機動戦士ガンダム 地獄の底のお姫様 ―木星帝国の王女は、地球を焼かないと決めた― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
木星の衛星軌道に、巨大な多重リング状のサイコミュ要塞が組み上がっていく。
U.C.0147。工廠の爆炎は、カガチの野望を止められなかった。むしろ、怪物の産声を宇宙に響かせただけ。エンジェル・ハイロウ。父が執着した破壊兵器とは、真逆の兵器。物を壊すんじゃない。心を殺す。精神の死を強制する、巨大な断頭台だ。
父の神の雷は、まだ分かりやすかった。焼かれれば、痛い。熱い。死ぬ。だから人は逃げるし、抗える。でもエンジェル・ハイロウは違う。抗う心そのものを溶かして、生きたまま「もういいや」と微笑ませてしまう。……ぞっとする。抵抗できない救済ほど、恐ろしいものはない。それはたぶん、この宇宙でいちばん優しい顔をした地獄だ。
「第4居住区のバイオセンサー反応が消失! 民の思考波が、あの中枢へ吸い込まれていきます!」
シャリア・ブルの感応も、シロッコの支配も、ぜんぶこの超重力の下で、“他人の精神を強制的に幼児化させて、永遠の眠りに誘う毒”に精製されてた。優しさも、力も、突き詰めれば同じ場所に堕ちる。使う人間の心が濁っていれば。……わたしの中に流れてる、この呪われた血と同じだ。
わたしはバタラで突入した。要塞に組み込まれた2万人のサイキッカーが放つ、純粋すぎて狂暴な“祈り”の奔流が、脳を焼く。マリアを核にして、彼らの意識は一つに編まれ、木星の磁気圏さえ塗り替える精神圧になって溢れてた。祈りって、こんなに暴力的なものだったっけ。ひとりひとりは、ただ楽になりたいだけ。ただ救われたいだけ。その小さな願いが2万人分束ねられると、星ひとつ狂わせる兵器になる。……いちばん怖いのは、悪意じゃない。善意だ。
「テテニス、それ以上近づくな! その精神圧は、普通の人間が耐えられるもんじゃない! あんたでも危険だ!」
ジュドーのガンプが残党機を引き受けてくれてる。その太陽みたいな光を頼りに、わたしはバイオセンサーを限界まで上げて、中枢のマリアへ意識を届けた。……そして知った。彼女もまた、鉄の檻に囚われ、“聖母”ってドレスを着せられた、わたしと同じ犠牲者だってことを。ああ、そっか。あなたも、わたしだ。生まれる前から役割を決められて、名前より肩書きで呼ばれて、心を道具にされた。もうひとりの、わたし。
「……お姉様……助けて……もう、祈りたくないの……わたし、疲れたの……」
マリアの微かな声。その瞬間、リングの一部が過負荷で爆発して、カガチの“強制的な安らぎ”が一瞬揺らいだ。わたしはその隙にトリガーを引いた。でも一撃じゃ壊せない。リングはすぐ自己修復を始めてしまう。届かない。あの子の手を掴みたいのに、あと少しが、どうしても届かない。
「無駄ですよ、テテニス様。これは木星の100年の孤独と、地球への劣等感を燃料に動いている。個人の意志程度で止まるものではありません」。カガチの波動がバタラを弾き飛ばす。重力の底に叩き落とされながら、わたしは歯を食いしばった。個人の意志程度、ですって。上等じゃない。その個人の意志程度で、わたしは父を止めた。あなたの神輿も、いつか必ず引きずり下ろす。エンジェル・ハイロウは、ゆっくりと、でも確実に、魔手を地球圏へ伸ばし始めた。……そしてわたしはまだ知らなかった。この木星で生まれた狂気が、やがて地球圏で“ザンスカール帝国”っていう、宇宙世紀最後の大きな狂気を生む、その最初の一歩になることを。マリアっていう少女の悲鳴が、歴史の歯車を回し始めていた。