そのまんまの話です。よろしくお願いいたします。

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 闘技場の中で、歓声が空に溶けていく。

 

 王城の中庭に設えられた闘技場は、今日ばかりは足の踏み場もないほどの人出だった。今日は御前試合の決勝戦、貴族も平民も肩を並べ、砂の上の二つの影を固唾を呑んで見守っている。

 私は闘技場の中心でそれらの視線を背に受けながら、対戦相手と向き合っていた。

 

「でやあっ!!」

 

 ……私は今、力負けしている。

 相手の騎士による剣撃を受けるたびに、腕の痺れが増していく。じりじりと後退しながら、私は間合いを測り続ける。観客席がざわめいているのがわかる。どこかで私の名を呼ぶ声がした。

 相手の騎士、ガレスが魔法を放つ。

 

「エクスプロージア!」

 

 エクスプロージア、大気を震わせる衝撃波の魔法だ。

 私は剣に魔力を纏わせてそれを斬り払い、返す刀で火球フレイムボーアを叩きつける。ガレスもまた腕のガントレットを盾にして、私からの火球を弾いた。

 魔法の規模では私が上回っている。しかしガレスは怯まない。魔法の煙が晴れた瞬間、すでに踏み込んでいた。

 

「……っ!」

 

 剣筋は読めている。ガレスの剣は力任せに見えて、実は基本をよく抑えた丁寧なものだ。打ち込む角度、重心の移し方、踏み込みの深さ……十年来の付き合いで、私はガレスの剣をどこよりもよく知っている。だからこそ、どこに隙があるかも知っている。

 ただし、その隙が来るまで耐えなければならない。

 

「ぐっ……!」

 

 ガレスが魔法と剣を同時に仕掛けてくる。

 魔法を捌きながら剣を受けると、腕が悲鳴を上げた。

 鍔迫り合いに持ち込まれる。

 ガレスの膂力と剣技は圧倒的だ。押し込まれながら、体勢がじわじわと崩れていく。足が砂を踏みしめる感覚が薄れる。観客席の黄色い声が、いつの間にか心配そうな声に変わっていた。

 

「今度は勝たせてもらいますよ、隊長!」

 

 ガレスの口元が緩んだのが見えた。勝ちを確信した顔だ。

 

 その瞬間を待っていた。

 

 勢いあまってガレスの重心が前に傾いたその刹那、私は押し返すのをやめた。ガレスの力が空を切る。

 

「しまっ……!」

 

 ガレスの崩れた勢いを利用して体を沈め、私は懐に滑り込んだ。

 剣の間合いの内側、魔法も剣も届かない死角。ガレスが対応しようとした時にはもう遅い。私の剣先が、静かにガレスの首筋に添えられていた。

 沈黙の末、主審が声を上げた。

 

「……勝者、ローズ=ウィンズガルド!」

 

 それから歓声。

 爆発するような大音声(だいおんじょう)に、観客席が揺れるほど沸いた。割れんばかりの拍手の中に、どこかから黄色い声が混じる。

 私は剣先をガレスの首筋から離し、砂の上に転がった剣を拾い上げた。柄を向けて差し出す。

 

「……今日も私の勝ちだな」

 

 私がそう告げると、ガレスは仰向けのまましばらく空を見上げていた。大きく息を吐いて、それから体を起こした。差し出した剣を受け取りながら、こらえきれない様子で笑った。

 

「次は勝ちますよ、ローズ隊長」

「その言葉、何度目だ」

 

 そう返しながら、私は観客席へ視線を向けた。国王陛下が玉座から立ち上がり、こちらへ向けて頷いた。

 闘技場に満ちていた歓声が、少しずつ静まっていく。

 

「……見事であった、ウィンズガルド家の騎士ローズよ」

 

 陛下の声は静かだが、よく通る。私たち騎士団一人一人の顔と名を、陛下は必ず覚えてくださっている。戦場から戻った者には必ず言葉をかける。そういう方なのだ。

 国王陛下は仰られた。

 

「この王国に、そなたのような誉れ高い真の騎士がいることを誇りに思う」

「……ありがたき幸せです、陛下」

 

 陛下からの称賛の言葉を、私は当然のように受け取った。謙遜するつもりはない。これが私の実力であり、これが私の使命だ。

 観客席を見渡す。貴族も平民も、騎士も市民も、全員がこちらを見ていた。私はその視線を正面から受け止めて、口を開いた。

 

「我ら騎士団の剣と魔法が届く限り、守れないものなど何もない!」

 

 歓声が、また割れた。

 

 

 闘技場を出ると、見知った顔が柱の陰で待っていた。

 彼女の名前はミカエラ=アークス、教会の修道女で、私の幼馴染だ。

 

「終わったぞ」

 

 私がミカエラに声を掛けると、ミカエラは「見ていたわ」と応えた。

 

「ひやひやしたわ」

「失礼な」

「だって本当に押されていたんだもの」

 

 ミカエラはくすりと笑って、私の隣に並んで歩き出した。

 王城の御前廊下は試合の余韻でまだざわついている。

 すれ違う者たちがこちらを見て、そのうちの何人か、少女の集団が足を止めて頭を下げた。私は軽く会釈して通り過ぎるが、そのあと黄色い嬌声が上がるのが聞こえた。

 

「……また貴女のファンが増えたわね」

「面倒なことだ」

 

 私は素っ気なく答えたのだが、ミカエラは楽しげに微笑みながら言うのだった。

 

「そう言いながら嬉しそう」

「そんなことはない」

 

 私の答えに、ミカエラがまた笑った。

 こういう時の笑い方を、私は昔から知っている。子どもの頃から変わらない。王都の片隅で育った私たちは、騎士になるずっと前からこうして並んで歩いていた。

 廊下の角を曲がると、錬金術師たちの研究棟が見えた。窓の向こうで何かが青白く光り、異臭が漏れてくる。

 

「……また何か実験しているのか」

 

 私が眉を顰めながら呟くと、ミカエラは「新しい兵器の研究らしいわよ」と言った。

 

「最近、夜遅くまで灯りがついてる。王都の外れでも変な光が見えるって、教会の信徒の方が言っていたわ」

「ふん、錬金術師たちめ。剣や魔法でも守れないものを、薬品と金属で守れると思っているのか」

 

 私は吐き捨てるように言った。

 錬金術と言えば最近この国での流行りだが、それを扱う錬金術師という連中については昔から好きになれずにいた。

 炎を出すにも、風を起こすにも、薬品を調合して装置を組み立てなければ何もできない。魔法使いにも剣士にもなれなかった者たちが、小賢しい知恵で神聖な戦場(いくさば)に出てこようとしている。私に言わせれば、錬金術というものはそういう無責任なもののように見えていた。

 そんな隠れた本音がにじんでいたのだろう、ミカエラからは窘められた。

 

「そういうことはあまり言わない方がいいわよ、ロズ」

 

 ミカエラの声が、少しだけ真剣になった。

 

「最近、王国が錬金術の研究に力を入れているって、王都では皆そう言っているもの。教会にいらっしゃる方たちも、新しい時代が来るって話をしていたわ。そういうことを大っぴらに言うと、どこで誰が聞いているかわからないし、お偉い方たちの耳に入ったら面倒なことになるわよ」

「……」

 

 私は黙った。王国どころか、国王陛下御自身が錬金術に力を入れているという話は私も耳にしたことがある。

 ミカエラは続けて言った。

 

「それに錬金術師だって、必ずしも悪い人ばかりというわけではないでしょう。錬金術師の方たちも、王国を守りたいという気持ちはあなたたち騎士と同じはずだわ」

「わかっている。わかってはいるが、しかし……」

 

 わかっているが、納得はできなかった。剣と魔法で守れないものを、小賢しい知恵で補おうとする発想が、どうにも肌に合わないように思える。

 私は立ち止まり、はっきり告げた。

 

「あの連中が何を作ろうと、最後に体を張るのは剣と魔法を持った人間だ。それだけは変わらないだろう」

 

 ミカエラは少しの間私を見て、それから静かに微笑んだ。

 

「……そうね、ロズ。あなたがいれば、怖いものなんてないでしょうね」

 

 しばらく二人で他愛のない話をした。教会の仕事のこと、王都の食堂に新しい料理が出たこと、子どもの頃によく遊んだ広場が最近綺麗になったこと。大した話ではない。何の変哲もない、いつも通りの夕暮れだ。

 しばらくすると王城の廊下の奥から、足音が近づいてきた。

 大きく、速い足音だ。振り返ると、先ほど御前試合で対戦した騎士団の副隊長:ガレスが鎧姿のまま小走りで来るところだった。試合の後、着替える間もなかったらしい。その顔つきが、いつもと違った。

 

「ローズ隊長!」

「どうした、ガレス」

 

 ガレスは息を整めながら言った。

 

「海沿いの漁村から急報が入りました。海から魔物が現れ、村を壊滅させたと。騎士団に討伐命令が下っています」

 

 私がミカエラを見ると、ミカエラは静かな目でこちらを見ながら、私に言った。

 

「気をつけて」

「ああ、もちろんだ」

 

 私は頷きながら踵を返す。

 

「行くぞ、ガレス!」

「はい、隊長!」

 

 鎧が鳴る。足音が石畳を叩く。ガレスの大きな足音が、隣でそれに続く。

 廊下の窓から外を見ると、王都に夕暮れが落ちていた。橙色の光が城壁を染め、煙突から白い煙が上がり、どこかで子供の声がした。

 私は今日も剣を握る。すべてはこの国を、そしてこの世界を守るために。

 ガレスと共に、私は出撃した。

 

 

 現地に到着した私たち王国騎士団の前に広がっていたのは、廃墟と砂と、潮風だけだった。

 家屋が崩れ、漁船が内陸まで打ち上げられ、石垣が根こそぎ薙ぎ倒されている。

 私は馬から降り、砂の上を歩いた。

 

「これは、酷いな……」

 

 踏みしめるたびに足の下で木材がきしみ、崩れた家屋の残骸が沈む。何かの食器の破片を踏んだ。皿だったものが、白い欠片になって砂に埋もれていた。

 私の隣でガレスが言った。

 

「……火は使っていませんね」

 

 そうだ。炎の痕がない。焦げた匂いもない。魔物が炎を吐いたのであれば、これほど広く燃えているはずだ。

 しかし燃えていない。ただ押し潰され、薙ぎ倒され、踏み砕かれている。

 巨大な何者かが、この村を踏み潰していったのだ。

 

「生存者の確認を急げ!」

 

 私の指示からほどなくして、周囲を探索していた騎士の一人が村の生き残りを連れてきた。

 生き残っていたのは、老いた漁師が一人。毛布を肩にかけられ、全身を細かく震わせながら、虚ろな目つきで足元の砂を見つめている。

 

「話せるか、ご老人」

 

 私は視線を合わせるように、老人の前に膝をついた。

 老人は茫然自失気味だったが、歩み寄る私にようやく気付いたようだった。老人は、焦点の定まらない目で私を見ながら口を開く。

 

「来たんじゃ。海から。夜明け前に、海が鳴り始めてな……」

 

 来た、何が来たんだ。

 私が問うと、老人は目を見開き、かすれた声で答えた。

 

「“ゴジラ”じゃ」

 

 ……ごじら?

 聞きなれない単語に私が眉をひそめていると、ガレスが横から補足した。

 

「ゴジラってのは、この辺りで信仰されている海の神だそうですよ。嵐の夜に海から現れて人を襲うんだとか……まあ、古い迷信です」

「ゴジラ、か……」

 

 付近をさらに探索すると、ゴジラなる魔物の足跡が見つかった。

 四本の指と、引き裂くような爪の跡が、砂の上にくっきりと刻まれていた。一つの足跡の端から端まで歩いてみると幅は少なくとも十メルトレ*1、いやそれ以上か。

 縁から中を覗き込むと、えぐれた砂の深さが私の腰を超えていた。何十もの窪みが一定の間隔で、海から村の中心部まで一直線に続いたあと海に引き返していた。

 ゴジラなる魔物、相当の大物だと確信した。

 

「ガレス、騎士団を展開しろ。海岸線を監視、再上陸に備えて迎撃陣形を取れ。魔法使いは後方に——」

「了解!」

 

 その時、海が鳴った。

 音というより、振動に近かった。地面の深い場所から伝わってくる、低い、持続する揺れ。砂浜の砂がさざ波のように揺れ、馬がいななき、騎士たちが動きを止めた。

 

 私たちが海へと振り向いたとき、“そいつ”は現れた。

 

 

 “そいつ”は、海から這い出てきた。

 

 体の色は生肉を思わせる暗い紅色で、全身が濡れ光っていた。表面はただれたように凸凹しており、黒く変色した箇所が無数にある。皮膚というより、内臓が外に出てきてしまったものを見ているようだった。

 胸のあたりには、前肢(まえあし)らしきものが見て取れた。小さく、ぶらぶらと垂れ下がっていて、何かに使われる様子はない。きっとあれは腕として機能していないのだろう。

 首の両側に大きな鰓がある。それが一歩ごとに脈打ち、赤黒い液体を周囲に撒き散らすと辺り一帯に異様な臭気が溢れ出た。

 そして、目。頭の大きさに対して奇妙に小さく、目つきは死んだように虚ろでどこも見ていない。

 

 ……私たち騎士団は、これまでの戦いの中で多くの魔物を見てきた。恐ろしい魔物ならいくらでもいる。もっと大型の、凶暴な、人間を軽く踏み潰す規模の魔物もいたろう。

 だがあれは違う。生き物として何かが根本的に間違っているという予感が、理屈より先に来た。あれは魔物の範疇に収まらない何かだ。

 私が内心で固唾を飲んでいると、ガレスの声が隣で聞こえた。

 

「……あいつが、ゴジラか」

 

 奇怪な姿をした怪獣ゴジラが、這いずるようにして陸へと進んでくる。

 異様な風体に呑まれそうになりつつも、私は剣を抜いた。

 

「怯むな! 全隊、迎撃開始!」

 

 私の号令と共に、騎士団が動いた。

 魔法使いたちが後方に展開し、杖を構える。前衛の騎士たちが剣に魔力を纏わせ、両翼から包囲陣形を取る。教本通りの、完璧な迎撃陣形だ。

 

 ゴジラの方は、こちらのことなどまったく気にしていなかった。

 こちらに向かってくるわけでも、迎え撃つわけでもない。ただ、ぬかるみを踏むような足取りで迷うことなく内陸へ進んでいく。私たち騎士団のことは眼中にないようだ。

 ……舐めるなよ、バケモノめ。私は声を張り上げた。

 

「魔法、放て!」

 

 後方から火球と衝撃波が殺到する。直撃。爆発が連続し、砂煙が上がった。

 ゴジラの巨体が、煙の中でよろめいた。鰓から赤黒い体液が苦しげに噴き出す。

 

「よし、続けろ!」

 

 騎士団から喊声(かんせい)が上がり、すかさず魔法使いたちが第二波を放つ。火球、衝撃波、氷柱、雷撃……全ての攻撃がゴジラに叩き込まれた。爆発が重なり、煙が広がり、砂浜が抉れてゆく。

 私たちの魔法攻撃を受けて、ゴジラは動きを停めた。頭を垂れ、前傾姿勢のまま、微動だにしない。

 隣でガレスが、そして他の騎士たちも一斉に息を呑むのがわかった。騎士団全体がゴジラの様子を見守る。

 

「やったか……!?」

 

 

 そこでゴジラの輪郭が、滲んだ。

 

 

 ……最初は魔法のダメージによるものだと思った。

 しかし違った。あいつの体の縁が、ぼやけている。霞んでいる。輪郭を定めていた何かが、内側から押し広げられていくようだ。

 ゴジラの体内で、骨が鳴った。

 それ以外に表現できない。肉の奥からメキメキと、巨大な構造物が軋むような低い音が聞こえる。一度ではない、続くリズムを持ち始める。

 騎士たちがざわめき始める。

 

「あいつ、大きくなってないか?」

 

 ゴジラの体が、膨れていた。

 みるみるうちにゴジラの姿が変わっていく。目で追えているはずなのに、追えていない。次に瞬きをするたびに、あいつは一回り大きくなっている。垂れ下がっていた前肢が太くなり、首が伸び、背鰭の稜線が隆起して背鰭が生える。赤い軟質の皮膚に、黒い硬質な何かが盛り上がってくる。

 ガレスが呟いた。

 

「まるで、進化だ……!」

 

 ゴジラがゆっくりと頭をもたげた。さきほどまで砂地を這っていた巨体が、きしみながら起き上がっていく。後肢に重心が移り、四本爪が砂浜へとめり込んだ。

 大地を這いずっていたものが身を起こし、空へ向かって伸びていく。どこで止まるのか。止まらない。まだ伸びる。空を裂く高さになっても、まだ伸びる。

 今やその背丈は四十、いや五十メルトレはあるだろうか。大地に立つその頂点で、ゴジラが咆哮した。

 

「――――――――――――ッ!!!!……」

 

 咆哮が止んでも、鼓膜がまだ痺れていた。

 ゴジラはやがてこちらに振り向いた。先ほどまで私たち人間を眼中に置いていなかったあの目が、今は確かにこちらを向いている。死んだ魚のような濁った目つきは現実を捉えているのかどうかも分からないが、ただこちらを向いた、それだけで騎士団全体が一歩後退した。

 他よりも一足早く我に返った私は、すぐさま号令した。

 

「さ、散開っ! 距離を取れ……!」

 

 号令が届く前に、ゴジラの頭が振り下ろされた。

 直撃を受けた騎士たちが砂浜に叩きつけられ、砂煙が上がる。ゴジラはそのまま頭を横に薙ぐ。密集していた前衛が、まとめて吹き飛んだ。人間が、石のように飛んでいく。鎧が、ちぎれて落ちていく。

 

「魔法を撃ち続けろ! 止めるな!」

 

 後方の魔法使いたちが叫びながら攻撃を続ける。火球が、雷撃が、衝撃波が、ゴジラの体を叩く。爆発が連続する。煙が立ち込める。

 しかし、煙の中から出てきたゴジラは、傷一つない。

 

「う、うわあーっ!!……」

 

 ゴジラが踏み出したその足下に、騎士がいた。ゴジラの巨大な足で敢え無く踏み潰される。

 

「……くそっ!」

 

 私は手にした剣へ全魔力を叩き込み、ゴジラの足首めがけて斬りつけた。必殺剣ドラゴブレイク、十年の鍛錬の全てを込めた一撃、会心の一撃のはずだ。

 

「でやぁぁっ!!」

 

 しかし呆気なく、弾かれた。

 

「な、なにっ……!?」

 

 衝撃の反作用が腕を伝い、剣が手から離れかけた。硬質化した黒い外皮には傷も入らず、ゴジラは私の存在に気づいてすらいない。

 

「ぐあっ!?」

 

 騎士が一人、ゴジラの口に噛みつかれた。鎧ごと、人ごと、噛み砕かれる。そのまま騎士は放り投げられ、弧を描いて海に消えた。

 あっという間に戦場は地獄絵図と化した。どこを向いても騎士が倒れていて、魔法使いたちの詠唱が一人また一人と途切れていく。

 剣では傷つかない。魔法では怯まない。騎士としての技術も、経験も、怪獣ゴジラには通用しなかった。

 

「ローズ隊長、退いてください! このままでは……」

 

 ガレスの声がした瞬間、視界の端で何かが動いた。

 ゴジラの尻尾だ、と気づいた時にはもう間に合わなかった。ゴジラの尻尾がフルスイングで水平に薙ぎ払われてくる。速い。避けられない。直撃する。

 身構える余裕もないまま死を覚悟した刹那、

 

「危ない!」

 

 私は誰かに突き飛ばされた。体が宙に浮き、砂浜に転がる。

 振り返ると、私を突き飛ばしたのはガレスだ。身を挺して私を庇ったガレスは、私の代わりにゴジラの尻尾を受ける形になった。

 鈍い破砕音が轟いたかと思うと、ガレスの体は宙を舞っていた。

 

「ガレス……ッ!」

 

 名前を呼んだが返事はなかった。砂に伏したガレスの鎧は大きく歪み、うつ伏せに伏したまま動かなくなっていた。

 

 気がつくと、立っているのは私だけになっていた。

 砂浜に、ゴジラに蹂躙された騎士たちが倒れている。鎧が歪み、剣が折れ、旗が砂に埋もれている。百を超えた騎士団が、私だけになってしまった。

 ひとしきり暴れて邪魔者を排除したゴジラは満足げに唸り声を挙げると、再び内陸へ向かって進軍を始めていた。より大きくなった巨体で、一歩踏み締めるごとに大地が揺れる。騎士団の残骸を踏み越え、崩れた村を踏み越え、ゆっくりと、確実に、遠ざかっていく。

 向かっているのは、王都の方角だ。

 そのことに思い至ったとき、私は考えるより先に体が動いていた。

 

「……戻らねば!」

 

 馬に跨り、走らせる。ガレスたちがいる方には振り返らなかった。振り返ったら、ここから一歩も動けなくなる気がした。

 

 ゴジラより早く王都に戻らなければ、そしてその脅威が向かっていることを報せなければならない。

 

 馬を走らせながら、手綱を握る手が震えていた。

 

 

 城門が見えた時、私は初めて息をついた。

 

 王都はまだ、いつも通りだった。城壁の上に旗が翻り、門の前で衛兵が立哨している。市場の喧騒が聞こえる。子供の笑い声がする。何も知らない。何も変わっていない。

 

 私は馬を走らせながら、その光景を直視できなかった。

 この平和な王国、守るべき私の世界に危機が迫っている。

 

 城門を駆け抜け、大通りを突っ走る。行き交う市民が驚いて道を開ける。

 彼らがどんな顔をしているか、見当もつく。私の鎧はまだ砂にまみれ、どこかで血も付いている。騎士団は、副隊長殿はどうされたのですか、と誰かが叫んだ気がしたが振り返らなかった。

 王城の廊下を駆け抜けて、私は謁見の間に飛び込んだ。

 

「急ぎ、申し上げます!」

 

 膝をつき声を張り上げる私へ、居並ぶ廷臣たちの視線が一斉に向き口々に訊ねる。

 

「ローズ隊長、その様子はいったい……?」

「どうしたのだ、ウィンズガルド家のローズよ。貴殿は海沿いの魔物を討伐しに向かったのではなかったのか?」

「騎士団はどうした!? なぜ一人で戻っている?」

 

 私はかすれる声で、ようやく口にした。

 

「……騎士団は壊滅しました」

 

 私の言葉で、その場は静まり返った。長きにわたって我が国を守ってきた騎士団の壊滅、それはこの国始まって以来の異常事態を意味していた。

 だが、私は報告せねばならない。私は続けて述べた。

 

「壊滅です。そして海岸の魔物……ゴジラが、王都へ向かっております」

 

 私の言葉で堰を切ったように、廷臣たちは私を問い質した。

 

「ゴジラ? それは何だ」

「魔物の名です。実物は伝承とは比べ物になりません。騎士団の剣も魔法も、一切通用しませんでした」

「一切、とはどういうことだ!? 我が国の誇る魔法騎士団がそう易々と……」

「あれはただの魔物ではありません。私がこれまで見てきたどんな魔物とも、何もかもが違います。百人以上の騎士団が、蹴散らされたのです」

 

 私は言い切った。

 

「陛下、今すぐ民を連れて撤退すべきです。どうかご決断を、陛下!」

 

 廷臣たちが互いに顔を見合わせる。誰も言葉を発しなかった。

 国王陛下だけが、厳かに私を見ておられた。やがてその口を開く。

 

「民を見捨てて逃げることはできぬ」

 

 静かな声だった。しかし一片の揺らぎもなかった。

 

「陛下、しかしあれは、ゴジラは止まりません。何をもってしても……」

「ローズよ、余とて、恐ろしくないわけではない。そなたが言うのだ、きっとこれまでにないほど危険な魔物なのであろう」

 

 しかし、と陛下は言った。

 

「王都にはまだ民がいる。逃げ遅れた者がいる。その者たちを置いて真っ先に逃げることなど、余にはできない」

「それでは陛下のお命が……」

「市民が全員逃げられたなら、余も動こう」

 

 陛下は立ち上がり、玉座の前に立たれた。

 

「だがそれまでは、この場を離れるわけにはいかない。それが王というものだ」

 

 私は言葉を失った。

 その論理は、知っていた。守るべき者を置いて退くことはできない。騎士道とは、そして王としての沽券とはそういうものだ。

 そして私がお仕えしている国王陛下は、そういう御方だった。民一人一人の顔と名を覚え、戦場から戻った騎士に必ず声をかける。そういう方だと知っているからこそ、私はこの方に剣と身命を捧げてきたのだ。

 

「……ローズよ」

 

 陛下の声は穏やかだった。

 

「市民の避難誘導を頼む。一人でも多く、逃がしてやってくれ」

「……仰せのままに」

 

 私は立ち上がり、踵を返した。廊下に出ると、石畳の向こうから低い振動が伝わってきた。

 遠い。まだ遠い。しかし確実に、近づいてきている。

 私は走り出した。

 

 

 謁見の間を飛び出すと、王都はすでに騒然としていた。

 

 魔物が来る、という噂は私が報告するより先に広まっていた。

 大通りに人が溢れ、荷物を抱えた市民が右往左往している。どこへ逃げればいいかわからずその場で立ち尽くす者、逆走して人にぶつかる者、泣きながら子供の名を叫ぶ者。秩序がない。流れがない。このままでは逃げ場を失ったまま踏み潰される。

 

 王宮を出た私は、まずミカエラを探した。

 ミカエラは教会の礼拝堂にいた。信徒たちに囲まれ、何事かを話している。

 現れた私の姿を見て、ミカエラは立ち上がった。

 

「ロズ! 騎士団壊滅って、いったい何があったの!?」

「今すぐ逃げろ」

 

 有無を言わさず、私は言った。

 

「荷物はいらない。着の身着のままで、今すぐ王都を出ろ」

「でも、ロズ……」

「東門から出て、街道を真っ直ぐ行け。早く逃げるんだ」

 

 頼むから、と心の中で付け加えた。

 理屈ではない。あの巨体に踏み潰される恐怖を、私は知っている。ミカエラには生き延びてほしかった。

 けれど、ミカエラは静かに首を振った。

 

「……逃げるわけにはいかないわ、ロズ」

「何故だ」

 

 問い詰めるような私の言葉にミカエラは静かに、けれど毅然とした態度で答えた。

 

「信徒の方たちがまだここにいる。動けないお年寄りも、子供たちも。教会の者が真っ先に逃げるわけにはいかないもの」

 

 私は一瞬、言葉を失った。

 その論理を私は知っていた。陛下が言ったのと同じ言葉だ。そしてそれは、かつての私自身が信じていたことでもあった。

 逡巡の末、私は頷いた。

 

「……わかった」

 

 そして付け加える。

 

「ならば避難誘導を手伝ってくれ。一人でも多くの市民を逃がすんだ。それなら出来るだろう?」

「ええ」

 

 ミカエラも頷き、さっそく私たちは動き出した。

 

 

 それからの時間は、無我夢中だった。

 東門、南門、城壁の搦手道――人間が通れる逃げ道を全て開放し、人の流れを作る。大通りの要所に騎士を立たせ、人波を捌く。

 赤子を抱えた者や年寄りを優先させ、子供がはぐれないよう騎士を張りつかせる。動けない者がいれば担架を呼び、逃げようとしない者がいれば逃げるように促した。

 大混乱のさなか、私は走りながら大声で怒鳴った。

 

「避難路を開放する! 城壁沿いに行くんだ! 騎士団は市民の先導を最優先にしろ!」

 

 そのとき、遠くで地響きがした。

 市民たちが一斉に立ち止まり、音の方向を見た。地平線の向こう、城壁の外。また響く。また響く。

 ゴジラだ、とわかった。

 知らせを聞いていない市民にも、あの振動の意味だけは本能で伝わったようだった。悲鳴が上がり、人の流れが一気に乱れた。

 

「押すな! 倒れた者を踏むな! 落ち着いて東門へ……!」

 

 声を張り上げながら、私は人波の中を泳いだ。

 振り返っている暇はもちろん、悩み考えている暇すらなかった。ガレスのことも、騎士団のことも、今は全部後回しだ。今重要なのは、目の前の人間を一人でも多く逃がすことだから。

 知らせが入ったのは、そんな狂騒の最中だった。馬を飛ばしてきた伝令が、人波をかき分けて私の前に飛び込んできた。

 

「申し上げます! 魔法王国軍が魔物を迎撃しましたが、壊走しております!」

 

 軍が壊走、つまり我が軍の防衛網がゴジラに突破されたということだ。

 その場で聞いていた誰もが動揺する中、私は伝令に訊ねた。

 

「規模は」

「全軍です。編成が崩れ、各所で逃走が始まっているとのことで……」

「ゴジラに、いや、魔物にダメージは入ったか?」

 

 伝令は一瞬だけ言い淀んだ。

 

「……報告では、傷一つ入らなかったと」

 

 周囲の騎士たちが息を呑んだ。ミカエラが絶句した。

 

「そんな、軍が負けるなんて……!」

 

 私は何も言わなかった。

 ……私もショックではあった。私たち魔法騎士団のみならず、我が国の精鋭たる正規軍がこんなあっけなく蹴散らされてしまうとは。

 しかし驚き自体は薄かった。ゴジラがどのようなものであったかは、相対した私が一番よく知っている。剣も魔法も通じない、数も関係ない。あの猛威の前では何もかもが等しく無意味だ。王国軍が敗れたのは、当然の結末だったろう。

 そしてそれを当然だとわかっていることが、恐ろしかった。

 

「他に報告は」

 

 私が促すと、伝令は「はい」と頷きながら続けた。

 

「陛下が撤退を決断され、同時に錬金術師たちの最終兵器の投入が決定されたとのことです」

 

 私は少しの間だけ、動きを止めた。

 錬金術師の連中が何を作ろうと、最後に体を張るのは剣と魔法を持った人間だ――そう言ったのは、ミカエラに窘められたあの夕暮れのことだ。

 私は錬金術師たちを軽蔑していた。剣と魔法でも届かないものを、薬品と金属で届かせようとしている。そんな発想が、どうにも肌に合わなかった。

 

 けれど私の剣は、ゴジラに傷一つつけられなかった。

 今この瞬間、あいつを止められる可能性があるのは錬金術師たちの技術だけだ。

 

 軽蔑していた連中に、縋るしかなかった。

 仲間の命も、騎士団の誇りも、私の剣と魔法では何一つ守れなかった。それでもあの連中が何かを変えてくれるのなら、今の私にはそれしかない。私の美学など、現実の脅威の前には何の値打ちもないのだから。

 

「……わかった。避難を急げ」

 

 前を向いて、走り出した。地響きが、また一段と大きくなっていた。

 

 

 飛行艇の発着場は、王都の中でも一番高い場所にある。

 桟橋には二隻の艇が停泊していた。一隻は避難民を乗せる大型の艇、もう一隻は装甲を施した小型の作戦艇だ。大型艇の方へ、最後の避難民たちが次々に乗り込んでいく。

 声をかけられたのは、避難民たちを見送っていた最中のことだった。

 

「ローズ隊長でよろしいですか」

 

 振り返ると、若い男が立っていた。白衣に薬品の染みをつけた、錬金術師だ。若い。指先が微かに震えている。

 なんだ、と聞き返すと、男はこう答えた。

 

「スピトリヒと申します。今回投入される最終兵器の担当者です。あちらの作戦艇から投下します。一応、説明をと思いまして」

「そうか、説明を頼む」

 

 私が頷くと、錬金術師のスピトリヒは説明を始めた。

 

「今回投入する最終兵器エリクサー・モルティスは、生体組織の細胞結合を化学的に崩壊させる薬品です。魔法的な防御には反応しない、つまり、魔法を弾く外皮であっても、化学反応は止められない。着弾すれば、体内に浸透して組織を内側から分解します」

「……Elixir Mortis、“死のエリクサー”か」

 

 エリクサーと言えば、錬金術師たちが目指しているという「生命の霊薬」のことだと聞いたことがある。このエリクサー・モルティスはきっとその原理を逆に応用したものなのだろう。

 とはいえ、気がかりなことはただひとつだ。

 

「剣でも魔法でも傷一つつけられなかったのに、薬品で届くのか」

 

 私の疑問に、スピトリヒは冷静に答えた。

 

「物理攻撃や魔法攻撃は外皮で弾かれます。しかし化学反応は別の話です。外皮の成分自体に作用するので」

「……うまくいくと思うか?」

 

 私はスピトリヒの顔を見た。

 スピトリヒは少しだけ間を置いた。

 

「……わかりません。実戦投入するのは初めてなので。ただ、これ以外に手がないのは確かです」

 

 誠実な答えだった。私は何も言わなかった。

 その時、避難民の列の終わりの方にミカエラが来た。

 

「乗れ」

「ロズ、あなたはどうするの」

 

 ミカエラの問いに一瞬、私は詰まった。この飛行艇が最後の避難船だ。残った者はゴジラが迫る地上から逃げるしかない。

 けれど私には騎士としての使命がある。私は言った。

 

「避難誘導の指揮官が逃げるわけにはいかない。乗れ」

「でも……」

「大丈夫だ。あとから這ってでも行くさ」

 

 ミカエラは、そうやって微笑む私をしばらく見てから、小さく笑った。

 

「……約束よ」

「ああ」

 

 私の言葉にミカエラは頷いて、桟橋を渡った。

 そして最後の避難民が乗り込んだのを見届けたところで、国王陛下がやってきた。廷臣に支えられるでも、急ぐでもなく、ただ静かに歩いてこられた。桟橋の手前で立ち止まり、私を見た。

 

「……ローズよ。よくぞ民を逃がしてくれた。礼を言う」

「勿体ないお言葉です、陛下」

 

 国王陛下は桟橋を渡り、艇の中に入って行った。ハッチが閉まり、大型艇がゆっくりと浮き上がった。私は手すりを握りながら、それが王都の空へ浮上してゆくのを見送った。

 

「では、参ります」

 

 スピトリヒが頭を下げ、作戦艇へ乗り込んだ。小型艇もエンジンを唸らせ、ゴジラのやってくる方向へと進んでいく。

 飛行艇が飛び立って間もなく、望遠の魔法で遠くを偵察していた騎士の一人が声を上げた。

 

「……来たぞ!」

 

 最初に見えたのは、足だった。煙の向こうから、城壁より高い足が現れた。一歩、また一歩と、大地を踏み鳴らしながら近づいてくる。その足音は振動となって石畳を伝わり、発着場の手すりがかたかたと揺れた。

 

「嘘だろ……」

 

 私の隣に立っていた騎士が呟いた。抑えようとして、抑えきれなかった声。私も同じだ。声こそ出さなかったが、手すりを握る手が震えていた。

 

 

 ゴジラが現れた。

 より強大な姿となって。

 

 

 漁村で見たときより一回りどころではない。ゴジラの大きさは二回りや三回り、いや、王城の主塔がようやく腹の高さに届くかどうかというほどの、百メルトレは下らないだろう巨体と化していた。

 偵察役の騎士が声を張り上げる。

 

「ゴジラ、王都に侵入してきます!」

 

 ゴジラが城壁の外縁に足をかけた。城壁は分厚い石積みで、街のどんな建物よりも頑丈に造られていた。何百年もの間、外敵を防いできた壁だ。ゴジラの足がそこに降ろされた。

 音はなかった。

 正確には、音の前に衝撃が来た。発着場の床が跳ね上がるように揺れ、私は欄干に叩きつけられた。それからようやく、石が砕ける轟音が届いた。百年以上立ち続けた石積みの城壁が、一歩で踏み砕かれ、瓦礫の山になっていた。

 あいつは急がなかった。急ぐ必要がないのだ。一歩ごとに建物が潰れ、道が抉れ、水路が崩落する。街の区画がそのまま足の裏に踏み消えていく。

 石畳が、家屋が、広場が、魔法王国の国民が築いた全てが、あいつにとっては地べたを這う虫けらと同じだ。踏むことを意識してさえいない、ただ歩いているだけで街が消えていくのだ。

 

「なんてデカいんだ……!」

 

 騎士たちは唖然とした様子で状況を見守っていた。

 誰一人として、剣を抜かなかった。抜いたところで何もできないことを、全員が知っていた。

 私も動かなかった。発着場の欄干にしがみついたまま、ゴジラが街を進んでくるのを見ていた。ただ見守ることしかできなかった。

 

 その時、小さな影が空を横切った。

 

 作戦艇だ。スピトリヒを乗せた小型艇が、ゴジラの背後から低空を飛んでくる。真上まで接近し、ゆっくりと旋回した。

 続いて太陽が落ちたかと思うほどの白い閃光が、ゴジラの背中で炸裂する。目を細めても、まぶたを閉じても、網膜に焼き付いて消えない。次の瞬間、熱を帯びた空気の塊が波のように押し寄せ、私は思わず顔を腕で覆った。

 

 そして遅れて、爆音が轟いた。

 

 腹の底から内臓を揺さぶるような低い爆発音が、空気ごと私の体を叩いた。続いて届いた衝撃波で、発着場の石畳がびりびりと震え、欄干にひびが走り、屋根の瓦が何枚か剥がれて落ちてゆく。私は手すりにしがみつき、膝で踏ん張って、やっと立っていた。

 

「効いた……!」

「ゴジラが怯んでいる!」

 

 発着場の騎士たちがどよめき、歓喜の声が聞こえてくる。

 しかし私は黙って空を見ていた。本当は私も喜びたかった。あの破壊力は確かだ、エリクサー・モルティスの威力はゴジラに届いているはず。そう信じたかった。

 そのとき、ふいにゴジラが鳴き声をあげた。

 

「――――――――――――ッ!!!!」

 

 これまでとは違う声だった。雄叫びでも唸り声でもない。もっと甲高く、もっと長く、腸を絞るような……。

 そうだ、苦悶だ。今まで傷ついたことのない無敵の怪物が、初めて苦痛を知った時の悲鳴だ。あいつが、ゴジラが苦しんでいる。

 そしてゴジラは動くのをやめた。

 一歩進もうとする途中で、それ以上進むことをやめた。倒れるわけでもなく、膝をつくわけでもなく、ただ巨体が身を屈めて静止している。

 王都が、静かになった。

 ゴジラが踏み進むたびに轟いていた地響きが消え、崩れ落ちる石の音も止み、悲鳴も遠ざかり、ただ風だけが吹いていた。発着場の騎士たちも口をつぐんでいた。どよめきも、歓声も、命令の声も、何もなかった。

 私たちが欄干を握ったまま見つめていると、やがてゴジラに変化が起こった。

 

「背鰭が光ってる……?」

 

 最初は気のせいかと思った。漁村で見た時も、王都に現れた時も、ゴジラの背中の突起は赤黒い色を帯びていた。

 しかし今のそれは違う。根元から先端に向かって、じわりじわりと紫の光が這い上がっていくのが見える。一枚が光ると、隣の一枚が応じる。また隣が応じる。背中の突起が順々に、次々と、まるで体の奥底から何かが湧き上がってくるように、紫に、そして白く輝き始めた。

 光が強くなるほど、周囲の空気が変わってゆく。

 熱ではなかった。むしろ逆だ。肌が粟立つような、静電気のような、何かが今から起きるという予兆。私の体の奥の方が、何かをしろと叫んでいた。逃げろ、伏せろ、とにかく動けと。

 

 ゴジラが、口を開いた。

 

 恐ろしくゆっくりと上顎が持ち上がり、下顎が裂けて、その巨大な裂け目が広がっていく。王城の正門がすっぽり収まるほどの口が、じりじりと、音もなく開いていった。喉の奥に、光が見えた。背鰭と同じ白い光が、あいつの体の内側から滲み出てきていた。

 発着場の誰も、動かなかった。

 命令があったわけではない。指揮官が制止したわけでもない。剣を抜きかけていた者の手が止まり、声を上げようとしていた者の口が閉じ、魔法の構えを取っていた者の腕が下がった。本能が、理性より先に判断していた。

 何かが起きようとしている。致命的な、何かが。

 

「何をする気だ……!?」

 

 声が出たのは自分でも驚いた。囁くほどの声で、聞こえたのは私だけだったかもしれない。答える者は誰もいなかった。

 喉の奥の光が、強くなっていく。

 

 

 やがてゴジラは煙を吐き出した。

 

 

 最初はそれだけだった。ゴジラの口の奥から、ドス黒い濃煙が漏れ出てきた。ゴジラの息吹が風に流れ、王都全体へ広がっていく。

 あれはただの煙だ、と思った瞬間、

 

 ゴジラの口から炎が溢れ出た。

 

 空中の何もないところで、ゴジラの吐いている煙そのものが一瞬で火になった。膨張する爆炎が王都の上空を舐め、熱波が発着場まで押し寄せた。顔が焼けるように熱い。

 王宮はあっという間に炎に巻かれてしまった。

 王家の紋章を掲げた尖塔にゴジラの火炎が這い上り、百年の石積みが熱で崩れていく。王城の中庭が、謁見の間が、廊下が、私が何千回と歩いた石畳が、全部炎の中に沈んでゆく。

 逃げ遅れた者の悲鳴が聞こえた気がしたが、すぐに爆音にかき消された。

 

 ゴジラの吐く炎は果てしなく続くかのように思われたが、やがて少しずつ様子が変わり始めたことに私は気づいた。広がっていた爆炎が、収束し始めたのだ。炎の渦が絞られ、凝縮され、太く、細く、光の筋になっていく。

 暗い青みを帯びた紫色の光が、ゴジラの口から一直線に伸びていた。

 もはや爆炎ではない。超高温高圧の放射熱線ビームだ。触れたものを焼くというより、貫くような光。地面に当たった場所が弾け飛び、石畳が溶け、水路が蒸発し、地面そのものが抉れていく。

 ゴジラが天を仰ぎ、放射熱線ビームがゆっくりと空へ向けられ、それを追った先で私は見た。

 

 スピトリヒを乗せた小型艇、エリクサー・モルティスを投下した作戦艇が、まだ王都上空を旋回していた。

 その航路を、ゴジラの放射熱線ビームが追ってゆく。

 

「よせ……!」

 

 そう言ったのは作戦艇に向けてか、あるいはゴジラに対してか。

 どちらにしても私の声が届くはずがなかった。作戦艇も気づいて回避しようとしたのかもしれないが、ゴジラのビームが届く方がはるかに速かった。

 

 紫の放射熱線ビームが、作戦艇へと直撃した。

 爆発炎上する間もなく、一撃で消し飛んだ。

 

 続いて空を薙ぐように、ゴジラの首が動く。熱線の軌跡が王都の上空を横切り、そして私は見つけた。

 避難用の大型艇が、高度を上げながら王都の外へ逃げようとしていた。あれには国王陛下が、そして……

 

「ミカエラ……ッ!!」

 

 それを理解したとき、私はその名を叫びながら手を伸ばしていた。発着場の欄干から身を乗り出して、腕を伸ばして、それで何ができるというわけでもないというのに、届けと願った。届くわけがないと分かっていても。

 

 

 ゴジラの放射熱線ビームが、大型艇を撃ち抜いた。

 

 

 艇が爆ぜ、一瞬で炎の塊になり、それからばらばらになって燃えながら落ちていった。私の伸ばした手の先で、夜空に火の粉が散った。

 

「あ、ああ、ああ……!」

 

 言葉を失った私は、辺りを見回した。

 王宮が。

 王国が。

 街の人たちが。

 私が守ると誓ったこの世界が。

 私が正しいと信じたものが等しく、区別なく、全てが燃えていた。

 

 その場に座り込んだまま、私は動けなかった。折れた私の目の前で、私の守るべきだった世界が焼き尽くされてゆく。

 ……ゴジラはただの魔物ではなかった。剣は届かず、魔法は通じなかった。私が知っている魔物とは何もかもが違う。私がこれまで積み上げてきた技術も、経験も、使命感も、誇りも、あいつの前では何一つ意味をなさなかったのだ。

 

 

 そして、私は大便(うんこ)を漏らした。

 

 

 下腹部からゆっくりと抜けていく感覚。騎士としてこれ以上ない醜態だと頭の端ではそう理解していたが、それを恥じる余力が今の私にはもう残っていなかった。

 どこか遠くで、何かが燃え落ちる。熱い風が廃墟を渡る、焦げた匂いがする。炎の橙が夕暮れの橙と混ざって、空のすべてを染めていた。

 絶望の中、ゴジラの咆哮だけが聞こえてくる。

 

「――――――――――――ッ!!!!……」

 

 私もまた、絶叫した。

*1
魔法王国で用いられる長さの単位。メートルに相当。




他のジャンルの小説を参考にしました。田中まさみ先生とかさざんか先生とか。
BGM:決断の果てに(GODZILLA 決戦機動増殖都市)

追っかけてるゴジラ作品を教えて

  • モナーク∶レガシーオブモンスターズ
  • ゴジラギャラクシーオデッセイ
  • ゴジラバトルライン
  • ゴジバースト
  • ゴジばん
  • ちびゴジラの逆襲
  • フェスゴジラ
  • ゴジラのアメコミ
  • 映画しか見てない

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