藤原佐為の碁 ~転生したら神童ヒカルになってた件~ 作:梅酒24
【佐為視点】
ヒカルは、勝ち続けておりました。
◆
一局、また一局と。
◆
その相手は、もはや院生に留まらず――
プロ棋士。
◆
されど、
その歩みは止まらぬ。
◆
(見事……)
◆
◆
しかし、
盤上に座るは常に私。
◆
ヒカル自身が、実際に石を運ぶことは稀にございます。
◆
◆
(されど)
◆
彼は、ただの傍観者ではありませぬ。
◆
◆
「……なあ、ここに打ったらどうなる?」
◆
◆
ふとした折に、
ヒカルは問いかけてまいります。
◆
◆
私は応じる。
◆
その一手の先。
さらにその先。
◆
なぜ打つのか。
なぜ打たぬのか。
◆
思考の流れを、
丁寧に、言葉にして伝える。
◆
◆
(とらじろうとは……違う)
◆
◆
かつての主は、
私に身を委ね、
ただ打たせるのみでございました。
◆
◆
されどヒカルは、
◆
(問う)
◆
(考える)
◆
(見ている)
◆
◆
盤の外より、
盤の内を学んでいる。
◆
◆
座学。
されど、ただの知識にあらず。
◆
実戦を見、
問いを重ね、
己の中で再構築してゆく。
◆
◆
(ゆえに……)
◆
◆
彼は、時折、
対局の最中にすら、
言葉を漏らす。
◆
◆
「……ここ、面白そうじゃね?」
◆
◆
私は、わずかに思考を巡らせる。
◆
◆
その提案――
三つに一つ。
◆
(……ほう)
◆
◆
実に興味深き手。
◆
◆
残り二つは――
◆
(短き視野では良し)
(されど長き流れでは……死に至る)
◆
◆
(未熟……されど)
◆
(芽はある)
◆
◆
私は問う。
◆
◆
「ヒカルならば、如何に打ちますか」
◆
◆
ヒカルは少し考え、
笑う。
◆
◆
「……たぶん苦しくなるな」
◆
◆
◆
(正直)
◆
◆
それで良い。
◆
◆
「では……試してみましょう」
◆
◆
その一手を、
盤へと落とす。
◆
◆
案の定、
流れは歪む。
◆
苦しくなる。
◆
◆
ヒカルが、苦笑する。
◆
「やっぱキツいかー」
◆
◆
されど――
◆
(ここから)
◆
◆
私は、その歪みを、
別の流れへと繋げる。
◆
◆
(活かす)
◆
◆
悪手に見えるものすら、
生かし、
転じ、
勝ちへと導く。
◆
◆
(この積み重ねが……)
◆
◆
ヒカルを、
確実に育てておりました。
◆
◆
そして――
◆
全勝。
◆
◆
準決勝へ。
◆
◆
◆
場は、ざわめきを増してゆく。
◆
観る者が増え、
空気が重くなる。
◆
◆
中盤に差し掛かる頃――
◆
一人の男の気配が、
ひときわ濃く、漂っておりました。
◆
◆
倉田六段。
◆
◆
鼻息荒く、
その眼は獲物を狙う獣のごとし。
◆
◆
若獅子戦、最強と謳われる男。
◆
◆
(……なるほど)
◆
◆
私は、静かに盤を見つめる。
◆
◆
(決勝は……この者)
◆
◆
だが。
◆
◆
その倉田の視線は、
盤に釘付けとなっておりました。
◆
◆
◆
【倉田の内】
(……なんだ、これ)
◆
◆
盤面。
◆
それは――
◆
整っていない。
◆
まとまっていない。
◆
◆
にもかかわらず、
崩れてもいない。
◆
◆
まるで、
何か別の理で成り立っているかのような――
◆
◆
異様。
◆
◆
(序盤……見てねえが……)
◆
(どうやったら……こんな形になる?)
◆
◆
石が、
妙な間を保ち、
奇妙な距離で呼応している。
◆
◆
近いようで遠く、
遠いようで繋がっている。
◆
◆
まるで、
見えぬ糸で操られているかのように。
◆
◆
(気味が悪ぃ……)
◆
◆
理で説明できぬ違和。
◆
だが、
確かに存在する強さ。
◆
◆
それは――
◆
言葉にできぬ、
奇妙さ。
◆
◆
影の中に潜む何か。
◆
触れれば崩れそうでいて、
決して崩れぬ構造。
◆
◆
(なんだ……この打ち方……)
◆
◆
興味。
◆
困惑。
◆
そして――
◆
昂り。
◆
◆
(……面白ぇじゃねえか)
◆
◆
口元が歪む。
◆
◆
(早く……打ちてぇ)
◆
◆
その感情は、
抑えきれぬほどに膨れ上がる。
◆
◆
(進藤ヒカル……)
◆
◆
名を、心の中で転がす。
◆
◆
(何者だ……てめぇは)
◆
◆
◆
【佐為視点】
……感じております。
◆
あの者の興味。
◆
◆
(この奇妙なる盤面)
◆
◆
それは――
◆
ヒカルの問い。
迷い。
発想。
◆
それらが織り込まれた、
歪なる調和。
◆
◆
(ゆえに……)
◆
◆
常道にあらず。
◆
されど、
確かに成立する。
◆
◆
(これもまた……一つの碁)
◆
◆
私は静かに、
その先を見据える。
◆
◆
(次なる戦い)
◆
◆
強き者同士が、
交わる時。
◆
◆
その時が、
近づいておりました。
【佐為視点】
決勝を前にして、
この場は、もはや一つの“盤外の盤”と化しておりました。
◆
人、人、人――
◆
新聞社の者ども。
囲碁雑誌の筆を握る者。
老練なる棋士。
血気盛んな院生。
◆
皆が、
何かに引き寄せられるように、
この一角へと集っている。
◆
ざわ……ざわ……
◆
そのざわめきは、
ただの喧騒にあらず。
◆
期待。
疑念。
畏れ。
◆
それらが混ざり合い、
濁った霧のように空気を満たしておりました。
◆
(まるで……)
◆
(人の心そのものが、盤上に溢れ出しているかのよう)
◆
◆
そして――十分前。
◆
椅子が、小さく見える。
◆
否、
椅子が小さいのではない。
◆
そこに座す“もの”が、
あまりにも大きい。
◆
肉体が。
気配が。
存在が。
◆
まるで、
人の形を借りた巨石。
◆
あるいは、
盤上に鎮座する“王”。
◆
◆
倉田六段。
◆
◆
(……これが)
◆
(現代の強者)
◆
◆
重い。
ただ、そこに座るだけで、
場の重さが変わる。
◆
◆
◆
「お前、院生なんだってな。初めて見る顔だけど碁をはじめてどのくらいだ?」
◆
ヒカルが口を開く。
「まだ一年未満です」
◆
倉田は笑う。
◆
「おっ、俺みたいじゃん」
◆
「え?」
◆
「進藤、俺のこと知らない?若きホープ。碁を握ってわずか2年で中学生でプロになった」
◆
「うん、知らねーよ!!」
◆
◆
(……ふふ)
◆
このやり取り。
◆
緊張と無遠慮が、
奇妙に同居している。
◆
◆
「ほぉ。面白いね。でも俺も始めたてのときプロの名前なんてほとんど知らなかったし、みんなが知っていること知らなかった。それでも俺は実力で認めさせていった。だから似ている。俺に似ていると言われて嬉しいだろ?」
◆
「全然!でも俺も負ける気はないよ」
◆
「いいねそういういきり」
◆
◆
(……似ている)
◆
◆
倉田六段。
◆
粗野に見えて、
その実、
己の強さを疑わぬ者。
◆
◆
ヒカル。
◆
未熟でありながら、
恐れぬ者。
◆
◆
(両者とも……)
◆
(“前へ進む者”)
◆
◆
――そして、対局。
◆
バチン。
◆
◆
石音が、
空気を裂く。
◆
◆
早い。
◆
あまりにも早い。
◆
◆
時間はある。
されど、
使わぬ。
◆
◆
思考が、
すでに盤の上を走っている。
◆
◆
倉田の内に声が生まれる。
◆
(本因坊秀策の打ち方か……)
◆
(となると序盤は定石どおりになる)
◆
◆
その通り。
◆
◆
本因坊秀策の型。
◆
それは、
積み重ねられた“正しさ”。
◆
◆
攻めにも、
受けにも、
理がある。
◆
◆
幾百年の研鑽の果てに、
削ぎ落とされた筋。
◆
◆
ゆえに――
◆
同じになる。
◆
◆
最善を選び続ければ、
道は収束する。
◆
◆
(確認……)
◆
(互いの力量の)
◆
◆
わずか十五分。
◆
それだけで、
中盤へ。
◆
◆
パチ……パチ……
◆
◆
一手一手が、
寸分の狂いもなく積み上がる。
◆
◆
(……美しい)
◆
◆
だがその美しさは、
どこか――
◆
冷たい。
◆
◆
無機質な正しさ。
◆
◆
そして、
その均衡を破る声。
◆
◆
倉田の内なる呟き。
◆
(ここから『トライデント』……)
◆
(巨神ポセイドンの三叉の槍)
◆
◆
(道は三つ)
◆
(進藤、お前はどれを選ぶ)
◆
◆
――三つの道。
◆
私は、
それらを静かに見つめる。
◆
◆
一つ。
◆
◆
それは、
「静の道」。
◆
◆
水面に波紋一つ立てぬように、
じわり、じわりと広がる。
◆
◆
争わず、
削らず、
ただ気付けば相手の地を侵している。
◆
◆
まるで、
霧が大地を呑むように。
◆
◆
(されど)
◆
(この者には……ぬるい)
◆
◆
二つ。
◆
◆
それは、
「激の道」。
◆
◆
火花。
衝突。
破壊。
◆
◆
石と石がぶつかり、
削り合い、
盤が悲鳴を上げる。
◆
◆
まるで、
雷鳴の下で剣を振るうかのごとき道。
◆
◆
(倉田六段の気質には……よく合う)
◆
◆
三つ。
◆
◆
それは――
「歪の道」。
◆
◆
定石を外れ、
理を捻じ曲げ、
形を崩しながら、
なお成立する異形。
◆
◆
一見すれば乱れ。
◆
されど内には、
緻密な意図が潜む。
◆
◆
まるで、
笑う狂人が描いた絵が、
実は精緻な幾何であるかのように。
◆
◆
(……ヒカルの碁)
◆
(そして私の思考)
◆
◆
この二つが混ざり合った時、
最も“らしき”は――
◆
◆
(これ)
◆
◆
そして、
もう一つ。
◆
◆
倉田六段という男。
◆
◆
力で押す。
正面から受ける。
◆
異形を嫌うのではなく――
◆
むしろ、
噛み砕こうとする。
◆
◆
(ならば)
◆
(正面からぶつけるよりも……)
◆
◆
“崩す”。
◆
◆
その土俵そのものを。
◆
◆
私は、
静かに石を取る。
◆
◆
(この者に最も効くのは)
◆
◆
“理解できぬ不快”
◆
◆
――歪の道。
◆
◆
バチン。
◆
◆
盤上に落ちたその一手は、
◆
まるで、
静かな狂気。
◆
◆
倉田の眉が、
わずかに動いた。
◆
◆
(ほう……)
◆
◆
空気が、
変わる。
◆
◆
(来たか……)
◆
◆
決勝。
◆
それは、
ただの勝負にあらず。
◆
◆
理解と、
拒絶と、
興奮の交錯する――
◆
◆
“異形の一局”。
◆
◆
その幕が、
今、
開かれたのでございます。
盤上は、もはやただの石の並びではなかった。
それは運命であり、意思であり、時代そのものの衝突であった。
■佐為視点
倉田六段……なるほど、ただの剛腕ではございませんね。
己の力を理解し、それを最大限に活かす場へと導く術を心得ている。
わざと……誘ったのですね。
この「棘の道」へと。
――ふふ……実に面白い。
棘の道。
それは、互いの読みが噛み合えば血を流すように削り合い、
一手の誤りで全てが崩壊する、極めて苛烈なる戦場。
安定もなければ、救いもない。
ただ、力と力が正面からぶつかり合うのみ。
(ならば……受けて立ちましょう)
私の白石は、静かに、しかし確実にその布陣を変えていく。
盤上に現れるは――
『八岐大蛇』
幾重にも絡み合い、八つの首を持つが如く広がる石の連なり。
それは単なる攻めではない。
逃げ道を断ち、選択肢を奪い、じわじわと相手の呼吸を奪う
“神の構え”。
■倉田行洋視点
(……来たか)
倉田の目が、鋭く細められる。
(これは……ただの乱戦じゃねぇ)
(『八岐大蛇』……盤面全体を支配しに来てやがる)
ぞくり、と背筋が震える。
(面白ぇ……!)
圧倒されるどころか、むしろ笑みが浮かぶ。
(神の手で来るなら……こっちも神で返すだけだ)
黒石が叩きつけられる。
バチンッ――!!
(『白虎』……!)
一直線に貫くような攻撃。
守りなど考えぬ、ただ前へ前へと押し潰す圧力。
(力でねじ伏せる……それが俺の碁だ!!)
■佐為視点
――ほう。
それで来ますか。
白虎。
ただ真っ直ぐに、猛き力で押し通す神。
(実に……清々しい)
ですが――
(それでは……まだ足りません)
八岐大蛇は、一つの首を落とされても終わらぬ。
二つ、三つと、別の道から絡みつく。
倉田六段の白虎は強い。
ですが、その力は“正面”に偏っている。
(ならば……)
するり、と白石が滑る。
横から、裏から、隙間から。
まるで蛇が獲物に絡みつくように。
■倉田行洋視点
(……なんだこれ)
額に汗がにじむ。
(押してるはずだ……俺は攻めてる……)
(なのに……)
盤面が、じわじわと狭まっていく。
(逃げ場が……ねぇ……?)
白石が、気付けば自分の陣を侵食している。
(クソッ……これが“八岐大蛇”か……!)
だが――
倉田の目は死んでいない。
(だったら、全部ぶっ壊す!!)
さらに強く、さらに速く。
黒石が叩きつけられる。
もはや読みではない。
直感と経験、そして闘志。
■佐為視点
素晴らしい。
実に……素晴らしい。
(この熱、この圧……)
とうや行洋に似ておりますね。
いや、それ以上に――
(“獣”のような碁)
ですが。
それでも。
(詰みは……近い)
八岐大蛇の首が、一つ、また一つと絡み合い――
白虎の動きを封じていく。
■塔矢アキラ視点(観戦)
(……何なんだ、この二人は)
息を呑む。
目が離せない。
(これが……プロの頂点同士の戦い……?)
いや、違う。
(それ以上だ……)
倉田六段の剛腕。
進藤ヒカルの不可解で、美しく、そして恐ろしい打ち方。
(父さんとも違う……)
理解できるはずなのに、理解が追いつかない。
(でも……)
胸が高鳴る。
(僕も……あそこに行きたい)
尊敬と、恐れと、そして渇望。
■佐為視点
盤上は静まり返っております。
観客の息遣いすら聞こえぬ。
ただ――
石の音だけが響く。
パチン……パチン……
そして。
(これで……終わりです)
静かに、一手。
それは決して派手ではない。
だが、確実に。
黒の呼吸を断つ一手。
■倉田行洋視点
(……っ)
手が止まる。
(……読めてる)
数手先まで。
いや、その先まで。
(詰んでる……)
悔しさと、同時に――
(……すげぇな)
笑みがこぼれる。
(こんな碁、久しぶりだ)
盤上に残ったのは、
戦いの痕跡と、
そして確かな“差”。
――終わったのですね。
盤上から立ち上がるヒカルの背を、私は静かに見つめておりました。
先ほどまで命を削り合っていた戦いが、まるで遠い夢のように感じられるほど、会場は祝福の空気に包まれております。
拍手。
歓声。
ざわめき。
それらすべてが、ヒカルという一人の少年に向けられている。
(……見事でございました、ヒカル)
あの子は、確かに一歩ずつ前に進んでおります。
私の力に頼るだけではなく、自ら考え、自ら望み、自ら歩もうとしている。
その証が――今、この場にある。
賞金が手渡される。
金額の重み以上に、その意味の重さが、ヒカルの胸にのしかかっているのが分かる。
そして始まる、インタビュー。
多くの視線が集まる中で、ヒカルは少しだけ照れたように、しかし真っ直ぐに顔を上げた。
「優勝の知らせは、誰に届けたいですか?」
――一瞬の間。
だが、迷いはなかった。
「病院にいる両親です」
その言葉は、驚きを呼ぶ。
ざわ……と、空気が揺れる。
「囲碁を始めた理由は?」
ヒカルは、息を一つ吐いた。
そして――
「両親を救うためです。今、植物状態で……囲碁が得意だって分かって、それで賞金を稼ぎたいって思いました」
会場の空気が変わる。
同情でも、軽蔑でもない。
ただ、戸惑い。
「批判はあるかもしれないけど……嘘はつきたくないから、正直に言いました」
――ああ。
ヒカル。
(あなたは……真っ直ぐすぎる)
だが、それでよいのです。
偽りの言葉では、魂は前に進めぬ。
「今後の予定は?」
「今年、プロ試験を受けます」
迷いのない声。
もはや“目標”ではなく、“通過点”として語っている。
「ライバルは?」
「塔矢アキラ」
「尊敬している人は?」
「塔矢行洋さんです」
その名に、周囲の者たちがざわつく。
当然でございましょう。
あの親子の名は、囲碁界そのもの。
そして――
「今年のプロ試験は、非常にレベルが高いと言われていますが、合格できると思いますか?」
その問いに対し。
ヒカルは、わずかに笑った。
どこか、子供らしさを残しながらも。
しかし、その奥にあるものは――
覚悟。
「プロ試験は通過点です。その先を見てます」
静寂。
そして――
どよめき。
(……見事)
これほどの言葉を、この年で口にするとは。
無謀にも見える。
しかし――
(この子ならば、やり遂げるでしょう)
■その後――
記事が出回る。
囲碁雑誌。
新聞。
専門誌。
そこには確かに「進藤ヒカル」の名が刻まれた。
だが――
まだ、世間全体を揺るがすほどではない。
あくまで。
囲碁を愛する者たちの間での話。
それでも。
確実に、波紋は広がっていく。
■桑原の翁
とある静かな部屋。
古びた碁盤の前に座る、一人の老人。
桑原本因坊。
その耳に、一つの報せが届く。
「ほう……院生が倉田六段を倒して、若獅子戦優勝……とな」
ゆっくりと、石を指で撫でる。
その目は、細く。
だが鋭い。
(面白いのう……)
ただの勝利ではない。
あの倉田を破る。
それは、“異常”である。
(若い芽は、時に恐ろしいものじゃ)
過去を思い出す。
かつて、自らもそうであった頃。
誰にも止められぬ勢いで、頂を目指した日々。
(ふむ……)
口元が、わずかに緩む。
「また……面白い子供が増えそうじゃのう」
(とうやの倅……それに、この進藤ヒカル)
(時代が、動くかもしれぬな)
静かに。
しかし確実に。
新たな時代の胎動が、始まっていた。
戦いの場を離れれば、そこにはまた別の時間が流れております。
碁盤の上で命を削り合う者たちも、ひとたび席を立てば――
年相応の少年少女。
笑い、食べ、語る。
その姿はどこか眩しく、そして愛おしい。
昼休憩。
院生たちは連れ立って、近くのファミリーレストランへと足を運んでおりました。
店内は柔らかな光に包まれ、戦いの緊張とは無縁の空気が流れている。
だが――
彼らの会話は、やはり碁へと戻る。
■注文のひととき
「俺、ハンバーグ大盛りで!」
和谷は迷いがない。
肉。
量。
勢い。
そのままの性格が皿に乗るような注文。
「私は……和風パスタにしようかな」
那須は柔らかく微笑みながら選ぶ。
どこか調和を重んじるその性質が、そのまま表れている。
「オレはカツカレーっす!」
本田が元気よく手を挙げる。
重く、力強く、分かりやすい一皿。
「……コーヒーとサンドでいい」
越智は短く言う。
無駄を削ぎ落とした選択。
まるでその碁のように。
「僕は……ミックスグリルで」
伊角は少し考えた後、穏やかに決める。
バランスを重んじるその姿勢が垣間見える。
「ナポリタンでいいかなー」
福井は気軽に笑う。
どこか肩の力の抜けた選択。
「オムライス」
真柴は短く。
だがその一言には、揺るがぬ芯がある。
「俺もハンバーグ!」
ヒカルが便乗するように言う。
だが、その目はどこか楽しげで――
(……賑やかですね)
私は、静かにその光景を見つめておりました。
■雑談──若獅子戦の余韻
「てかさ……」
和谷が身を乗り出す。
「ヒカル、お前マジで倉田六段に勝ったのな」
「運が良かっただけだって」
ヒカルは肩をすくめる。
(……謙遜)
(されど、それだけではございませぬ)
「いやいやいや、あれは運じゃねーよ!」
本田が勢いよく割り込む。
「俺、観てたけどさ……途中から完全にヒカルのペースだったぞ!」
「準決勝の……あの盤面、意味が分からなかった」
越智がぽつりと呟く。
「でしょー?」
ヒカルが笑う。
「俺も途中からよく分かんなくなってたし」
(それをまとめ上げたのは……私ではありますが)
(それでも、あの子の発想があってこそ)
那須が興味深そうに口を開く。
「でも、ああいう打ち方って……狙ってやってるの?」
「んー……半分くらいはノリ?」
(ノリ……)
(なんと恐ろしい言葉)
■プロ試験の話
「でさ」
福井がポテトをつまみながら言う。
「今年のプロ試験、ヤバいらしいじゃん」
「門脇も出るんだろ?」
本田が言う。
「アマ最強……」
伊角が静かに頷く。
「それに……」
真柴が続ける。
「塔矢アキラ」
その名が出た瞬間、空気が少し引き締まる。
「……あいつは別格だよな」
和谷が苦笑する。
「ヒカルはどうなんだよ」
「勝てるのか?」
越智が鋭く視線を向ける。
一瞬の沈黙。
だが、ヒカルはすぐに笑った。
「勝つよ」
その言葉は軽い。
だが――
軽いからこそ、重い。
(迷いがない)
「……言うねぇ」
和谷がニヤリとする。
「でもさ」
那須が優しく続ける。
「なんか……ヒカルなら本当にやりそうだよね」
「だな!」
本田が笑う。
「……気に食わないけど」
越智がそっぽを向く。
(それぞれが、それぞれの想いを抱えている)
■佐為の内
この子たちは、まだ若い。
未熟で、粗く、未完成。
されど――
(皆、光を持っている)
競い合い、
悩み、
ぶつかりながら、
少しずつ高みへと近づいていく。
(ヒカルもまた……)
笑いながら、
無邪気に語りながら、
確実に強くなっている。
この何気ない時間すら、
未来へと繋がっているのです。
(……良いものですね)
盤上では見えぬ、
人の温もり。
それを感じながら、
私は静かに、そのひとときを見守っておりました。
次号 アキラVS門脇 勝つのは
-
アキラ
-
門脇
-
引き分け