私は調査の合間をぬって医務室を訪れました。第一発見者であるチサさんとセリナさんが心配だったからです。
天窓からは白い光が落ち、蛍光灯の淡い唸りが室内に伸びています。消毒液の匂いが鼻の奥を刺し、スチール椅子の脚が床を擦る金属音が短く跳ねました。
【朝雛 チサ】
「‥‥‥‥‥‥」
【星谷 セリナ】
「ヒック‥‥グスッ‥‥。大丈夫だかんね、チサっち。あーしがいるから」
2人の様子は先ほどのラウンジでの時とさほど変わりがありませんでした。セリナさんが泣きながらも辛うじて余裕を取り戻したのか、チサさんを励ましています。
2人の様子も確認しつつ‥‥この部屋の捜査もすませてしまいましょう。
天窓からは夕焼けのオレンジ色の光が降り注いで、医務室の中を温かい色で包んでいます。‥‥せめて2人が、この光のように心穏やかであればいいのですが‥‥現実はそうもいきません。
後で声をかけないといけませんね。
外側の出入り口からは、泥の足跡が途切れることなく机の方へと向かっています。リクアさんが治療を施そうとした机に行こうとした跡でしょう。
その足跡は、事件直前のリクアさんの足取りをしっかりと写していました。
作業用の椅子には、黒色の乾いた土が残っています。リクアさんが治療している際、衣服に付着したものが落ちてしまったのでしょう。リクアさんがここに確かにいた明確な痕跡です。
彼女がここで治療を行っていたのは、間違いないようですね。
戸棚を調べてみると、消毒液なんかが乱雑に収納されていました。治療を終えたリクアさんが慌ててしまい直したのでしょうか。一刻も早く私たちの元に戻らないといけないと焦ってか‥‥あるいは、怪我の痛みで動揺したのか‥‥。
私はそっと戸棚の中身を整理して、棚を閉めました。‥‥他の場所も調べましょう。
牢屋敷内に続く出入り口にも、泥の足跡が残っています。足跡は少し乾き始めていて、泥よりも土の比率が高くなっているようです。
足跡はシャワールームの方へ続いています。つまり、リクアさんはこの後シャワールームで泥を落としている最中に‥‥。
私は頭を振って、浮かんだビジョンを消し去ります。‥‥この事は、裁判の時に考えましょう。今は、調査をして1つ1つ事実を拾っていくんです。
【篠宮 マコト】
「あの‥‥2人とも大丈夫ですか‥‥?」
なるべく小さな声で2人に問いかけます。セリナさんは無理をしながらも軽く微笑みます。
【星谷 セリナ】
「あ、マコトっち‥‥。うん。なんとか大丈夫‥‥かな。あーしはまだいいけど、チサっちが‥‥」
【朝雛 チサ】
「‥‥‥‥‥‥」
チサさんは相変わらずフリーズしたままです。目の焦点が合っていません。口も半開きで閉じようという意思すら感じられません。
【星谷 セリナ】
「さっきから‥‥ズビッ。ずっとこの調子でさ‥‥取り付くヒマ‥‥じゃなくて島もないって感じで‥‥。あーし自身も、死体みたショックがまだ抜けてねー」
【星谷 セリナ】
「ほら、あーし、あれが初めての死体だったから‥‥」
【星谷 セリナ】
「ばーちゃんとかは物心つく前に死んじゃったから‥‥そんなに、“死”に対する耐性がねーみたいで‥‥」
当然の話です。つい数日前までごく普通の生活を送ってきた私たちが、いきなり生き死にの保証されない空間に放り込まれて、そして現に殺人が起こった。それを真っ先に目撃した彼女らが、それを受け入れられないのは当たり前です。
【朝雛 チサ】
「‥‥アタイ」
【星谷 セリナ】
「‥‥!」
【篠宮 マコト】
「‥‥!」
不意にチサさんが口を開きました。口元がワナワナと震え、今にも泣き出しそうです。
【朝雛 チサ】
「リクアねえがシャワーのとこに行ったのは、アタイが鍬をすっぽかしたから‥‥」
【朝雛 チサ】
「ケガをしたのもアタイが鍬をすっぽかしたから‥‥。そんでリクアねえはシャワーのとこで死んだ‥‥」
【朝雛 チサ】
「これって、アタイがあそこで鍬を飛ばしてなかったら、リクアねえは死ななかった、ってことだよね‥‥?」
チサさんはリクアさんの死の結果が、自分の行動をきっかけに起こったと考えているようです。先ほどまで押し黙っていたのは、その責任に苛まれていたからでしょうか。
【星谷 セリナ】
「んなことねーし!」
セリナさんはすぐさまチサさんを抱き寄せます。2人の目には薄っすらと涙が浮かんでいました。それはきっと私も‥‥2人をみる視界の端がほんの少しぼやけています。
【星谷 セリナ】
「チサっちなんも悪くね―から!」
【星谷 セリナ】
「悪いのは、その‥‥リクアっち殺したやつ‥‥いや、そもそもあーしらがこんなところにさらわれなければ、そもそもこんな事は起こらなかったんだから‥‥」
【星谷 セリナ】
「そう。悪いのはあーしらここにさらった連中! あのよく分かんねぇフクロウだから!」
【星谷 セリナ】
「チサっちは何も悪くねーよ‥‥」
チサさんを抱き寄せる強さと反比例するように、セリナさんの声は弱々しくなっていきます。抱き寄せられたチサさんもまた、セリナさんをぐっと抱き返します。
【朝雛 チサ】
「アタイ‥‥‥‥アタイアタイアタイィィッッッ!」
文字通り言葉を失ったチサさんは、もはや泣くほかありませんでした。
‥‥いえ、今はむしろ泣くべきなのかもしれません。先ほどまでチサさんは泣きそうな素振りや反応こそ見せていましたが、一雫の涙もこぼしませんでした。きっと無理をしていたのでしょう。
私たちの中で最年少。体格も下から数えたほうが早いくらい小さな彼女にとって、数日過ごしただけの間柄とはいえ、突然訪れた身近な人の死は到底受け入れられるものではありません。
むしろここまで一切の涙を見せないほうがおかしな話でした。
チサさんはひたすら泣きじゃくりました。セリナさんもまた。チサさんほどではないにしても涙をこぼしていました。お互いの衣服が涙でビショビショになっても構うことなく、2人は泣いて、泣きつくしました。
それを私は‥‥ただ見守ることしかできませんでした。かけるべき言葉が口をついて出ませんでした。それでも‥‥私はまだ泣いてはいけない。そう思いました。
少なくとも、この2人の涙が枯れて、また立ち上がれるまでは。
───────
そうして5分ほど立って、2人は少し落ち着きを取り戻しました。泣き疲れたのかチサさんは息が少し上がっています。私はそっとティッシュの箱を2人に差し出しました。
【篠宮 マコト】
「‥‥私、2人のために。そしてリクアさんのために、裁判で戦います。そして証明してみせます。チサさんは何も悪くないって」
【朝雛 チサ】
「マコねえ‥‥。‥‥ううぅ‥‥アタイィィィ!」
チサさんがこちらに飛びついてきました。一瞬泣き止んだかと思いましたが、また泣き始めてしまいました。
【星谷 セリナ】
「こーらチサっち、ダメだって‥‥! マコトっちまだ捜査の途中なんだから!」
私に飛びついたチサさんをセリナさんは引き剥がして再び抱き寄せます。
【星谷 セリナ】
「泣くなら、あーしの胸使え」
【朝雛 チサ】
「う‥‥うおおおおんッ!」
チサさんは叫びながらまた泣き出してしまいました。これ以上ここにいると、また彼女のことを泣かしてしまいそうです。
【星谷 セリナ】
「マコトっち‥‥見ての通り、あーしらまあこんな感じなんで‥‥。申し訳ないけど、捜査は頼んだ。裁判が始まるまでには、気持ち整えとくから」
セリナさんは軽く微笑みます。涙のせいで化粧がグズグズになって、瞼は赤っぽく腫れています。それでも彼女は笑顔を絶やそうとはしませんでした。こちらも、私がこの場に居続けては無理に作り笑いを浮かべさせるだけです。この場は退散したほうがいいでしょう。
【篠宮 マコト】
「‥‥分かりました。この場は、私に任せてください。2人の分も私が動きます」
【星谷 セリナ】
「‥‥サンキュ-な」
私は振り返ってセリナさんたちの下を離れます。
‥‥2人をこんな風に泣かせた犯人を‥‥私は許すことができるのでしょうか。
誰が悪いか、という話で言えばそれは間違いなく私たちをここにさらった管理者側‥‥いうなれば黒幕です。さらわれなければ、こんな殺人事件なんて起こるはずがないんですから。
けれども一方で‥‥殺人を犯してはいけないという人としての倫理規範を踏み越えて、殺人の実行に及んだ犯人へのフツフツとした感情があるのも、また事実です。
この後の裁判を通して‥‥私は一体誰を憎めばいいのでしょう。真実を明かして、その後どうなるのでしょう。
先のことばかり考えても、今は答えが出ません。
瞼の端に浮かんだ水滴をそっと拭います。視界が歪んでいては、見える証拠も見えませんし、掴める真実も掴み損ねます。
閉廷のその瞬間まで、泣くんじゃない。そう心に決めた私は医務室を後にしました。背中には、まだ小さく嗚咽の気配が残っていました。
【篠宮 マコト】
(今の2人に証拠品を見ている余裕はありません。もし何か見せる必要があるとしたら、また後でにしましょう)