機動戦士ガンダム 木星の深淵 シロッコの亡霊とジュドー・アーシタ 王女ベルナデットの木星戦記   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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クロスボーン・バンガードの矜持

マザー・バンガードのブリッジを揺らすのは、物理的な衝撃だけではない。父、クラックス・ドゥガチが全地球圏へ放った宣戦布告の残響が、私の脳細胞一つひとつを毒液のように侵食していた。

 

「……ベルナデット、顔を上げろ。死にたいなら止めないが、生きるつもりならその震えを力に変えろ」

 

冷徹だが、どこか血の通った声。声の主はキンケドゥ・ナウ。かつてコスモ・バビロニアの動乱でガンダムF91を駆り、今は海賊として木星の闇を切り裂く男。

彼の視線は、王女としての私を甘やかすことも、父の罪を私に転嫁することもしない。ただ、一人の人間としての意志を問うていた。

 

「わかっています。私は、あのディビニダドが神の雷などではないことを知っている唯一の人間ですから」

 

私は震える膝を叩き、立ち上がった。

父が、かつてパプテマス・シロッコが持ち帰ったバイオ・センサーの技術を歪め、千の核ミサイルを抱いた怪物を産み落とした。木星の過酷な環境が生んだ選民思想が、今や地球という名の慈母を殺そうとする狂気にまで肥大している。

 

「敵機接近! 第1から第4方位、バタラ及びクァバーゼの混成部隊です!」

 

オペレーターの叫びと共に、全天周囲モニターが朱に染まる。木星帝国のモビルスーツ群が、ミノフスキー粒子の霧を割って躍り出てきた。木星特有の高機動を支える大型スラスターが、暗黒の宇宙に不吉な軌跡を描く。

 

「トビア、無茶はするなよ。お前の初陣だ」

 

「わかってます、キンケドゥさん! でも、あんな連中にベルナデットを渡すわけにはいかないんだ!」

 

トビア・アロナクス。地球の土の匂いを知る少年が、クロスボーン・ガンダムX2の予備機、あるいはその残骸を急造したかのような機体に乗り込む。彼にとっての戦いは、大義のためではない。ただ、隣にいる少女にリンゴを笑って食べさせるための、あまりにも純粋で、それゆえに強靭な「生」の肯定だった。

 

「クロスボーン各機、発進!」

 

カタパルトから射出されるガンダム。X字に配置されたフレキシブル・スラスターが、木星の重力に縛られた帝国機を嘲笑うかのような鋭角的な機動を見せる。

キンケドゥのX1が、ビーム・ザンバーを振りかざし、先頭のバタラを両断した。爆光がブリッジを照らす。

 

私は、その光景を逃げずに見つめた。

あの中で死んでいく兵士たちも、かつては木星の冷たい鉄の廊下で私に跪き、「テテニス様」と呼んだ者たちかもしれない。彼らは父の狂気に殉じているのではない。地球という豊かな果実を独占する「猿ども」への、積年の劣等感に背中を押されているのだ。

 

「ベラ艦長、私に索敵の補助をさせてください。私のニュータイプ能力……いえ、この呪われた感応波なら、敵の指揮官機を特定できます」

 

「……いいのですか、ベルナデット。それは、あなたの同胞を射抜くための目になるということですよ」

 

ベラ・ロナ……かつてセシリー・フェアチャイルドと呼ばれた女性が、悲しげな瞳で私を見た。彼女もまた、血の呪縛と戦い、高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を全うしようとする同志だった。

 

「同胞だからこそ、止めなければならないんです。これ以上、木星の魂を汚させないために」

 

私はサイコミュ・レセプターのヘッドセットを装着した。

脳の奥に、焼けつくようなプレッシャーが流れ込む。

暗黒の宇宙が、色鮮やかな光の網目として再構成される。

あそこに、ギリのクァバーゼ。その奥、ジュピトリス級の影に隠れて、私を「回収」しようとする特殊工作隊の冷たい意志。

 

「……見つけた。方位280、距離45。熱源探知を逃れるために冷却材を散布しながら接近する影があります」

 

「捕捉しました! キンケドゥ、トビア、聞こえる!? 隠密接近機がいるわ!」

 

私の感応が、戦場を支配する。

キンケドゥのX1が、ブランド・マーカーを突き立てて敵機を沈める。トビアの機体が、必死の思いでヒート・ダガーを振るい、工作隊の野望を挫く。

 

「ベルナデット……聞こえるよ、君の声が」

 

通信回路の向こう、トビアの思念がリンゴの香りのように私の心を撫でた。

その瞬間、私の内側にあった「お姫様の抜け殻」が、粉々に砕け散った。

守られるだけの存在ではない。私は、父が作ったこの地獄に責任を持ち、その闇を切り裂くための刃の一部になるのだ。

 

「これが、クロスボーン・バンガードの戦い……。海賊という名の、矜持」

 

宇宙世紀0133年。

木星戦役の火蓋は、完全な虐殺としてではなく、誇り高き反逆者たちの抵抗として切って落とされた。

モニターの端で、地球の青い輪郭が美しく輝いている。

あの青を守るためなら、私は自分の血を、名前を、そして愛した父の幻影さえも捨てよう。

 

私は、マザー・バンガードの鉄の床を強く踏み締めた。

もう、足元は揺れていなかった。

木星の重力を捨て、地球の重力を受け入れ、私は今、宇宙(そら)の自由の中で、テテニス・ドゥガチとしての本当の産声を上げたのだ。

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