比較表はどうした。早朝から待っておるのだが」
「軍務省への回答を先に清書するよう仰せでしたので、そちらを済ませてから――」
「先にやれとは言ったが、比較表を放っておけとは言っておらん。茶を入れる暇があるのだから当然終わったと思っていたがね」
「軍務省の件は、先程、お急ぎになるとのことでしたので……」
バルクは秘書官を見ていた。
返事がなく、盆の上で茶器が小さく鳴った。
「それで?」
「……昼までにお持ちいたします」
「私が今日の職務の確認までしなければならないのか。君らは何をするためにここへ来ておるのだ」
秘書官は頭を下げた。
ホルストは小卓へ手を伸ばし、自分のカップを受け取った。礼を言うと、秘書官は一度こちらを見てから茶を注いだ。
一度口を湿らせてから、ホルストは鞄からもう一枚の紙を出した。
「先週、ブリュックの粉を積んだ列車が二度待たされました。その間に、ブランデンの営舎へ建材が運ばれております」
「君は自由市の代表まで兼ねるようになったのか。なるほど、それでは忙しいわけだな」
「参事から相談を受けましてね。先方への通告には、軍用輸送を優先するとしか書かれていなかった」
「兵を戻す先の屋根が抜けている。営舎を後回しにしてよいと言うなら、その参事に寝床を用意させるといい」
「ブリュックにも粉を待っている者がおります。その事情を訊く前に順番が決まっていたのです」
バルクは差し出された控えを一瞥し、押し返した。
「粉なら明後日に出る。今朝、話をつけた。その参事にも言っておけ。どうしても運びたいなら自分で動けとな」
「彼は昨日までは返答を頂けなかった、と」
「だから、君に任せるのではなく自分で来いと言っている。それで、まだ何かあるのか」
「今後も、運行を確かめるだけで宰相府の許可を仰がねばならぬのかと。それぞれの邦で決められる範囲を、はっきりさせていただきたい」
参事は昨日、この控えを机に置いてから一度も茶に手をつけなかった。鉄道局へ行けば宰相府で決まったと言われ、宰相府へ来れば担当者を待たされる。その間も本国からは催促が来る。
「随分と警戒されたものだな。君は三か月でハルツを取り上げられるとでも思っておるのか」
「三か月後に、戻すのは不便だと仰る方は出るでしょうな。ヴァルデマール陛下も、先の祝賀で中央統帥府の働きを大いにお褒めになったそうですから」
「実際によく働いた。君の国の兵もだ。帰ってきた兵を迎えて、次は国を取られるぞとでも聞かせたのか」
「兵の働きは誇りに思っております。その働きを、今まで以上にブランデンへお任せする理由にされては困ると申し上げているのです」
バルクは茶を飲み、カップを戻す時もこちらを見なかった。
「ブランデンがどれだけ兵と金を出したか、君も知っておろう。指図は受けたくない、だが必要な時には助けてもらいたい。助かった後は、助けた側が力を持ちすぎると騒ぐ。どこまで君らの面倒を見れば済むのだ」
「ハルツも兵と金を出しております。閣下から随分と御用命のあった工廠も鉄道も、我が国で金を集め、技師を育てて整えたものです。その仕事をしてきた政府まで、ただ面倒を見られているように仰られては困ります」
「その兵と鉄道をまとめて、戦争に勝たせたのは誰だ」
「そのための連邦であり、ブランデンの主導も認めております。ですが、戦争が済んだ後まで、ハルツに何を任せるかをこちらで決めていただくつもりはございません」
「そのような案を、私が出したか」
「お出しになるまで待つ気はないと申し上げております。連邦のために力を合わせるたびに権限を移し、そのまま戻らぬのであれば、いずれはブランデンを中心とした一つの国になる。王号と宮殿だけを残していただいても、我が王にはお喜びいただけません」
バルクは鼻を鳴らした。
「必要なことだからやるのだ。君らが顔を顰めるたびにやめておったら、統帥府も鉄道の調整も出来てはおらん。それとも全ての議題を採決でもすれば満足するのかね?」
「その必要を、我が国でも判断するために参りました」
ホルストは鞄から修正案を取り出した。
「先ほどの一行を削り、対象の輸送を別紙で示していただく。追加は関係する邦と協議し、済んだものは三か月を待たず通常の扱いへ戻す。その形でしたら、我が国は賛成できます」
「相談しておる間に列車が止まる。返事を寄越さん者がいたらどうする、君の権限で補償するのか?」
「回答の期限と照会の手順を、鉄道部署同士で取り決めさせましょう。貨車の返却については、我が国からも途中の邦へ申し入れます。調整をすべて宰相府へ押しつけるつもりはございません」
バルクは修正案を読んだ。読み終えても机には置かず、紙の上からホルストを見た。
「実に準備が良いな。今日は何邦と話をつけてきたのかね」
「同じ案を受け取った方々とは、お話ししております。修正されたものをお見せするまでは、原案への返答を待つようにとも」
「君の国へ相談に来させるのは結構だが、私のところへ来るのは気に入らんか」
「各邦が一つずつ伺っても、別々の返事を頂くだけでしょう。条件を揃えて話す役なら、私が引き受けます」
各邦の代表が一人ずつ呼び出されれば、それぞれ別の条件を示されるだろう。何から何まで同じ返答をする仲間ではなかったし、目の前の男に反論できない代表も多い。
ひとまず原案への返答を待ってもらうところまでは、話をつけてきた。まとめて交渉した甲斐があったと思ってもらえれば、次の相談もハルツへ来る。
バルクは評議会の議事予定を引き寄せ、一頁目を確かめた。それから呼鈴を鳴らした。
先ほどの秘書官へ二枚の書類を渡す。
「伯爵の案で鉄道局と詰めろ。対象の別紙も付ける。それから、どこの返事待ちで何が止まったか、記録を残させろ。お望みどおりにするのだから、その結果も見ていただかねばな」
「照会を出した時刻と、必要な資料が相手に揃った時刻も、一緒に残していただけますか」
秘書官はバルクを見た。
バルクが何も言わないので、手帳へ一行足す。
「お約束どおりの案でしたら、ハルツは賛成いたします。ほかの方々への説明も、こちらで引き受けましょう」
「どうか、これ以上無駄な仕事を増やしてくれるな」
ホルストは残っていた茶を飲んだ。
手帳へ修正案の返答について書きつけ、その下の名前へ目を移す。
「もう一件あります。ライフェンベルク中佐について。近頃は、お屋敷にも随分とお招きになっておられるそうですな」
「……君に客の出入りまで報告することになっていたかね」
「ご令嬢との縁談も進んでいるとか。軍学院へ移られて、閣下とは少し離れるのかと思っておりましたが」
「勤め先が変わっただけだ。私と話をしに来ているわけでもない」
ホルストは手帳を閉じずに待った。
バルクの娘と中佐が親しくしていることは、昨年から本国へ報告している。今の返事だけでは、まだ書き足せなかった。
黙っていると、やがてバルクの方から口を開いた。
「……娘と結婚することになった。日取りはまだだ。正式な知らせは改めて出す」
「それはおめでとうございます。軍部とも、いっそう強い繋がりができますな」
「君たちはいつもそれだ。人の娘が嫁ぐという話にまで、何か企みを見つけねば気が済まんのか」
「閣下も、随分とお気に召しておられるようですから。今後はどちらへ赴任されても、お付き合いが続く。よい御縁組ではございませんか」
「娘の相手まで君らに選ばせるつもりはない。諸邦のためにも働いた男だぞ。君の国の将軍にでも訊いてみればよかろう」
バルクは書類を机へ戻した。
「ええ。ブレンナー少将からは、戦争の前から伺っております。ルーデンとの演習で揉めた時に、双方の面目を立てて収めたと。退役されたヴァルテンベルク閣下にも、先月ハルツへ戻った折に」
「あの爺さんのところまで行ったのか。それで、少しは気に入らんところが見つかったかね」
元西部総監は、中佐の指揮能力について散々こき下ろした後に、諸邦の部隊を動かすために整えた文書を広げ、随分と長く語った。
ブレンナーも、戦場でハルツの正面へ支援を届かせた話をした。
どちらも、次に何を任せたいかまで触れていた。
「御二方とも、我が国の事情を聞いて、実際に動かせる案を作る方だと」
「そうだ。できんと言う前に、どうすればできるかを持ってくる。君らにも少しは見習ってもらいたいものだ」
「西部軍のリヒター大佐と、メルテンス参謀長にもお話を伺いました。エルツェンの戦の話です」
王都の宴席で会ったリヒターは、酒のグラスを置いて笑った。
『想像とは随分とかけ離れた方でした。まあ、なんとも困った顔をしておられましたな』
損害についても話したが、その後は高地を取った部下たちの話になった。帰ってから連隊中でそればかり話しているらしい。やめろと言っても聞かないとぼやきながら、大佐自身も、食事の献立の裏へエルツェンの戦場図を描き始めた。
兵を出すことになった理由は、メルテンスに尋ねた。
『連隊を出した理由ですか?』
『ええ、西部軍も苦しい状況だったでしょう』
『それは純粋に戦術上の理由です。第一軍が押し返せば、こちらへの圧力も弱まります。西部で最後の予備を使い切るより、向こうの反撃を助ける方がよいと判断したのです』
『では、中佐でなくても援軍は出していたと?』
『そこは明言できません。それを邪魔していたのは気持ちの面ですからね。援軍を断られ続けて、その末に逆に援軍を求められたのですから。……ですが、武勇の誉れ高きあの中佐が、部下を失った一少佐の言い分を認めて、先に頭を下げたのです。それでもこちらが意地と面子にこだわり続けるのは、少々難しかったということですよ』
バルクの意向についても中佐はよく理解しているのかと尋ねると、そちらは御本人へどうぞ、と返された。私的にも付き合いがあるとは認めたが、その話を教える気はないらしかった。
「ずいぶん暇があるのだな、君は」
バルクの声で、ホルストは机の向こうへ目を戻した。
「連隊長も参謀長も、次に中佐が来れば話を聞くでしょうな」
「信用があるのが不満か。中央から送る軍人は、誰からも話を聞いてもらえん者を使えばいいのかね」
「その信用をお持ちの方が、ヴァルデマール陛下に重用され、閣下の御身内になる。私どもが気にするのは当然でしょう」
バルクは返事をせず、書類の角を揃えた。
ホルストは手帳を閉じた。
「軍学院で教えを受けた士官も、いずれ各邦へ戻ります。邦をまたぐ相談も、中佐を通じて進めるようになるかもしれません」
「役に立つなら、よいことだろう」
「我が国の政府に説明が来た頃には、軍同士で話が済んでいる。こちらが各邦と相談している間に、中佐へ頼めば済むと抜ける者も出るでしょうな」
「君の出番がなくなるのは困るだろうが、それは連邦の不都合ではあるまい。普段から軍同士でどれだけ揉めておるか、君も知っておろう」
「我が国の軍人が賛成したことを、王と政府が認めたようにされるのが困るのです」
バルクの指が止まった。
「私に通らん話をあちらへ持っていくなよ。君らの愚痴を聞くために俸給を出しておるわけではない」
「閣下への用件は私が持参いたします。中佐には御本人のお考えを伺います。お会いするにも、こちらで御了解を頂く必要がございますか」
「好きにしろ。会いたければ本人に訊け」
廊下で靴音が止まり、秘書官が次の面会を告げた。
ホルストは手帳を鞄へ戻し、立ち上がった。
「では、御本人へお手紙を差し上げます」
「ああ。次の者を入れろ。朝から一人のために、随分と時間を使わされた」
最後の言葉は秘書官へ向けられていた。
ホルストが頭を下げた時には、バルクはもう次の書類を開いていた。
◆
控室で、ブリュック自由市の参事が立ち上がった。
ホルストは座るよう手で示し、自分も隣へ腰を下ろした。
「粉は明後日に出るそうです。倉庫へ知らせてやってください」
「それは助かりました。伯爵がお話しくださったおかげです」
「私が来る前に決まっていたそうですよ。延長案も書き直されますから、返答はそれを御覧になってからに」
「ありがとうございます。お力添えに感謝していたします」
ホルストは手帳へ一行書き足してから握手をした。
参事が退出すると、廊下で待っていた秘書官から外套を受け取り、袖へ腕を通す。
「お戻りになれば、次のお客様まで半刻ほどございます」
「それなら、先に書くものを済ませよう。昼は歩きながら食べずに済みそうかね」
「お話が長引かなければ」
執務室へ戻ると、留守中に届いた書類が机を半分埋めていた。
ホルストは上の二通を確かめ、秘書官へ渡した。宰相府から来る修正案は自分にも見せ、それから昨日話した代表たちへ届けるよう頼む。
「ライフェンベルク中佐へ夕食の招待を出したい」
「……承知しました。ほかの皆様もお招きになりますか」
「まずは二人で話そう。大勢並べれば、向こうも会合だと思って返事を用意してくる」
ホルストは便箋を二枚引き寄せた。
「縁談の噂は事実だった。こちらから尋ねて、宰相が認めた。日取りはまだだそうだが、陛下へは今日の便で知らせる」
秘書官は書きつけていた手を止めた。
「ハルツの各将軍からお名前を伺っていることと、連邦についてお話ししたいと書こう。都合のよい日を知らせてもらいたい。日が決まれば、ほかの予定はこちらで動かす」
「お祝いの言葉も添えられますか」
「もちろん。宰相に伺ったと書いておく」
ホルストは自分で招待状を書き、読み返してから署名した。
「返書が来たら、ほかの書類へ紛れぬように頼む」
招待状を秘書官へ渡し、残した便箋を机の中央へ置いた。