藤原佐為の碁 ~転生したら神童ヒカルになってた件~ 作:梅酒24
夏。
強い日差しが地面を照らし、空気はわずかに揺らいでおります。
院生たちの喧騒から離れたその日、ヒカルは――
ふとした偶然から、一つの“戦い”に出会いました。
とある碁会所。
あの、どこか雑多で、それでいて妙な熱を帯びた場所。
そこに、一人の少年がいた。
悔しさに顔を歪め、拳を握りしめている。
――三谷。
同じ中学の少年。
三谷の前には、気だるそうに碁盤へ向かう男。
ダケ。
場慣れした空気。
勝つことに慣れた者の、余裕。
そして、ヒカルはそれを見た。
金が動く碁。
そして――負けた者の顔。
■ヒカルの内
(……なんだよ、これ)
(囲碁って、こういうもんじゃねぇだろ)
胸の奥が、ざわつく。
理由は、はっきりしていた。
(ムカつく)
(ああいうの、嫌いだ)
ヒカルは前に出る。
財布から一万円を取り出し、盤の上に置いた。
「俺と打てよ」
ダケが目を細める。
「ほう……坊主が?」
「ただし」
ヒカルの声は、はっきりしていた。
「俺が打つ」
(今回は……私ではない)
■佐為視点
ヒカル。
その決意。
確かに受け取りました。
(よいでしょう)
(この一局……見守りましょう)
盤が整えられる。
石が配られる。
そして――
バチン。
■序盤
■ダケの内
(……ほう)
(思ったより筋がいいな)
(囲碁部か?)
軽く見るつもりだった。
だが、一手、二手と進むうちに、その考えは消える。
(……違うな)
(こいつ……ちゃんと考えて打ってる)
■ヒカルの内
(……強い)
初手から感じる圧。
院生とは違う、実戦で鍛えられた力。
(でも……)
(院生ほどじゃない)
(2組の中堅くらい……)
そこで、ふと気付く。
(……あれ)
(俺、分かってる……?)
(強さの違いが……)
(俺……強くなってる)
■佐為視点
ええ、その通りですヒカル。
あなたは、確実に力をつけております。
ただ――
(ああ……それは最善ではありませぬ)
(もう一手、深く読めば……)
(そう……そこです……!)
声には出せぬ。
届かぬ。
ただ、祈るように見守るのみ。
■中盤
ヒカルの打ち筋が変わる。
静かに、だが確実に。
“形”が整っていく。
(本因坊秀策の……攻め方)
無理をせず、
だが隙を逃さず、
じわりと侵食する。
■ダケの内
(……おいおい)
(なんだその打ち方)
(古い……でも、崩れねぇ)
ヒカルの一手が、わずかな歪みを突く。
そこに、食い込む。
■ヒカルの内
(今だ……ここだ!)
だが、次の瞬間。
(あっ……)
(読みが甘い……!)
逆に切り返される。
■佐為視点
(ああ……危うい)
(ですが……)
(それでもよいのです)
互いに完璧ではない。
だからこそ、
盤は揺れる。
拮抗。
ほぼ、互角。
■三谷
最初は、ただ見ていただけだった。
ちらり、と。
興味半分で。
だが――
いつの間にか。
目を逸らせなくなっている。
(……なんだよ、あいつ)
(あんな打ち方……)
声には出さない。
だが、心の中で叫ぶ。
(負けるな……!)
■終盤──ヨセ
空気が変わる。
静寂。
呼吸すら、重い。
細かい。
あまりにも細かい戦い。
■ヒカルの内
(ここで……)
(絶対に……)
(負けたくねぇ)
ただの一万円ではない。
三谷の悔しさ。
自分の意地。
そして――
(俺の力で……勝つ)
■佐為視点
……ヒカル。
その心。
その執念。
(美しい)
石が置かれる。
一手。
また一手。
そして――
終局。
■結果
半目。
わずか、半目。
ヒカルの勝利。
■ヒカル
「……取り返したぜ」
息を吐く。
「危なかったけどな」
三谷が、少し遅れて口を開く。
「あ……ありがとう」
「礼なんかいいって」
ヒカルは笑う。
「ムカついただけだからさ」
三谷は、少しだけ俯いて――
そして、小さく笑った。
「……でもさ」
「すげぇな、お前」
「だろ?」
軽口。
だが、その裏には確かな何かがあった。
■佐為
この一局。
決して大きな舞台ではない。
賞もなければ、名誉もない。
だが――
(確かに)
(価値ある一局)
ヒカルは、
自らの力で勝ちました。
(これが……第一歩)
静かに、しかし確実に。
その歩みは、未来へと続いております。
人は、出会いによって変わるもの。
それは盤上に限らず――日常においても同じこと。
三谷という少年。
あの一局を境に、ヒカルの周囲にはわずかな変化が訪れておりました。
無骨で、少しひねくれていて。
けれど、どこか真っ直ぐなその少年が、ヒカルに人を繋いでいく。
三谷の姉が勤める、漫画喫茶。
昼下がり、客の少ない時間帯。
静まり返った店内で、ヒカルは新たな世界へと足を踏み入れる。
(……これが、“いんたあねっと”)
画面の向こうに広がる、見えぬ碁盤。
見知らぬ相手。
名も顔も知らぬ者たちと、ただ碁だけで繋がる世界。
ヒカルは「link」という名で。
そして私は――
「sai」として。
(……ふふ)
(面白い)
■二つの名
最初は、軽い遊びのようなものでした。
だが――
その結果は、あまりにも明確。
■ヒカル(link)
アマチュアには勝つ。
だが――
プロには、歯が立たぬ。
■ヒカルの内
(くそ……なんだよこれ)
(全然通用しねぇ……)
(院生より……強い奴がゴロゴロいる……!)
悔しさ。
だが、それ以上に――
(面白ぇ……!)
■佐為(sai)
全勝。
ただ、それだけ。
(この時代の碁……)
(なんと広く、深いものか)
相手は変わる。
国も違う。
打ち方も違う。
だが――
(碁の本質は変わらぬ)
一手。
また一手。
そのすべてが、私に新たな刺激を与えてくる。
■広がる噂
やがて――
その名は、静かに広がり始める。
「……“sai”って知ってるか?」
「誰だあれ……」
「プロでも勝てないらしいぞ」
見えぬ相手。
国境も越え、
ただ棋譜だけが語る存在。
(何者だ……)
(どこの国の……誰だ……)
疑問が、渦を巻く。
(……名など、どうでもよい)
ただ、碁を打つ。
それだけでよいのです。
■夏──成長
日々、碁。
ひたすらに碁。
ヒカルは負ける。
何度も。
だが、その度に――
■ヒカルの内
(なんで負けた……)
(どこが違った……)
(次は……こうしてやる……!)
考える。
学ぶ。
吸収する。
そして――
強くなる。
(……変わっていきますね、ヒカル)
かつての無邪気な少年は、
今や盤上で“戦う者”となりつつある。
■そして──プロ試験
季節が巡る。
夏の終わり。
集う者たち。
それぞれが、それぞれの頂を目指して。
まず現れたのは――
「門脇だ……!」
「アマタイトル総ナメの……!」
ざわめきが走る。
(アマ最強……)
(ネットでもプロに4割……?)
(化け物かよ……)
静かに立つその男。
ただそこにいるだけで、空気が変わる。
そして――
ざわ……
ざわ……
「あれ……」
「まさか……」
「塔矢アキラ……!」
波が広がる。
一瞬で。
「本物か……?」
「塔矢行洋の息子……」
「やっぱ出るのかよ……!」
視線が集まる。
自然と、道が開く。
(……あれが)
(ヒカルの言っていた……)
静かな炎を宿す少年。
ただ立っているだけで、圧を放つ存在。
(見事な気配)
だが――
それで終わりではない。
さらに、ざわめきは増す。
「おい……」
「あいつ……」
「進藤ヒカル……!」
ヒカルの名が、呼ばれる。
「倉田六段倒したって……」
「若獅子戦優勝の……?」
「院生だろ……?」
ひそひそと。
だが確実に。
その名は広がっている。
■周囲の声
「今年……やばくね?」
「レベル高すぎだろ……」
「門脇、塔矢、進藤……って」
「誰が通るんだよ……」
緊張。
期待。
恐れ。
様々な感情が入り混じり、場を満たしていく。
■佐為
その中心に――
ヒカルがいる。
(……ここから)
ただの成長ではない。
真の戦い。
(運命が、動き出す)
静かに、
しかし確実に。
この場に集う者たちは、
それぞれの未来を賭けて――
盤上へと向かうのです。
ざわめきは、すでに頂点へと達しておりました。
門脇。
塔矢アキラ。
進藤ヒカル。
それぞれが、異なる頂を背負う者。
それだけで、この場は十分すぎるほどの熱を帯びていたはず――
でしたが。
――その空気を、さらに歪める者が現れます。
足音。
わざとらしいほどに響かせる草履の音。
視線を引き寄せる、鮮烈な色。
赤。
背に「飛車」と大書された和服。
手には「角行」と記された扇。
まるで盤上の駒そのものを人の形にしたかのような、異様な存在感。
「カッカッカッ……」
高らかな笑い。
「塔矢アキラがプロ試験に出ると聞いてやってきたぜ」
ざわ――
ざわざわ……
「……あいつ」
「まさか……」
「加賀……!」
名が、波紋のように広がる。
「中学生将棋大会チャンピオン……!」
「プロ試験合格者だろ、将棋の……!」
「なんで囲碁に……?」
動揺。
困惑。
そして――
明確な“警戒”。
■周囲の視線
(……やばいのが来た)
(あいつ……ただ者じゃねぇ)
(囲碁でも強いって聞いたぞ……)
「無冠の王……」
誰かが、ぽつりと呟く。
その言葉は、静かに重みを持って場に落ちる。
■加賀の過去(加賀視点)
――昔。
囲碁を打っていた。
誰よりも勝つつもりで。
誰よりも上に行くつもりで。
だが――
必ず、そこにいた。
(……またかよ)
塔矢アキラ。
静かで、冷たく、そして揺るがぬ存在。
何度も挑んだ。
何度も、何度も。
だが結果は、変わらない。
(クソが……!)
(なんで届かねぇ……!)
積み上げたものが、
まるで意味を持たぬかのように、
あっさりと打ち崩される。
そして――
ある日。
「……君は強い」
アキラが、そう言った。
だが、その次の言葉。
「もし望むなら……」
「……手加減することもできる」
――その瞬間。
何かが、砕けた。
(……ふざけるな)
胸の奥で、何かが燃え上がる。
(舐めるなよ……)
(俺は……そんな勝ち方、望んでねぇ……!)
だが現実は変わらぬ。
勝てない。
届かない。
父の声が響く。
「結果がすべてだ」
「勝てないなら意味はない」
叱責。
否定。
圧力。
そして――
加賀は、囲碁を離れた。
将棋へ。
そこで彼は――
頂点へと至る。
(……だが)
心のどこかに、
消えぬものがあった。
(まだ……終わってねぇ)
■現在
加賀の視線が、会場をなぞる。
そして――
止まる。
塔矢アキラ。
(……いたな)
そして、もう一人。
(……あいつか)
進藤ヒカル。
同じ中学。
囲碁部のポスターに、正解を書き込んでいた少年。
(あの時から……妙だった)
(あいつ……素人じゃねぇ)
直感。
経験。
それらが告げている。
(面白ぇ……)
■周囲の評価
「将棋だけじゃねぇぞ……」
「囲碁も相当打てる……」
「昔、塔矢とやり合ってたらしい」
「ただの転向組じゃない……」
「バケモンだ……」
その視線は、明らかに“脅威”を見るもの。
■佐為視点
……異質。
実に、異質な気配。
(盤を跨いでいる)
囲碁と将棋。
異なる理。
異なる思想。
それを知りながら――
なお立つ者。
(この者……)
(ただの力ではありませぬ)
思考の深さ。
勝負への執着。
そして――
敗北を知る者の強さ。
(塔矢アキラに届かなかった男)
(ゆえに、なお渇く者)
その渇きは、
時に天才をも凌駕する。
ヒカルとは違う。
アキラとも違う。
第三の道。
(……面白い)
盤上にて、
この三者が交わる時。
何が起こるのか。
静かに、
しかし確かに。
この場は、ただの試験ではなくなっていく。
(嵐が……来ますね)
そう、これはまだ序章。
本当の戦いは、これから始まるのです。
場は、もはや静寂とは程遠い。
先ほどまでのざわめきが“前触れ”であったのならば、
今は――嵐そのもの。
赤き男、加賀の登場が火種となり、
その余熱が残る中で――
さらに、場を揺るがす光景が現れます。
試験会場の中央。
最も視線が集まるその席に。
塔矢アキラ。
そして――門脇。
向かい合って、座る。
ざわ……ッ
ざわざわ……ッ
「いきなりかよ……!」
「一戦目から……!?」
「プロ候補同士だぞ……!」
誰もが息を呑む。
それは、単なる一局ではない。
これは――
未来の頂点同士の、初衝突。
(……なんと)
私は静かに、その光景を見つめる。
(これほどの者同士が)
(初手より刃を交えるとは……)
囲碁とは、本来積み重ねの競技。
だがこの場は違う。
(運命すらも、試されているようです)
■ヒカル
一方。
ヒカルは――
やや外れた席。
対戦相手は「外来」。
すなわち、院生ではない者。
だが、その表情に油断はない。
(……さて)
(どの程度か)
約束は交わされている。
序盤は、私。
そして――
相手の力量次第で、
ヒカルと私の“交互打ち”。
(己の力を試したいのでしょう)
ヒカルの中に、
確かな変化がある。
(ただ勝つだけではない)
(どこまで届くかを、知りたいのですね)
■試合前──雑談
開始前。
わずかな時間。
ヒカルの周囲に、自然と人が集まる。
和谷。
那須。
伊角。
本田。
真柴。
それぞれが、それぞれの緊張を抱えながら。
「……なんかさ」
和谷が頭を掻きながら口を開く。
「いよいよって感じだな」
「そうだねー」
那須は柔らかく笑うが、その指先はわずかに落ち着かない。
「若獅子戦とはまた違う空気」
「……当然だ」
伊角は静かに言う。
「ここは“選別の場”だ」
本田が苦笑する。
「なんか重いなぁ……でも実際そうなんだよな」
ヒカルは腕を組み、軽く笑う。
「まー、勝てばいいんだろ?」
(……この軽さ)
(だが、内は違う)
私は感じていた。
ヒカルの奥底にある、熱を。
■越智
少し離れた席。
越智は――
完全に“入って”いた。
視線は盤へ。
周囲の声など、まるで届いていない。
(……集中)
(この子は、やはり強い)
■真柴と伊角
「伊角君」
真柴が、にやりと笑う。
「ここは勝たせてもらうよ」
軽い調子。
だが、その目は笑っていない。
伊角も、静かに見返す。
「……やってみるといい」
空気が、張り詰める。
(互いに知っている)
(相手の強さを)
■組み合わせ
和谷がふと、ヒカルを見る。
「進藤さ」
「ん?」
「俺とか、伊角さんとか、越智とか……」
「当たるの、たぶん終盤だよな」
「あー、まあそうだろうな」
「……ってことはさ」
和谷が、少しだけ顔をしかめる。
「門脇と……二戦目かよ」
一瞬、空気が止まる。
本田が思わず声を上げる。
「マジで!?」
「やばくね……?」
那須が小さく呟く。
「門脇、初戦が塔矢で……」
伊角が整理するように言う。
「その次が……進藤」
和谷が苦笑する。
「地獄かよ」
「門脇……」
「塔矢、進藤の二連戦って……」
「運なさすぎだろ……」
だが――
ヒカルは、笑う。
「いいじゃん」
軽く。
あっさりと。
「早い方が楽だろ」
一瞬、誰も言葉を失う。
(……この子は)
恐れていない。
むしろ――
(望んでいる)
■佐為
私は、静かに目を細める。
(門脇)
(塔矢アキラ)
(そして……ヒカル)
それぞれが異なる道を歩み、
この場で交差する。
(運命とは、かくも残酷で――)
(そして、美しいもの)
試験が始まる前。
このわずかな時間にさえ、
すでに戦いは始まっている。
(さて……)
盤上にて、
誰が何を見せるのか。
そして――
ヒカルは、どこまで届くのか。
私はただ、
その行く末を見届けるのみ。
(参りましょう)
(この時代の、碁の極みへ)
その一局は――
始まる前から、すでに特別な重みを帯びておりました。
だが、その前に。
ひとつ、静かな“異変”。
ヒカルの対戦相手――外来の受験者は、
棄権を選びました。
理由は明白。
一戦目で打ち砕かれた心。
その余波を恐れたのでしょう。
(……賢明な判断)
(あるいは、逃避)
ゆえにヒカルは、
戦うことなく一勝を得る。
だが――
その視線は、ただ一箇所へ。
中央。
塔矢アキラ。
門脇。
この二人の対局へと。
■神の視点──交差する思惑
アキラの指先が、わずかに震える。
(進藤……不戦勝か……)
(ならば――)
静かに、だが強く。
(僕の今の碁を見てくれ)
一方、門脇。
その視線は鋭く、冷静。
(こいつが……塔矢行洋の息子)
(塔矢アキラか)
内心で、冷静に分析する。
(プロ相手でも四割)
(アマなら九割五分……)
(その俺にとって――)
一瞬だけ、口元が歪む。
(ここが、一番の難所だな)
■序盤──火花
パチン。
最初の一手。
アキラの碁。
それは――
『本因坊秀策』の流れ。
門脇の眉が、わずかに動く。
(……秀策流か)
(ネットでも、たまに当たる)
軽く、息を吐く。
(まぁ……軽くいなすか)
だが。
数手後。
その余裕は、消える。
石と石が、ぶつかる。
探り合いではない。
最初から――
“本気”。
(……強い)
門脇の思考が、わずかに変わる。
(これは……)
■佐為
(……ほう)
私は、静かに見つめる。
(この二人)
(すでに院生の域を超えております)
その一手一手に、迷いがない。
読みの深さ、圧の強さ。
(若獅子戦ならば)
(いずれも四強に入る器)
■アキラ
(この人……強い……)
知らなかった。
進藤ヒカル以外、
眼中になかった。
(ノーマークだった……)
だが今。
(若獅子戦のプロよりも……強い)
胸の奥に、新たな熱が生まれる。
(進藤だけじゃないのか……)
■静寂の選択
やがて、局面は分岐する。
『トライデント』
三つの道。
アキラが選んだのは――
静寂。
最も、重く。
最も、危うい道。
ゆっくりと、時が流れる。
一手。
また一手。
盤上は、凍りついたかのよう。
だがその内側では――
激しい思考が渦巻いている。
(……一手の誤りが)
(すべてを終わらせる)
■観戦者たち
周囲の対局は、すべて終わっていた。
だが――
誰も席を立たない。
自然と、人が集まる。
和谷、伊角、越智、那須。
「……静の道か」
伊角が、低く呟く。
「一手ミスったら終わりだぞ、これ……」
和谷が息を呑む。
「まだ中盤……?」
那須が目を見開く。
「時間……」
越智が時計を見る。
「――あっ」
■秒読み
ピピッ。
時間切れ。
秒読み。
残り三十秒。
ここからは――
思考ではなく、“反射”。
(……来ましたか)
■佐為
(秒読み……)
(第一戦……中盤で……)
どれほどの圧か。
どれほどの重みか。
(それでもなお)
二人は、崩れない。
(最善ではなくとも)
(二手目、三手目の良手を選び続ける)
悪手には、決して落ちぬ。
(この極限において)
(守りながら、待つ)
(相手の崩れを)
■観戦者
「……レベル高すぎるだろ」
和谷が呟く。
「俺なら……無理だ」
「三十秒で……これ……?」
那須の声が震える。
「致命的なミスが許されない……」
伊角が息を詰める。
越智は、ただ黙って見つめていた。
■終盤への流れ
やがて――
静は、わずかに傾く。
門脇、有利。
トライデントの性質。
受けの側が、終盤で優位。
■アキラ
(……くらいつかれた)
隙がない。
崩れない。
(このままでは……負ける)
静かに、目を閉じる。
呼吸。
一秒。
二秒。
三十秒――
そのすべてを使い切り。
そして。
放たれる一手。
天元。
盤の中心。
終盤直前に打つには、
あまりにも――
異質。
(『渦潮』――!!)
■門脇
(……は?)
一瞬、思考が止まる。
(リスク高すぎるだろ……)
だがすぐに、理解する。
(……勝負に来たか)
口元が、わずかに歪む。
(このままなら俺の勝ち)
(だから……無理やり崩しに来た)
視線が鋭くなる。
(いいぜ……受けてやる)
(この展開……何度も経験してる)
■激流
秒読み。
三十秒。
その中で――
盤は崩壊する。
静寂は消え。
激流へ。
石がぶつかり、
削り合い、
飲み込み合う。
まるで――
渦。
巨大な、渦潮。
■佐為
(……美しい)
理を越えた一手。
それが、盤を変える。
(この流れ……)
そして。
渦の奥底より。
現れる影。
巨大なるもの。
リヴァイアサン。
■門脇
(……まさか)
目が見開かれる。
(これを……狙って……!?)
三十秒。
この時間では――
辿り着けない。
読めない。
だからこそ。
この一手は――
致命となる。
■終局
やがて、すべてが静まる。
盤上に残るのは――
わずかな差。
二目。
勝者――
塔矢アキラ。
■余韻
静寂。
誰も、すぐには声を出せない。
ただ一人。
門脇が、静かに息を吐く。
(……やられた)
そしてアキラは、
ただ盤を見つめていた。
(これが……)
(僕の、今の力)
■佐為
(……見事)
私は、深く息を吐く。
(この時代の碁)
(実に……面白い)
そして――
静かに、確信する。
(ヒカル)
(あなたもまた、この渦に飛び込むのです)
避けられぬ流れ。
交わる運命。
その先にあるものを、
私はただ――見届ける。
対局が終わり。
盤上の熱が、ゆっくりと冷めていく中で――
なおも、その場に残るものがありました。
それは、
勝敗ではなく。
“証”。
塔矢アキラという存在が、
確かにここに刻んだ、今の力の証。
「進藤、これが今の僕の実力だ」
静かに。
しかし、はっきりとした声で。
「君とは最終戦……僕はこのプロテストでさらに成長するつもりだ」
その瞳には、迷いがない。
揺るぎもない。
(……見事)
私は、その姿を見つめながら思う。
(敗北を糧とし)
(なおも前へ進む意思)
(まさしく、求道者)
一方で。
門脇は、静かに二人を見やる。
(進藤……?)
記憶を辿る。
(……ああ)
(次の相手か)
敗北の余韻を抱えながらも、
その思考はすでに次へと向かっている。
(面白い巡り合わせだな)
そして――
ヒカル。
彼は、少しだけ肩をすくめながら。
けれど、どこか真剣な目でアキラを見ていた。
(……ヒカル)
その内側に、
言葉にならぬ思考が渦巻いているのを感じる。
私は、静かに語りかける。
(ヒカル)
(感じたままを、伝えなさい)
ヒカルは、小さく息を吐く。
「……すげーよ」
率直に。
飾り気なく。
「正直、びっくりした」
アキラの目が、わずかに細まる。
「……そうか」
「前より、全然強くなってる」
その言葉には、
ただの感想ではない重みがあった。
ヒカル自身もまた、
成長しているからこそ――
分かる。
(……ええ)
私は心の中で頷く。
(確かに、アキラは伸びている)
だが同時に。
(ヒカル)
(あなたは――それ以上に)
まだ粗く、
まだ未完成でありながら。
(伸び代という意味では)
(あなたの方が、はるかに大きい)
今のヒカルは、
院生二組の上位に食い込むほどの力。
それも――
中学一年にして。
(恐ろしい成長)
ヒカルは、少しだけ笑う。
「でもさ」
「まだ負けねーよ、俺」
その言葉に。
アキラの口元が、わずかに緩む。
「……当然だ」
静かに、しかし熱を帯びて。
「君に負けるつもりで、ここに来たわけじゃない」
「だろうな」
「最終戦で会おう、進藤」
その一言に、
すべてが込められていた。
決意。
誇り。
そして――
期待。
「おう」
ヒカルもまた、
短く答える。
それだけで、十分だった。
■佐為
(……よい)
二人の間に流れるもの。
それは敵意ではない。
(競い合い、高め合う)
(それこそが、本来の在り方)
かつての私は、
ただ一人で碁を求め続けた。
だが今は違う。
(ヒカル)
(あなたには、よき対局者がいる)
塔矢アキラ。
その存在が、
どれほど尊いものか。
(この時代に顕現できたこと)
(これほどの喜びはありません)
静かに。
だが確かに。
運命の歯車は、
噛み合い始めていた。
次号 加賀VSアキラ、 ヒカルVS加賀 勝つのは?
-
アキラ、ヒカル
-
加賀、ヒカル
-
アキラ、加賀
-
加賀、加賀