BIOHAZARD: Re-Genesis 作:ヨシフ書記長
仕事で指が飛びかけました。
燃え盛るヘリコプターの残骸が、夜闇に不気味なオレンジ色の影を落としている。
熱風と黒煙が吹きすさぶ廃墟の中で、クレアとモイラは血相を変えて周囲を走り回っていた。
「モイラ! そっちはどう!?」
「ダメ……! やっぱりいないわ……! あの子はどこに……?」
クレアの切羽詰まった声に、モイラが泣き出しそうな顔で首を振る。つい先ほどまでナタリアが抱きしめていたテディベアだけが、冷たい地面にポツンと転がっていた。
「あの子……本当にどこに行っちゃったんだろう?」
「どこかに隠れているのかもしれないわ。……探しながら進みましょう」
気丈に振る舞うクレアの背後で、エリザベスは痛ましげに眉をひそめ、「本当に何方へ……」と静かに呟いた。 しかし、その内心では極上の喜劇でも観るかのように冷笑を浮かべていた。
(小娘一人に対して…何を喚いているのか。手際よく連れ去られたというのに。まあよい…、次の演劇の案内役としては十分だ)
三人は、炎の向こうにそびえ立つ不気味な『塔』へと歩みを進めた。
その強固なゲートの入り口に差し掛かった時、クレアが壁に貼られた一枚のメモ用紙を見つけた。
「モイラ! 見て!」
「これ……」
そこには見覚えのある筆跡で、一言だけ殴り書きのように記されていた。
『工場へ向かえ』――ニールからのメッセージだった。
「工場……? どうするの、クレア」
「なにか…ニールは掴んだのかも。行くわよ」
「ねぇ……ニールはなんのために、こんなところに来たの?」
暗い夜道を工場へ向かって歩きながら、モイラが不安げに尋ねる。クレアもまた、沈痛な面持ちで首を横に振った。
「分からない。本人に聞いてみるしかないわ……」
重苦しい静寂に包まれた、巨大な工場の入り口。 三人が固く閉ざされた鉄の扉を押し開け、無機質なコンクリートの通路へと足を踏み入れた、その瞬間だった。
ガシャンッ!!!
背後で凄まじい金属音が響き、天井から分厚い鉄格子が落下してきた。
「なっ……!?」
クレアが振り返るが遅い。退路は完全に絶たれ、三人は薄暗い区画に閉じ込められてしまった。
直後、全員の手首の腕輪から、ノイズと共にあの女の声が響き渡った。
『ようこそ、キールリングへ……ここは全てが終わる場所……』
「オーバーシア! ここも彼女のテリトリーなの!?」
「ねぇ! クレア……! なんか変だよ……気をつけて!」
モイラが怯えた声で前方を指差した。
工場のエントランスらしきその広場の中央には、異様なモニュメントが鎮座していた。巨大な岩に縛り付けられた、人型のグロテスクな像。まるで拷問の様子を現したかのような悪趣味な造形物の足元で、何かが鈍く光っていた。 クレアが警戒しながら近づき、それを拾い上げる。
それは血のついた身分証だった。
「これは…、ニールのだわ……!」
『その男はプロメテウス……神を裏切り……岩に捕らえられた男』
腕輪からアレックスの嘲笑うような声が降ってくる。
(プロメテウス……神を裏切り、火を盗んだ男か。カフカの次はギリシャ神話とはな。相変わらず文学の引用に頼る…くだらん三文芝居だ)
エリザベスは表情一つ変えず、密かにアレックスの自己陶酔を見下した。
「ニールはどこ! 答えなさい!」
クレアが腕輪に向けて怒りの声を叩きつける。 アレックスは、まるで絶望する獲物をいたぶるように、ゆっくりと囁いた。
『神々の処刑場……そこに答えがある……』
通信はそこで一方的に途切れた。不気味な静寂が舞い戻る。
「……とにかく、ニールを助けないと」
「でも、何処にいるの?」
「中を探しましょう」
クレアはショットガンを構え直し、工場のより深くへと続く重い扉に手をかけた。
ギィィィ……と錆びた音を立てて扉が開く。 足を踏み入れた途端、広大な工場区画のスピーカーから、無機質で不気味なロシア語の自動音声放送が、呪文のように響き渡ってきた。
血の匂いと、機械の油、そして何かが腐敗したような強烈な悪臭が鼻を突く。
モイラがバールを握りしめ、顔を引きつらせて呟いた。
「あぁ……やっぱりこの工場、普通じゃない……」
血と機械油の臭いがこびりついた、薄暗く入り組んだ工場の通路。
どこからか聞こえてくる豚の鳴き声のような不気味な機械音に神経をすり減らしながら、三人は警戒を怠らずに奥へと進んでいった。
やがて、モイラが先陣を切ってある部屋の重い扉を押し開けた。
中へ入り、手元のフラッシュライトで部屋の構造を照らし出した瞬間、彼女は顔を大きく引きつらせて悲鳴に近い声を上げた。
「見て、あの天井! 最悪!」
モイラの声に反応し、クレアとエリザベスも部屋へ足を踏み入れる。
見上げれば、そこには無数の鋭利な鉄のトゲがびっしりと突き出た『吊り天井』が、部屋全体を覆うように重々しくぶら下がっていた。落ちてくれば、人間の体など一瞬で串刺しになる凶悪な代物だ。
そして、部屋の中央には不気味な彫刻が施された台座が置かれている。
そこには二つの『鳥の像』が向かい合うように鎮座していた。一つの像はその嘴にギラギラとガラス特有の冷たい光を放つ『義眼』を咥え、もう一つの像は重厚な『工場の鍵』を咥えている。
「いかにも罠って感じね……」
クレアはショットガンを下ろし、台座の構造を鋭い目で観察した。
「あの像から鍵か義眼を取れば、仕掛けが作動して天井が落ちてくる。悪趣味なトラップだわ」
「嘘でしょ、冗談じゃないよ! 私達…インディ・ジョーンズじゃないんだから!」
モイラがトゲ天井を睨みつけながら悪態をつく。
その傍らで、エリザベスは部屋全体を観察し、台座の罠をひどく冷めた黄金色の瞳で見下ろしていた。
(……トゲ付きの吊り天井に、重量感知式の台座の罠だと?)
オズウェル・E・スペンサーの老獪な精神は、内心で深い溜息をついた。
(ククク……アレックスめ。かつてワシがアークレイの幹部養成所に仕掛けたギミックを、そっくりそのまま真似て持ち込むとはな。相変わらず模倣ばかりで独創性に欠ける、つまらん女だ。これではジョージ・トレヴァーもあの世で泣いていよう)
表向きは「恐ろしい仕掛けですわね」と不安げな淑女を演じながら、エリザベスは手近な像の嘴に挟まれた『義眼』をじっと見つめた。
「クレア」
エリザベスが静かに口を開く。
「おそらく、このまま力任せに奪い取れば、私たちはミンチにされてしまいますわ。何か、これらと同じ重さの『代わりの品』を見つけてこなければならないのではなくて?」
「ええ、その通りね。エリザベス、鋭いわ」
クレアが頷き、部屋の奥へと続く別の扉へ視線を向けた。
「この部屋の仕掛けを解くためのアイテムが、この工場のどこかにあるはずよ。ニールを探すためにも、手分けして奥を探索しましょう」
「わかった…。でも、頭上には気をつけようね」
モイラがバールを握り直し、覚悟を決めたように頷いた。
仕掛けを一つ解除するたびに、錆びついたスピーカーから突如として大音量の『勇ましいソ連軍歌』が工場内に響き渡る。血と死臭にまみれた廃墟に流れるその壮大なメロディは、あまりにも場違いで狂気に満ちていた。
「気持ち悪い……! なんか本物の目玉みたい……」
無事にトラップをくぐり抜け、台座から手に入れた『ガラスの目玉』を手のひらで転がしながら、モイラが顔をしかめた。精巧な義眼は、ぎらぎらとした光を放っている。
「何に使うのかしら……?」
クレアが訝しげに義眼を見つめる。 三人は工場のさらに奥、工場長室と思しき部屋の前に来ると、クレアは扉の仕掛けを見て驚いたように言った。
「網膜認証? 工場にしては厳重すぎるわ」
義眼を使って扉のロックを開けると、部屋へと足を踏み入れた。 そこには、デスクの奥の椅子に座ったまま息絶え、ミイラのように干からびた男の死体があった。
「モイラ、見て……死体のお腹の中……」
クレアのライトが照らし出したのは、死体の腹部が不自然に切り裂かれ、その中に何らかの「部品」がねじ込まれているという悪趣味な光景だった。
血生臭い部品を引きずり出しながら、モイラが呟く。
「もしかして、これ……外にあった石像の部品かも……でも、どういう意味かな……?」
「地図もあるわ」
デスクの上から色褪せた工場の見取り図を拾い上げ、クレアが現在地を確認する。
「この工場……下水道から塔に通じているみたいだけど……下水道は、あの石像の先だわ」
「石像をどうにかしないと先には進めないわね」
クレアが手の中の奇妙な形状の部品を見つめて首を傾げた時、エリザベスが静かに口を開いた。
「クレアさん、モイラさん。オーバーシアはあの石像を『プロメテウス』と呼んでいましたわね」 「ええ。神を裏切り、岩に捕らえられた男……」 「ギリシャ神話において、プロメテウスは神の火を盗んだ罰としてカウカソス山の岩に縛り付けられ、毎日生きたまま『肝臓』を毒鷲に啄まれるという拷問を受けましたの。……あの無惨に腹を裂かれた石像に足りないのは、その肝臓のレプリカではないかしら?」
エリザベスの淀みない解説に、クレアはハッとして手元の部品を見た。
「なるほど……! エリザベス、凄い知識ね。これでこの部品の意味が繋がったわ!」
感心するクレアの前で、エリザベスは「昔、少し本で読んだだけですわ」と控えめに微笑んでみせた。
(全く…アレックスの安っぽい見立て殺人に付き合わされる身にもなってほしいものだ)
エリザベスは内心で毒づきながら、自らの知性を優雅に隠蔽した。
部屋から出るとさらに奥へと続く通路へ足を進める。
「暫く……誰もここには来ていないわね…なら、ニールは何処にいるの?」
埃を被ったままの通路を見渡し、モイラが不安げに声を震わせた。
「ニールも、あの子もどこ……?」
さらに工場の深部、重厚な扉を開けた先は、かつての食肉加工場だった。
扉を開けた瞬間、生暖かい異臭が三人の鼻腔を容赦なく襲う。
「うわぁ……獣臭い」
「動物がいたみたいね…」
モイラの言葉にクレアはそう呟くと、解体棟の周りを見渡した。
「ここで……動物を殺してたんだわ」
モイラが口元を覆いながら周囲を見渡す。天井からは巨大なフックが吊るされ、床には乾ききっていない赤黒い血だまりが広がっていた。
「静かに……! なにか来るわ……!」
クレアの鋭い警告。物陰に身を潜めると、豚のような異形のクリーチャーたちが徘徊しているのが見えた。
息を殺して死角をすり抜けながら、三人は巨大なミンチ機とスライサーが置かれた解体場へと辿り着く。
クレアが、血まみれのスライサーの隙間に引っかかっていた『解体場の鍵』らしきものを引き抜こうとした、その瞬間――。
ガゴンッ!! とけたたましい轟音を立てて、止まっていたはずのスライサーとミンチ機が突如として再起動した。
「クレア! タンクから何か落ちたよ!」
ミンチ機の巨大なタンクの底に、目的の『右半葉の肝臓のレプリカ』が転がり出たのをモイラが発見する。だが、それは機械の奥底にあり手が届かない。
クレアは周囲に吊るされていた巨大な豚の肉塊を撃ち落とし、次々と稼働するミンチ機の中へ放り込み続けた。
グチャッ! メキメキメキッ!
肉と骨が砕かれる凄惨な音と共に、機械の下部から血肉の混じった大量のミンチ肉が吐き出され、その圧力でついに探していた『肝臓のレプリカ』が押し出された。
生乾きの血と肉片に塗れたレプリカを手にした瞬間、またしても工場のスピーカーから、不気味なロシア語の放送が鳴り響く。
それに被せるように、腕輪からあの女――アレックスの声が低く響いた。
『プロメテウスの叫び声が聞こえる……』
オーバーシアの冷酷な声明が途切れた瞬間、加工場内のスピーカーから地響きのような大音量で、再び重々しいロシア語の警告放送が鳴り響いた。
それと同時に、肉の腐った臭いを撒き散らしながら、壁のダクトや扉を破壊してアフレクティッドたちが大挙して押し寄せてきた。 両腕に刃物を括り付けた狂人たちが、飢えた獣のように三人を包囲する。
「歓迎会にしては…悪趣味すぎるわね!」
クレアがショットガンを構え、迫り来る化け物の頭部を吹き飛ばす。
「もうっ、次から次へと何なのよ!」
モイラも負けじとバールを叩きつけ、怯んだ隙にクレアが追撃を入れる。 その乱戦の最中、エリザベスは一切の無駄がない洗練された動作でスチェッキンを構え、正確無比なヘッドショットを連発していた。
「まったく、あの『オーバーシア』とやらの兵器開発のセンスには反吐が出ますわ。ただ本能のままに暴れ、知性も統制もない生物兵器を生み出すなんて…。このような悍ましいバイオテロは、一刻も早く我がブルーアンブレラが根絶しなければなりません」
「エリザベス、頼もしいけど文句を言っている暇があったら走るわよ! 囲まれる!」
クレアの声に、エリザベスは「ええ、分かっておりますわ」と上品に微笑み返し、一堂は押し寄せる化け物の群れを強行突破して、工場のエントランスへと引き返した。
息を切らせて戻った広場には、あの悪趣味なプロメテウスの石像が佇んでいた。 クレアは手に入れた『肝臓のレプリカ』を、像の切り裂かれた腹部の空洞へと押し込んだ。
「これで……揃ったはずよ!」
ガチリ、と重々しい噛み合い音が響く。 直後、石像の内部から、地獄の底から響くようなおぞましい唸り声が漏れ出した。像の表面に無数の亀裂が走り、内部から強烈な高熱の光が溢れ出す。
「危ない、離れて!」
クレアが二人の肩を掴んで飛び退いた瞬間――。
ドォォォン!!!
凄まじい爆風と共に、石像が木っ端微塵に爆発した。四散する破片が煙を上げ、その向こう側にあった強固な隔壁が崩落し、下水道へと続く奥の施設への道が顕わになる。
「なによこれ…!最悪……!」
モイラが煙を払いながら悪態をつく。
しかし、安堵したのも束の間、工場全体の警報サイレンがけたたましく鳴り響き始めた。それと同時に、あちこちの配管から炎が噴き出し、施設全体が連鎖的な爆発を起こし、急速に崩壊しつつあった。
手首の腕輪から、再びオーバーシアの歪んだ嘲笑が響く。
『貴方達の役目は終わり……もう用済みよ』
「オーバーシア! ニールは何処なの!?」
クレアが走りながら叫ぶ。
『神々の処刑場も役目を終えた……後はプロメテウスの炎が、全てを焼き尽くす』
エリザベスは迫り来る炎を見つめながら、毅然とした態度で冷ややかに言い放った。
「人類に火を与えたプロメテウスの神話になぞらえて、私たちを焼き殺すつもりかしら? テロリストというのは、どうしてこうも独りよがりで悪趣味な演出を好むのかしらね」
「やっぱり罠だ! エリザベス、クレア、早く逃げよう! 炎に巻き込まれちゃう!」
モイラが叫び、崩れ落ちる柱を間一髪で避ける。
「こっちよ!」
クレアが先頭に立ち、行く手を阻む防火シャッターの制御レバーを力任せに引き上げた。火花を散らしながら、わずかに持ち上がるシャッター。
「走って!」
三人はその隙間に滑り込み、炎が渦巻く通路を駆け抜ける。突き当たりにあるのは、工場の外壁に設置された巨大なガラス窓だった。すぐ背後まで大爆発の炎の波が迫っている。
「もう最悪ーーーーっ!!」
モイラが絶叫する。 クレア、モイラ、そしてエリザベスの三人は、躊躇することなく窓ガラスを突き破って外へと飛び降りた。
背後の工場が跡形もなく大爆発を起こす爆風に背中を押され、三人は下方の暗い水路へとダイブした。 激しい水しぶきを上げて水面に顔を出す三人。
「ゲホッ、ゴホッ! ……あいつ、一体何がしたかったのよ!?」
モイラが濡れた髪をかき上げながら、工場を見上げて怒りをぶちまける。
「とにかく進みましょう。ここに留まるのは危険よ」
「クレアさんに同意しますわ」
クレアが周囲を警戒しながら水の中を進む。 水路の足場に上がったところで、エリザベスは自身の状態を見て小さく溜息をついた。自慢の純白のドレスが水と泥で汚れ、濡れて重くなったスカートが足に絡みついている。
「これでは、少々動きにくいですわね……」
エリザベスは躊躇なくドレスの裾を掴むと、膝の上あたりで器用にたくし上げ、余った布地を腰のベルト部分できつく縛り上げた。上品なロングドレスが一瞬にして、動きやすさを重視したアクティブなミニスカート風のアレンジへと変貌する。
「おっ、ナイスアレンジ。そっちの方が動きやすそうだね」
モイラが感心したように言うと、エリザベスは少しだけスカートを持ち上げて軽くステップを踏み、いかにもプロフェッショナルらしく微笑んだ。
「ええ、ブルーアンブレラの代表たるもの、いかなる過酷な環境であっても、生き残るための機能性を重んじなければなりませんから」
水路の暗闇を進む中、モイラが前方の古い鉄格子を指差した。
「クレア、エリザベス、ここだよ! 塔に通じてる水路!」
「オーバーシアは今まで私たちを監視していた。あの爆発で私たちが死んだと思っていればいいんだけど……」
クレアが周囲を見渡しながら呟く。
「それって……私たちが生きてる限り、相手の裏をかけるチャンス……ってことだよね」
モイラが少し不敵な笑みを浮かべる。
「ええ、その通りよ」
クレアは錆びついたシャッターのロックを外し、強引にこじ開けた。
「塔まであと少しよ……行きましょう!」
暗く冷たい下水道を進みながら、モイラがふと寂しげに呟いた。
「結局……あの子もニールも、工場にはいなかったね……」
「ええ。モイラの言う通り、ニールの書き置き自体が、私たちをあの工場で仕留めるためのオーバーシアの罠だったのかもしれないわ」
クレアの表情に苦渋が混ざる。
行く手を阻む閉じたままのフェンスゲートに行き当たり、三人が立ち往生した、その時だった。
カチャリ、と冷たい金属音が響く。
「しまっ――」
クレアが身構えるより早く、通路の闇から突如として現れた人影が、モイラの頭部に無骨なライフルの銃口を突き付けた。
「動くな」
低く濁った声と共に、モイラが銃身で小突かれ、よろめく。
「お前らは誰だ? ここで何をしてる?」
猟銃を構えた白髭の老人が、鋭い眼光で三人を見据えていた。
「銃を下ろしなさい!」
クレアが即座にハンドガンを老人に向け、一触即発の空気が流れる。 背後ではエリザベスが表情一つ変えず、ブルーアンブレラ代表としての冷徹な落ち着きを保ったまま、いつでもスチェッキンを抜けるよう静かに手を添えていた。
モイラは銃口を突き付けられながらも、老人の格好を見て眉をひそめた。
「……このおじいさん、テラセイブの人?」
「何の話だ? 俺はそんなものは知らんぞ」
老人は冷酷に言い放つ。 クレアは老人の手首に目をやり、不自然な点に気づいた。
「腕輪がない……? あなた、被験者じゃないの?」 「被験者って何の話だ?」
老人はますます不機嫌そうに顔をしかめる。
「おじいちゃん知らないの!? この島が今どうなっているのか……化け物だらけなんだよ? 一緒に逃げないと大変だよ!」
モイラが必死に訴えかけるが、老人はフンと鼻を鳴らした。
「断る! ここは俺の故郷だ! 出る気はない!」
老人はそう言い捨てると、壁にある古い制御盤へと歩み寄り、乱暴にボタンを押し込んだ。ガチャンと音がして、フェンスゲートの電子ロックが解除される。
「美しい島を汚し、全てを奪い去る他所のもの共……お前たちにどんな災いが起ころうと、俺の知ったことか! ここは俺の場所だ! 通してやるからさっさと消えろ!」
老人はライフルの銃口を向けたまま、闇の奥へと引き下がっていった。
「はあ!? 何あの態度……! ほんと、誰かさんにそっくり!」
フェンスをくぐり抜けながら、モイラが怒りを爆発させる。
クレアが苦笑しながら尋ねた。
「誰かさんって……バリーのこと?」
「そうよ! 私が左に行こうって言うと、絶対に右に行く感じ! 人の話なんてこれっぽっちも聞いてくれないのよ!」
モイラは歩きながら、父親への不満をぶちまける。
「あはは、わかるわ……。私の兄さんもそうなの。いつも頑固で、自分の決めた道を突っ走るタイプ」
クレアも共感するように肩をすくめる。
「でしょ!? しかも、こっちがちょっと失敗なんかしようもんなら……『だから言わんこっちゃない』みたいな顔してさ! うぅ……もう最悪なの!」
二人の父親や兄に対する愚痴を聞きながら、後ろを歩いていたエリザベスは、上品に口元を隠してクスクスと笑い声を漏らした。
「あらあら……どこの世界でも、男性というものは頑固で、時に周囲の言うことを聞かない生き物ですわね。私の周りにも、それはもう自分の信念を絶対に曲げない、手のかかる頑固者がおりましたから……お二人の苦労、お察ししますわ」
ブルーアンブレラ代表としての落ち着いた、大人の女性としての完璧な相槌。しかしその脳裏では、かつて自らの最高傑作として手塩にかけながらも、最終的に自分に牙を剥いてみせたあの男――アルバート・ウェスカーの不遜な笑みを思い浮かべ、冷酷な愉悦に浸っていた。
(血統や組織…さらに子というものは、親の思い通りには動かぬもの。だがモイラ・バートン……お前がバリーという男に反発し、ここでどう『進化』するかは、非常に興味深い観察対象だ)
「エリザベスも、結構苦労してるんだね……」
モイラが同情的な目を向ける。
「ええ、本当に。我が強すぎる部下や身内を持つというのは、命がけの仕事ですのよ?」
エリザベスは完璧な聖女の微笑みを浮かべながら、優雅に二人に従った。
三人は水路の闇を抜け、いよいよオーバーシアの待つ『塔』の直下へと足を踏み入れた。
三人は行く手を阻む重い金属のシャッターを力を合わせて押し上げた。 開けた先に広がっていた異様な光景に、モイラが大きな空間の不可解さに言葉をこぼす。
「ここ…あの塔の中だよね?」
「そのはずよ…これは?」
クレアが手元のライトで闇を切り裂くように照らし出すと、そこには無数の古びた墓標が等間隔にずらりと並んでいた。石造りの冷え切った空間に、死の気配だけが濃密に立ち込めている。
「お墓…みたいだね…」
「まるで地下墳墓ですわね」
エリザベスが静かに、どこか冷ややかな響きを帯びた声で呟いた。ブルーアンブレラの代表としての落ち着きを保っているが、その黄金色の瞳は周囲の悪趣味な造形を値踏みするように見回している。
「この上が塔のはずよ…!」
「オーバーシアに、見つかってなきゃいいけど…」 「上に行く方法を探さないと…! 急ぎましょう!」
三人は地下墳墓の中を探索し始めた。並んだ墓標にはそれぞれ異なる紋章や名前が刻まれており、何らかの法則が隠されている。モイラが持ち前の観察眼で墓に仕掛けられた謎を解き明かすと、奥の壁に設置されていた鉄格子が、ガチャンという重い音と共にゆっくりと上がり始めた。
それと同時に、どこからともなく『不気味なオルゴールの音色』が地下空間に響き渡る。
狂気を孕んだような美しい旋律が、三人の背筋を冷たく撫でた。 三人は不気味な墳墓から抜け出し、ついに地上――『塔』の最下層フロアへと足を踏み入れた。
そこは広大な吹き抜けの空間になっていた。薄暗い空洞の中央を、無骨で巨大なエレベーターシャフトの塔が天井高く、闇の奥底まで真っ直ぐに貫いている。その周囲を取り囲むように、金属製の非常階段が螺旋状に張り巡らされており、冷たいコンクリートと鉄骨の歪な造形が、見る者を圧倒する威圧感を放っていた。
「ニール…いないね…」 周囲を見渡しながら、モイラが不安げに呟く。
「何処に行ったのかしら…」
「ね、ねぇ…クレア…実はさ…」
モイラがふと立ち止まり、何かを言い淀んだ後、思い詰めたように口を開いた。
「ニールの事なんだけど…一緒にいた時…ニールの腕輪だけ、色が全然変わってなかったの! いつ死ぬか分からないあの状況で…怖くなかったなんて! 絶対、変だよ!」
その言葉に、クレアはハッとして足を止めた。 言われてみればその通りだ。恐怖やストレスに反応して色を変えるはずの腕輪が、あんな死地にいて『平常心』を示す緑色のままであるはずがない。
「そんな…確かに変ね…いくらニールでも有り得ないわ…」
二人の背後でその会話を聞きながら、エリザベスはひっそりと不気味な笑みを浮かべていた。
(……ふん、やはりな)
二人の背後を歩きながら、エリザベスは冷たい黄金色の瞳を薄く開いた。
あのパーティーに招かれた際、代表のニールと引き合わされた瞬間から、エリザベスはその瞳の奥に蠢く不吉な野心を見抜いていた。まさかテラセイブの仲間全員を供物として売り払うほどの手酷い真似を仕かけるとは予想していなかったが、元FBCの長官であり、自作自演のバイオテロで組織の権力を拡大させようとしたモルガン・ランズデールの『右腕』だった男だ。主と同じ愚かな自作自演を繰り返すであろうことは、容易に想像がついていた。
(モルガンの影に怯え、その遺志を継ごうとする愚か者が。自らの野心のために仲間を売り、結局はアレックスの掌の上で踊らされるとは……反吐が出るほど滑稽だ)
エリザベスはブルーアンブレラ代表としての落ち着いた笑みを浮かべたままで、胸中で冷酷な嘲笑を深めていた。
三人は重い扉を押し開け、無数の監視ディスプレイが壁一面に並ぶコントロールルームへと踏み込んだ。各モニターには島内のあらゆる場所が不気味に映し出されている。
部屋の中央にあるテーブルの上に、一冊のバインダーが残されていた。クレアがそれを手にとり、ページをめくった瞬間、その表情がショックで激しく凍りついた。
「これは……! ニールのリスト! モイラ! ゲイブ! クレア……エリザベス……みんなの名前が載っている……まさか! 島に囚われたメンバーだわ!」
「クレア……それってやっぱり……」
モイラが絶句する。ニールが自分たちを裏切り、島へ売り払ったという決定的な証拠だった。 その時、壁の中央にある大型ディスプレイの映像がノイズと共に切り替わった。
「ねぇ……! 見て!」
モイラが悲鳴に近い声を上げて指を差す。そこには、いま現在どこかの部屋で繰り広げられているリアルタイムの監視カメラ映像が映し出されていた。
画面の中、ニールは何やら壁際の端末を操作していた。その背後から、監視カメラの画角のせいで首から上の顔が見えないオーバーシアが、ゆっくりと足音もなく近づいていく。
『指示通り、「器」の選別は完了』
端末を操作しながら、ニールが振り返りながら事務的に報告する。
『ご苦労さま』
オーバーシアの冷ややかな声。
『それじゃあ……約束した通り……』
ニールが報酬を求めてオーバーシアへと詰め寄ろうと一歩踏み出した、その瞬間だった。
パンッ!
乾いた発射音が響く。オーバーシアが麻酔銃のような撃ち出し式の器具を構え、容赦なく引き金を引いたのだ。放たれた特殊な注射器のダーツがニールの首筋に深く突き刺さり、内包されていた黒い液体――ウロボロスウィルスが、勢いよく体内に注入された。
『な、何を……!? う、うわぁ…!ぐぁ……っ!』
ニールが激痛に叫び、よろめきながら首筋の注射器を引き抜く。
『あら? 約束通り……ウロボロスウィルスをあげたのよ?
『貴様……! 何処まで……知ってる!』
苦痛に顔を歪め、ニールが怨嗟の声を絞り出す。オーバーシアはもがき苦しむ彼を、冷酷な声で嘲笑った。
『テロ組織……ヴェルトロが7年前にテラグリジア・パニックを引き起こした時……裏で操っていたのは対テロ組織"FBC"……代表である銀狐には、右腕と呼ばれる後継者がいた……』
『全てお見通しか……!』
『愚かな男ね……またFBCの出番を演出するつもりでいたの?』
『バケモノが……! 政治を語るかぁ! うぐぅ…!…はぁはぁ』
ウロボロスウィルスの激しい侵食に苦しみ、膝をつくニールの後ろ姿を映し出したまま、映像は激しいノイズと共にぷつりと途切れた。 静まり返る部屋の中に、モニターの電子音だけが虚しく響く。
頼りにしていたリーダーであり、心から信頼していた仲間への醜い裏切り。そして、野心のために全てを売り払い、自らも捨て駒にされたというあまりにも悲惨な末路。
クレアは俯き、テーブルに手をついたまま、震える声を出さないように必死に堪えていた。
「クレア……もしかして……泣いてるの?」
モイラが心配そうに覗き込み、悲痛な声で問いかけた。
「ううん…大丈夫。気持ちの整理をつけてただけ!」
重苦しい空気が漂う監視室を後にした三人は、吹き抜けになった巨大なエレベーターシャフトの底――塔の最下層フロアへと降り立った。 見上げれば、はるか上部から巨大なエレベーターリフトが、重厚な機械音を響かせながらゆっくりと降りてくるのが見えた。
「……待って」
クレアは鋭い声で囁くと、リフト内の安全を確かめるため、エリザベスとモイラにここで待つようにハンドサインを送った。 張り詰めた空気の中、クレアはハンドガンを構え、油断なくクリアリングを行いながら、ゆっくりと近づいていく。
すると――薄暗い視界の影から、ひどく苦しむ男の姿が不意に飛び出してきた。
「ニール!?」
クレアの驚愕の声と同時に、ニールは足をもつれさせ、仰向けに激しく倒れ込んだ。
「うわぁ!うわあああ!」
「ニール!」
首筋を掻き毟り、尋常ではない様子でのたうち回る彼に、クレアは慌てて駆け寄った。
「これが…!俺のやり方だ!」
ニールは荒い息を吐きながらそう呻くと、血走った目で近づいてきたクレアを見つめ、震える手を伸ばして彼女の顔に触れようとした。 ――だが、その手が届く直前、突如として彼の肉体がさらに激しく痙攣し始めた。
「俺から離れろぉ!」
ニールは自らの手でクレアを突き飛ばし、絶叫する。骨が軋み、筋肉が異常に膨張する不気味な音が響き渡る。酷く痙攣し、苦しみながら、ニールはゆっくりと立ち上がった。
「FBCの復興は幻……!モルガン…様…!」
彼の口から、かつての恩師であり、野心の元凶であった男の名前が亡霊のようにこぼれ落ちる。
その直後、ニールの肉体が徐々に異様な変化を起こし始めた。皮膚の下で何かがうねり、限界を迎えた肉体を突き破って『黒い触手』が現れ出したのだ。ドス黒いヘドロのような細胞が、彼の体を急速に飲み込んでいく。
その凄惨な光景を、エリザベスは少し離れた場所から冷酷な黄金色の瞳で静かに見つめていた。
(……かつて世界を欺いた
悲劇を前にしても、彼女の心にあるのは純粋な『観察者』としての冷徹な嘲笑だけだった。
「ウロボロス…恐怖の源…!ハハッ…!これこそ…その力ぁ…!」
自らの肉体がぐちゃぐちゃと醜悪な異形へ変化していくのを感じながら、もはや正気を失った狂人のように笑い声を上げるニール。
クレアは一度顔を背け、悲痛な瞳を浮かべた後、声を絞り出すように叫んだ。
「ニール! 信じてたのに! テラセイブはバイオテロから人々を救うための組織じゃなかったの!?」
クレアの悲痛な叫びに、異形へと変わりゆくニールが獣のような低い声で唸る。
「ソの言葉二…偽りはない…! 恐怖の…チカラデ支配する方法…! それが…世界を救う方法だ!」 「そんなの私には理解できない!」
かつて心から信頼していた上司の変わり果てた姿に、深い喪失感が胸を締め付ける。 だが、再び正面を見据えた時――クレアの目から迷いは完全に消え去っていた。
カチャリ、と冷たい金属音を鳴らし、クレアはハンドガンを構え直すと、化け物へと変異してしまったニールへとその銃口を真っ直ぐに向けた。
「さようなら…、ニール!」
クレアの決別の叫びと共に、銃口から火が噴いた。 放たれた銃弾が、変異したニールの胸に露出した惨烈なオレンジ色の核を正確に捉える。
「邪魔を…するなぁ!!」
ニールは空間を震わせる咆哮を上げた。体内に潜伏していたt-Phobosウィルスが絶望によって発症し、そこに注入されたウロボロスウィルスが完全に暴走する。二つの悪魔のウィルスに飲み込まれたニールは、バキバキと骨格を破滅的な音で再構築させ、肉体が異常に膨張していく。肥大化した右腕は巨大な質量兵器となり、全身を這い回る黒い触手が強靭な装甲のように肉体を覆いつくしていく。
その異形となったシルエットを見た瞬間、エリザベスは内心で底意地悪い冷笑を漏らした。
(ククク……皮肉なものだ。バイオテロを憎み、FBCの再興を掲げた男が、最後に行き着いた姿がかつて我がアンブレラが量産した『
「散開して! 攻撃を正面から受けないで!」
クレアの切迫した指示が飛ぶ中、エリザベスは一切の動揺なくスチェッキンを構え、凛とした声で的確なアドバイスを飛ばす。
「クレアさん! ウロボロスは極端な『熱』に脆いはずですわ!置いてあるガスボンベや可燃物を利用なさい! 高熱で奴の細胞代謝を狂わせ、弱点を露出させるのです!」
(かつてアルバートが開発したウロボロスの特性……高い再生能力を誇る反面、高熱下では細胞の結合を維持できず自滅を早める。試してみる価値はあるはずだ)
「わかったわ! モイラ、手伝って!」
クレアが周囲を駆け回り、ニールをガスボンベの近くへと誘導してから狙撃する。
ドォォォン!!
猛烈な爆発と炎がニールを包み込む。
「ぐああっ! 熱い! 熱い…ぃぃがあああ! 皆…殺しだぁ…! モルガン様ぁ…!」
炎の中で身悶えし、狂乱したニールがターゲットを切り替え、瓦礫となった巨大な鉄骨を太い腕で掴み上げると、全力で投擲した。
「エリザベス、危ないっ!」
クレアの悲鳴のような叫び。砲弾以上の速度で飛来する数トンの鉄骨は、真っ直ぐに純白のドレスを着たエリザベスへと一直線に向かっていた。
だが――エリザベスの黄金色の視界において、その光景は欠伸が出るほど遅いスローモーション映像に過ぎなかった。
(……児戯だな)
彼女はドレスの裾を優雅に翻し、首を数センチ傾けただけだった。 ズガァン! と背後の壁を砕く音と共に、鉄骨が彼女の頬の真横を暴風となって通過していく。突風が美しい金髪を激しく揺らした。
紙一重で回避すると、無防備になった胸のコアへ向けて正確無比なフルオート射撃を叩き込む。
ズダダダダダダダダダダッ!!!
「ギャアアアアアッ!!」
激しい銃撃と爆発により、広場全体が分厚い黒煙と猛烈な炎の渦に包まれる。 視界が完全に遮られた、わずか数秒の空白。 エリザベスは、誰の目にも触れないその一瞬を利用し、ついにアルバート・ウェスカーの『力』を解放した。
――ドゥンッ!
空気が弾けるような重低音と共に、残像すら置き去りにする超高速移動でニールの背後へと滑り込む。
「アルバートの力も、貴様のような三下小悪党に使う必要などなかったかもしれんな…」
冷酷な囁きと共に、エリザベスは激しく蠢く太いウロボロスの触手を鷲掴みにすると、顔色一つ変えずに自らの怪力だけで『ブチィッ!!』と根本から強引に引きちぎった。
「グガアアアアアッ!?」
神経を直接引き裂かれたニールが凄惨な絶叫を上げる。 ついに限界を迎えた巨大な体躯が、地響きを立ててその場に崩れ落ちた。黒い体液を撒き散らし、完全に沈黙したかのように見えた。
エリザベスは千切れた触手の断面を冷徹な瞳で観察すると、汚物を捨てるようにそれを炎の中へと無造作に放り投げた。 黒煙が晴れた時、クレアはニールの背後から悠然と歩み出てくるエリザベスを見て、息を呑んだ。
彼女の純白のドレスには煤ひとつついていない。それなのに、ニールの背中の触手は不自然に根本からもぎ取られ、黒い体液を撒き散らしている。
(今……何が起きたの? 彼女はさっきまであんな所にいなかったはず……それにあのニールの背中の傷は……?)
クレアの脳裏に、言語化できない正体不明の恐怖が静かに這い上がる。
「やった……? とにかく、今のうちに!」
深く考える余裕はなかった。三人は息つく暇もなく、開いた巨大なエレベーターリフトへと駆け込み、起動スイッチを押した。 重厚な機械音と共に、リフトが塔の上層へと向かってゆっくりと上昇し始める。
「追い詰めたわ…! オーバーシア!」
クレアが金網越しに塔の天井を見上げて叫んだ、その時だった。
ガコンッ!!!
凄まじい衝撃でリフトが激しく揺れ、金属がひしゃげる不快な音が響いた。 何か巨大なものが、外側のシャフトを這い上がってくる不気味な音。
次の瞬間、強固なリフトの扉がメリメリと乱暴に引き裂かれ、炎と黒い粘液にまみれたニールが、死の淵から這い上がり強引にこじ開けて入り込んできたのだ。
「嘘でしょ!?」
リフトという逃げ場のない密室での強襲。死の淵で執念のみの怪物と化したニールは巨大な腕を振り回し、モイラの体を乱暴に掴み上げた。
「きゃあああっ!」
「ニール! もうやめて! モイラを離しなさい!」
クレアは咄嗟にコンバットナイフを引き抜き、モイラを掴んでいるニールの太い腕を滅多切りにする。もがき苦しんだニールが手を緩め、モイラが床に転がり落ちた瞬間――クレアは全体重を乗せて、ニールの胸のコアに深くナイフを突き立てた。
「オオオオオオオッ!!」
狂乱したニールが苦痛に暴れ回り、巨体でリフトの金網を突き破る。
「あっ――!」 その強烈な衝撃でバランスを崩したクレアは、ニールに巻き込まれる形で、上昇中のリフトから暗いシャフトの底へと真っ逆さまに落下していった。
「クレア!!」
叫びながら手を伸ばしたモイラもまた、大きく傾いたリフトから滑り落ちるようにして、下の階層へと落下する。
激しい着地の衝撃。薄暗いフロアで、クレアは全身の痛みに耐えながら何とか立ち上がった。少し離れた場所で、モイラもよろよろと起き上がり、クレアの元へと近づいてくる。
「全く…無茶するねぇ…」
「大丈夫…? 立てそう?」
クレアが安堵の笑みを向けようとした瞬間、モイラの顔が絶望的な恐怖に凍りついた。
「嘘でしょ! 後ろぉ! クレアぁ!」
クレアが振り返るより早く、死の淵から三度這い上がってきたニールの巨体が彼女にのしかかった。圧倒的な質量と暴力がクレアを冷たいコンクリートの床に押し付け、巨大な拳が容赦なく振り上げられる。
弾き飛ばされたクレアのハンドガンが、冷たい床を滑り、倒れ込んだモイラの目の前で止まった。
「人々を…恐怖で支配するなんて…!」
押し潰されそうになりながら、クレアが必死に叫ぶ。
「世界は…恐怖を求めている…! クレアぁ!」
ニールの異形の拳が、トドメを刺そうと振り下ろされようとしていた。 モイラは震える手を伸ばし、這いながらピストルに近づく。 だが、冷たい鉄の感触に指が触れた瞬間、彼女の脳裏に重い呪縛――忌まわしい過去のトラウマがフラッシュバックした。
『ポリー! しっかりして!』
『ポリー! お前達どうしてここに!』
『パパ! 違うの! 銃が勝手に!』
『暴発か! 早く救急車を呼べ!』
『モイラ!!』
血を流す幼い妹。慌てる父…バリーの声。そして今、目の前で死にかけている大切な親友の声。 すべての声が幾重にも重なり合い、モイラの心を限界まで締め付ける。手首の腕輪が、恐怖の高まりによって危険な赤色に染まる――寸前だった。
モイラは目をカッと見開いた。
「サイアク……くたばれクソ野郎!」
過去の悲鳴をかき消すような、怒りの咆哮。 モイラはピストルを力強く握り締め、真っ直ぐにニールの頭部へ向けて、一切の躊躇なく引き金を引いた。
パーン! パーン! パーン!!
乾いた銃声が連続して響き渡る。 放たれた弾丸は正確にニールの頭部を撃ち抜き、幾度も立ち上がってきた巨大な化け物は、ついに完全に力を失い、クレアの横へと崩れ落ちた。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」
銃を構えたまま、荒い息を吐くモイラ。彼女の手首にある腕輪は、赤く点滅することなく、完全に穏やかな緑色を保っていた。 それは、トラウマに対する完全な勝利を意味していた。
「モイラ…! 貴方…銃を…!」
「よかった…! クレア…もう…心配させないでよ…!」
クレアが立ち上がり、モイラの肩を強く抱きしめる。
その一連のドラマを――傾いたリフトから悠然と飛び降りてきたエリザベスは、少し離れた闇の中から恍惚とした黄金色の瞳で見つめていた。
(……ほう)
オズウェル・E・スペンサーの老獪な精神に、極上の歓喜が満ちていく。
『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』
かつて進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンの名言が、エリザベスの脳裏を鮮やかに駆け巡る。 自らを世界を統制する神と自負し、ウィルスによる人類の強制進化を企て続けたスペンサーにとって、目の前で起きた事象はまさに『進化の証明』そのものであった。
(見事だ。過去の呪縛という恐怖に押し潰されかけていたサナギが、自らの殻を破り、見事に羽化してみせた。環境に適応し、恐怖を克服し、自らを変化させたか……! 素晴らしい! 実に素晴らしい!)
エリザベスの瞳が、モイラに対してある種の『狂気じみた寵愛』を帯びていく。 それは親友を救った人間の成長を素直に喜ぶものではない。過酷な試練の中で予想外の変異・進化を遂げた、極めて希少で美しい『最高傑作の標本』を見つけた研究者としての、歪んだ執着だった。
一方で、エリザベスは床から身を起こすクレアを一瞥した。
(クレア・レッドフィールド。数々の修羅場を潜り抜けてきた傑物……確かに優秀な個体だ。だが、彼女はすでに精神と肉体が『完成』されきっている。それゆえに変化に乏しく、観察対象としては酷く退屈だ)
完成された芸術品は、飾って眺めるだけで十分。
しかし、モイラ・バートンは違う。彼女は今、この地獄の中でリアルタイムに美しい進化を遂げたのだ。これからさらに過酷な試練を与えれば、どれほど恐ろしいほどに美しい変化を見せてくれるのだろうか。
「よくやりましたわ、モイラさん」
エリザベスは、どこまでも優しく、慈愛に満ちた完璧な聖女の笑みを浮かべて二人に歩み寄った。
「あなたの勇気が、クレアさんを……私たちを救ってくれました。あなたはもう、怯えるだけの存在ではありませんわ」
その称賛の言葉に嘘はなかった。ただし、それが「親友を救った人間の成長を喜ぶもの」ではなく、「新たな極上の玩具を見つけた愉悦」であるという真実を、クレアもモイラも知る由はなかった。
「ありがとう、モイラ…」
三人は息を整えると、今度こそすべての元凶であるオーバーシアの待つ最上階へと向かうため、再び歩みを進めるのだった。
一方その頃――。
吹き抜けの塔の最上階。冷たい空気が漂う薄暗い特別室の奥で、オーバーシアことアレックス・ウェスカーは、無機質な手術台――否、彼女にとっての『祭壇』を恍惚とした表情で見下ろしていた。
そこには、柔らかな白い衣服に身を包んだ少女、ナタリア・コルダが深い眠りに落ちていた。 どんな過酷な恐怖を与えても決して壊れることのなかった、最も美しく、最も理想的な存在。
壁一面に並んだ監視モニターには、死の淵から蘇ったニールを退け、巨大なリフトでこの最上階へと昇ってくる三人の女たちの姿が映し出されていた。
(……しぶといネズミね。まさかあのタイラントと化したニールを退けるとは…意外だったわ…)
アレックスの冷ややかな視線が、モニターの中にいる純白のドレスの女――エリザベスを捉える。
(ブルーアンブレラの代表……。ただの視察役の青二才かと思っていたが、テラセイブの小娘共々、随分と悪運の強く…嫌な女…)
アレックスにとって、エリザベスの認識はその程度に過ぎなかった。
煙に巻かれたあの死角の数秒間で、彼女がニールのウロボロスの触手を素手で引きちぎったことなど知る由もない。ましてや、その美しい皮袋の中に、かつての創造主であるオズウェル・E・スペンサーの老獪な精神と、忌まわしいアルバート・ウェスカーの力が潜んでいることなど、夢にも思っていなかった。
アレックスの興味はすぐにモニターのネズミたちから離れ、目の前で静かに寝息を立てる『完璧な器』へと戻った。
「……実験は成功……やがて訪れる変身へ、時は動き始める……」
アレックスは、少女の柔らかな頬にそっと指先を滑らせながら、狂気を孕んだ声で甘く囁いた。
「そう……"器"は満たされた……」
彼女は傍らに置かれていた一丁の拳銃に静かに手を伸ばした。
自らの老いゆく肉体を捨て去り、恐怖を克服したこの無垢な少女へと精神を転生させる。その絶対的な『儀式』を完遂するために。
ガコン、ガコン……と。
侵入者たちを乗せたリフトの重厚な駆動音が、すぐ下まで迫っている。
真実を隠し持つ「老獪なる神」と、自らを神と疑わない「傲慢な狂人」。
そして、運命に抗う二人の生存者。
すべての因縁が交差する最上階の扉が、今、開かれようとしていた――。
感想をお待ちしております。
リベレーションズ2のバリー編どうしようかな
どっちかといえば6をガッツリやりたいが…アレックスを放っておく訳にはねぇ…