調査に少し疲れた私は、外の空気を吸おうと裏庭の方へやってきました。
‥‥少しだけ、息を整えたい気分です。
つい1時間ほど前まで作業をしていた辺りには、中途半端に耕された地面に、放置された農具たち。死体発見直前の慌ただしい空気が、まだそこに残っていました。
放置された農具を回収すると、私はそれを牢屋敷の外壁に立てかけます。
まさか、殺人事件が本当に起こるだなんて思ってもいませんでした。先ほどまで少しでも暮らしをよくしようと動き回っていたのがまるで別世界での出来事だったかのように思えます。
太陽が牢屋敷の一番高い部分を超えて、裏庭に強い光を降り注がせます。掘り起こした土が光に照らされて少しずつその水分を奪っていきます。
私たちの中にあった希望までそのまま蒸発していってしまうのではないだろうか、という錯覚に襲われました。
奥には深い森が広がっています。木陰が広く、奥のほうがどうなっているかは見えません。‥‥何だか、今の私たちの状況を表しているようで、不安が余計に募っていきます。
‥‥あれ。どこかからか、声が聞こえたような気が‥‥。
私がそう考えていると‥‥。
【白川 ミト】
「あ‥‥待って‥‥!」
ミトさんの声が聞こえました。そこにはネコを追いかけるミトさんの姿が。ネコはこちらに向かって走ってきます。そしてそのまま‥‥。
【篠宮 マコト】
「きゃっ!」
私の方に飛びかかってきました。顔に正面衝突された私はそのまま仰け反るようにして倒れてしまいました。
ネコは私の顔をぴょんと飛び越えると、そのままどこかに走り去りました。
【白川 ミト】
「し、篠宮さん‥‥大丈夫‥‥?」
ミトさんが心配そうに暗い表情で私の顔を覗き込んで様子をうかがいます。太陽の光を後ろから受けて、ミトさんの顔が物理的にも暗くなりました。
【篠宮 マコト】
「え、ええ‥‥なんとか」
私は後頭部を擦ると、立ち上がりました。
【黒部 ナノカ】
「白川ミト、ネコはどこに?」
【鳳月 カナデ】
「あら、篠宮さん?」
森の奥からナノカさんとカナデさんが出てきました。2人もネコを探していたようです。
頭を擦っている私を見て不思議そうな顔をしている2人に、私は事の経緯を説明しました。
【鳳月 カナデ】
「それは‥‥申し訳ないです。意図せず巻き込んだ上に、怪我までさせてしまって‥‥」
【篠宮 マコト】
「け、怪我はしてないです。大丈夫です。それよりも3人はここでなにを‥‥?」
特に事件に関係なさそうな裏庭にいた3人を見て、私は思わず口にしました。
【黒部 ナノカ】
「その‥‥別に捜査をサボってたってわけではないわ」
【黒部 ナノカ】
「ただ‥‥3人とも気持ちの整理をつけたくて外の空気を吸っていたの。そうしたら‥‥」
【白川 ミト】
「ネコの鳴き声が聞こえてきた。なんでか知らないけど、高いところから降りられなくなったみたいで‥‥3人で救助してた」
【鳳月 カナデ】
「そうしたら、助けた途端一目散に逃げ出したので‥‥白川さんが追いかけた、というわけです」
【篠宮 マコト】
「なるほど‥‥。というか、この島、野生動物がいたんですね」
3人が捜査をしていないこと自体は、全く気にしていません。現に私も少し休憩のために外に出てきたのですから。それよりも、この島に動物が生息していることに驚きました。
【黒部 ナノカ】
「ネコとか、ウサギとかの小動物が何匹かいるみたい。‥‥今度落ち着いたら、また探しに行きたいな‥‥」
ナノカさんはネコの逃げていった方に目をやります。確かに、動物が入ればここでの生活も少しは和みのあるものになるかもしれません。
【白川 ミト】
「‥‥あの」
すると、ミトさんが震えた指で反対側の森の方を指さします。ついでに声まで震えています。何事だ、と全員がそちらを見ると。
【白川 ミト】
「あれって‥‥”小動物”、じゃないよね?」
森の奥には、荒い息を立てるイノシシの姿がありました。掘り返した土と人の匂いに惹かれたのでしょうか。こちらに明らかに敵意を含んだ視線を浴びせてきます。
【鳳月 カナデ】
「い、いいいイノシシですか!? た、大変です‥‥突撃されたら軽い怪我じゃすまないかもしれません‥‥!」
そんなカナデさんの心配の言葉に反応したのか‥‥。イノシシは「ブモー」と鳴き声を発するとこちらに突っ込んできました。方向から見て‥‥ミトさんが狙われています!
【白川 ミト】
「ひっ‥‥!」
小さく悲鳴を上げたミトさんは思わず駆け出します。
【鳳月 カナデ】
「白川さん! 動いちゃダメです! 余計に反応します!」
案の定イノシシはミトさんの方へと向かいます。ドレスに加え、とうてい走るために設計されていないミトさんの靴では、イノシシに敵うはずがありません。
【白川 ミト】
「こ、こないでッ‥‥!」
次の瞬間、ミトさんの体が透明になりました。イノシシはそれに怯んだのか突進を中断します。
【篠宮 マコト】
(ま、また、魔法です‥‥!)
何度目かのミトさんの魔法の発動。見慣れたと思っていましたが、やはり驚いてしまいます。
獲物を見失ったイノシシはそのままどこかへ走り去るかと思われましたが‥‥振り返ると、今度はナノカさんの方を目掛けて突進を始めました。
【黒部 ナノカ】
「に、逃げたらいけないのよね。 ど、どうすれば‥‥」
ナノカさんが慌てふためいている間にも、イノシシは突進をやめません。
【黒部 ナノカ】
「こ、こうなったら!」
ナノカさんは意を決したかのように目を閉じます。諦めて突進を受け入れるのかと思った次の瞬間。
ナノカさんの体がメキメキと大きくなっていきます。160cm前半ほどの身長が20cmほど大きくなりました。それどころか、外見すら変わっています。服だけはナノカさんのままですが、その見た目は筋骨隆々な大男でした。
【篠宮 マコト】
(これもまた‥‥魔法!?)
それ以外で説明がつかない光景に私は息を飲みます。
シルエットが明らかに大きくなったことでイノシシは怯むかに思われましたが‥‥やはり、全く突進をやめる気配がありません!
【黒部 ナノカ】
「が、ガオーッ! こ、これでも怖がらないの!?」
ナノカさんは精一杯の威嚇をしますが、本人の声色に全く迫力がないせいでまるで効果を発揮していません。普段のクールな彼女のイメージからかけ離れた、素っ頓狂な声が辺りに響くだけです。
【鳳月 カナデ】
「やはり動くものに反応するようですね。‥‥ならば!」
続けてカナデさんもなにやら動きを見せました。ナノカさんと同じく目を閉じたかと思うと、次の瞬間。カナデさんが2人になっていました。
新しい方のカナデさんは、イノシシの方へ手を振ると、「こっちに!」と叫び、そのまま走り始めました。
音と動きでイノシシのターゲットがもう1人のカナデさんに切り替わりました。小走りで逃げるカナデさんに突撃します。‥‥が、攻撃は不発でした。
【篠宮 マコト】
(カナデさんの体を‥‥すり抜けた!?)
加速の勢いを落としきれなかったイノシシは、もう1人のカナデさんの体をすり抜けた勢いそのまま森の奥深くへと消えていき、もう戻ってくることはありませんでした。
再び戻ってきた静寂に、私たちは皆ため息をついてその場に座り込みました。
ナノカさんは大男のまま地面に座りましたが、服の張り具合で変身したのを思い出したのか、シュルシュルと元のナノカさんへの姿に戻っていきます。
【篠宮 マコト】
「た、助かりました‥‥ごめんなさい、私何もできなくて」
【鳳月 カナデ】
「非常事態なので、体が咄嗟に動かなくても仕方がありません。むしろ、あの場では動かないほうが正解でした‥‥」
【白川 ミト】
「ご、ごめんなさい。思わず逃げちゃって‥‥」
いつの間にか透明ではなくなったミトさんも合流しました。
【篠宮 マコト】
「あの‥‥今、皆さんがされたことって‥‥もしかしなくても、魔法の効果、ですよね?」
【白川 ミト】
「うん。そう‥‥私は、今《透明化》の魔法を使った」
最初にミトさんが切り出しました。
【白川 ミト】
「私と、私に触れているものを透明にさせることができる。だから服ごとこうやって消える」
ミトさんはもう一度透明化を実演してみせます。みるみるうちに、彼女の姿が消えていきました。
【白川 ミト】
「触れているものを消すことができるから、例えばこうすれば‥‥」
ミトさんのその言葉と同時に、ナノカさんとカナデさんの姿が消えました。
【白川 ミト】
「今、2人に触っている。消えたでしょ?」
【篠宮 マコト】
「え、ええ」
突然3人まとめて消えてしまったので、一瞬目を疑いました。思わず目をパチパチとさせてしまいます。
【白川 ミト】
「これが私の魔法‥‥。イノシシが突撃してきた時点で使っておくべきだった‥‥」
【黒部 ナノカ】
「‥‥中々のものね。‥‥この機会だし、私も魔法を見せておいたほうが良さそうね」
ミトさんの魔法に感嘆の声を上げたナノカさん。自分も負けじと魔法を披露します。
【黒部 ナノカ】
「私の魔法は《変身》。知っている人間ならどんな人にでも変身することができるわ。例えば‥‥」
ナノカさんが目を閉じます。次の瞬間には、彼女の姿は私そっくりに変わっていました。格好はナノカさんのままなのに、姿は私というギャップに目を白黒とさせてしまいます。
【黒部 ナノカ】
「こんな感じよ。‥‥もっとも、声と着ている服は替えられないわ。あと、人間以外に変身することもできないわね」
再び目を閉じると、ナノカさんは変身を解除します。声が替えられないのはやや不便なのかもしれませんが、それを差し置いて余りある有用な魔法です。替え玉なんかが、簡単にできてしまいます。
【鳳月 カナデ】
「おふたりともすごいですね。それに比べれば私の魔法は‥‥」
カナデさんは先ほどと同じようにもう1人のカナデさんを出してみせます。
【鳳月 カナデ】
「《分身》を作り出す程度の魔法しか使えない私が、矮小に思えてしまいます」
カナデさんは悲しそうに俯きます。一方、分身のカナデさんは軽く微笑んだまま固まって動きません。
【篠宮 マコト】
「その分身の魔法は何ができるんですか?」
【鳳月 カナデ】
「私の言動を真似ることしかできません。私と視覚を共有していて、私の意思に従って動いて喋ったりはできるんですが‥‥」
すると分身のカナデさんが私に向けて手を差し出してきました。
【鳳月 カナデ (分身体)】
「試しに、分身の私と握手してみてください」
差し出された手を握ろうとします。しかし、先ほどのイノシシと同じようにその実体にふれることができません。
カナデさんはそのまま分身をしまうと続けます。
【鳳月 カナデ】
「ご覧のとおりです。私の魔法は、単に私の指示に従って動く、いわばホログラムを作り出すだけの魔法です」
【鳳月 カナデ】
「この分身に色々作業をさせて本体は楽をする‥‥といった用途には使えません。‥‥取るに足らない魔法です」
カナデさんは落ち込んでしまいました。私から見れば、それでも十分すごい魔法だと思いますが‥‥隣の芝は青く見えるというやつでしょう。
【白川 ミト】
「そ、それでも、鳳月さんは私たちを魔法で助けてくれた‥‥!」
【黒部 ナノカ】
「ええ。あなたの魔法がなければ、今頃誰かがイノシシの犠牲になっていたかもしれない。感謝しているわ」
2人がカナデさんを励まします。
【鳳月 カナデ】
「‥‥ありがとう。少し、救われました」
カナデさんは胸元で手を組み、ゆっくり息を吐きました。さっきまで硬かった肩の力が、ふっと抜けたように見えます。
思わず私も口元が緩みました。さっきまで肌にまとわりついていた重たい空気が、少しだけ軽くなります。
頭上では、太陽がゆっくりと傾き始めています。長く伸びる影が畝をまたぎ、耕しかけの土に縞模様を作っていました。
・白川ミト(しらかわ みと)
囚人番号31番。14歳。【透明化】の魔法を持つ少女。自己と自己が触れているものを透明にすることができる。
・黒部ナノカ(くろべ なのか)
囚人番号38番。15歳。【変身】の魔法を持つ少女。知っている人間の姿に変身することができる。ただし、声と身につけている服は変化しない。また、人間以外に変身することはできない。
・鳳月カナデ(ほうづき かなで)
囚人番号32番。14歳。【分身】の魔法を持つ少女。自分と同じ見た目の分身を1体作り出せる。分身とは視覚が共有され、本体の意思で自由に動かし声を発することができる。ただし、分身には実体がなく物に触れることができない。