第二次大規模侵攻から一週間後、修が起きたと千佳から報告を受けて、陸平は三門市立総合病院に来ていた。
ジャージのポケットに左手を入れたまま、陸平は三雲修とプレートが差し込まれている病室の扉をスライドさせる。中にはベッドで上半身を起こしている修と、その傍らに遊真と迅がいた。
個室の真っ白な部屋で、消毒液の匂いが薄く漂っていて、シーツの洗剤の香りが混じっている。
「よお。無事でよかったな、修」
言葉とは裏腹に、声には刺すような鋭さがあった。
陸平はそのままベッドまで距離を詰めて、点滴に繋がれた修を見下ろす。
さっきまでベッドで寝ていたようで、当然髪は整えられていない。右腕はまだ痛むのか力無く垂れ下がったままだ。
「……あ、応急処置していただいたみたいで、ありがとうございます」
ぎこちなく頭を下げた修の言葉を遮るように、陸平は換装した。流れるように右手で拳銃を引き抜いて、寝癖のついた頭に向ける。
迅と遊真はその様子を目で追ったが止めはしなかった。
突きつけている拳銃の側面を親指で押す。ダイヤルが切り替わる音が鳴った。
「戦闘員にとって一番大事なことは?」
空気が張り詰める。間違えたら撃つぞとでも言いたげな声だった。
「……生き残ること、です」
「なんだ。知ってたのか」
拳銃は降ろされ、元の場所へと納まった。
「おまえは千佳の兄と友人を捜すために、遠征にいくのが目的なんだよな」
「……? はい、そうです」
「じゃあ正攻法で遠征に行けなかったら、おまえはボーダーをやめるのか?」
「えっ……?」
「三回目だ。オレが知ってるだけでもおまえは三回死にかけてる。自分の身も守れないやつを、上は遠征選抜に通さねえぞ」
これは事実だ。現に当時A級だった二宮隊は、鳩原が自分の身を守れないという理由で遠征選抜から外れている。
狙撃の腕自体は申し分なかった。彼女には的確に武器のみを破壊する精密性がある。それでも上は二宮隊を遠征メンバーに選ぶことはなかった。リスクのある人間は積極的に遠征選抜から弾かれる。それだけだ。
「で、どうやって捜しに行く?」
「…………それは……」
修は目線を下げて言い淀む。
そもそもこいつの入隊は遊真と千佳が入隊する数ヶ月前。ボーダーに入った目的が遠征に行くことではないはず。
たしか最初に迅から修の話を聞いた時、「助けたい女の子がいるらしい」と言っていた。ならば、その女の子はほぼ確定で千佳だ。あれだけのトリオン量、トリオン兵が放っておくはずがない。キープアウトができるまで、彼女が無事でいたのが不思議なくらいだ。
千佳を助けることが目的だったとすれば、修がボーダーに入隊した狙いはおそらく、唯一トリオン兵に対抗できる手段である、トリガーを自由に使える権利を得ること。だからこそ、戦闘員という肩書きに強くこだわった。
非戦闘員ならトリオンがなくても問題なくなれる。しかし修は試験に落ちた。エンジニアやオペレーターでは、受かる意味がなかったのだろう。
悪いやつではないのだが、自身の目的を達成するためならば手段を選ばない傾向がある。密航までするかと問われれば、全然やりかねないとしか思わない。彼を正規のレールに乗せることは、この先非常に重要になってくる。
「遠征に行きたいなら、しっかりと自分をコントロールしろよ。千佳の目的を邪魔することになるぞ。なんでも突っ込んでくやつに、使える席は残ってないからな」
修は千佳のために動いている。死にかけることが彼女の目的の妨害になるならば、さすがに意識して控えざるを得ない。
陸平はジャージに戻ると、修に背を向けた。
「以上。じゃ、オレは先に帰るぞ」
「いいのか、新。おまえが本当に伝えたいことはそれだったか?」
呼び止めたのは迅だった。
陸平は足を止めたが、修たちには背を向けたまま。
「……そーだな。これで合ってるよ」
「本当か? 遊真」
迅の声が陸平ではなく遊真に向いた。
「……いや、ウソだね」
赤い瞳が言葉を捉え、静かにつぶやく。
顔が見えていることは判定基準ではないことだけがわかった。
「新が後悔しないんならそれでいいけど。そんなんじゃ、メガネくんは微塵も止まんないよ」
予知を持つ男の言葉に、陸平は思わず振り返って修の顔を凝視した。
「…………おまえ、微塵も止まんねえの?」
「えっ……と。それは、その………………すみません」
「おい、こいつマジか」
どうやらまるで抑止力にはならなかったらしい。
迅がもう一度、真意を確かめるように陸平に問う。
「どうすんの?」
言いたいことは山ほどある。だがそれらは全て自分の感情であって、身勝手な意見にすぎない。頭の中で勝手に言葉が出てくるが、そのどれもがただのエゴだ。
どうすればいいのかと自問を繰り返すが、陸平には修を止める術が見つからなかった。
(……オレが伝えたいことか)
盗み見るように遊真の方へと視線を動かした。
話の流れだったとはいえ、陸平は彼の過去を聞いてしまっている。そんな重要なことを聞いたにも関わらず、自分はトリオンが最低値である経緯をずっと黙ったままだ。
たっぷりと時間を使って考え、意を決したようにゆっくりと息を吐いた。
「……まあ、いい機会か」
陸平が話を切り出そうとすると、遊真がひっそりと移動し、廊下に繋がる扉へと手をかけていたのに気がついた。
「遊真もここにいろ」
「……いいの?」
「一緒に聞いてくれ」
「わかった」
修の目線を誘導するように、トントンと自身の体の中心、心臓の辺りを指で叩く。
「オレにはここに縫い跡がある」
「縫い跡、ですか?」
「トリオン兵に、トリオン器官抜かれそうになった時の傷」
「……っ!」
「小学校上がりたてだったから、六歳くらいの時か。父さんが前に立って守ってくれたんだ。だからオレの怪我はそんだけで済んだ」
当時は十一年前だが、それでも鮮明に覚えている。
まだトリオン兵のことも近界民のことも、何も知らなかった頃。父が仕事が早く終わったからと下校時に迎えに来て、一緒に家に帰った時のことだ。小学生なんだからもう迎えなんて来るなと、反抗期丸出しで言っていた記憶がある。友人が近くにいた手前、親と帰るのが気恥ずかしかっただけなのに。
通学路の桜はすでに散っていて、地面がピンクに染まっていた。父はスーパーで買ってきた袋を引っ提げながら、今日は肉が食べたい気分だと笑って頭を指で小突いてくる。
ふらっと軽く陸平の体が逸れると、真横にあった木陰が不自然にガサガサと動いた。直後、人が通るのを見計らったようにモールモッドが飛び出してきて、鋭く変形した腕を振るう。
父が必死な声で「新」と叫び、思い切り腕をうしろに引っ張られた。大きな背中が顔に当たって反射的に目をつぶってしまう。自分の胸のあたりが急激に熱くなっていく。父の体を貫通して陸平に刃が突き刺さっていた。
足元に散った桜が真っ赤に染まっている。刃が抜けると、赤いインクの入ったバケツをぶちまけたように、父の腹部から流れ落ちていく血が広がっていった。
頭で何が起きたのかを理解するより前に、痛みで意識を手放す。気がついた時に目に映ったのは病室の天井だった。
「こいつのせいで、オレは元々少なかったトリオンがさらに減った。でも、そのおかげでトリオン量がトリオン兵に感知できる量を下回ったから助かったんだ。まあ、運がよかったな」
居心地の悪さを感じ、目線が勝手に窓の方に向いてしまう。外はどんよりと薄暗く、ぽつぽつとまばらな雨がガラスを叩いていた。
生き残ったのは偶然だ。ただ、サイコロの出目が良かっただけ。そこに意味などないのだろう。それでも──、
「オレはどうしたって、おまえらを直接守ってやることはできないからさ。頼むから、無茶だけはしないでほしい。……もう誰かが死ぬのを、ただ見てるだけしかできないのは、嫌なんだよ」
絞り出したかのような声は、自分でも笑ってしまうほど震えていた。
「……修が今のままだってなら、オレはおまえらのチームが遠征に行くのを応援できない」
それが、嘘偽りない本心だった。
ーーー
「そんじゃ、オレら戻るけど。ちゃんと安静にしてろよ」
陸平は廊下から扉を閉め、迅を連れて逃げるように病室から離れた。
遊真はもう少し修と話してから帰るとのこと。その言動が自分への配慮であることは、考えるまでもなく察しがついた。
「……後輩に気ぃ使われんのめっちゃ複雑だな」
「そりゃおまえが、すっごい居た堪れないって感じの顔してるからだろ」
人通りの少ない廊下を並んで歩く。
白い照明が規則正しく並ぶ天井がレンズ越しに目に入り、この空間の清潔さをさらに補強しているように思えた。
「正直助かったよ。あいつにはブレーキ役が必要だった」
心許ない枷ではあるが、少しくらいはストッパーになっていることを願いたい。
「メガネくんの車、アクセルしかないしね」
「ハンドルだって握ってるだけじゃねーか。真っ直ぐにしか進めてねーんだよ」
「心配ないよ。道案内はおれの役なんだろ? その辺はこの実力派カーナビに任せなさい」
迅が遠くをぼんやりと眺めたままのんきに笑った。
周囲には見当たらないが、どこかからカートの車輪が転がる音が耳に届く。
「オレはあいつらが遠征に行く手伝いはしてやらねえからな」
念を押すように素っ気ない声が出る。
迅は彼らに協力する気のはず。修がボーダーに入隊してからもずっとそうだったし、大規模侵攻で負った怪我に対しても、報いたいという気持ちが強いだろうことは明白だった。
迅の掴みどころのない目がこちらに向く。自分か、あるいはもっと先の未来の可能性を見ているのか。
なにが未来を良い方向に作用させるかなど、陸平には到底わからない。良かれと思ってやったことが、巡り巡って最悪の未来に繋がっているかもしれない。
それでも進み続けるしかない。自分の道は自分で決める。
迅は口元に笑みを浮かべたまま、これから起こりうる未来をなぞるように、視線をわずかに動かした。そんな気がした。
「前も言ったろ。おまえは自由に動いたほうが、いいんだよっ!」
「痛っ!」
生身だと言うのに、隣から腕が伸びてきて背中を強めに叩かれる。
勢いで前に押し出されると同時に、陸平の黒いジャージが深緑のツナギへと変わった。
【トリオンエラー 一章完】
次回更新日は未定です。完結目指してじわじわ執筆中。
二章分完成の目処が立ちましたらまた更新を再開いたします。
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