【篠宮 マコト】
「いえ、私は音楽室に行ってみようと思います。何か生活の役に立つものがあるかもしれません」
【真壁 リクア】
「そうか。じゃあ私は倉庫に向かうよ。気が向いたら来てくれ」
リクアさんは踵を返すと、玄関から屋外の方へと向かっていきました。
【篠宮 マコト】
「では‥‥音楽室に向かうとしましょう」
私は音楽室に向かうため、2階へ向かう階段を上りました。
音楽室の扉の前までたどり着いた私は、ソーッとなるべく音を立てないようにして扉を開けました。カナデさんかミトさんが何かしらの作業をしているだろうと予想したからです。
木製の扉はほんの少しだけ軋むような音を立てましたが、ほとんど無音でなんとか開いてくれました。
扉を開けると予想通り、ミトさんがいました。昨日と同じように譜面台に楽譜を置いて歌を歌っています。
【白川 ミト】
「ラ~♪」
ミトさんは、またも歌詞のない歌を歌っています。思えば、図書館にあった本は全て解読困難なフィクスマージ語で書かれていました。もしかしたら、楽譜に載っている言語も全てフィクスマージ語で書かれているのかもしれません。
ミトさんがずっと歌詞のない歌を歌い続けているのは、もしかしたらそれが理由なのかもしれませんね‥‥。
昨日は周囲をウロウロしていたらミトさんの歌を邪魔してしまったので、今日は邪魔にならないようにゆっくりと近くの椅子に腰掛けました。
本来は探索の予定だったので、ミトさんが歌い終わるまでほかを当たっても良かったのですが、ミトさんの歌を最後まで聴きたいという思いのほうが強くなってきました。
歌っている彼女はやはり、普段の彼女とは違って堂々と、そして生き生きとした印象を受けます。そんな彼女の姿にどこか惹かれるというか、彼女の事を見ていたいという感情を抱いてしまうのです。
それから数分。ミトさんは1曲歌い終えたようでした。私は彼女の集中を切らさないように、拍手の動きだけ真似して彼女に賛辞を送ります。
ミトさんは次の楽譜を探そうとしたのか、譜面台から今使っていた楽譜を外します。そのタイミングで、どうやらこちらに気がついたようです。
【白川 ミト】
「あ‥‥。えっと‥‥」
ミトさんは視線を泳がせて人差し指をクルクルとさせています。言葉に詰まっているのでしょうか。
【白川 ミト】
「篠宮‥‥マコト、さんだよね‥‥?」
どうやら私の名前を思い出そうとしていたようです。自信なさげに、俯きかけた姿勢でこちらに「あっている?」と言いたげな視線を送ります。
【篠宮 マコト】
「あっていますよ。ミトさん」
なるべく柔和な表情を意識して、彼女に応対します。
【白川 ミト】
「よかった‥‥」
ホッとした面持ちで彼女は文字通り胸を撫で下ろします。確か彼女は人の名前を覚えるのが苦手と話していました。自信がなさそうだったのは恐らくそれが原因でしょう。
【白川 ミト】
「今日も聴きにきてくれたの?」
ミトさんは今度は期待を含んだ眼差しでこちらを見つめます。
【篠宮 マコト】
「ええ。素敵な歌声が聞こえましたから」
本当は音楽室の探索のつもりだったのですが‥‥ミトさんの歌を聴いたら、探索よりも鑑賞を優先したくなったのは事実です。嘘はついていません。ええ。
【白川 ミト】
「素敵な歌声‥‥えへへ」
ミトさんは嬉しそうにはにかみます。嬉しい勢いそのままに、彼女は適当な楽譜を1冊手に取ると、それを譜面台に置きます。
【白川 ミト】
「良ければもう1曲聴いていって」
【白川 ミト】
「タイトルも歌詞も見たことのない言葉で書かれていて、メロディしか聴いてもらえないけど‥‥それでもよければ」
彼女が持ってきた楽譜の表紙にはやはり見慣れない、例のフィクスマージ語。彼女が歌詞なしで歌っていたのはやはりフィクスマージ語が原因だったようです。
今度はパチパチと軽く音を鳴らして拍手をミトさんに送ります。拍手の音が止むのを皮切りに彼女は歌い始めました。
【白川 ミト】
「ラ~♪」
歌詞のない歌をミトさんは歌い続けます。メロディだけを乗せた歌が音楽室に響き渡ります。それでも彼女の歌にはある種のメッセージが込められているように感じられます。
“私の歌を聴いて”、あるいは“私を見て”、と形容すればいいのでしょうか。
彼女の歌は人を惹きつける魅力を十分に有しています。昨日も今日も、私は彼女の歌が素晴らしいと思ったから、本来の目的を中断して彼女の歌に耳を傾けました。
ミトさんの歌の実力に疑うところは無いはずです。事実、音楽のプロであるカナデさんが評価しているのがその証拠です。
しかしながら、彼女の奏でるメロディには実力と相反する感情‥‥すなわち、先に述べたような“誰かに私の歌を聴いてほしい”という感情が込められているように感じられます。
それは、“もっと聴いてほしい”という《ポジティブなベクトル》ではなく、そもそも“誰からも聴いてもらえない”、だから聴いてほしいという《ネガティブなベクトル》に基づくように感じられます。
───────
【白川 ミト】
「‥‥私、友達全然いなかったから。人の名前を覚えるってことに慣れていない‥‥」
ミトさんは俯いてしまいました。意図せず彼女の苦い記憶を呼び起こしてしまったかもしれません。
───────
そういえば、彼女は友達があまりいなかったと話していました。もしかしたら、過去の生育環境に何かがあったのかもしれません。
【白川 ミト】
「‥‥ご清聴ありがとうございました」
気がつけばミトさんの演奏は終わっていました。慌てて私は、可能な限りの拍手を彼女に送ります。
ほんの少し見せてしまった私の動転の感情に、ミトさんは一瞬疑問符を頭に浮かべましたが、拍手に満足したのか目を細め、満ち足りた表情を浮かべます。
【白川 ミト】
「ありがとう、篠宮さん‥‥。あなたのおかげで、私自信が持てそう‥‥」
【篠宮 マコト】
「わ、私なんかがいなくても、ミトさんの実力は十分すごいです。もっと自信を持ってもいいと思いますよ」
【白川 ミト】
「‥‥実力云々は関係ない。私が求めるのは、“聴いてもらうこと”。ただ、その1点だけだから」
ミトさんはプイと軽くそっぽを向きます。少し余計なことを言ってしまったでしょうか。
【篠宮 マコト】
「ミトさんは、皆さんに歌を聴いてもらいたいんですね。それなら、いつかコンサートでも開きましょうよ。生活環境改善の一部として、開催する意義はあるはずです」
リクアさんの言う生活環境改善とは、きっと単に衣食住のクオリティを上げるだけでなく、文化的に楽しく過ごすことのできる環境を整備するという意味合いをも含んでいるはずです。
それならばきっと、ミトさんがコンサートを開くことも受け入れられるはずです。
【白川 ミト】
「‥‥いいのかな。私なんかがそんなコンサート開いて‥‥」
【篠宮 マコト】
「ええ! ぜひ他の皆さんにもミトさんの歌を聴いてもらいたいです」
【篠宮 マコト】
「だってこんなに素晴らしい歌を歌われるんですから。プロ顔負けの実力です。プロの代理で歌ってもきっとバレないくらいの実力ですよ」
そう言った私に、ミトさんは小さく笑いました。けれどその笑みは、どこか儚げです。
【白川 ミト】
「‥‥ありがとう。でもね、篠宮さん」
ミトさんは一度だけこちらを見ました。その瞳の奥には、光ではなく、静かな影が宿っているように感じ取れます。
【白川 ミト】
「あなたは、私の“歌”を聴いてる? それとも、“私”の歌を聴いてる?」
【篠宮 マコト】
「え‥‥?」
唐突な問いに、私は返す言葉を失いました。
【白川 ミト】
「‥‥ううん。ごめん、変なこと言った。‥‥気にしないで」
ミトさんは小さく笑って視線を逸らします。笑みは柔らかいのに、どこか痛みをはらんでいるように見えました。
【白川 ミト】
「コンサートを開ける‥‥その言葉自体は、嬉しい。けれども‥‥私にその器はきっとないよ」
【篠宮 マコト】
「そ、そんなことは‥‥」
ミトさんは俯いて唇を軽く噛み、拳も軽く握っています。
【白川 ミト】
「“何かをすることができる”っていうのと、“表舞台に立つことができる”っていうのは、別の能力‥‥」
【白川 ミト】
「‥‥仮に私に“前者の力が”あったとしても‥‥きっと“後者の能力”は私にはない」
ミトさんは部屋に置かれたグランドピアノの方に目を向けます。堂々たる出で立ちで“そこにある”グランドピアノを、ミトさんはやや恨めしげに見つめます。
【白川 ミト】
「表舞台に立てるような人間は、鳳月さんや真壁さんのような人間‥‥」
【白川 ミト】
「堂々として、色んな人から必要とされて、そして注目されて‥‥。私みたいな人間には無理」
【白川 ミト】
「精々、自由気ままに歌って‥‥たまたま歌を聴いた人の興味をほんの僅かに惹くだけ‥‥。私には、その程度の力しか無いの」
【白川 ミト】
「コンサートを開いて表舞台に立つだなんて、そんなこと‥‥私にはできない」
【白川 ミト】
「‥‥あの2人が羨ましい。私にはないものを持っている」
【白川 ミト】
「私が死んでも手に入れられないような力を‥‥焦がれても焦がれても手に入れられない力を‥‥。私には、なにもない」
【篠宮 マコト】
「そ、そんなことないです!」
【白川 ミト】
「いや、そんなことはある‥‥。私の人生は、ずっとそうだったんだから」
ミトさんは私の否定の言葉をあっさりとこれまた否定してしまいました。
【白川 ミト】
「‥‥ごめんなさい。せっかく私の歌を気に入って聴いてくれたあなたのことも、否定するような言葉だった。篠宮さんには、ずっと謝ってばかり‥‥」
ミトさんの体が少しずつ薄くなっていきます。また魔法を発動しているようです。
【白川 ミト】
「聴いてくれてありがとう。また、偶然歌っている場面に遭遇したら‥‥聴いてくれると嬉しいな」
【白川 ミト】
「私は、これからも歌い続けるから。いつか誰かが‥‥“私”を見つけてくれるその日まで」
声は静かに途切れ、彼女の姿は空気に溶けていきます。
その直後、音楽室の片隅で、まだ誰にも聴かれていない最後の一音が、微かに響いたように私は感じました。
(5月21日解禁)