機動戦士ガンダム 木星の深淵 シロッコの亡霊とジュドー・アーシタ 王女ベルナデットの木星戦記   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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プロキシマの光、地球の影

宇宙世紀0153年。

木星の「鉛の空」は、かつてないほどに静まり返っていた。

地球圏を震撼させたザンスカールの狂風も、エンジェル・ハイロウという巨大な揺籃も、遠い宇宙の彼方で塵へと還った。カガチが持ち出した「母性による救済」という名の毒薬は、結局のところ、地球の重力に惹かれる人々の孤独を癒やすことはできなかったのだ。

 

私は、無人の観測デッキから、一隻の巨大な船が重力圏を脱していくのを見つめていた。

ジュドー・アーシタ――。

かつて世界を救った最強のニュータイプであり、私に「鉄よりも温かい土」の味を教えてくれた老人は、ついにこの狭すぎる太陽系を捨て、隣の恒星プロキシマ・ケンタウリへと舵を切った。

 

「……本当に行ってしまうのね、ジュドー」

 

通信モニターには、もう何も映らない。

プロキシマへと向かう移民船が放つプラズマの尾が、木星の縞模様を切り裂く一筋の希望のように輝き、そしてゆっくりと闇に溶けていく。それは絶望による逃避ではない。人類が100年かけて煮詰めてきた「重力の呪縛」から解き放たれるための、究極の脱出(エスケープ)だった。

 

「テテニス様、移民船団の加速を確認。……私たちは、本当によろしかったのですか?」

 

背後で問いかける若いオペレーターの声には、隠しきれない羨望が混じっていた。

無理もない。

この星にあるのは、1滴の水さえ管理される無機質な日常と、いつ爆発するかもわからない古いチタン合金の壁だけだ。隣の恒星へ行けば、そこには新しい太陽があり、地球の焼き直しではない「新しい命」の形があるかもしれない。

 

「ええ。私たちは、ここでやるべきことがあるわ」

 

私は冷え切った指先で、パイロットスーツの胸元に刻まれた「テテニス」の名をなぞった。

プロキシマの光は眩しい。けれど、その光が強ければ強いほど、私の足元に落ちる「地球の影」は色濃く、重くなる。

 

カガチが去り、ジュドーが去り、木星には再び巨大な空白が訪れた。

指導者を失い、信仰を失い、ただ「戦いの実験場」としての残骸だけが転がっているこの場所。

もし私が今、このドレスを脱ぎ捨ててジュドーの船に飛び乗ったなら、私はただの「ベルナデット」として、トビアとの思い出だけを抱いて眠りにつくことができるだろう。

だが、それは許されない。

 

「私はドゥガチの娘。この星を地獄に変えた男の血を引く者よ。……この場所を、いつかリンゴが実る星にするまでは、死ぬことさえ許されない」

 

私はデッキを降り、再び第7工廠へと向かった。

そこには、ザンスカール戦役の最中に大破し、再起不能と思われていたバタラの残骸が、まるで墓標のように横たわっている。

工廠内に漂う冷却水の腐った金属臭と、溶接火花の焦げた匂い。

これが私の生きる現実だ。

 

「サイコミュ・リンク、テスト。……インターフェース、規格3を上書き」

 

私はコクピットに潜り込み、強制感応の残痛が走る脳を無視して、システムの再構築を始めた。

木星帰りのプレッシャー。

それは、長期間の孤独と高放射線が脳を異常発達させる病。

シャリア・ブルが「優しさ」と呼び、シロッコが「支配」に使い、父が「兵器」に変えたその力を、私は今、別の目的のために研ぎ澄ます。

 

「……感じて、マリア。……そして、ウッソ。あなたたちが守り抜いた地球の温もりを、私に分けて」

 

私は目を閉じ、全感覚を空間へと拡張した。

バタラのバイオセンサーが、木星の強力な磁気圏を突き抜け、数億キロ先の地球圏の残響を拾い上げる。

そこには、戦い終わった後の静寂があった。

ギロチンの音は止み、代わりに、新しい時代を築こうとする人々の、泥臭くも力強い鼓動が聞こえてくる。

 

「ああ……。地球は、まだあんなに暖かい」

 

不意に、コックピット内に警告音が響いた。

残党勢力。

カガチの思想に取り残され、行き場を失った「神の雷の残り火」たちが、再びテロを仕掛けてきたのだ。彼らが崇めるのは、もはや死んだ私の父の幻影。

 

「テテニス様! 敵機接近! 居住区の酸素供給ラインを狙っています!」

 

「……。させないわ」

 

私はバタラを無理やり起動させた。

片腕を失い、装甲も剥き出しの機体が、重力に抗って骨を軋ませる。

魂を圧搾する万力が私をシートに押し付けるが、今の私にはそれが、生きているという手応えに感じられた。

 

「これ以上、この星を汚させはしない! 私たちの罪は、戦火ではなく、土を耕すことでしか贖えないのよ!」

 

私はビーム・サーベルの光刃を伸ばし、闇を切り裂いた。

敵は旧式のディビニダドを模した、歪なモビルアーマー。

それは、父が抱き続けた「自分が愛せないなら焼き尽くす」というストーカー的憎悪の結晶だ。

 

「消えなさい、お父様! あなたの時代は、もう終わったの!」

 

サイコミュを通じて、私は敵パイロットの殺意を逆流させた。

感応ではなく、拒絶。

私の意志が空間を支配し、敵機の姿勢制御システムを強引にハッキングする。

有線サイコミュが敵の四肢を縛り上げ、木星の超重力へと引きずり込んでいく。

 

「……萌えなんて、どこにもない。あるのは、剥き出しの命のやり取りだけ」

 

私は冷徹にトリガーを引いた。

爆光が木星の影を照らし、一瞬だけ、この永遠の夜に偽りの夜明けをもたらす。

敵機の残骸が、大気圏へと吸い込まれ、原子レベルまで押し潰されて消えていく。

 

戦闘が終わった後のコックピットで、私は激しく咳き込んだ。

口の中に広がる鉄の味。

私はハッチを開け、無機質な居住区の通路へと這い出した。

見上げれば、透明なドーム越しに、プロキシマへと続く虚無の空間が広がっている。

 

ジュドーたちが目指した光。

トビアが守り抜いた地球の影。

そのどちらにも属さない、この「鉄の檻」が私の居場所だ。

 

「いつか……いつか、この土から本当の芽が出るまで。私はここで、王女(テテニス)として生きるわ」

 

私は、手に残った油汚れをパイロットスーツで拭い、歩き出した。

遠い空で、プロキシマの光が瞬いた気がした。

それは、かつてシャリア・ブルが夢見た「孤独ゆえの優しさ」が、いつかたどり着くはずの、新しい夜明けの色だった。

 

私は忘れない。

この鉄の空の下で、かつて光を求めた人たちがいたことを。

そして、その光が届かない場所にこそ、私が植えるべき種があることを。

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