6時半ごろに目が覚めた私は手短に朝食を取ると、一旦監房に戻ってきました。
昨日は心理的な疲労で動けそうにありませんでしたが、一晩休んでなんとか動けるようになりました。朝の自由時間の間にこの牢屋敷内を探索すべきだと思い、身支度を整えているところです。
【南雲 ヒナタ】
「篠宮さんも探検かい?」
ヒナタさんは眠る時に外していた胸元のネクタイ‥‥いや、リボンでしょうか。
とにかく、謎の”ヒラヒラ”をつけ直していました。つけ慣れていないのか、やや手こずっている様子です。
【篠宮 マコト】
「ええ。いずれはここから脱出しなければいけません」
【篠宮 マコト】
「ですがそれはそれとして、しばらくはここで暮らすことを強制されるわけですから、何がどこにあるかは把握しておくべきだと思いまして」
【南雲 ヒナタ】
「そうだね。自由時間は10時までみたいだし、3時間もあればある程度は見て回れるだろう。僕もこれをつけたら探索に出るよ」
ヒナタさんはすました顔で答えますが、手元は相変わらず苦戦している様子です。
【南雲 ヒナタ】
「‥‥もう少し時間がかかりそうだし、篠宮さんは先に出るといいよ」
【南雲 ヒナタ】
「‥‥なんで僕の服はこんな飾りがついているんだ。これを普段使いする人間が用意したのだろうか。だとしたら理解に苦しむな‥‥」
ヒナタさんはぶつくさと謎のヒラヒラに対して文句を垂れます。本当に時間がかかりそうに見えたので、私はひと足先に探索に出ることにしました。
監房から出た直後、スマホの着信音がポケットから聞こえました。取り出して確認してみると、チャットアプリに通知が来ているようです。
アプリを開いてみると、囚人全員が始めから加入させられている全体チャットにメッセージが送信されていたようです。
チャットを見てみると、メッセージの送り主はシヅハさんだと分かりました。その内容は‥‥どうやら写真のようです。
写真はどうやらシヅハさんの監房で撮影されたもののようです。写真の端に、リクアさんの囚人服が見えています。壁の部分には、何やらメモが貼ってあります。
拡大して見てみると‥‥“シヅハのお手伝いメモ”とありました。どうやら、彼女が作成したいわゆる《ToDoリスト》のようです。
私が写真を確認していると、またメッセージが送られてきました。
【星谷 セリナ】
『どした? 笑』
セリナさんです。全体チャットでの最初のメッセージが、この謎の写真だったことが面白かったのか、真っ先に反応したようです。
【常盤 シヅハ】
『これはなんで送られていくんですか?』
‥‥どうやら、このメッセージは俗に言う“誤爆”というやつだったようです。
そもそも誤爆以外の理由でこんな写真を送る意味もありませんし、間違って写真を送信してしまったようですね。
その後シヅハさんは、個人チャットでセリナさんにチャットアプリの操作方法を教えてもらうことになったようです。
改めてよく見てみると、このチャットアプリは外で一番メジャーなチャットアプリのそれと、ボタンの配置なんかが若干違います。それで混乱を生んだようですね。
思わぬ微笑ましいトラブルに少しだけ頬が緩んだ私は、スマホをポケットにしまうと、改めて牢屋敷の探索に向かうのでした。
マップを頼りに、私は二階にある図書室を訪れました。
牢屋敷内はただでさえ人が少ないので静かな場所が多いですが、図書室はとりわけ静かに感じられました。図書室という場所のイメージゆえでしょうか。本たちに物音が吸い込まれるようで、呼吸すらためらわれる空気感です。
最初に目に入ったのは、当然大量の本とそれをしまう本棚‥‥かのように思われましたが、違いました。
本棚の奥、床を突き破るようにして1本の木が“逆さま”に生えていました。根が天井から垂れ下がり、幹は下へと伸びていき、まるで重力を拒むかのように浮かんでいます。
枝の先には葉の代わりに無数の紙片がぶら下がり、風もないのにゆっくりと揺れています。
その紙の1枚1枚には、読めるような、読めないような淡い文字が浮かんでは消えていく。とても奇妙な光景でした。
床は薄暗く、それでいてほんのり明るいです。
よく見ると、本棚の隙間から細かな光の粒‥‥星屑のようなものが漏れています。夜空でもないのに、足元だけが微かに瞬いていました。
試しに拾い上げようとすると、その光はふっと消え、手のひらの上に淡い残光を残すのみでした。
【篠宮 マコト】
(これは一体‥‥)
【南雲 ヒナタ】
「やあ、篠宮さん。君もここに来たんだね」
声のした方を見るとヒナタさんがいました。つけるのに悪戦苦闘していたヒラヒラはきちんと丁寧につけられています。無事に装着できたようです。
【南雲 ヒナタ】
「実に奇妙な光景だよね。逆さまに生えた木だなんて‥‥」
ヒナタさんも私と同様に逆さまの大きな木を見上げます。
オブジェと言うにはややミスマッチなそれは、そこに存在するのがさも当然かのようにずっしりと根を張っています。
‥‥いや、逆さまなので根を張っていると言うのは表現として違っている気もしますが。
【倉科 ミオリ】
「ふーむ。あたしが考察するに‥‥これはかつての囚人たちが残した魔法の《残滓》と言ったところでしょうかな」
背後から声がしました。振り返ると、ミオリさんがいつの間にか机の影からこちらを覗いています。
【倉科 ミオリ】
「やや、失礼。おふたりの時間を邪魔するつもりはなかったのですが‥‥つい口走ってしまいました。拙者は空気だと思ってご歓談くだされ」
ミオリさんは机の下に潜り込むとこちらをジーッと観察し始めました。‥‥相変わらず挙動が変な人です。
【南雲 ヒナタ】
「‥‥倉科さん、むしろそうされる方が僕としては気になっちゃうかな」
【倉科 ミオリ】
「あ、そうですか。じゃあ自然体で過ごさせていただきますね」
ヒナタさんの言葉を受けたミオリさんは即座に机からぬるりと這い出ると、椅子に座って持っていた本をペラペラとめくり始めました。
【南雲 ヒナタ】
「それにしても魔法の《残滓》‥‥か。ありえない話ではないんだろうね」
ヒナタさんはひざまずくと、床に広がる光の粒をすくい取ります。
【南雲 ヒナタ】
「あの逆さまに生えた木は“そういう彫刻”として片付けられたとしても、この光の粒は説明がつかない」
【南雲 ヒナタ】
「どのような魔法だったのかまでは判断がつかないけれども‥‥光に関する魔法を持っている囚人が、この図書室に何かを施した痕跡なんだろうね」
【篠宮 マコト】
「昨日話していた、私たちの前にいた囚人たちの内の誰かの魔法なのでしょうか」
【南雲 ヒナタ】
「おそらくそうだろうね。物理法則に干渉できる魔法は、もしかしたら魔法の持ち主がいなくなってもそこに残り続けるのかもしれない。少なくともこの光の粒たちはそうなんだろうね」
光の粒はヒナタさんの手からこぼれ落ち、床へと再び広がっていきます。過去の囚人はここで一体なにを思い、何の目的で魔法を残していったのでしょうか。
逆さまの木の下を漂う光の粒は、まるで呼吸をしているようにゆっくりと瞬き、私たちの影を淡く揺らしました。
やがてヒナタさんは立ち上がると、少し歩いて本棚の一角を見上げます。
【南雲 ヒナタ】
「それにしても、ずいぶんと本が多いね。‥‥全部で何冊あるんだろう」
【倉科 ミオリ】
「ざっと見積もるに、千冊は軽く超えていますな。ですが‥‥」
いつの間にか再び背後にいたミオリさんは、先ほどページをめくっていた本を手に持っていました。適当なページを開くとこちらに示します。
【倉科 ミオリ】
「この文字、見たことのない言語です。まるで、記号と発音記号をごちゃ混ぜにしたような‥‥」
【篠宮 マコト】
「本当ですね‥‥読めそうで読めない。何かの暗号のようです」
本に書かれた文字は見たことのない綴りばかりでした。唯一分かることは、その文字が私たちの知る”アルファベット”と同じものであるということのみです。
しかし、その綴りは大文字と小文字が混ざりあった複雑怪奇なもの。発音さえもわからないのですから、当然意味など分かるはずがありません。
【南雲 ヒナタ】
「いくつかの本は挿絵があるからそこから意味が推測できそうだね」
ヒナタさんは本棚から1冊適当に取るとその本を開きます。彼女の言うように挿絵が入っている本のようで、脚注として挿絵の下部に謎の言語が記されていました。
【篠宮 マコト】
「この言語‥‥一体どこの国のものなのでしょうか」
【倉科 ミオリ】
「ここが魔女候補たちが集められる牢屋敷であることから鑑みるに‥‥魔女が用いる言語なのではないでしょうか」
【倉科 ミオリ】
「残念なことに、魔女候補たる我々が一切読めていないのですが」
魔女が用いる言語。呪文を唱える際に必要になるとか、そういったものなのでしょうか。けれども、私の魔法は別に呪文を唱えずとも発動できます。
日常会話などで用いられる言語‥‥そう考えれば辻褄が合いそうです。
【倉科 ミオリ】
「オタク的には、こういう未知の言語というものには憧れがありますなあ。もっとも学のない私には解読など到底不可能なのでしょうが」
【南雲 ヒナタ】
「‥‥いや、一定の法則性が分かれば不可能でもないかもしれないよ」
蔵書を1つ1つざっくりと確認していたヒナタさんは、1冊の分厚い本を机の上に置きました。
【篠宮 マコト】
「ヒナタさん、これは?」
【南雲 ヒナタ】
「‥‥おそらく、この言語の辞書だ。アルファベット順の索引が載っている」
ヒナタさんが本の最初の方を開くと、目次が載っていました。この本1冊で3000ページはあるようです。
【南雲 ヒナタ】
「いくつかの単語にはこれまた絵図が載ってある。ここから法則性を見出すことができれば‥‥この言語の翻訳も可能になるかもしれない」
【倉科 ミオリ】
「おお‥‥これは中々骨の折れそうな作業ですな」
【篠宮 マコト】
「けれど、もしかしたらこの牢屋敷に関する情報が得られるようになるかもしれません。解読する意義はあるかもしれません」
分厚く、解読するのに膨大な時間がかかりそうな辞書。ですが、私にはそれが、脱出が絶望的な牢屋敷の中に現れた一筋の希望のように思えました。
【南雲 ヒナタ】
「僕も篠宮さんの意見に賛成だ。この牢屋敷に僕たちを閉じ込めた犯人が一体誰か‥‥それは分からない」
【南雲 ヒナタ】
「けれど、閉じ込められた原因は間違いなく、僕たちが《魔法》を持っているからだ」
【南雲 ヒナタ】
「その魔法の根源たる魔女が用いたであろう言語を知ることは、僕たちのルーツを知ることにもなるし、ひいては誘拐犯の正体にも繋がるかもしれない」
【倉科 ミオリ】
「はえー。聡明ですな、お2人とも」
【倉科 ミオリ】
「拙者も、微力ながらどこかでお手伝いさせていただきたいものですな。この謎の言語の翻訳を‥‥いちいち謎の言語というのも少々冗長ですが」
【南雲 ヒナタ】
「この言語の名前‥‥もしかしたら、これじゃないかな」
ヒナタさんは辞書の背表紙を私たちに示します。そこには“fiXmArge”と書かれています。
【篠宮 マコト】
「これは‥‥英語のfix(フィクス)とmerge(マージ)が合わさった単語でしょうか」
【南雲 ヒナタ】
「僕にもそう見える。‥‥ひとまず、この言語のことはこれから、《フィクスマージ語》と呼ぶことにしようか」
フィクスマージ‥‥。fixは修復する、mergeは融合するという意味の英単語だったはずです。この2つを合わせると、その意味は‥‥どう訳せばいいのでしょうか。
【倉科 ミオリ】
「fixとmerge‥‥修復と融合、ですか。まるでムジュンしているようでいて、なんだか意味深ですなあ」
【南雲 ヒナタ】
「そうだね。”壊れたものを直しながら、別の何かと混ざり合う”‥‥そんな響きがある」
【南雲 ヒナタ】
「魔法って、そういうものかもしれない。世界の理を“直して”、でも同時に“歪めて”しまう。だからこそ危うくて、美しい」
【篠宮 マコト】
「修復しながら、歪める‥‥確かに、そんな感じがします。でも、どちらにしても“何かを残したい”という気持ちは感じられますね」
【倉科 ミオリ】
「ふむ、“留めて”、“混ぜる”。つまり、過去を固定しながら他者へと繋げる‥‥まるで、記憶の言語。いやはや、これはロマンですなあ!」
【南雲 ヒナタ】
「記憶の言語、か。悪くない表現だね。もしかしたら、ここに残された本たちも、そうやって“誰かの記憶”を留めたものなのかもしれない」
ヒナタさんが言い終えると同時に、逆さまの木の枝から紙片が1枚、静かにひらひらと落ちてきました。
床に触れる直前、紙片は光の粒となって消えます。
【篠宮 マコト】
「‥‥この言語に込められた“誰か”の思いが、まだここに残っているような気がします」
【南雲 ヒナタ】
「もしこの辞書を解読できたら、その“誰か”の声をもう一度、聞けるかもしれないね」
ヒナタさんの言葉に、私は小さくうなずきました。
図書室に満ちる光の粒が、まるで肯定するようにまた1つ、ふわりと瞬きます。
こうして私たちは、牢屋敷の中で初めて“過去”と“言葉”に触れたのでした。
(5月7日解禁)