マップを頼りに、私は牢屋敷の外に併設された倉庫を訪れていました。
医務室の勝手口から外に出た時、真っ先に目に入ったのがこの倉庫でした。
建物はかなり大きく、中学校にあった屋外の体育倉庫の大体1.5倍ほどのサイズ感です。
中に何があるのか気になってドアノブに手をかけると、鍵はかかっていませんでした。
倉庫、という言葉の響き的におそらくこの施設は囚人向けの施設ではなく、管理者側の施設なのでしょう。ところが、なぜか立ち入ることができるようです。
誰かが鍵を壊して侵入した可能性も考えられますが、ひとまず入ってみることにしました。
内部はコンクリートの床に棚やラックが整然と配置されている、文字通りの倉庫でした。棚やラックには隙間なくびっしりと物資や資材、段ボールが置かれています。
そのうちの1つを覗いてみると、コーンビーフの缶詰が入っていました。例の食事の1つとして提供されているものと同種類の物でしょう。
その他にもガサゴソと周囲の段ボールを開けて回ります。中身は概ね食料品で、日用品の類が一部ポツポツと入っているといった感じでした。
【真壁 リクア】
「誰かと思ったら篠宮クンか。君も探索か?」
リクアさんが棚の影からひょっこりと現れました。手にはいくつかの食料品が抱えられています。
【篠宮 マコト】
「リクアさん」
【真壁 リクア】
「こんなところが我々囚人に解放されているとは‥‥正直予想外だったよ」
【篠宮 マコト】
「やっぱりそうですよね。普通ならこんなところ、鍵をかけて私たちが出入りできないようにするはずです」
【真壁 リクア】
「ああ。けれども、私たちが来た時点で既に鍵はかかっていなかった」
【真壁 リクア】
「壊されたりこじ開けたりしたような形跡もなかったし、始めからここは解放されていたようだね」
リクアさんは金属製の頑丈そうな扉の方に目を向けます。その扉の外観は一見すると、私たちの侵入を拒むための物に映ります。けれども、この倉庫は解放されていた。一体なぜなのでしょう‥‥。
【真壁 リクア】
「いずれにおいても、これだけ物資が置かれている倉庫が使えるというのは棚からぼた餅と言える。私の計画もより円滑に進行できそうだ」
【篠宮 マコト】
「計画、ですか?」
【真壁 リクア】
「ああ。昨日食堂で話した、みんなのストレスへの対処法についてだ。詳細については明日みんなにも話す予定だがね」
【篠宮 マコト】
(そういえば、昨日そんな事を話していましたね‥‥)
───────
【常盤 シヅハ】
「けれども‥‥こんな環境に置かれたんじゃ、いずれストレスが溜まって魔女化が進行すると思います」
【常盤 シヅハ】
「それに‥‥この食事はストレスになるレベルでまずいです。もし管理者側が殺人を望んでいないのであれば、できる限り快適に過ごせる環境を作るはずです」
【常盤 シヅハ】
「粗悪な監房、行動の自由が保証されない規則、まずい食事‥‥」
【常盤 シヅハ】
「少なくとも管理者側は私たちにストレスを与えることを目的として、これらの設備や規則を設けているように思えます」
【真壁 リクア】
「その点は私も危惧している。‥‥いくつか案がないわけではないが、まだ私の中で消化しきれていない」
【真壁 リクア】
「数日間時間をもらいたい。ストレスに関する問題について、結論は必ず出すよ」
リクアさんは堂々と言い切りました。その姿勢に気圧されたのか、シヅハさんはそれ以上何も言いませんでした。
───────
【真壁 リクア】
「管理者側が何のためにこの倉庫を我々に解放してくれたか。正直謎としか言えない」
【真壁 リクア】
「けれども、使えそうなものは使っておくべきだろう。規則には倉庫内の物資を勝手に用いてはいけないなんて、どこにも書いていないからね」
リクアさんは手に抱えた食料を私に示しました。
【常盤 シヅハ】
「真壁さん、ロープ見つかりましたよ」
棚の影から今度はシヅハさんが現れました。手には長いロープが握られています。
【真壁 リクア】
「ああ、ありがとう常盤クン」
【常盤 シヅハ】
「え、えへへ‥‥。ありがとうございます」
シヅハさんは照れくさそうな様子です。かすかに頬が赤く染まっています。
【真壁 リクア】
「常盤クンは気が利くし、よく働いてくれる。頼りにしているよ」
リクアさんは目を細めて優しそうに笑います。
【常盤 シヅハ】
「
【常盤 シヅハ】
「私にできる仕事ならなんでも任せてください‥‥!」
シヅハさんの声は小さくか細いものでした。
ですが、そのか細い声から紡がれる言葉は、彼女の人を支えたいという気持ちがにじみ出ているように感じ取れました。
【篠宮 マコト】
「ところで‥‥食料品とロープで何をするつもりですか? いまいちこの2つが結びつかないのですが‥‥」
【真壁 リクア】
「ああ、これは‥‥懲罰房にいる朝雛クンのためだよ。十中八九お腹をすかしているだろうから、ロープに食料をくくりつけて、房内の彼女に送ってあげようかと思ってね」
【常盤 シヅハ】
「私たち、まだ懲罰房の方には向かっていないんです」
【常盤 シヅハ】
「‥‥けれど、おそらく外から様子を確認するための覗き窓くらいはあるでしょうから‥‥そこから食べ物を差し入れてあげればいいのではないか、と真壁さんは考えているようです」
【篠宮 マコト】
「なるほど。確かに、昨日の朝雛さんのあの様子を見るに、半日とはいえかなり飢えている可能性が高そうですね」
【真壁 リクア】
「ああ。みんなのストレスを最低限に抑えるのが当面の目標だ」
【真壁 リクア】
「ひとまず、現状一番ストレスを抱えていそうな朝雛クンに、処置を施しておくべきだと思ってね」
【真壁 リクア】
「と、いうわけだ。我々はこれで失礼するよ」
【常盤 シヅハ】
「またあとで会いましょう」
リクアさんとシヅハさんは倉庫を後にしました。
暗い倉庫に長くいたせいか、シヅハさんは日が照っている屋外に出たほんの一瞬、光に驚いたような、あるいは怖がるような表情を見せましたが、リクアさんにポンと背中を叩かれると、そのまま医務室の勝手口の方へと消えていきました。
2人が牢屋敷の方に向かっていったのを見届けた私は、引き続き倉庫内の探索を続けます。手前側に食料品があって、奥には何か別のものがあるかと考えたからです。
【黒部 ナノカ】
「‥‥いたのね、篠宮マコト」
【篠宮 マコト】
「わ! ナノカさん‥‥!」
今度はナノカさんが棚の影から姿を現しました。角でよく鉢合わせが起こる日なのでしょうか。
【篠宮 マコト】
「ナノカさんも倉庫の物資を見て回っているんですか?」
【黒部 ナノカ】
「え、ええ。まあ、そんなところよ」
歯切れ悪くナノカさんは返答します。視線は明後日の方向に向いていて、なんだか何かを誤魔化しているような面持ちです。
【黒部 ナノカ】
「あとは、そう‥‥」
ナノカさんは明後日の方向を向き続けたまま逡巡します。
【黒部 ナノカ】
「“知り合い”‥‥。そう、”知り合いの女の子”の事を思い出していたの」
【篠宮 マコト】
「知り合いの、女の子ですか?」
【黒部 ナノカ】
「ええ。その子は、とっても優しい子。甘えん坊で‥‥でも、ちょっぴり不器用で‥‥」
【黒部 ナノカ】
「もしその子がこの牢屋敷に来ていたら、きっとこんな感じの奥まった倉庫をある種の根城にでもするんじゃないか‥‥そんな事を考えていたの」
“知り合いの女の子“という言葉を彼女は用いています。
しかし、その女の子の事を語る彼女の口ぶりや口調は、“ただの知り合い”について説明する時のそれとは違う印象を受けます。
愛情か、慈しみか、はたまた憂慮か‥‥様々なニュアンスの感情が彼女の言葉の中に含まれているような気がします。
【篠宮 マコト】
「その女の子は‥‥本当に牢屋敷に来ていないんですよね?」
自分でも意味の分からない質問だと思っていました。
けれども、聴かずに入られませんでした。彼女の語り口はまるで‥‥その女の子がこの牢屋敷に来たことがあるように受け取ることができます。
【黒部 ナノカ】
「‥‥ええ。その子は牢屋敷には来ていない。だって、私がここに‥‥」
そこまで言って彼女はハッと驚くと、口を手で塞ぎました。
【黒部 ナノカ】
「‥‥ごめんなさい。今の言葉は気にしないで」
【篠宮 マコト】
「い、いえ‥‥。ただ、少し気になっただけなので」
私がそう返すと、ナノカさんは一瞬だけこちらを見ました。その瞳の奥に、ほんのかすかな震えが見えた気がします。
倉庫の奥では、風の通り道がどこかで鳴っていました。わずかに埃が舞い上がり、棚の影に沈む光の粒が静かに揺れています。
【黒部 ナノカ】
「篠宮マコト。ここ‥‥少し寒くないかしら?」
【篠宮 マコト】
「え? あ、そういえば‥‥たしかに、少し」
【黒部 ナノカ】
「ええ。長くいるべき場所じゃないわ。風通しも悪いし、棚の間には何が潜んでいるかも分からないから」
ナノカさんは淡々とそう言いながら、棚の奥に視線を向けました。何かを探しているようでもあり、何かから目を逸らしているようでもあります。
彼女はしばらく黙ったまま、倉庫の奥を見つめていました。
その横顔はどこか寂しげで、けれど、決意を宿しているようにも見えました。
【黒部 ナノカ】
「‥‥私はもう少し1人で見て回るわ。あなたは、もう戻ったほうがいい」
【篠宮 マコト】
「え、でも‥‥」
【黒部 ナノカ】
「大丈夫。ちょっと気になるものを見つけただけ。それを確認したら、私もすぐに戻るわ」
微笑みながらそう言った彼女の声は、やけに優しく、けれどどこか遠いものでした。
私はそれ以上、問い返すことができませんでした。
彼女が“ここにいる理由”を、今は深く聞くべきではないような気がしたからです。
【篠宮 マコト】
「‥‥わかりました。では、後で」
軽く会釈して、私は倉庫の出口へと歩きました。
背後で、ナノカさんの小さな足音がひとつ動き、また止まる音がしました。
外に出ると、日差しが少し眩しく感じられました。倉庫の中で見た彼女の横顔が、光に焼きついたように離れません。
‥‥まるで、誰かの代わりにそこに立っているような。
胸の奥に小さな違和感を残したまま、私は医務室の方へと戻っていきました。