機動戦士ガンダム 地獄の底のお姫様 ―木星帝国の王女は、地球を焼かないと決めた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「ベルナデット、顔を上げろ。死にたいなら止めない。だが生きるなら、その震えを力に変えろ」
冷たいのに、奥に血が通ってる声。キンケドゥ・ナウ。かつてガンダムF91に乗って、今は海賊として木星の闇を切り裂く人。彼はわたしを、王女として甘やかしもしない。父の罪を押しつけもしない。ただ一人の戦う人間として見てくれた。……こういう大人、初めてだ。
木星では、大人はふたつしかいなかった。わたしを崇める者と、わたしを利用する者。どっちも、わたし自身のことなんて見ちゃいなかった。見てたのは「王女テテニス」っていう肩書きと、その血に流れる父の遺産だけ。……なのにこの人は、わたしの震える膝を見て、震えたままでいいとは言わなかった。力に変えろ、と言った。突き放すみたいで、その実、いちばん信じてくれてる言い方だった。
「敵機接近! バタラとクァヴァーゼの混成部隊です!」
モニターが朱に染まる。わたしは震える膝を、拳で叩いた。痛い。でも、その痛みで足に力が戻る。そして、立った。
「あのディビニダドが神の雷なんかじゃないって知ってるのは、わたしだけよ。あれはただの……父の拗れた孤独が生んだ、でっかい癇癪。ベラ艦長、索敵を手伝わせて。この呪われた感応なら、指揮官機を見つけられる」
ベラ・ロナ――かつてセシリー・フェアチャイルドと呼ばれた人が、悲しそうにわたしを見た。
「それは、あなたの同胞を射抜く目になるということですよ」
「……同胞だから、止めるの。これ以上、木星の魂を汚させたくない。父の狂気に、殉じさせたくない」
言いながら、指先が冷たくなっていくのが分かった。同胞。木星で生まれて、木星で死んでいく人たち。わたしがこの手で撃つのは、昨日まで同じ空気を配給されていた誰かだ。……それでも、止めなきゃいけない。優しさが誰も救わないなら、わたしは冷たくなる。震えたまま、冷たくなる。それが、わたしにできる精一杯だから。
レセプターを装着すると、暗黒が光の網に変わる。数千の意志の光点。ぜんぶ、生きてる人の想いだ。怒り、恐怖、忠誠、それから、ほんの少しの後悔。ひとつひとつが、痛いくらいに流れ込んでくる。
「見つけた。方位280、距離45。冷却材を撒いて熱源を隠してる隠密機がいる。指揮官機は、その後ろ」
キンケドゥのX1が隠密機を撃ち抜く。トビアのX2が工作隊を切り崩す。わたしの呪われた目が、初めて、誰かを守るために使われてた。ずっと、人を殺すためだけに研がれてきた力なのに。使い道を、こんなに間違えていいものなんだ。……ううん。間違えたんじゃない。取り戻したんだ。
「ベルナデット……聞こえるよ。君の声が」
通信ごしのトビアの思念。それがリンゴの匂いみたいに、張り詰めた心をそっと撫でた。その瞬間、わたしを縛ってた“お姫様の抜け殻”が、ぱりんと砕けた。守られるだけの、飾られるだけの、弾頭だけのわたしは、もういない。……ちょっとだけ、笑えた気がする。こんな戦場のど真ん中で。変なの。
「これが、クロスボーン・バンガードの矜持……」。わたしはその無私の戦いに、胸を打たれてた。でも、感応の網の一番遠い端で、捉えてしまったのだ。指揮官機よりずっと後ろ――地球の重力圏そのものから滲む、あの冷たい思念を。カガチ。あの男は、この宇宙の戦いを囮に使って、地上で何かを起動させようとしてる。わたしはその名を、彼の思念から読み取ってしまった。「エンジェル・ハイロウ」。……父の神の雷が地球を“焼く”雷なら。カガチのそれは、地球を生きたまま“眠らせる”、静かな断頭台だった。