機動戦士ガンダム 地獄の底のお姫様 ―木星帝国の王女は、地球を焼かないと決めた―   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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木星帝国、開戦

耳の奥で、沈黙が鳴り続けている。

 

海賊船マザー・バンガードの甲板で、わたしは生まれて初めて“本物の風”を浴びていた。循環装置の風なのに、澄んでて、鋭くて、自由な匂いがする。木星の生ぬるい人工空気とは、まるで別物だ。……ちょっと、感動してた。ほんの数秒だけど。

 

風が、頬の産毛を撫でていく。それだけのことが、こんなにも心をざわつかせるなんて知らなかった。木星の艦の中では、空気は配給されるもので、味わうものじゃなかった。深呼吸ひとつにも料金がかかる気がして、いつも浅く吸って、浅く吐いていた。……ここでは、いくらでも吸っていい。誰にも咎められない。それが、こわいくらいに贅沢で。わたしは思わず、両手で口元を覆った。泣きそうな顔を、誰にも見られたくなかったから。

 

その平穏は、あっけなく終わった。

 

脳が焼ける。かつてない強さのプレッシャーが、木星の方角から届く。どす黒い殺意の波動。……知ってる。この気持ち悪さ。父だ。頭の奥を直接ひっかかれるみたいな、あの感覚。何百万キロ離れていても、血は繋がってしまっているらしい。忌々しいことに。

 

全天モニターが、強制通信で塗り潰された。生命維持装置に繋がれた瀕死の暴君の顔が、地球圏中のモニターに映る。

 

「地球圏の愚民どもよ、聞け! 我ら木星帝国は本日、地球連邦に宣戦を布告する! これは戦争ではない。不浄なる猿の檻に対する、神の雷による処刑である!」

 

父の背後には、バタラの大軍勢。そして中心に、核ミサイルを抱いた巨大な怪鳥――モビルアーマー、ディビニダド。地球の生態系を数万年殺せる、破滅の使者だ。あんなものを、よくもまあ「愛」なんて言葉で飾れたものだと思う。

 

「テテニス。猿の毒に絆された愚かな娘よ。お前もまた地球と共に焼かれるがいい。それが木星の王女に与える、最後で最大の愛だ」

 

また“愛”。もう、うんざりだ。あなたが求めてるのは救済でも独立でもない。愛して、拒まれた地球を、自分の手で灰にしたいだけ。子供が壊れたおもちゃを他人に渡したくなくて叩き壊すのと、同じ。……そんなものを「愛」と呼ぶなら、わたしは一生、愛なんていらない。喉まで出かかったその言葉を、わたしはぐっと飲み込んだ。今言い返しても、この人には届かない。届く耳を、とっくの昔に失くしてる。

 

「ベルナデット! しっかりしろ、戻ってこい!」

 

トビアの声が、濁った意識を引き戻した。ベルナデット。その名前で呼ばれると、なぜか背筋がしゃんと伸びる。テテニスじゃない、わたしが自分で選んだ名前。その目は、もうリンゴを差し出す少年のものじゃない。運命に立ち向かう、戦士の目だ。

 

「戦うんだ、僕たちと一緒に!」

 

……一緒に。その言葉が、こんなにも温かいなんて。木星では、誰もわたしに「一緒に」なんて言わなかった。命令か、崇拝か、道具扱いか。そのどれでもない声に、わたしの膝の震えが、少しだけ止まる。

 

帝国の先遣隊が動く。キンケドゥがクロスボーン・ガンダムX1に飛び込む。ベラ・ロナ艦長の指示が飛ぶ。全地球を焼く“神の雷”のカウントダウンが、始まった。わたしは拳を握りしめる。逃げてきたはずの戦場に、自分の意志で足を踏み入れる。……変なの。あんなに部屋から出たくなかったわたしが。

 

でも、わたしを本当に凍らせたのは、父の最後の一言だった。モニターが砂嵐に還る直前、父は勝ち誇ったように告げたのだ。「案ずるな、娘よ。お前を必ず木星へ連れ戻すよう、わたしは“最も信頼する男”を、既に地球へ放った」。……地球へ、放った。わたしは悟った。フォンセ・カガチは、もうこの宙域にはいない。あの氷水は、とっくにあの青い星の重力の底へ――わたしが命がけで守ろうとしてる、その場所へ、降り立ってる。……先回り。また、先回り。ほんと、いい加減にして。

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