機動戦士ガンダム 地獄の底のお姫様 ―木星帝国の王女は、地球を焼かないと決めた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「テテニス様。また“検体番号1”の遺物を漁っておいでですか」
うわ、出た。侍従長フォンセ・カガチ。父のいちばん忠実な、いちばん気持ち悪い部下だ。
この男が苦手な理由を説明しよう。父は「炎」だ。怒鳴るし、憎むし、分かりやすい。でもカガチは「氷水」。感情がまるでない。目的のためなら、人でも駒でも同じ顔で並べる。笑ってても、目だけ死んでる。……控えめに言って、最恐だ。
「遺物だなんて、人聞きが悪いわね。ただの歴史記録よ。王女が国の歴史を学んで、何が悪いの」
わたしが握りしめていたのは、一年戦争で死んだ最初の木星帰り――シャリア・ブルという人の、私的な記録だった。禁書扱いの、古いディスク。再生すると、静かな声が流れた。
「宇宙の孤独は、人を優しくする。誰の助けも届かない暗黒では、隣にいる者の体温だけが真実になるからだ」
その瞬間、カガチの表情から、すっと温度が消えた。
「毒ですね。民の戦意を削ぐ言葉です。テテニス様、あなたは帝国の“良心”として育てられた。ですが良心とは、時に不要な慈悲という病を招く」
「病、ですって?」
「ええ。ですから治療が必要です。明日、衛星イオで暴動が発生します。あなたの初仕事は、その処刑への立ち会いです」
――発生します、と彼は言った。起きるでしょう、じゃなくて。まるで明日の天気みたいに、確定した未来として。
つまり、暴動は「起きる」んじゃない。こいつらが「起こす」んだ。民の怒りを地球に向けさせるために、自分で反乱を仕込んで、見せしめに刈り取る。マッチポンプ。これが木星帝国の正体だ。反吐が出る。
カガチが去ると、女官のマーサが泣きそうな顔で膝をついた。この鉄の艦で生まれて、地球の青を一度も見たことがない子。
「マーサ。あなた、リンゴって知ってる?」
「りんご、ですか……? 名前だけは」
「わたしも名前だけ。赤くて、丸くて、齧ると甘い雫が出るんですって。……この艦の栄養剤じゃ、絶対に出せない味なんだって」
わたしはディスクの最後の記録を、指でなぞった。公式には残らない座標と、たった一行のメッセージ。
『検体番号1は、まだ木星のどこかで“生きて待っている”』
検体番号1。それが何なのかは、まだ分からない。でも、父とカガチが必死に消そうとしてるってことは――消したいものにこそ、真実がある。引きこもりが禁書ばっかり読んで学んだ、数少ない処世術だ。
その瞬間、艦全体に警報が鳴り響いた。赤い非常灯が、視界を血の色に染める。端末を見て、わたしは目を見開いた。イオの暴動――カガチが「明日」と言った筋書きより、12時間も早い。しかも、監視をかいくぐって自然発生した、本物の反乱として。あの完璧な氷水の計算に、初めて“予定外”のヒビが入った瞬間だった。……ふうん。わたしは、ちょっとだけ口の端を上げた。そのヒビ、わたしが逃げるための隙間に、ちょうどいいじゃない。