重い足取りながらも着実に。ヒナタさんに手を引かれた私はなんとか食堂にたどり着きました。
扉を開けると、そこには皆さんの姿がありました。誰1人欠けることなく、そこにいました。それだけのことなのに、私は安心感を覚えました。ここにいる皆さんは、まだ‥‥生きています。
【星谷 セリナ】
「‥‥マコトっち、昨日はサンキューな。マコトっちのおかげで‥‥ひとまず難しい場面は乗り切れた‥‥と、思う」
真っ先に話しかけてきたのはセリナさんでした。歯切れが悪いですが、それでもなんとか言葉を紡いで私に感謝の意を述べます。目の下には、やはり泣き腫らした痕が残っていて。閉廷後、彼女がどのようにしていたのかが、ありありと感じ取れます。
【篠宮 マコト】
「‥‥私は別に感謝されることはしていません。それよりも、他の皆さん‥‥チサさんはどうされていますか」
昨日の事件で一番心に深い傷を負ったのは、セリナさんとチサさんに違いありません。セリナさんはまだ気丈に振る舞おうとしているのが見て取れますが、チサさんはどうでしょう。最年少の彼女がどうしているのか、気になってしまいました。
【星谷 セリナ】
「チサっちなら‥‥あそこ」
セリナさんは、親指で後ろの方を指さします。セリナさんの背中越しに、パンを勢い良く、泣きながら頬張るチサさんの姿が見えました。
【朝雛 チサ】
「うおおおおおおおんッ! ガツガツ‥‥ うおおおおおおおんッ! ガツガツ‥‥」
おそらく昨日大量に作って余ったパンを半ばヤケになって食べているのでしょう。周囲の目をはばかることなく、ものすごい勢いでパンが消えていっています。
【星谷 セリナ】
「何か食べてないと生きてる心地がしないって言い出したから、最低限の分だけ残して、あとは全部チサっちに与えたって感じ」
【星谷 セリナ】
「昨日リクアっちが多めに作って裏に隠してたみたい。‥‥ホントにあーしらのこと、よく考えててくれてたんだな」
セリナさんは俯いてしまいました。リクアさん亡き今も、牢屋敷には彼女が生きていた証がたくさん残っています。チサさんが泣きながら頬張っているあのパンも、そうらしいです。
【南雲 ヒナタ】
「篠宮さん、僕たちも少しでいいから何か胃に入れておこう」
ヒナタさんに導かれるまま、私は食事が置いてある大机へと向かいます。セリナさんが、繋いだ私たちの手に一瞬目を向けたのが恥ずかしかったですが、それでも今はこの手を離したくありませんでした。
パンを2個取ると、私は席につきます。流石に食事の時ということで、ヒナタさんの手を離します。スーッと流れてくる周囲の空気がいつもよりも冷たく感じて、さっきまでのヒナタさんの手の温もりが、逆に強く感じられます。
パンを1欠片ちぎって口に運びます。昨日のように焼きたてではありませんが、それでも十分美味しかったです。リクアさんが私たちのために作ってくれたものの1つ。‥‥しっかりと味わわないといけない、そう思いました。
───────
ゆっくりとパンを咀嚼して、飲み込んで。いつもよりも時間をかけて食事をしました。パン2つだけとはいえ、ある程度お腹が満たされました。これで少し元気が出ればいいのですが‥‥。
改めて周囲を見回すと、皆さん食欲がないのかお皿には空白が目立ちます。チサさんだけ、未だにパンを延々と齧り続けています。リクアさん、一体いくつ作ったのでしょうか‥‥。
チサさんが大量に食べることまで想定して作ったと考えると、計算高い彼女らしい行動だなと少し頬が緩みました。
ふと少し離れたところに目をやると、アキラさんの座るすぐ側に見覚えのあるものを発見しました。あれは‥‥まさか、シヅハさんのウエストポーチ‥‥?
思わず立ち上がった私は、アキラさんの方へと駆け寄りました。なぜ彼女が、シヅハさんの身につけていたあれを‥‥?
近づいてきた私の目線がウエストポーチに注がれているのに気がついたのか、アキラさんはそれを私の方へと示します。
【早瀬 アキラ】
「‥‥篠宮か。もしかして、これが気になったか?」
【篠宮 マコト】
「ええ。それは‥‥シヅハさんが身につけていたもの、ですよね?」
私の問いに、アキラさんは俯いてしまいます。
【早瀬 アキラ】
「‥‥ああ。昨日の裁判でこれの中身を調べた後、常盤に返しそびれたんだ。どうしたもんかと思って‥‥なぜだか、つい持ってきちまった」
【早瀬 アキラ】
「それに‥‥少し、気になるものがあったんだ」
アキラさんはポーチを開くと、中についているタグを私に見せました。何のための行動だろうと思って覗き込むと、そこには「常盤シヅハ」と油性ペンで名前が書いてありました。少しだけ文字が掠れていて、つい最近書かれたものではないと見て取れます。
【篠宮 マコト】
「これは‥‥シヅハさんの字、ですよね。少し前に書かれたもののように見えますが‥‥」
私はてっきり、このウエストポーチはシヅハさんの囚人服の一部であると思っていました。
しかし、いちいち毎回名前を書き直すというのも変な話ですし、そもそも油性ペンで書かれているのに、こんなに早く文字が掠れている時点で大きくムジュンします。
【早瀬 アキラ】
「‥‥文字の掠れ具合が気になってんだろ? 俺も同じ事を考えた」
【早瀬 アキラ】
「だから‥‥さっきシャワールームに行ってみたんだ。これと同じものが、ロッカーにしまってあるかどうか確認するために」
アキラさんも私と同じ推理をして、一足に先にシャワールームに向かっていたようです。
【早瀬 アキラ】
「結論を言うと‥‥ロッカーにこのウエストポーチは入っていなかった」
【早瀬 アキラ】
「つまり、こいつは常盤の囚人服じゃねえ。なのに、あいつは毎日これを身に着けていた」
毎日身につけていたウエストポーチ。油性ペンで書かれた掠れた記名。そして、ロッカールームに新しいものがなかった。ここから導かれることは‥‥
【篠宮 マコト】
「もしかして、これ‥‥シヅハさんの“私物”なのでしょうか」
弾き出された答えは至ってシンプル。このウエストポーチは、元からシヅハさんの所有物だった。これなら辻褄が合うはずです。
私の推理にアキラさんは首肯しました。
【早瀬 アキラ】
「そう考えるのが自然だ。‥‥スマホやら何やら、俺たちの私物は全部あのフクロウがかっさらっていったと思ったが‥‥どうやら、例外が存在していたようだな」
【倉科 ミオリ】
「私物が‥‥かっさらわれていない、ですと‥‥!?」
突然の声に振り向くと、いつのまにかミオリさんが背後に立っていました。いつから話を聞いていたのでしょうか。
【倉科 ミオリ】
「と、ということは、もしかしてあたしのポケットの中に、オタグッズがまだ残っている可能性もあるってことですよね!?」
‥‥そう言えば、ここに来た初日にミオリさんの私物について少し話をしましたね。
───────
ミオリさんは再び空間ポケットに手を突っ込みます。しかし、様子が変です。ポケットの中身をガサゴソと探し回っていますが、目当てのものを発見できない雰囲気です。
【倉科 ミオリ】
「あ、あれ‥‥おかしいですね。たしかここにしまっていたはずですが‥‥というか、どこにも何も入っていない‥‥?」
【早瀬 アキラ】
「‥‥もしかして、俺たちが気を失っている間に、管理者が全部没収したんじゃないか?」
アキラさんがポツリと呟きました。その言葉を聞いたミオリさんはピクリと動きを止めます。
【倉科 ミオリ】
「そ、それです‥‥だって、どこにも何も入っていません」
【倉科 ミオリ】
「思えば、あたしのポケットは常に容量ギリギリなのに、あんな大皿が入る時点でおかしいと気づくべきでした‥‥!」
ミオリさんは体をワナワナと震わせます。
【倉科 ミオリ】
「あ、あたしの推しグッズ、みんな盗られちゃいました‥‥」
【倉科 ミオリ】
「う、うう‥‥こないだお迎えしたばかりの最推し蓮見レイア様のぬいが‥‥。あ、やべストレスマッハ。精神にクる‥‥」
───────
あの時はミオリさんの私物は全て没収されていた、という結論になったはずですが‥‥シヅハさんの私物と思しきポーチが残っているということは、もしかしたらミオリさんの私物も残っているかもしれません。
ミオリさんは片腕でポケットを広げると、もう片方の腕で中をガサゴソと漁っているようです。
しばらくの間、時たまポケットに顔を突っ込んで中を漁っていたミオリさんでしたが、やがて「うおおおッ!」と歓喜の声を上げると、中から小さな何かを取り出しました。
【倉科 ミオリ】
「あ、ありました‥‥1つだけ。この間お迎えしたばかりの、蓮見レイアさまのぬい‥‥盗られていませんでしたァ!」
ミオリさんの雄叫びが食堂中に響き渡ります。ミオリさんは半泣きでぬいぐるみの頭をポフポフと撫でます。
【倉科 ミオリ】
「うう‥‥よかったでずう‥‥あたし、てっきり全部ボッシュートにされたもんだと思ってましたから‥‥1つだけでも残っててよかったあ‥‥」
ミオリさんはぬいぐるみに頬ずりさえしています。以前の様子から見るに、彼女にとってオタクグッズは精神安定剤に他ならないようです。この辛い時期に心の拠り所が見つかってよかったと純粋に思います。
【篠宮 マコト】
「ミオリさんのぬいぐるみに、シヅハさんのウエストポーチ‥‥。もしかして、私たちが気づいていないだけで、どこかに私たちの私物が残っているのでしょうか」
1回なら偶然でも、2回重なれば偶然とは言い切れなくなります。もしかしたら、他の人の私物もどこかに残っているかもしれない‥‥私はそう推理しました。
【鳳月 カナデ】
「私物でしたら‥‥私も1つ持っています」
近くに座っていたカナデさんが反応しました。ポケットから小さく畳まれた紙を取り出します。軽く黄ばんでいて、少し古いものだと見て取れます。
【篠宮 マコト】
「カナデさん、それは‥‥?」
【鳳月 カナデ】
「‥‥幼い頃、よく練習していた曲の楽譜です。ピアノの調律道具を探していたときに‥‥棚の中に折りたたんだ状態で紛れ込んでいました。折り目のつき方がそっくりなので、間違いないと思います」
調律道具を探している時‥‥数日前、ミトさんの歌を2人で一緒に聞いた時のことでしょう。あの時私は気まずさに耐えかねて、すぐに音楽室を出ていってしまったのでその後の事は知りません。私の退出後に見つけたのでしょうね。
【鳳月 カナデ】
「誘拐されてきた時に偶然落ちたものを、管理者が勝手に音楽室に置いていったのだと思って、特に誰にも伝えていませんでしたが‥‥他の方の私物も、この島にあるみたいですね」
実に奇妙な話でした。私たちの持ち物の殆どを奪っておきながら、中途半端に私物を1つ、牢屋敷のどこかに残しておく。管理者側の意図が読めません。
この牢屋敷が劣悪な居住環境なのは、ストレスを与えて魔女化を促進させるためだという仮説がありました。だからこそ、私たちはリクアさんの指導の下、生活環境を改善しようとしたのです。
一方で、このような私物の存在は大抵の場合多くの人にとって、安心感を与えるものだと言えます。
無論、外での生活を思い出して帰りたいという欲求が刺激されることが、別ベクトルのストレスとなる可能性をはらんではいますが‥‥それでも、私物の存在は精神的な支柱に十分なり得ます。現にミオリさんは、今も泣きながらも、幸せそうにぬいぐるみを撫でつづけています。
なぜ管理者側は、私たちの私物を残しているのか。その答えはすぐに出せそうにありません。
【篠宮 マコト】
(‥‥私も、私物を与えられているのでしょうか)
気になった私は、服のポケットを漁ります。が、何も入っていません。カナデさんのように、牢屋敷のどこかに隠されているのでしょうか。
私の脳裏には、あの謎の声の存在がありました。思い出せない謎の声‥‥そして、それをどこかで聞いたはずだという掠れた記憶‥‥もしかしたら、その手がかりが私の私物に眠っているかもしれない。それを期待して、私物がないか調べてみましたが‥‥どうやら、ここにはないようです。
私は落胆して俯きます。‥‥そこで、あるものに気が付きました。
胸についていた、ひまわりのバッジです。この数日間、特に気に留めていなかったそれの存在が妙に気になりました。囚人服から取り外して、観察してみます。
ひまわりの形をした、手のひらより一回り小さいくらいのバッジ‥‥この牢屋敷での生活開始から今日で5日目ですが、思えばこのバッジはロッカーに置かれていませんでした。
そして‥‥私はおそらく無意識のうちに、シャワーの度にこのバッジを外し、新しい囚人服に取り付けていたようです。そうでなければ、今ごろこのバッジは焼却炉で燃えカスになっているはずです。
しかし、なぜ今まで意識してこなかったのでしょう‥‥。
改めてマジマジと観察してみます。黄色い花弁。手触りからして、ナイロン製でしょう。いくつもの布が重なり合って花弁を構成していて、触っているとサワサワと指が刺激されてくすぐったいです。
真ん中の茶色い部分‥‥ここは確か、ひまわりの種になる部分だったはずです。固いプラスチックが素材として使われているようです。まじまじと覗いてみても、当たり前ですが種はどこにもありません。
‥‥何度見ても、ひまわりに関するか細い知識が出てくるだけで、至って普通のバッジだとしか形容できません。
しかたなくバッジを付け直します。
──これでず‥‥‥‥ていられます!
──何か‥‥ら、私‥‥‥‥‥ますから、安‥‥‥‥さい!
──カ‥‥‥‥に‥‥‥分‥‥‥‥‥です‥‥‥‥えておきますね!
【篠宮 マコト】
「‥‥ッ!?」
謎の声についての記憶が流れ込んできました。これは‥‥私がバッジを渡された瞬間の記憶、でしょうか‥‥?
声の主の顔はやはり判然としません。ですが、このバッジを謎の声の主から受け取ったということだけはハッキリと分かりました。
服につけ直したバッジを改めて観察します。しかし、先ほどの記憶以上の情報は流れ込んでいません。ひまわりの花が太陽の代わりに、ジッと私の顔を見つめています。
私は目を逸らしました。叶うことなら、今すぐこのバッジを引きちぎってどこかに放り投げてしまいたかったです。何か‥‥何かがこのバッジにはある。そんな予感がありました。
ですが、私はこのバッジを捨てるわけにはいきません。私の隠された記憶に至る手がかりである可能性を、このバッジは有しています。ならば‥‥捨てるわけにはいきません。
なによりも‥‥
【篠宮 マコト】
(なんで‥‥なんで、涙が、こんな時に‥‥)
このバッジを捨てる。そんな考えが頭をよぎった直後‥‥私の目頭は、なぜか熱くなっていました。瞼の裏あたりにゆっくりと雫が流れているのを感じます。
謎の声に対する寒気を感じるのと同時に、私はこのバッジに温かな懐かしさを覚えていました。そして、静かに確信します。
このバッジは‥‥私の友達がくれたものであると。
謎の声の正体が、私の友達‥‥ならば、なぜ私はこの声に対して、畏怖の念を覚えているのでしょうか。声に対するこの悪寒は、間違いなく私がこの声に対して恐怖心を抱いていることを示しています。
懐かしさと恐怖心‥‥相反するムジュンした感情が、私の中をぐちゃぐちゃとかき混ぜていきます。このバッジは、一体‥‥。
思わず握りしめたバッジは、温かなひまわりのイメージからかけ離れた、固く冷たい感覚を返すだけで‥‥それ以上、何も語りかけてくることはありませんでした。
・向日葵バッジ
篠宮マコトが身につけているバッジ。
マコトの私物だと思われるが、本人は詳細を思い出せない。