「お前、魔族でしょ」
その一言で、場の空気が完全に凍りついた。 剣士がスッと剣の柄に手をかけ、戦士が斧を構える。圧倒的な殺気が、私という一点に集中する。
あぁ、やっぱり本物の目までは誤魔化せないか。
今の私に、彼らのような一線級の戦士たちを退ける戦闘能力なんてない。一対一ならともかく、彼らのうちひとりに対応している間に塵にされるだろう。
張り詰めた沈黙。見えない刃を首筋に当てられているような感覚。 さて──どうやってこの絶体絶命を切り抜けるか、考えを巡らせる。
私はゆっくりと両手を上げ、全力で降参のポーズをとった。
「まぁ待ってほしい。君たちの言う通り、私は魔族だ。でも戦う意思はこれっぽっちもないよ」
「魔族は言葉で人を欺く生き物だよ。ヒンメル、殺そう」
エルフの少女──フリーレンは、最初からこちらを信用していない。妥当な判断だと思う。杖の先に魔力が集まる、その直前に私は契約魔法を自分にかけた
「この森で、私は誰にも危害を加えない。破れば私は死ぬ」
淡い光が体表に浮かび、すぐに内側へ沈む。契約は成立したが、フリーレンはなお杖を下ろさない。疑いは残っているらしい。そこへ僧侶のハイターが一歩前に出て、聖典を開いた。
「少しだけ、確かめさせてください」
柔らかな光が私を包む。精神を見る魔法だ。抵抗はしない。隠すものは、もうほとんど残っていない。
やがてハイターが小さく息を呑む。
「……人間に近い感情があります。慈しみも、過去の行動への罪悪感も。こんな魔族は見たことがありません」
その言葉に戦士が眉をひそめ、ヒンメルはわずかに肩の力を抜いた。彼の視線が、私の背後へ移る。
柱には、かつて子供の背丈を記した細い線が、重なって残っている。庭の隅には、古びた木剣が立てかけてあった
「その傷。人間の子供を育てた形跡だね。君はその子を大事にしていた」
柔らかな声だった。否定する理由はない。
「……あの子は、いい子だったよ」
そう答えると、胸の奥がわずかに痛んだ。そのとき、フリーレンの目が小さく揺れる。
私が肩の力を抜いて微笑んだ、その時だった。
ずっと私に杖を向けていたフリーレンが、ハッとしたように目を見開き、ゆっくりと杖を下ろしたのだ。
「……身長の記録。人間の子供を育てた、奇妙な魔族。もしかして、お前がウンメーリア?」
思わず息が止まる。
今は奇跡の魔女としか名乗っていない。この名前を知っているのは、ごく一部の古い魔族か、私の知り合いくらいのはずだ。
「どうして、エルフの君が昔の私の名前を知っているんだい?」
「昔、南の勇者に会った時に聞いたんだ」
フリーレンは静かに、かつての記憶をたぐるように語り始めた。
「彼が私を旅に誘って、私がそれを断った時、彼はこう言ったんだ。『いつか君は、深い森で僕を育ててくれた奇妙な魔族に出会う。彼女は人類の敵じゃないから、どうか殺さないでほしい』って」
あぁ。
私は思わず、両手で口元を覆った。
あの子は、自分がシュラハトと相打ちになって死ぬ未来だけじゃなく、私がこのエルフの少女に殺されかける未来まで視ていたのだ。
そして、自分が死んだ後の世界でも私が無事でいられるように、何十年も前に先回りして、私を庇ってくれていた。
「……本当に、どこまでも見ていたんだね、あの子は」
私の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。魔族としてはみっともないけれど、どうしても止まらなかった。南の勇者が残してくれた贈り物を受け取るのに精一杯で。
フリーレンは少しだけばつが悪そうに目を逸らし、「ごめん。南の勇者に免じて、今回は見逃すよ」と呟いた。
ヒンメルはそんな彼女を見て優しく微笑み、私に言った。
「驚かせてすまなかったね、ウンメーリア。……君の育てた勇者は、きっと世界を救うことになるよ」
私は涙を拭い、彼らを小屋に招き入れて温かいお茶を振る舞った。
ヒンメルは私の目的について野暮な詮索はせず、「君の奇跡が、いつか誰かを救うものだといいな」とだけ言ってくれた。
彼は本当に、底抜けに優しくてお人好しな勇者だ。短い休息の後、一行はまた風のように去っていった。
◆
それからまた時が過ぎ、魔王が討たれたという報せが遅れてこの森にも届いた。私はしばらく同じ場所に立ったまま、その言葉の重さだけを受け止めていた。
──魔王様。
あなたの願いは、届かなかった。人間と魔族は、最後まで分かり合えなかった。それでもあなたは、理解できないものを理解しようとした。その試みを愚かだと呼ぶ者もいるだろうが、私はそうは思わない。むしろ、あなただからこそ選んだ道だったのだろう。
だから、その続きを勝手に引き受ける。
◆
それからさらに数十年という月日が流れた。
魔王が彼らの手によって討たれ、平和となったはずの世界で。
私がいつものように小屋の周りを掃除していると、森の小道をゆっくりと歩いてくる人影があった。
すっかり年老いた人間。しかし、その腰に帯びた剣と穏やかな瞳の輝きだけは、昔と少しも変わっていなかった。
「久しぶりだね、ウンメーリア」
「おや、すっかりお爺ちゃんになったね、勇者様。今日は一人かい?」
私は彼を丸太の椅子に座らせ、お茶を出した。
老いたヒンメルは、シワの刻まれた手で湯呑みを包み込み、少し照れくさそうに目を伏せた。
「今日はね、君の魔法で願いを叶えて欲しいと思ってね。僕のこの残された命を対価にして……フリーレンに、人の心を理解させてほしい」
その願いに、私は息を呑んだ。
まさか魔王様を討った勇者の最後の願いがこれだなんて。彼女の孤独を案じてか、それとも自身の願いのためか。どちらにせよ答えはひとつだ。
「無理だ。その願いは
気づけば、声に力がこもっていた。
「エルフは魔族とは違う、人類だ。ただ少し長生きなせいで心が鈍くなっているだけで、もともと人の心を持っているんだから……!」
それを聞いたヒンメルは、少し驚いたように目を見開き、やがて、深く満ち足りたような優しい笑顔を浮かべた。
「そうか。……それならきっと大丈夫だね」
彼はもう、思い残すことは何もないという顔で立ち上がった。
「わかっていたんだろう?」
軽く睨むように尋ねた。
ヒンメルは湯呑みを置き、子供みたいな笑みを浮かべた。
「なに、ただの年寄りの思い込みさ」
そう言って、彼は立ち上がった。
それから、来たときと同じように、森の道へ戻っていく。
私はその背中を、しばらく黙って見送っていた。
あと少し。ほんの少しで、足りるはずだ。
「待っていてね、君達の優しさが報われる道を私が創るから」
◆
ヒンメルがこの世を去ったという報せを聞いたのは、それから間もなくのことだった。
人間の寿命は、本当に瞬きするほど短い。
だが、私の奇跡のためにはまだほんの少しだけ魔力が足りていなかった。
神の領域に等しい奇跡を起こすための、最後のひと押し。大魔族一人分ほどの魔力が。
彼らが報われる道を創るためには、どうにかしてこの魔力を補わなければならない。
方法はある。
けれど、それは少しばかり賭けになる。
私は棚の奥から、一冊の古びた魔導書を取り出した。
表紙には何の装飾もない。ずっと昔、グラオザームがこの小屋を訪れた時、いつの間にか置いていった代物だ。
中には、人間の記憶や精神構造をいじくり回す、あいつ特有の悪趣味な精神魔法の理論がびっしりと書き込まれていた。
当時は気味が悪くてまともに読まなかったけれど、今になってようやく、その価値がわかってしまった。
「……本当に、嫌な置き土産をしてくれたね」
ページをめくりながら、私は小さく呟いた。
そして私は、その賭けを避ける理由が、もうほとんど残っていないことを知っていた。
ちょっと短すぎますかね?もしかしたら訂正するかもしれません。
最後の数行だけ書き換えました。