機動戦士ガンダム 地獄の底のお姫様 ―木星帝国の王女は、地球を焼かないと決めた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
――娘よ。お前は今夜、地球を焼くための最後の部品になる。
父の第一声が、これである。
普通、娘に向かって言うセリフだろうか。おはようでも、よく眠れたかでもなく、いきなり「地球を焼く部品になれ」。もう情緒がめちゃくちゃだ。
わたしはテテニス・ドゥガチ。木星帝国の王女で、今年で16歳。趣味は引きこもりと、こっそり禁書を読むこと。この鉄の艦から一歩も出たことがない、正真正銘のお姫様である。
――ただし、地獄の底の。
U.C.0128。木星船団の総旗艦『グレゴール・メンデル』の最深部。3倍の重力を模した執務室で、わたしはドレスの下に鉛のバラストを仕込まれ、椅子に縫い止められていた。息をするだけで肋骨が軋む。控えめに言って、最悪の自宅環境だ。
車椅子の父クラックス・ドゥガチが、腐りかけた指で古い記録を再生する。映し出されたのは、金髪の、いけ好かない顔の男だった。
「見よ、テテニス。パプテマス・シロッコ。木星が産んだ最高の天才だ」
「……知らない人ね」
「グリプス戦役で死んだ。惜しい男だった。女が統べる世界を説きながら、己の殻を破れなかった。だが私は違う。木星で死んだ数百万の怨念を背負い、地球を焼く。お前はそのための私の“良心”なのだよ」
良心、ときた。人を弾頭扱いしておいて、よくもまあ。
はっきり言おう。わたしは、この父が嫌いだ。すごく嫌いだ。娘の幸せなんて1ミリも考えていない。わたしという器に自分の醜い野望を詰めて、青い星に撃ち込みたいだけ。冗談じゃない。
――君も、こちらへ来るのだろう?
……は?
死んだはずのシロッコの映像が、確かにこっちを見た。声が、耳じゃなくて頭の奥に直接ねじ込まれてくる。木星帰りだけが持つ呪われた知覚――ニュータイプの感応、というやつだ。
――重力に魂を縛られたまま、孤独を力に変えて。君のような子こそ、待っていた。
気持ち悪い。鳥肌が立った。死人に口説かれるとか、人生で一番いらない体験だ。
空調が止まる。酸素濃度がみるみる落ちていく。15、14、13。警告音が鳴り響く中、父は――嗤っていた。まるでこの亡霊の登場を、予定表に書き込んでいたみたいに。
「これがサイコミュだ、テテニス。死してなお残る執念すら増幅する技術。お前の脳は、これを受け取るために研ぎ澄まされている。お前は私が造った、最高の受信機なのだよ」
受信機。器。部品。良心。――わたしを表す言葉に、一度も「娘」が出てこない。
薄れる意識の中で、わたしはぼんやり考えた。逃げ場なんてない。顔は全艦に知れ渡ってるし、血が帝国そのものだ。生まれてからずっと、自由なんてなかった。
……でも。
こんな父の弾頭になって、見たこともない地球の子供たちの上に降るくらいなら。禁書に書いてあった、あの人の言葉。「人が優しくなれる場所」。それを焼く炎になるくらいなら。
わたしは、ゆっくり顔を上げた。決めた。決めてやった。
わたしは決めた。今夜、お姫様をやめる。引きこもり王女テテニス・ドゥガチは、明日の朝までに“国家反逆者”になる。……別に、世界を救いたいとか、そんな立派な話じゃない。ただ、こいつらの言いなりになるのが、死ぬほど嫌なだけ。でも、この小さな「嫌だ」が、宇宙世紀の100年をまるごと軋ませることになるなんて、この時のわたしはまだ、これっぽっちも知らなかったのだ。