機動戦士ガンダム 木星の深淵 シロッコの亡霊とジュドー・アーシタ 王女ベルナデットの木星戦記   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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フォンセ・カガチの野望

宇宙世紀0147年。

木星の「鉛の空」は、かつてないほどに重く、湿った狂気を孕んでいた。

父ドゥガチが消えて14年。再建の泥濘の中で、私たちは鉄の檻を少しずつ塗り替えようとしてきた。だが、その背後で、かつて父の側近であった男、フォンセ・カガチが蒔いた「宗教」という名の毒が、音もなく芽を吹き始めていた。

 

「テテニス様、第3居住区の礼拝堂がまた増築されました。民の間では、マリアという少女を『聖母』と崇める声が止みません」

 

側近の報告を聞きながら、私は冷え切った指先で窓の外を見つめた。

そこにあるのは、チタン合金の地平線と、偽りの太陽光が照らす無機質な街並みだ。

カガチ。あの蛇のような瞳をした男は、木星の民が抱える「地球への劣等感」と「生存の恐怖」を、救いという名の劇薬に変えてしまった。

 

「……マリア。あの子は、ただの心優しい少女だったはずよ。それをカガチが、自らの野望をコーティングするための偶像に仕立て上げた」

 

私は重いドレスを翻し、カガチの本拠地へと向かった。

通路の壁には、慈愛に満ちたマリアの肖像画が掲げられている。だが、その微笑みの裏側で、カガチは着実に「地球浄化作戦」の爪を研いでいた。

 

「これは、お父様が成し遂げられなかった『神の雷』の、より洗練された、より残酷な再演よ」

 

私は一人、バタラを改修した専用機に乗り込んだ。

もはや王女として言葉を重ねる時期は過ぎた。

カガチの私兵部隊、後の「ザンスカール」の雛形となる連中が、居住区の資源を強引に徴用し始めている。

木星の重力を、魂を圧搾する万力ではなく、世界を跪かせる力へと変えようとする狂気。

 

「カガチ! 姿を現しなさい! あなたがやっていることは、木星を再び地獄へ叩き落とす行為よ!」

 

私の通信に返ってきたのは、カガチの冷徹で、しかしどこか悦びに満ちた声だった。

 

「テテニス様。あなたは慈悲深すぎた。民が求めているのは、平等な貧しさではなく、選ばれた者としての誇りなのです。マリア様という光を得て、木星の民は初めて『地球という寄生虫』を駆除する使命に目覚めたのですよ」

 

その直後、私のセンサーが警告音を鳴らした。

居住区の工廠から、見たこともない形状の機体が這い出してくる。

後のゾロアットに通じる、その禍々しいモノアイ。

カガチが秘密裏に開発していた、サイコミュ搭載型試作機。

 

「行かせるわけにはいかない……! これ以上、この星の子供たちに、戦いの鉄の味を教えさせはしない!」

 

私はスロットルを押し込んだ。

バタラのブースターが火を噴き、加速Gが私の骨を軋ませる。

木星の金属臭が鼻を突き、冷却水の循環音が鼓膜を突き破る沈黙を切り裂く。

 

「サイコミュ・リンク、安定。……私の中に流れるドゥガチの血よ、今日だけは私に力を貸して!」

 

私はインターフェースを全開にした。

木星的進化を遂げたサイコミュが、私の意識を強制的に拡張する。

空間の歪み、敵の殺意、そして背後に潜む「聖母」への熱狂。

それらすべてが、ノイズとなって脳髄を灼く。

 

敵機が放つビーム・ライフルの閃光が、バタラの装甲を掠める。

私は回避運動を取りながら、敵の陣形を分析した。

カガチの部隊は、かつての帝国軍以上に組織化され、その動きには「信仰」ゆえの迷いがない。

 

「なんて不気味な動き……。命を惜しんでいないというの!?」

 

「テテニス様、これこそがマリア様の救済です! 死は恐怖ではなく、宇宙の意志への回帰に過ぎない!」

 

敵パイロットの叫びが、サイコミュを通じて直接流れ込んでくる。

その狂ったような「萌え」……マリアへの献身という名の盲信に、私は吐き気がした。

それは、シロッコが説いた女性支配の理想を、カガチが男性の征服欲に都合よく書き換えた最悪の完成形だ。

 

「そんなの、救いじゃない! ただの思考停止よ!」

 

私はバタラのビーム・サーベルを起動した。

蒼白い光刃が、闇を切り裂く。

サイコミュによって予測された敵の機動の「先」を、私は一文字に薙ぎ払った。

爆光。

一機の敵機が、木星の重力に引かれて深淵へと墜ちていく。

 

だが、敵は止まらない。

カガチの野望の真髄は、MS単体の性能ではなく、その背後にある「システム」にこそあった。

工廠の奥底で、巨大な円環型の構造物が鼓動を始めている。

エンジェル・ハイロウのプロトタイプ。

 

「……あれは……!?」

 

「そうです。シャリア・ブルが、シロッコが夢見た『理解し合うための波動』を、我々は増幅することに成功した。マリア様の祈りを全人類に強制的に届ける。それは、争いのない、静かな眠りをもたらすギロチンなのです」

 

カガチの声が、空間そのものを震わせる。

私は、あまりの巨大な悪意に指先が震えた。

父ドゥガチは、地球を焼き尽くそうとした。

だが、カガチは地球を「生きたまま去勢」しようとしているのだ。

 

「そんなことは……させない! ジュドーが、トビアが、あんなに必死に繋いできた命の温もりを、そんな冷たい静寂で塗りつぶさせはしないわ!」

 

私は、自機のリミッターを解除した。

ミノフスキー物理学の限界を超えた加速。

視界が赤く染まり、サイコミュのフィードバックが私の精神を削り取る。

 

「テテニス! 退け! 今のあんたじゃ、そのシステムに精神を食われるぞ!」

 

通信に、ジュドーの声が飛び込んできた。

グレイ・ストーク。彼は、私の暴走を止めるために、ボロボロのガンプで割って入ってきた。

 

「ジュドー……! でも、あれを止めないと!」

 

「分かってる。だがな、憎しみで戦えば、あんたもカガチと同じ土俵に立つことになる。……まあ、芋でも食って落ち着けと言いたいところだが、今はこれだ!」

 

ジュドーの機体から放たれたプレッシャーが、空間の狂気を一瞬だけ中和した。

最強のニュータイプが放つ、命の熱量。

それは、カガチの冷たい波動を跳ね除ける、唯一の盾だった。

 

「テテニス、マリアという少女を救いたいなら、まずあんたが正気でいろ。お姫様のドレスを脱いだんだろ? なら、鋼鉄の指導者として、冷静に奴の首を絞めろ」

 

ジュドーの言葉に、私は深く息を吸い込んだ。

冷たい冷却水の匂いが、私の意識を現実へと引き戻す。

 

「……ええ。分かっています、ジュドー。私は、テテニスとして、カガチの野望を切り裂く」

 

私はバタラを旋回させた。

エンジェル・ハイロウの雛形に向けて、私は全エネルギーをバイパスしたメガ粒子砲を構える。

照準の中に、カガチの冷笑が見えた気がした。

 

「いつか、重力のない空でトビアに会うために……私は、ここで立ち止まらない!」

 

閃光。

私の放った一撃が、システムの中枢を貫いた。

爆発の連鎖が工廠を飲み込み、カガチの狂った祈りは、炎の中に一時的に掻き消された。

 

だが、爆光の向こう側で、カガチの笑い声だけが残響のように聞こえていた。

「テテニス様。これはまだ始まりに過ぎない。マリア様はすでに、地球へ向けて旅立たれたのです。……ザンスカールの風は、もう止まりませんよ」

 

私は、炎上する工廠を見つめながら、拳を強く握り締めた。

宇宙世紀0147年。

木星の泥濘から生まれた「ザンスカール」という名の怪物が、ついにその翼を広げようとしていた。

 

私は、独りではなかった。

背後にはジュドーが、そして心の中には、地球の風を感じさせてくれたトビアがいる。

たとえ、これから訪れる時代が、ギロチンの音に満たされた暗黒だったとしても。

 

「私は逃げない。この木星(じごく)の底で、何度でも希望を耕してみせるわ」

 

私はバタラのハッチを開け、薄暗い居住区の空気の中に身を投げ出した。

頬を撫でる人工の風は、どこまでも冷たく、しかし、私が生きている証だった。

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