機動戦士ガンダム 地獄の底のお姫様 ―木星帝国の王女は、地球を焼かないと決めた―   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

8 / 15
猿と少年と、リンゴ

この冷たさ――お父様の、帝国の“毒”だ。

 

U.C.0133。地球圏のヘリウム基地宙域。入港作業のはずが、これは戦闘だった。木星帝国の工作員が、逃げた王女っていう“瑕疵”を、船ごと消しに来たのだ。船内はパニック。悲鳴と警報がぐちゃぐちゃに混ざる。

 

揺れる通路を、わたしは必死に走った。行き先なんてない。ただ、あの冷たい殺意から少しでも遠くへ。……なのに、体が動かない。3倍重力で鍛えたはずの脚が、恐怖で鉛みたいだ。情けない。

 

「おい、君! 危ない、こっちだ!」

 

振り返ると、油まみれの少年が手を差し出してた。野暮ったいのに、目だけがやたら生命力に溢れてる。トビア・アロナクス――後でそう名乗るその子は、自分だって逃げるべきなのに、見ず知らずのわたしを迷わず救命ポッドに押し込んだ。その手は、生まれて初めて触れる他人の体温は、びっくりするくらい温かかった。

 

ポッドが射出される。背後で船が爆発した。半年間、わたしを運んでくれた鉄の棺桶が、火の花になって散る。膝をついて震えるわたしに、少年は無造作にポケットから“それ”を出した。赤くて、丸くて、甘酸っぱい匂いの――。

 

「リンゴだよ。僕の田舎の名産なんだ。ちょっと傷んでるけど、味は保証する」

 

リンゴ。記録映像でしか知らなかった、あの果実。マーサに語って聞かせた、名前だけの果物。それが今、目の前にある。恐る恐る、歯を立てた。

 

その瞬間――暴力的なくらいの“生”が、口の中で弾けた。酸味と甘みが舌の上で暴れて、香りが脳を揺さぶる。これが、生命の味。鉄と油と再生酸素しか知らないわたしには、眩しすぎる地球のかけら。

 

気づいたら、涙が止まらなくなってた。

 

「な、泣くほどまずかった!?」

 

「……ちがう。ばか。世界で、いちばん、おいしい」

 

父が焼こうとしてたのは、この味だ。この、尊すぎる命の営みそのものだ。……絶対に、焼かせない。この時、わたしの中で何かがはっきり決まった。

 

と、ポッドが巨大な質量を捉えた。黒いボロ布の旗を掲げた、異様な戦艦。宇宙海賊クロスボーン・バンガード。通信に、重い罪を背負った男の声が割り込む。「猿たちの住処へようこそ。木星のお姫様」――キンケドゥ・ナウ。

 

わたしはリンゴの芯を、ぎゅっと握った。物語はここで「逃避」から「闘争」に変わる。でも、キンケドゥは続けた。その一言が、束の間の安心をまた凍らせる。「ところでお嬢さん。あんたを追ってきた工作員に、一人だけ妙な奴がいた。他が『王女を殺せ』と喚く中で、そいつだけはこう言ってた。『テテニスを殺すな、連れ帰れ』とな。名は――フォンセ・カガチ」。……殺さない、ってことは。あの氷水は、わたしっていう“検体番号1”を、まだ使う気なんだ。もっと大きくて、もっとおぞましい何かのために。……ぞっとする。リンゴの味が、急に遠くなった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。